Jazzと読書の日々

iPadを筆記具として使う方法を模索します

依存は回復の始まり

タバコがやめられない。

本気で語り明かした依存症の話

アルコール依存症の文学者横道誠とニコチン依存症の精神科医松本俊彦の往復書簡。 タメになります。 そうか、そんなふうに言い訳すればいいのか。

「ダメ、ゼッタイ」というのがまったく効果がないばかりか、さらに依存を悪化させることが最新研究でわかって、じゃあどうしよう?と。 禁止しても抑止力にならない。 考えれば当たり前なんですけどね。 考えてないんでしょうね。

マウスの実験がわかりやすかったかな。 檻に閉じ込めて、ボタンを押すとモルヒネ入りの水が飲める。 そうした環境に置かれると、ネズミさんは延々とボタンを押し続け、 そしてモルヒネ中毒になって死んでしまう。 依存症のモデルになる実験です。

そうしたのを「ドーパミンの報酬系がどうのこうの」で説明もできるけど、じゃあ、檻に閉じ込めなかったらどうなるのか。 仲間のネズミもいる環境で、同じモルヒネ・ボタンを設置しても押し続けるだろうか。

実はそういう場合、ネズミさんは普通の水を飲みます。 普通の水の方を飲んで、仲間と戯れたり交尾したりする。 報酬系なんてわざわざ活性化しなくても、楽しく過ごせるならそれで満足します。

人間でややこしいのは、この仲間との関係で傷つく場合。 家庭内の虐待もあるし、学校でのいじめもあるし、職場でのパワハラもある。 すると人が怖くなって、仲間の形成がうまくできなくなる。

そうした問題を素通りして「ダメ、ゼッタイ」と言っても止まるわけがない。

マウント依存症

対談では出てこなかったけど、マウントを取りたがるのも「マウント依存症」だろうなあ。 「ダメ、ゼッタイ」という言葉にもマウント臭さを感じる。 あなた、体育会系でしょ? 根性とかシゴキとかが好きなタイプの。

自分が上司から被害を受けながら、自分が上司になったとき部下にパワハラするのも依存症だろうし、そうした連鎖を断ち切ろうと、今度は別のものにのめり込むのも依存症でしょう。 依存症を辞めようとすると「死にたい」「消えたい」と自殺念慮が浮かんでくる。 どの道を選んでも袋小路です。

ただ、マウントを選ばなかった人の方が「回復」には近い。 連鎖を断ち切ろうとしているからね。 そうした人は、自分に他人を近づけない依存症を選ぶ。 昼間から酒臭かったりタバコ臭かったり。 あれは「近づくなよ」のサインだなあ。 自分がパワハラするのを恐れている。 でも結局逃れられなくて、酔っ払って暴言を吐き、素面になってから罪悪感に襲われ、それを紛らすためにさらに酒を飲む。 全然酒が楽しくない。

回復は、そうした自分に気づくことと、安心できる「仲間」を見つけること。

途中で「アルコール依存症の家族」の話もあったけど、家族は「仲間」になれない。 家族だけで支えようとすると、家族も疲労困憊してしまう。 なぜ家族が仲間になれないのか不思議だけど、どうもそうらしい。

家の中で閉じてしまうからかな。 人間には「外部」が必要らしい。 そこがちょっと宗教っぽく感じたところで、横道先生が「自助グループは宗教2世のトラウマを刺激してしまう」と指摘している通り。 心の救済に「外部」が必要なんだろうけど、そこにも組織的なパワハラが入ってくるから、人間って難しい。

タバコの効能

松本先生が「タバコを吸っているとルパン三世の次元大介や、ムーミンのスナフキンを思い出す」と書いてたのがドンピシャでした。 そうそう、タバコを吸う間、自分が次元やスナフキンに同一化する。 その気持ちあるなあ。 この文章だけでも、読んで儲けものでした。 シャーロック・ホームズもそうだ。

あと、ネイティブ・アメリカンのシャーマンがタバコをふかしているイメージもありますね。 煙がもくもくと立ちこめる中で瞑想している。 魂が肉体から離れ、大気と一体化する状態。 そのあいだグレートスピリットと一如になっている。

心は気である。 そうしたイメージがあります。 気がつく。 気を遣う。 気になる。 日本語では心を「気」という流動体として扱っている。

流動体である「気」は外から来て、しばらく内にとどまり、やがて外に帰っていく。 循環しています。 自分のうちに固まらない。 交流の中で活性化している。 この「気」は中国の陰陽二気ではなく「息」ではないか。 呼吸ですね。 呼吸がないと「息」にならないし「生き」にもならない。 息することが生きること。

そうイメージすると、心は傷つきません。 傷つくのは固形物だけです。 折れたり割れたりする。 流動体であれば流れ、いつも刷新している。 動的平衡を保っています。

これが「タバコ」のときの心的イメージですね。 自分を流動体に見立てることで、傷の修復をする。 このイメージがいつも持てればタバコも要らないのだけど、まあ、気詰まりなときはあるし、うまく流せないときもある。

するとスナフキンになって煙を吐いてしまうわけです。 口からエクトプラズマが出る。 「ムーミン、人生に必要なのは大きなカバンじゃない。口ずさめる歌だよ」と嘯いたりして。 ムーミンをダシにして、人生のほろ苦さを自分に言い聞かせている。

そういうところだぞ、スナフキン。

まとめ

結局「やめられない」のではなく「やめたくない」なのだな。

追加

某精神科医による星新一への名誉毀損に、家族から抗議文が出ています。 こうした精神科医の「診断」は望ましい手続きを経ていず、許されることではありません。