(前の記事の続きです)
管弦楽の最後の合同練習があった月曜日の夜以来、毎日少しずつさらうことにしていた。下手に手を出すとテンポが遅れてしまう装飾音を修正液で白塗りして削除したり、ダカーポやコーダに蛍光ペンで徴をつけたりとアクシデント予防の対策を施す。
コンサートの前に、コリンヌとヴァイオリン奏者とで、次の催し物用のトリオの組曲の初見を弾いた。アンネンポルカやワルツも一応さらった。
その後で私が瞳ちゃんのことを話題にした。
「プリュネルって、隣の市から来ていて、まだ高校生なんですって?」
するとコリンヌは「ああ、彼女は自閉症で、高校生といっても確か学校へは通っていないで自宅学習だと聞いている。」という。
あっさりとそういうのにびっくりした。最初のアイデンティティの形容が「自閉症」って。ということは、途中でコンセルヴァトワールを移った時点で、親か彼女がそのことを話したのだろう。それを知っておいてもらうことが必要だと判断されたということなのだろう。
自閉症ということでの難しさはあるのか、という私の質問への答えは、「いや、やっぱり、なんというか…」という感じだった。
こういうとなんだが、音楽仲間には自閉症やアスペルガー症候群を抱えた人はいくらでもいるし、彼らで組織しているオーケストラも存在している。サバイバーとして音楽家、演奏者、教育者として成功しているアスペルガー(後で診断を知った)症候群の人たちが自閉症の若い音楽家を支援している。
私はけっこう複雑な思いにとらわれた。
彼女を話題にすればすぐに「優れたテクニックを持っている」などというコメントがあると予想していたからだ。
で、コンサートが始まった。バレーなどの後に、チェロのデュエットがあり、次にヴィオラの四重奏があった。そこに瞳ちゃんがいた。他の奏者も管弦楽に加わっているメンバーだ。二曲目に入って、瞳ちゃんは譜面台から離れた。それからブラームスのハンガリー舞曲が始まり、瞳ちゃんがソリストだと分かった。隣で弾いている時にも少しは感じていたけれど非常に力強くて、集中力がすごい。他の3人の「大人」より小柄で童顔なのに、堂々としている。
その後で管弦楽に移り、私は瞳ちゃんの横でなんとか弾き、無事に終わった。もともと大衆受けする人気曲だから聴衆には喜んでもらえた。
私は瞳ちゃんに「ブラボー」と言った。ハンガリー舞曲のことだ。
彼女は「ありがとうございます。私はあなたと一緒に弾けることがとても幸せです」と礼を言ってきた。
楽器を持って帰ろうとする私についてきて、決心したかのように「またお会いしたいんです」と言った。
彼女が個人レッスンに来るのは毎週月曜の午後4時だそうで、私はその少し前にバロックバレーのレッスンに出かける。「じゃあ、午後初めにうちに来る? 」と私が言うと、彼女の顔が輝いた。「ヴィオラのデュオのために編曲されたバッハのインベンションの楽譜がうちにあるから一緒に弾けるよ」というとさらに輝いた。
うちに帰ってから私は楽譜を探した。私のために友人が作曲してくれたサラバンドやアルマンドの楽譜など懐かしいものも出てきた。インベンションを弾いてみた。バランスがとれて美しい。瞳ちゃんの演奏が聞こえてきそうだった。
ヴィオラを続けていてよかったなあ、と思った。