2/2、今年になってはじめてパリ外国宣教会主催の講演会に出席した。
私の愛読している哲学者レミ・ブラーグの話だからだ。
今年はリジューのテレーズが生まれて150年ということで、なんとパリ外宣とユネスコが提携して祝っている。
ここの講演はいつも、宣教者が宣教地の写真をたっぷりスライドで流してくれるのだけれど、ブラーグの講演はまるで大学の講義みたいだった。教養の深さはもちろんだが人柄も温厚そうな人だった。「真実を求める」ことが信仰であり、マザーテレサやテレーズがいわゆる神を失った闇を経験したことは「信仰を失った」こととは違うことを指摘した。そもそも「真実とは神から来るものだ」と言うことを認めることが信仰だという。
ひとつ、今まで考えたこともないことを耳にした。テレーズが特別許可を得て未成年の15歳で修道院入りしたことは有名だけれど、その頃は、つまりナポレオン以来、フランスの公教育はもう確立していて、宗教に代わるものとしてリセの最終学年で哲学を1年学び、バカロレアで4時間の筆記テストを受けるようになっていた。リセを卒業するのはいわゆる「義務教育」ではないけれど、中等教育の終りに「哲学」が必修だったわけだ。
で、テレーズが哲学の授業という共和国教育の洗礼を受けずに修道院入りしたことは一種の「スキャンダル」であり、おじが猛烈に批判していたというのだ。なるほど。
今回の講演はテレーズを通した神学と哲学の関係で、著作ではテレーズに触れないベルグソンも、娘による回想によるとテレーズの本を熱心に読んでいたのだそうだ。
レミ・ブラーグは、ギリシャの哲学アカデミーも一種の修道院で、思弁だけでなく霊的実践もあったこと、キリスト教の修道院の生活も「哲学」であり、いつの間にか「哲学」は思弁という片翼だけになってしまったことなど語っていた。
テレーズは「教会博士」のタイトルを得ている。その彼女が中等教育終了の「学歴」もないことを嘆く親戚がいたなんて考えたこともなかったから新鮮だった。