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L'art de croire             竹下節子ブログ

瞳ちゃんのこと  その4

瞳ちゃんとの出会いのことを、自閉症者の音楽家の支援もしている友人に話したら、思いがけないことを言われた。
最初の合同練習で声をかけられたときのやり取りから、なぜ彼女が私の「懐に入ってきた」のかが理解できるというのだ。

まず、最初の練習で私が速いパッセージなど弾けなかったのに気づいたであろう瞳ちゃんが「どうして個人レッスンを受けないんですか?」と聞いてきて、私がもう30年近く前に個人レッスンを受け始めて15年くらいは続けたこと、その日に練習した曲については、ギターのコンサートの前だったので、指使いにヴィオラの反射が出ないようにヴィオラはできるだけ弾いていないことなどを答えたというくだりだ。

友人は、そもそも、初対面で明らかに年長の演奏家に対して、突然そんな質問をすること自体が典型的な自閉症の症状だというのだ。

なるほど、そう言われれば、もし私だったら、見知らぬ年長者とはじめて隣で弾いたとして、その人があちこちでミスしたことに気づいても、そんな質問など絶対にしないだろう。ミスしたことは本人が気づいているわけだし。

友人はさらに、そんな失礼なことを言われたら、普通の人なら気分を害して何も答えないか、「余計なお世話だ、あなたに言われる筋合いはない」という感じのリアクションをするに違いない。自閉症の人自身には自分が「失礼なこと」を言ったという認識はないし、相手からそういうリアクションをされることも慣れている。それなのに私が普通に自然に答えたことが瞳ちゃんのツボにはまったというか、それで私の中に無防備に飛び込むことになったというのだ。

私は「だって、私はほんとうに下手な演奏をしたんだもの」と言った。

友人は、その「すなおさ」というものが稀有なもので自閉症者がめったに出会えないレスポンスなのだという。そして自閉症者はそういうことにすごく敏感で、一気に私に寄り添ったというのは充分理解できるという。

それを聞いていた別の仲間も、このエピソードをすごく気に入って、まるで一つのポエジーだとまで言った。
私にはまったく、そういう特殊な意識がなかったので、相手が女の子でよかった、と思っただけだ。これが17歳の男の子だったら、いくらもう一度会いたい、と言われても、うちに呼んでデュオをやろうか、などと誘いはしなかっただろう。
友人によると、実際、どんな精神疾患や発達障害でも男の子や男性の方がハンディが大きくなるらしい。行動パターンが攻撃的に出ることも多いし、周りの人からも警戒されるからだ。

で、瞳ちゃんがやってきた日、彼女は私の音楽室にある万華鏡やパズルやオルゴールや楽器のコレクションに目を輝かし、バッハのインベンションも2人で少し弾いた。

彼女のオーケストラの練習が始まるまでにまだ時間があったが、私の方に用事があったので帰ってもらったのだけれど、「ここにいるのがとても楽しくて、ずっといたいです」などと言われた。
バッハのインタバルとフレージングの関係をちょっと話した後、次は音楽学者の仲間に和声進行についてアドヴァイスしてもらいたくなった。
彼に話すと、次に合わすときには喜んできてくれると言い、Wilhelm Friedemann Bachの曲、クープランの組曲、Karl Stamitzのヴィオラのためのデュオ三曲の楽譜をメールで送ってくれた。
こんなのを全部ものにするには練習が必要だし、今の私には無理でしょ、と焦る。
譜を読んでどれも気に入ったけれど、やはりクープランから始めたくなった。

もともとヴィオラを弾くようになってからの満足は、これで無人島に行っても、ヴィオラとバッハの無伴奏チェロ組曲の楽譜さえあれば大丈夫(何が大丈夫なのか分からないが)、という感じと、たとえ喉がやられても、好きな歌はヴィオラで歌えるということの二つだった。

でも、突然、若くてかわいくて音楽性と技術を備えた演奏者と、好みのデュオ曲を、音楽学者のアドヴァイス付きで、少しずつでもじっくり弾いていく機会が生まれたなんて、なんだか信じられない天からの贈り物、みたいな感じだ。

私ってひょっとしてすごく幸運な人かも。


by mariastella | 2023-02-13 00:05 | 音楽
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/

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