かつて信じられていたが、今では過去の考えと見なされているような学説・思想を取り上げている特集。
「ロスト・セオリー」という言葉は今回の特集にあたっての造語だろう*1。絶滅した思想と日本語訳がつけられていて、編集後記では、絶滅した生きものについて研究する学問(古生物学)は存在するが、絶滅した思想について研究する学問はない、と今回の企画意図が語られている。
まあ、とはいえ、科学史・思想史がそれに該当する学問では? とは思うが、確かに今回の特集に並んでいるようなトピックが一堂に会する機会というのはなかなかないようにも思う。
いずれの論考も、取り上げているトピックについての概説となっており、つまり、既に「ロスト」した学説・思想を取り扱っているので、まずはそれの概観を把握するための紹介となっており、分かりやすい。一方で、やはり「ロスト」している考えなので、理解するのが難しいところもあったが、それも含めて全体的に面白かった。
特に面白かったと思うのは「錬金術」「エーテル」「金星生命論」「幽霊島」「ニューアカ」「伝染のたね」「プトマイン」とかかな。
Ⅰ
秩序のもとに、天は動く。――天動説 / アダム・タカハシ
天動説というのは、単に地球が中心でという話なだけでなく、なぜ、この世界には何もないのではなく、何かがあるのかという形而上学とセットなんだよ、ということで、その形而上学についての話
神の言葉こそがその根拠だが、それが天使によって具体化される
有限の宇宙から無限の宇宙へ
カント
神のバイオテクノロジーへの途――前成説 / 山内志朗
前成説は17世紀に登場し、19世紀まで命脈を保った
ヤン・スワンメルダム、マルチェロ・マルピーギ、アントン・ファン・レーウェンフック、そしてライプニッツが名を連ねている。
ここでは、ライプニッツによる前成説が特に取り上げられる。
また、ゲーテに与えた影響についても。
「哲学者」たちの「技」――錬金術 / 渡邉真代
錬金術は、ごく一般的には、卑金属から貴金属、特に金を錬成しようとする、怪しげな魔術ないし詐術とされているだろうし、また、もう少し踏み込んで、それは表層的な理解であって、本来は、金を目的としたわけではなく、近代の化学を準備することになった、中世の知識体系であった、ということもそれなりに有名ではあろう。
しかし、じゃあ実際に、錬金術というのがどういう歴史的経緯を辿ってきたのか、ということになると、知っている人はかなり少なくなるのではないだろうか。
古代ギリシアの知識がいったんイスラムを経由してから、ヨーロッパから逆輸入されてくる。
錬金術も例外ではなく、逆輸入後に「黄金期」を迎え、この頃の文献は比較的よく残っており、研究が進んでいるそうだが、本論はそれをさらに遡る。
錬金術は、もとは染色を含む技術の総称
偽デモクリトス『四書』の成立した1世紀ころがその起源
300年頃、パノポリスのゾシモスにより確立
8世紀以降 アラビア語へ翻訳され、以後、15世紀ころまでイスラム圏で発展
12世紀以降、アラビア語からラテン語への翻訳
16~18世紀ヨーロッパ 錬金術の「黄金期」
「フュシス」を「自然」と訳すか「本性」と訳すか問題
「シャービル文書」
ジャービル・ブン・ハイヤーンに帰されるアラビア語著作群
ジャービル本人ではなく、ジャービル信望者たちにより後世に書かれた部分が多い
医学、「技」の学、特性の学、護符の学、天上界の操作の学、バランスの学、生成の学という7つの分野からなる。「技」の学=錬金術
『三十語の書』(ジャービル文書の一つ)
→四元素説
『四元素の働き』(12世紀イタリアのギリシア語作品で『三十語の書』に多くを寄っている)
この2つの書物の差異として、後者は「卵」に言及されている
四元素と卵の結びつきは珍しくなく、9世紀のアラビア語作品に基づくとされるラテン語錬金術書『哲学者たちの集い』にも記述がある
卵の中心部=生物の源=第五の存在=天球の質料=アイテール=第五元素
来た、見た、分かった 飛来する剝離像(エイドラ)――内送理論 / 佐藤真理恵
古代において視覚を説明する理論には、大きく二つに分けて、外送理論と内送理論というものがあったという。
本論では、マイノリティであった内送理論について主に取り上げられている
「外送理論」=目からなにがしかの「光」が出て、見られるものを照らす一方で、見られるものからも「流出物」があり、さきほどの光と合体することで視覚が生じる
「内送理論」=目は、見られるものからの「流出物」を感受する器官
デモクリトスが代表的な内送理論論者
「流出物」のことを「エイドラ」と呼ぶ(イドラ、アイドルの語源)
エイドラは事物から剝離した薄膜で、もとの事物の色や形態が刻印されている
目に接触すると穴から入り込んで視覚が生じるとされる。内送は外送とちがって、夜の夢も説明できる
視覚だけでなく、性格や思考もエイドラに複製されることもある
音を発したりする、とすらいわれる
現代的意義として「イメージ」概念の再考のヒントとなるのではないか、と
Ⅱ
科学史を貫くプロテウス的概念――エーテル / ジミー・エイムズ
エーテルについて、まあ何となく知っているところはあるが、全体的にどういうものかという理解はできていなかったが、アリストテレスからアインシュタインまでを概観してくれて、分かりやすく勉強になった。
プロテウスというのは、変身するギリシア神話の海神で、エーテルという概念が、歴史的に変化していったことをプロテウスに喩えている。
本論は、歴史的にエーテル概念が変化していったことを解説するだけでなく、何故、何度も失われながらも変化して復活してきたのか、というところまで論じている。
簡単に言ってしまうと、人類は真空を嫌うから
真空は原理的に存在しない。天上界を満たすもの
宇宙空間を満たす元素。天体の運動や光の伝達を説明する
デカルトのように宇宙が充満体とは考えていない。著作により記述が異なり、ニュートンにとってのエーテルがどのようなものか明確にはわからない。エーテルの振動により、光について説明しようとしていた。
なお、万有引力の理論は、遠隔作用が措定されているが、これはあくまでも数学的な定式化でニュートン自身も、遠隔作用の存在には否定的だった、とか。
しかし、結果的に、万有引力説が広まると、天体運動や重力の媒質としてのエーテルはすたれていった、と。
フロギストンやカロリックは、エーテル的説明→気体分子運動論の登場ですたれる
電気と磁気が電磁気として統合され、光も電磁波の一種とわかると、光エーテルによって媒介されると考えられた
光の粒子説と波動説
18世紀 粒子説が有力に
19世紀 波動説が有力に→光エーテルの復権
1887年 マイケルソンとモーリーの実験で光エーテルは検出されず、特殊相対性理論でとどめ
しかし、実はアインシュタイン自身が、一般相対性理論の時空構造をエーテルとして解釈して論じている
ディラックもまた、量子論から、エーテルの存在を措定すべきと論じている
筆者のジミー・エイムズってどんな人だろうとググっていたところ、下記の火星生命論の米田翼とともに、21世紀の自然哲学へ - 株式会社 人文書院に論文が収録されていることを知った。
ライプニッツのモナド論と現実の捩れた構造――自然哲学試論……ジミー・エイムズ
宇宙からの眺め、炭素からの解放――ベルクソンの複数世界論と代替生化学……米田翼
地球から遮断された世界へ――金星生命論 / 米田翼
金星生命論ってなんだろと思ったが、話の枕として金星をおいているのであって、全体としては、地球以外にも生命はいるのか、世界の複数性についての話
で、前半は、そういう思想史なのだが、後半から、現代の化学の話になる。化学空間とか。
筆者は世界の複数性についての論も基本的には地球中心主義と批判し、それを脱す議論を、化学空間に見出す
著者は、ベルクソンの研究者らしい
Ⅲ
なぜ人びとは性格を区別したがるのか――四体液説と類型論 / 小塩真司
四体液説から始まって、古今の性格類型論を紹介し、それらが大体似たような分類になっていることを指摘している
また、類型論と特性論とを比較する。類型論はわかりやすいけれど、極端な特徴だけが見出されやすい。特性論というのは、スペクトラムで性格をみるもの。数値化して違いを把握できるけど、直観的ではない。
キャラクターは顔に出る――観相学 / 松下哲也
キャラクターデザインの源流を観相学へと遡って見出す。
アリストテレス『動物誌』
アリストテレスの弟子筋による偽書『人相学』
サヴォナローラ『人相の鏡』(15世紀前半)四体液説ベース
コクレス『観相学要略』(16世紀前半)
ポルタ『人間の観相学』
ラヴァター『観相学断片』(18世紀後半)
カンパー「顔面角理論」(ラヴァターが参照。今から見ると差別的な説。同時代の日本人による受容も紹介されているが、思うところがあったのではないか、と)
ヘンリー・フューズリ(ラバターの親友で挿絵など担当)
ウィリアム・ブレイク(フューズリの友で、ラヴァターの愛読者。観相学を利用して自分の絵にでてくる人物をデザインしている)
テプフェール『観相学試論』
姿かたちの異なる人々はどこまで人間なのか――怪物民 / 廣田龍平
世界各地の「怪物民」の伝承
プリニウス『博物誌』とか中国の『山海経』とか
ないものの生が教えること――幽霊島 / 東辻賢治郎
幽霊島というのは、存在していないけど地図に載っている島のこと
聖ブレンダンの島
6世紀のアイルランドの聖人ブレンダンに由来する島で、1235年ごろに作成された地図で初めて地図に出現する。が、当初から、存在が疑わしいことが明示的に示されていて、通常、実在が前提されている幽霊島においては珍しい、と
聖ブレンダンの島は、時代を経るごとに、ヨーロッパ人にとって未知の領域へ移動している。
幽霊島は、地図の誤謬とその改訂を示す出来事、というだけではないのだ、と論じている
Interlude
セオリーがロストすること――「ニューアカデミズム」再考 / 檜垣立哉
これだけ異色と言えば異色で、むろん、筆者もそのことを意識している。
しかし、ロストした思想運動なのは確かである。
日本のほかの思想運動として、京都学派や思想の科学をあげつつ、ニューアカデミズムが自然発生的である点を相違としてあげている。
また、消費されること、ロストすることをあらかじめ内在していた点も。
ロストした要因として、外在的には、バブル景気に依存していたことをあげつつ、
ニューアカデミズムが、アカデミックな達成を成し遂げられなかった点もあげる。
浅田は、「ジャングル」でなければ学問はできないと喝破したが、実際の大学は「ジャングル」にはならなかった。
そういう、実現しなかったがありえたかもしれないアカデミズムないし大学のことを念頭に置きつつ、ニューアカデミズムの別ヴァージョンが今後必要ではないかと論じる。
Ⅳ
似て非なるもの――フラカストロの「伝染のたね」 / 田中祐理子
16世紀の医者フラカストロが、流行病の原因として考えていた「伝染のたね」について
現代からみると、フラカストロの考えは一見、かなり先駆的にも思えるが、実際どうなのか
そもそも「伝染」という考え方が、ガレノス医学とは異なる新奇な理論なので、これを「汚染」という言葉を使いながら、丁寧に論じている
この「伝染のたね」を「種子」のようなものとして解釈すると、病原菌に近いものとしてとらえられ、驚くほど先駆的な理論となる。
が、フラカストロが「汚染」を説明する際に用いている「全体」と「部分」のメカニズムの説明や、フラカストロがルクレティウスから影響を受けていたことなどから、それはむしろ古代の原子論の文脈で理解すべきという意見もある、と。
そうなると、正真正銘ロストした理論なのではないか、と。
一方で、フラカストロの流行病予防策は、現在の我々の実践と通じるところもある、と。
汚れた空気と疫病流行――瘴気説 / 井上周平
汚れた空気である「瘴気」が流行病の原因となった、という考えは、過去における謬説として有名だが、そもそもこの「瘴気」概念というのは、それほど定まったものがない。実際にはどういう考えだったのか。
ペストマスク、実際に使われたかは疑わしいらしい
ペストマスクを描いた版画はドイツ語圏でしか発行されておらず、ドイツ語圏からフランスやイタリアといった「異国」を誇張して描くものとして描かれたのではないか、と。
伝統的な医学史では、瘴気説に対して、フラカストロの「種子」による接触感染説があらわれ、それが病原菌説の先鞭になったとされることが多いが、瘴気説はもともとモノに付着し接触感染するという考えで、接触感染と対比されるものではない、と
また、細菌学の隆盛で、最終的に瘴気説の影響力は失われるが、19世紀後半には、瘴気は病原体である微生物がただよう汚れた空気、とみなされるようになっていて、曖昧、漠然としたものであるゆえに生き残ってもいた。また、曖昧であるがゆえに、公衆衛生改革においては便利に用いられてもいた。
また、原因不明なものを一気に説明できるという意味で便利で、その意味では、瘴気説に代わる説が出てくると、今度はそちらの説で何もかも解決しようとする動きもあった、と
例えば、ジェンナーの種痘に効果があると、あらゆる病気に効くのではないかと考えられたり。
細菌が病原体だとわかってくると、あらゆる病気は細菌によって引き起こされると考えられ、インフルエンザも当初インフルエンザ菌によるものと考えられた、とか。
大腸は墓場か?――プトマイン説 / 美馬達哉
これは初めて知った。
大腸にたまる糞便からの毒素が病気の原因になるという考えで、それをもとに大腸切除手術なども行われていたという。
食中毒というのは、もともと名前の示す通り、毒物の混入だと思われていた。それが、のちに細菌によるものだとわかるが、その過渡期において、毒物説と細菌説の橋渡しになったのがプトマイン説である、と。
大腸は便をためているだけの不要な器官であり、自己中毒・自己感染を起こすのだ、と
さらに、精神疾患の原因であるともされ、外科手術による治療が試みられてもいた。20世紀前半に行われていたが、死亡率が高かった。
最後に、近年の腸内細菌叢の考えとの比較も行われている。
「ポリフォニーとしてのモダン」と催眠、超自我、構造――動物磁気説 / 鈴木國文
後半半分くらいはフロイトの話だった気がするけど、動物磁気説がいかに精神分析へとつながっていったのかがわかる。
動物磁気が催眠へと変わって精神分析へ
Ⅴ
イギリスの国教会と王権とは一心同体であるかのように思われがちだけど、実は、緊張関係があったよ、という話
王権神授説のもと、聖職者は王に忠誠を誓うけれど、王が望ましくない命令を下した場合はどうするのか、と。聖職者が従うのは神のみであって、王そのものではないが、神に従うというのは王政に従うということなので、望ましくない命令には従わないとしてもそれに対する王からの罰は甘んじて受ける、というような立場になるとか。
王が事実上秩序を維持している、ということが、その王が神意を満たしているということになるので、王個人というよりは王政に対して従うとか。
なんかそういう話だった気がするが、結構内容が難しかった。
というか、ほかの論文もそうなのだけど、わりとページ数が短く制限されているので、結構色々と用語などを知っていることを前提に書かれている印象。
豊かさは陰謀と一体である――国家理性論 / 重田園江
マキャベリ 必要に応じて道義に背く力をふるうことも許される
ボテロ 国家の拡張ではなく「保全」 行政的 豊かさ
マイネッケ
フーコー 国家理性の暴力性・劇場性を、マザランの秘書ガブリエル・ノーデや、ジェームズ一世の顧問官フランシス・ベイコンを取り上げて論じる
ノーデによる「国家によるクーデタ」=法を超越する国家の行動
反乱を防ぐための監視、秘密政治の系譜
国家理性論は、近代国家成立にとって必要だったが、のちに、法の支配、憲法、民主化、公開性、三権分立などによって忘れ去られていく
「保守的」と見なされた一八・九世紀ドイツの思想家たちから何を学ぶか――保守的啓蒙・ロマン主義政治経済論・社会的使用価値論 / 原田哲史
保守的とみなされている、3つの思想・学説について。
研究者は、革新的・左翼的とされる思想を主に研究し、保守的とされる思想を軽視しがちだが、保守的とされる思想の中に、注目すべき点がある、と。