量子力学の創始者の一人ともいえるシュレディンガーが、生物学についても著作をものしており、その中で生命のことを「負のエントロピーを食べる」と特徴付けたことは非常に有名だが、実際にその本を読んだことはなかった。
最近読んだ中屋敷均『遺伝子とは何か』 - logical cypher scape2でも見かけて改めて気になって、なんか勢いで買っていた。
シュレディンガーは『生命とは何か』の中で、「遺伝暗号を担う非周期的結晶」という概念を提案しており、これはまさにDNAの特徴を言い表していた。
筆者は、演繹的な推論でも真理にたどり着ける例としている(筆者自身は生物学者であり、どちらかといえば帰納的な手法で研究している)。
このシュレディンガーの著作をきっかけに、物理学・化学畑から生物学への新規参入組が現れる。クリックもその1人。
中屋敷均『遺伝子とは何か』 - logical cypher scape2
で、読んでみたのだが、後半になるにつれて話が難しくなっていくというか、話のつながりがよく分からなくなる話だった。
もともと「負のエントロピー」云々の話から代謝とかそういう話をしている本なのか、と思っていたのだが、必ずしもそういうわけではない。この本の大半は、遺伝にかかわる話をしている。考えてみれば、この本をきっかけにクリックがDNAの研究に参入してくるわけだし、それはそうではある。
ただ、負のエントロピーの話についていうと、やはりそれは代謝の文脈の中で出てきてはいる。
シュレディンガーは、この2つの話が繋がっていると考えているようなのだが、しかし残念なことに、何がどう繋がっているのか具体的なことは何も書いていない。
量子化学によって、負のエントロピーという代謝にかかわる概念と、非周期性結晶という遺伝にかかわる概念とが結びつくだろう、という見込がシュレディンガーにはあったのだと思われる。
しかし、実際にはこの見込はあてが外れたのではないだろうか、というのは、この記事の終わりの方で触れる、金子邦彦による書評からそう思った。(金子書評を読む前、)この本を読み終わった直後の感想としては「あれはなんだったんだ」という感じであった。
エピローグはさらに謎めいている。
ちなみに本書は、一般向け講演をもとにして書かれており、ですます体で翻訳されている。
第一章 この問題に対して古典物理学者はどう近づくか?
第二章 遺伝のしくみ
第三章 突然変異
第四章 量子力学によりはじめて明らかにされること
第五章 デルブリュックの模型の検討と吟味
第六章 秩序、無秩序、エントロピー
第七章 生命は物理学の法則に支配されているか?
エピローグ 決定論と自由意思について
岩波新書版(一九七五年)への訳者あとがき
二一世紀前半の読者にとっての本書の意義 ──岩波文庫への収録(二〇〇八年)に際しての訳者あとがき
第二章 遺伝のしくみ
第三章 突然変異
2章と3章は、遺伝や染色体、減数分裂の話と、突然変異の話が説明されている。
当時は、遺伝を担う何かが染色体にあるようだ、というところまでは分かっていたが、DNAが遺伝を担っているというところまでは分かっていない頃。
遺伝や突然変異の説明自体は、教科書的な内容であり、現代の読者であれば普通に知っていることなので、このあたりの章は若干拍子抜けするのだが、シュレディンガーは、まず、遺伝を担うものが分子サイズであり、ミクロな世界の話になっちゃうはずなのだが、遺伝子には永続性がある(世代を超えて受け継がれている)=安定している、ということに驚きを見いだすとともに、突然変異が離散的に起こるというところから、量子力学と結びつく可能性を見いだしている。
第四章 量子力学によりはじめて明らかにされること
量子飛躍について
量子飛躍という用語を知らなかったのだけど、原子模型で電子の軌道は離散的で、エネルギー準位の壁を飛び越えないといけないという話のことっぽくて、それなら何となく聞きかじったことはある。
分子は、最低のエネルギー準位で安定するけど、その谷が複数あることがあって、異性体をつくる
異性体の遷移も量子飛躍で、遺伝子の永続性と突然変異は、これで説明ができるのではないか、という話。
ところで、話はそれるが「量子飛躍」という単語を聞いたことがなかったのでググってみたところ、まあ普通に物理学の用語としてヒットする。というか、文科省がこの単語を冠したプロジェクトをやっていて、そこに採択された大学・研究機関のサイトが多数ヒットするのだが、それに混じって、オカルト・スピリチュアル・自己啓発系のサイトがちらほらヒットする。
「波動」という言葉がオカルト用語と化して久しいが、「量子飛躍」という単語もそっち系の人たちにハッキングされてしまっているようだ。
第五章 デルブリュックの模型の検討と吟味
第四章でも少し触れられていたけど、分子結合で遺伝子について説明するモデルとして、章題にもあるとおり、デルブリュックによるモデルを検討する
ここで「非周期性結晶(固体)」というのが出てくる
普通、分子=固体=結晶というのは、原子の配列が周期的であるけれど、異性体を用いた配列になっていれば、少ない原子を使って、無数の配列が可能になる。
その無数の配列が遺伝暗号として用いられる、という話。
中屋敷均『遺伝子とは何か』 - logical cypher scape2でDNAは当初、4つの塩基が均等に並んでいると考えられていたのだけど、それはDNAが遺伝子だと思われていなかったから。
シュレディンガーの考える非周期性というのが、実際には、ワトソンとクリックが発見する二重らせん構造によって4つの塩基が非周期的に配列されていた、というところに結実したのだと思う。塩基は異性体ではないはずだが。
ところで、非周期性結晶って、生体高分子のことなのでは、と思ったが、Wikipediaによれば、生体高分子は規則性のものと不規則性のものとに分かれるようだ。規則性のものは、セルロースとかデンプンとか。不規則性のものは、DNA・RNAとかタンパク質とか
第六章 秩序、無秩序、エントロピー
生命体はどうやって無秩序へと崩壊するのを免れているのか?
→物質代謝によって
物質を交換しても同じことでは?
→代謝の本質は、負のエントロピーを食べる(=エントロピーを環境に捨てる)こと
最後に注釈がついている
本文で、エネルギーを獲得するというのも本質ではない、としたことについて、エネルギーは関係なく負のエントロピーだけが大事なら、ダイヤモンドを食ってないのは何故かというツッコミが入ったらしくて、確かに、エネルギーも大事でした、って謝っている
そのうえで、エネルギーは、エントロピーを捨てる際に放出される熱量を補っている。エネルギー=熱が多いことで、エントロピーを捨てるのも早くなる=温血動物の体温が高いことの重要性、みたいな話をしている
第七章 生命は物理学の法則に支配されているか?
ここで、5章と6章の話がつながる
適当な環境の中から「秩序を吸い込む」という天分は、「非周期性固体」と呼ぶべき染色体分子の存在と切り離せない結びつきがあるように思われます。(p.153)
それで、秩序はどうやって生み出されるか、という話になる。
秩序を生み出す仕掛けには2種類ある
(1)「無秩序から秩序」を生み出すもの=「統計的な仕掛け」(統計的法則性)
(2)「秩序から秩序」を生み出すもの=「時計仕掛け」(力学的法則性)
シュレディンガーが本書でずっと物理学は統計的なものと言っていたのは(1)の話
(2)についても、厳密にいえば(1)に従う。実用的な見地では、熱運動による影響は取るに足らないので、(2)的に取り扱える
それから、絶対零度でも(2)になる(エントロピー0なので=熱力学第三法則(ネルンストの定理))
これは必ずきわめて低い温度でなければならないというように考えてはなりません。事実、ネルンストの発見は、室温でさえも多くの化学反応においてエントロピーの演ずる役割は驚くほどわずかであるという事実から導き出されたものです。
(中略)
時計が「力学的」に働きを営むことができるのは、それが固体でつくられていて、その固体がハイトラー-ロンドンの力によって、形を保持しているからです。この力は常温で熱運動が秩序を乱そうとする傾向をおさえるに足るほど十分強いものです。(pp.167-168)
上は、生物以外の話。
では、生物についてはどうかというと
それは単に、後者(生物体)もまた固体をかなめにしているという点だけにすぎません。この固体がすなわち遺伝物質を形づくっている非周期性結晶であり、熱運動の無秩序から十分の保護されています。
(中略)
最も著しい特徴は次のとおりです。第一は、多細胞生物の場合にこの歯車が巧妙に分布していること。これについては64節でどちらかといえば、詩的な説明をしました。第二は、ただ一つの歯車ももちろん人間のつくった粗雑なものではなく、量子力学の神の手になる最も精巧な芸術作品だという事実です。
では、64節で何と言っていたかというと、
ただ一個の原子団でしかもそれ一つだけ単独に存在しているものが、きわめて精細な法則に従って、相互間およびその周囲と驚くべき調和を保った秩序正しい現象をつくりだします。(中略)多細胞の場合には、地方行政機関が身体中に分布していて、それらのすべてに共通な暗号のおかげで、相互にはなだは容易に通信連絡しているような状態と似ているのではないでしょうか。
どうも、この地方行政機関という比喩を「詩的な説明」と称しているようなのだが、要するに、各細胞には同じゲノムがあって、そのゲノムによって生物の働きがすべて統御されているってすごい、ということだろう。
でまあ、それはそうなんだけど、この章の冒頭で述べられている「「秩序を吸い込む」という天分は、「非周期性固体」と呼ぶべき染色体分子の存在と切り離せない結びつきがある」ことの説明にはなってないよな、と思う。
いったんここまでの感想
本書は、「遺伝子が非周期的な配列を持つ分子である」ということと「生命活動はエントロピーを捨てる点に本質がある」ということを洞察した点で、確かに重要な本である。
ただ、前者に至る道筋として、やたら量子力学的な説明をしていたけれど、そこは後知恵的には、ピント外れだった可能性がある(分子結合しているのは確かで、それは量子力学的に説明されるけど、遺伝子ならではの特色というわけではないのではないかと)。
もう一つ、シュレディンガーは、後者と前者との間に必然的な関係があるとみなしている節があり、さらにそれを述べる点こそ、本書の目的であるというくらいの感じなのだが、しかし、なぜこの両者にそんな強い結びつきがあるのか、本書は十分な説明ができているようには思えない。
また、後知恵的に言えば、遺伝システムと代謝システムはおそらく独立に誕生していて、それがくっついて生命が生まれた、と思われるので、シュレディンガーが思うほどの結びつきはなかったのではないか、という気がする。
エピローグ 決定論と自由意思について
このエピローグは、生物学の話から離れて、心についての話をしている。
この章は明らかに他から浮いていて結構捉えがたい部分だが、汎心論的で、また独我論的な話をしているように思えた。
ヨーロッパは「自我が複数ある」ことを前提にしているけれど、単一なのだ、という話と、その自我と物理法則(世界)は一体なんだ、という話をしているのかと思った。
後者についていうと、梵我一如を引き合いに出したりしている。あんまり明瞭に書かれていない気がするが、そこに決定論と自由意志の両立を見いだそうとしているのではないかと思う。
それに加えて、自我は単一なんだ、というような議論を引き出しているのだが、これは結構謎である。
これ、意識経験の統一性みたいな話をしているのかな、とも一瞬思ったのだが、そういうわけではなさそう。
例えば、恋人同士は文字通り一つになることがあり、そのことで単一であることに気づくでしょ、というようなことが書いてある。
また、逆に、「自我が複数ある」という考え方は、それぞれの肉体ごとにそれぞれ霊魂があるという考え方をさしている。で、おそらくこれを否定している。
なので、私やあなた、それぞれの個体ごとに自我なり意識なりがあるのではなくて、この世界には単一の意識しか存在していない、という主張なのだと思われる。
多数存在するように思えるのは、一つの存在の見え方の違いでしかない、とも。
では、「私」とは一体何なのか。
例えば、異国に移住して人間関係とかも全く新しくなって、昔の生活を思い出さないようになったとしたら、昔の生活をしていた自分は、もう第三者のように感じられるかもしれないが、昔の自分と今の自分が切り離されたわけではないでしょ、という喩え話をしている。
つまり、ここで明確には書かれていないが、肉体的に分かれていて、別個の自我と思われているけれど、実は単一なんだと考えることもできるでしょ、ということが言いたいのかな、と。
世界には巨大な1つの自我しかないのだ、というタイプの独我論(こういうのを独我論というのかどうかよくわからないが)を展開しているのでは、と思うが、わりと突拍子もない。
シュレディンガー自身が、ウパニシャッドやオルダス・ハクスリーと自身の見解を結び付けているので、ここは神秘思想っぽいものを語っているのだと思ってしまえばいいのかもしれない。
本書は、生気論抜きで、つまり物理学的な世界観の中で生命現象を説明するもので、シュレディンガー的には、このエピローグは、心を物理学的な世界観の中に位置づけるための議論らしいのだけど、まあスピリチュアルな話に読めてしまう。
岩波新書版(一九七五年)への訳者あとがき
鎮目、岡それぞれのあとがきと、シュレディンガーについての略歴が掲載されている。
シュレディンガーは、量子力学誕生に役割を果たしたが、アインシュタインと同様、古典物理学自然像をもっていたために、コペンハーゲン解釈と相いれず、1930年代以降は素粒子物理学からは離れていった、と。
それで生物学の方にきた、と。
二一世紀前半の読者にとっての本書の意義 ──岩波文庫への収録(二〇〇八年)に際しての訳者あとがき
鎮目によるあとがき
「二一世紀前半の読者にとっての本書の意義」とあるので、現代の分子生物学と比較したりしてくれてるのかなーと思ったら、全然違った(ところで、鎮目恭夫は物理の人のようなので、現代の分子生物学についての解説を期待するのは筋違いだったかもしれない)
一点、生物学者は、熱力学のエントロピーと情報のエントロピーをを混同してることが多い、という注釈があるけれど
全般的には、あの謎めいたエピローグへの話となっているのだが、その中でもさらに男女の結合の話になっている。
童貞だった初読時には感銘をうけたが、シュレディンガーが実に恋多く、結婚後も愛人がいたという伝記的事実を知ると受け取り方が変わるよね、という話をしつつ、その後何故か、性的エクスタシーについての心理学研究の話を滔々としはじめる。この訳者あとがきの大半はそれに費やされている。
シュレディンガー自身のエピローグも本書の中で浮いた部分だと思うけれど、この訳者あとがきも相当なもんだと思う。
本書を読み終わった後に、鎮目恭夫のWikipediaを見てみたら、ノーバード・ウィーナーの翻訳や科学論についての著作が主たる仕事だとは思うのだが、性にまつわる著書・訳書もあるので、自分の専門の話をしていたというだけだったのかもしれない。
金子邦彦による書評
http://chaos.c.u-tokyo.ac.jp/papers/books/44vs03.pdf
以下、いくつか引用してみる。
遺伝子を担う分子の存在が非平衡性を維持する構造の形成の源となっているようにも読めるのだけれども、いかにしてそれが可能なのかはよくわからない。
デルブリュックは、分子までおりていって、量子力学とは異なるタイプの、生命現象への相補性原理を見出そうという明確な企図を持っていたと思われる。しかし皮肉なことに、ワトソンークリックの2重らせんによる相補鎖の発見、そしてそれによる分子生物学の確立は、デルブリュックをしてこんな子供だましの相補性を求めていたのではない、と嘆かせることになる。
その他
『精神と物質』 - logical cypher scape2
自分のブログを「シュレディンガー」で検索してたら見つけた
全く何一つ記憶にないが
ここでも精神の単一性みたいな話を展開しているようだ