Jazzと読書の日々

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GGOは「死に戻り」を自己選択する

今期は見てるアニメが少ないなあ。 「ダンダダン」と「るろ剣」、「ラブライブ・スーパースター」くらいか。

共鳴するからだ

共鳴するからだ

片山洋次郎,田畑浩良,藤本靖

整体術師の人たちが「現代人のからだ」について対談。

バブルの頃からだんだんとリラックスするのが下手な人たちが増えているらしい。 胸が過緊張な状態で固まっていて、感覚過敏。 それでいいながら自分の「からだ」については無感覚なので「からだを緩めてみましょう」と指示されても、脱力ができない。

どうやらこれは、緊張が高じそうになったところで急ブレーキをかけた状態。 普通は、アクセルとブレーキを交互に繰り返すことで「緊張と弛緩」のゆったりした波があるのですが、それを飛び越してサイドブレーキを引いてしまった。 この状態を「凍りつき」と呼ぶそうです。

凍りつきを解除するには、もう一度緊張状態に戻る必要があります。 途中で止めてしまったものをもう一度動かしてみる。 リラックスじゃなくて再起動が必要になる。

これはハコミセラピーやソマティック・エクスペリエンスで言う「テイクオーバー」かな。 心身療法ですね。 行動の途中で固まったために、その行動が「終わったこと」にならない。 それが症状化している。

そうしたときは行動を先に進める手技を行ってみる。

発達障害が増えたように見えるのも、実はこの「凍りつき」であって、昔ならそうした特性があってもリラックスの機会があり、生活に支障がなかった。 ところが現代になるに従い、感覚過敏な人にはストレスが高すぎる社会になった。 それで「凍りつき」が発達障害の主症状のように勘違いされているのだろう。 そういう分析です。

鈴木大介さんの『貧困と脳』にあった「脳性疲労」も、この「凍りつき」で説明できそうに思いました。 脳の問題というより、副交感神経も含めた「からだ」と見たほうがアプローチしやすい。 環世界に過剰な情報が溢れてるんじゃないか。

GGO

さて「ガンゲイル・オンライン(GGO)」。 バーチャルリアリティにダイブしてチームバトルをするアニメ。 銃で殺し合うゲームの話です。 どんどん人が死んでいきます。

これのどこが面白いの?

ゲーム自体は「荒野行動」や「PUBG」などのバトルロワイヤルものです。 やったことないけど、プレイ動画はあちこちの動画サイトにあるから人気なのでしょう。 チームを組んで他のチームを殲滅し、最後の一人として生き残ったら勝利。 今日はドン勝だぁ、というわけです。

待て待て、一体何をしているのか。

ここに「テイクオーバー」があるんじゃないか。 「日頃ストレスを抱えていて、それをドンパチで発散」じゃないですね。 そんな単純なストレス発散じゃない。 そうじゃなく、日頃のストレスそのものが銃声と警報の鳴り響く「戦場体験」で、でもそれが完遂するとまずいことが起きるから、急ブレーキで止めている。 すると不全感が残る。

じゃあ、この「テイクオーバー」の着地点はどこでしょう。 行動を完遂した先にあるもの。 急ブレーキを外すと何が出てくるのか。

それが「死に戻り」じゃないかと思いました。 戦場で勝って生き残ることより「死ぬこと」に力点がある。 だって、一人しか生き残らないんですよ、100人が戦闘して。 そうした仮説で他のアニメを見てみると「Re:ゼロ」や「このすば」など、売れている作品には「死に戻り」が組み込まれていることに気づきます。

「死んで他の世界に転生する」という転生ものの消費が終わり、さらに「死んで同じ世界のセーブポイントまで戻る」に変わってきた。 これは確かにゲーム的な発想です。

「残機」があってやり直せるのは「スーパーマリオブラザーズ」からではありません。 「ブロック崩し」でさえ「死に戻り」の世界であり、それを戦略に組み込んでもいた。 ミスして、次のスタート地点を、残りブロックを崩しやすい位置に調整する。 そうした戦略もあった。

「いやいや、男の子のアニメは昔からドンパチでしょう」ではありません。 死んだらそれまでです。 『ガンダム』みたいに、死んだ人が幽体になって現れることはあっても、現実世界に干渉はできません。 だから、生き残ることが目的になります。 生き残ることがそのまま「パーフェクト・ソルジャー」です。 不死身の男、多羅尾伴内です。

ところが、今のゲームやアニメはわざわざ「死ぬこと」を選んでいる。 「戦闘不能」ではなく「DEAD」と表示される意味。 これは何か。

自己選択ということ

たぶん「現代社会」の構造が「死ぬこと」を手段化しているのでしょうね。 アドベンチャーゲームみたいに「あそこの選択を間違えたなあ」と後悔するようになっている。 「それ以前のセーブポイントに戻れたら、今度は別の選択をするのに」。 そうした発想がなければ「死に戻り」は選びません。

そこらじゅうに「こうなったのは、あなたが選択を間違えたからですよ」というメッセージに溢れている。 自己責任論を噛み砕くとこんな感じですね。 だから、時間を巻き戻してセーブポイントからやり直したい。 「死にたい」ではなく「巻き戻したい」がテイクオーバーの目的地になっている。

とはいえ「巻き戻し」は人生にはありません。 だから「からだ」は急ブレーキを掛け、そのプロセスを凍りつかせる。

いま「凍りつかせる」と打ったら「効率化せる」と出て、びっくりしました。 ああ、これ「効率化」なんだ。 行き詰まりの中でもがき続けるより「セーブポイント」を選ぶ。 その方がコスパがいいから。 でも「セーブポイント」なんてないからハングする。 それがどうやら、現代人の「からだ」に起こっていることらしい。

「死と再生」なら神話時代からあります。 でもそれは「セーブポイント」ではない。 セーブポイントは、その後の「失敗」をなかったことにします。 解離性の忘却がある。

ああ、これって「南京虐殺なんてなかった」の歴史修正主義か。 「失敗」を「自虐」と捉える人生観ですね。 失敗を通して人が成長するものだと考えていない。 失敗は「トラウマ」になるから「なかったこと」にしよう、と。 愚かな。

でもアニメの主人公たちは「失敗」を忘れない。 そこが違います。 セーブポイントに戻りはするけど「失敗」を無駄にしない。 「死」の痛みを忘れず「トラウマ」を自ら引き受ける。 そのとき「トラウマ」は「治すべきもの」ではなくなっています。

だから、こうしたアニメを見ると「すごいな」と思うんだろうなあ。 小並感だけど「すごいな」しか出て来なくなる。 もし世界が「自己選択」であるのなら、それは「トラウマ」から目を逸らさず生きるということになる。 そうした条件下で、なおも生きるとはどういうことか。 そうした条件設定で「実験」を行っています。

彼らは「なぜ自分はこんな苦しいことをしているんだろう」と何度も自問し、そのときの答えを得て乗り越えていく。 そこに心が揺らされるんだよなあ。

まとめ

人生の大事なことは、みんなアニメから教わった。 そしてそれは、これからも。