2/9、コロナ禍で中止されていたパリのParapsyサロンに出かけた。
前にこのブログで書いた記事。
上の記事ではオカルト色が薄くなったと書いたけれど、コロナ禍を経た後だからか、実際に家族をコロナ死で失った人や、コロナ禍のために家族や友の死に目に会えなかったり葬儀に出れなかったりした人が増えたせいか、「霊媒」色が復活していた。
私はちょうど友人が急逝した直後で、しかも突然のことで実感がわかず、悲しみすら覚えない茫然状態だったので、今回はぜひ、「死者と交信できる」霊媒をはしごしてみることにした。葬儀の前日のことだ。
久しぶりに降りたシャンペレのメトロの前にこんな奇妙なものがあった。覚えていないのはなぜだろう。


これがサロンの入り口。
相変わらずのクリスタル系コーナー。
アジア系乾燥果物や野菜のコーナー。
マイトレーヤのコーナー
パリの病院で撮影されたイエス。
仏教、特にチベット密教系グッズは相変わらずの人気。

霊媒の一人、メジャーなこの人は、一番ひどかった。
これまで、私に敵対的だったのはたいてい男性の霊媒だった。大体において、こういうサロンなどで相談に来るのは圧倒的にある程度裕福な(相談料が高いので)年配女性で、もちろん心配事を抱えているケースが多い。だから、医者の診察室に入った患者と同じで、すでに一種のヒエラルキーが形成されている。それがヒエラルキー上位が壮年の男で下位が年配の女性であると、権力勾配はより強くなる。しかも私はアジア人。その私が全く彼の「威」に関心がないのでいらだったのは分かる。しかも彼はそれをすぐには見抜けなかった。最初は、どうして自分に霊媒の能力があると気づいたのかという私の質問に、元はレストランのウェイターで客に話をして、後で、彼の言う通りのことが起こったと報告に来る客がいたからだ、などと答えてくれていた。でも私が、「それは多くの客には何の影響もなく、たまたま、あなたの言ったことが偶然当たっていたという人だけが戻ってくるだけで、エビデンスにはならないのでは?」といったとたんに気分を害したらしい。
その後もいろいろな展開があった。私は亡くなった友人の写真を見せることにしていた。その中では、友人がなくなったとは言わず、急に連絡が取れなくなったので心配なので見てくれ、という依頼の仕方も工夫した。
人間性や死生観や人生観、いろいろなことに改めて気付きをもらえた体験だった。
結果として、確かにある流れが変わった。
そのことや今回いろいろと深入りしてみたジャンルについては今執筆中の『オカルト2.0(仮題)』で紹介、分析するので、楽しみにしていてください。