『物語の外の虚構へ』リリース!

(追記2023年6月)
sakstyle.hatenadiary.jp

一番手に取りやすい形式ではあるかと思います。
ただ、エゴサをしていて、レイアウトの崩れなどがあるというツイートを見かけています。
これ、発行者がちゃんとメンテナンスしろやって話ではあるのですが、自分の端末では確認できていないのと、現在これを修正するための作業環境を失ってしまったという理由で、未対応です。
ですので、本来、kindle版があってアクセスしやすい、っていう状況を作りたかったのですが、閲覧環境によっては読みにくくなっているかもしれないです。申し訳ないです。

  • pdf版について(BOOTH)

ペーパーバック版と同じレイアウトのpdfです。
固定レイアウトなので電子書籍のメリットのいくつかが失われますが、kindle版のようなレイアウト崩れのリスクはないです。
また、価格はkindle版と同じです。

(追記ここまで)

(追記2022年5月6日)


分析美学、とりわけ描写の哲学について研究されている村山さんに紹介していただきました。
個人出版である本を、このように書評で取り上げていただけてありがたい限りです。
また、選書の基準は人それぞれだと思いますが、1年に1回、1人3冊紹介するという企画で、そのうちの1冊に選んでいただけたこと、大変光栄です。
論集という性格上、とりとめもないところもある本書ですが、『フィルカル』読者から興味を持ってもらえるような形で、簡にして要を得るような紹介文を書いていただけました。


実を言えば(?)国立国会図書館とゲンロン同人誌ライブラリーにも入っていますが、この二つは自分自身で寄贈したもの
こちらの富山大学図書館の方は、どうして所蔵していただけたのか経緯を全く知らず、エゴサしてたらたまたま見つけました。
誰かがリクエストしてくれてそれが通ったのかな、と思うと、これもまた大変ありがたい話です。
富山大学、自分とは縁もゆかりもないので、そういうところにリクエストしてくれるような人がいたこと、また、図書館に入ったことで、そこで新たな読者をえられるかもしれないこと、とても嬉しいです
(縁もゆかりもないと書きましたが、自分が認識していないだけで、自分の知り合いが入れてくれていたとかでも、また嬉しいことです)

(追記ここまで)


シノハラユウキ初の評論集『物語の外の虚構へ』をリリースします!
文学フリマコミケなどのイベント出店は行いませんが、AmazonとBOOTHにて販売します。

画像:難波さん作成

この素晴らしい装丁は、難波優輝さんにしていただきました。
この宣伝用の画像も難波さん作です。

sakstyle.booth.pm

Amazonでは、kindle版とペーパーバック版をお買い上げいただけます。
AmazonKindle Direct Publishingサービスで、日本でも2021年10月からペーパーバック版を発行が可能になったのを利用しました。
BOOTHでは、pdf版のダウンロード販売をしています。

続きを読む

次田瞬『意味がわかるAI入門 ――自然言語処理をめぐる哲学の挑戦』

言語哲学者によって書かれたAI入門
LLMに至るAI研究の歴史をまとめた前半パートと、意味をめぐる2つの理論(真理条件意味説と意味の使用説)からLLMについて検討する後半パートからなる。
筆者は、LLMが意味を理解しているか、という点に懐疑的なスタンスをとっており、そのスタンスには自分も共感するも、それに対する議論は少なめかなと思った。
AI研究史についての解説が多くを占められていて、その点で、確かに入門であった。
知ってるようで知らないとこも多いので、その意味では、勉強になった。
サイモンとかピンカーとか、ここで出てくるんだーとか。


2023年11月に刊行された本であり、LLMの発展速度を考えると、もしかするとこの本で指摘されている批判や欠点の中にはすでに解消されているものもあるのかもしれない。自分は動向を追えていないのでわからないが。
とはいえ、分布意味論批判は、原理的な話なので、性能の向上とはあまり関係なく成り立つ話だと思う。

序章 哲学者、大規模言語モデルに興味を持つ

第1章 AIの歴史―心の哲学を補助線として

「記号主義」vs「コネクショニズム

第一次AIブーム

記号主義:ハーバート・サイモンの一般問題解決器(GPS
サイモンは、『プリンキピア・マテマティカ』に出てくる定理を自動証明するプログラムを作成
それをさらに応用できるプログラム=GPS


コネクショニズム:ローゼンブラットのパーセプトロン
重みづけと閾値はどのように見つけるか
(1)座標平面に、とりうる値をプロットし、それを分割できる線を引く
AND関数の例
(2)機械学習→ローゼンブラットの更新アルゴリズム

AIの冬(1)

まず、記号主義については、機械翻訳の失敗がとりあげられる。
Time flies like arrowが、「時バエは矢を好む」となってしまうように、構文ルールに単に従うだけだと、複数の解釈が出てきて、変な訳をしてしまう。人間はこんな変な解釈は思い浮かびすらしない。
冷戦下、アメリカはロシア語の機械翻訳研究に予算を割いたが、1966年にALPAC報告書により機械翻訳の困難さが報告され、機械翻訳の予算は停止された。


パーセプトロンの限界
線形分離不可能な場合、ローゼンブラットの更新アルゴリズムはうまくいかない。
座標平面にプロットして、直線で分離できない。例えばXOR関数がそれにあたる。
1971年にローゼンブラットが死に、1973年にAI研究を酷評するライトヒル報告書がでて、コネクショニズムやAI研究は下火に陥る。ライトヒル報告書はヨーロッパでの影響が大きく、ヒントンはこの影響を逃れるためアメリカへ移った。
ところでなんと、ローゼンブラットはトランジット法の提案者でもあるらしい!

第二次AIブーム

記号主義:エキスパートシステム
コンピュータに知識を与える
が、そのためのコストに見合うかという問題(知識を入力するために、事前に専門家に入念な聞き取り調査が必要)


コネクショニズム:多層パーセプトロン
中間層を入れる
重みを自動的に調節する方法は?
 活性化関数をステップ関数ではなくシグモイド関数とする
 重みと閾値の推定を最尤原理で行う
 逆伝播法で計算する

AIの冬(2)

エキスパートシステムにはコスト問題があるほか、フレーム問題もある
融通が効かない生き物の例としてアナバチ


エキスパートシステムが凋落した一方、80年代後半、コネクショニズムは発展を続けていた
のだが、人気を失っていき、90年代から再びAIは冬の時代にはいる
ところで、コネクショニズムがなぜ人気を失ったのか、決定的な要因がなく、よくわからないらしい。
また、90年代は冬の時代といいつつ、研究自体は進んでいた。
また、インターネット時代が始まり、のちのビッグデータを着々と準備することとなる 

第三次AIブーム

畳み込みニューラルネットワーク(CNN)について
多層パーセプトロンとは構造が異なる。
多層パーセプトロンは全結合しているが、CNNは、最後に全結合層を用いるが、そこまでは畳み込み層とプーリング層を重ねている
畳み込みは、局所的な特徴パターンをつくりだす
プーリングは、その特徴マップの情報を圧縮する
一次視覚皮質(V1)の単純細胞と複雑細胞の仕組みが、発想元となっている

1980年代の記号主義者によるコネクショニズム批判

2つの批判が紹介されている。
それぞれピンカーによるものとフォーダーによるもの
ピンカーがコネクショニズム批判しているの知らなかったが、まあ確かに、立場的にはそりゃそうかという気もする。

  • 動詞の過去形をめぐって(ピンカーによる批判)

英語の動詞の過去形には、規則変化と不規則変化があるが、それを学習させて動詞の過去形を作れるニューラルネットワークがある。
覚えていく過程が人間のそれと似ている。
規則変化と不規則変化を区別せず一つのネットワークで扱えることから「言語学の転換点」とも評価された。
が、これを、アラン・プリンスとスティーブン・ピンカーが反論
このニューラルネットワークには、過去形を作れなかった動詞もある。
しかし、人間は聞いたことない動詞でも過去形を作れないことはない。デフォルトのルールがあるから。
ピンカーは、動詞の過去形だけで1冊本を書いている程
人間は、規則変化についてはルールとして、不規則変化は丸暗記していると考えられ、これを二重メカニズム説と呼ぶ。
二重メカニズム説は、言語処理の様々な面で出てくる、と

  • 生産性と体系性(フォーダーによる批判)

フォーダーは、人間の思考と言語は分かちがたく結びついていると考えており、志向が成立するうえで不可欠なのが生産性と体系性と。
フォーダーは、ニューラルネットワークには記号を組み立てることができないので、これらができない、としている。
 
 

第2章 自然言語処理の現在―言語哲学を補助線として

伝統的な意味の理論である「真理条件意味論」と、対抗説である「意味の使用説」のそれぞれについてみていく。
特に「意味の使用説」については、その中の一種である「分布意味論」を取り上げている。というのも、分布意味論が近年のLLMのベースになっている考え方でもあるからである。

真理条件意味論

意味とは真理条件である、という考え
単語ではなく文で考える。その上で、名詞の意味は対象、動詞の意味は関数などと考える。


真理条件意味論は、意味理解とは何か、という問いについては、うまく答えられていないように思われるが、それは「意味理解とは何か」という問いと「意味とは何か」という問いが異なるものであるということを示しており、むしろ真理条件意味論の利点としている。
意味理解は、結構雑多な現象


真理条件意味論の弱点として、以下の3つがあげられている。

  • 言外の意味
  • 言語行為
  • 含意関係認識

ところで、言外の意味についての説明で、何故かポール・グライスへの言及がない(会話の含み、とかは書かれているのに)
含意関係認識は、2つの文が与えられ、前者の文が後者の文を含意するか、矛盾するか、どちらともいえないかを、判断させる課題のこと
ものすごく実践的な課題だが、真理条件意味論ではほとんど議論されない。
LLMはこれを解けるようになっている。

分布意味論(意味の使用説の一種)

分布仮説:単語の意味はその単語がおかれうる環境によって決まる
(この仮説は、1950年代の言語学者のアイデアに由来)
単語の意味を、よく一緒に使われるかどうかという尺度で考える。
例えば「りんご」と「果物」や「赤い」は一緒に使われることが多いので、意味も近いと捉える。


Word2Vecは、単語をベクトル空間に埋め込む
ゼロ以外の成分を少数しか含まないベクトルを「局所表現」というのに対して
多くの成分がゼロ以外の値を持つベクトルを「分散表現」と呼ぶ
色をあらわすRGBコードは分散表現
味の類似性をベクトルで表現することもできる


単語列の次の単語の出現確率が与えられ場、単語列の出現確率が求められる
次単語の出現確率を与える装置を「言語モデル」と呼ぶ
言語学者は、言語表現を単語の列とみなすのは誤りで、背後に木構造が隠れていると考える


RNN言語モデル
リカレントニューラルネットワークによる言語モデル
長距離依存関係(関係詞が多く続く文で、動詞の語尾の変化が離れた場所の主語の人称と一致しなければならないなど)を考えるには、木構造を想定すべきと考えられていたが、RNNはこの関係をとらえた予測ができる
これは、記憶が持たない、処理が重いという欠点があったが、
2017年のトランスフォーマー登場がこれらの弱点を克服。
事前学習と微調整という二段階の学習方式。
ウィノグラード・スキーマという課題がある。
文中に現れる「それ」という代名詞が何を指すのかあてる課題だが、文中の要素をほんの少し変えるだけで答えが変わる。人間には簡単に答えられるが、AIには難しい課題とされてきた。
LLMはこれに回答できる。


分布意味論の問題点として大きく2点挙げられている

  • 単語の内部構造

単語は意味の最小単位ではない。接頭辞や接尾辞との組み合わせで意味が決まったりする。
分布意味論でもそれに対応することは可能だが、全然関係ないものまで、そういう意味の単位を担うことになりかねない

  • 単語の意味には何を含むか

パリ-フランス+イタリア=ローマ
こういう意味の足し引きをして推論できるのが、分布意味論の強みであるが、これは単語の意味なのか。地理の知識なのではないか
単語の意味には何を含むのか、という考えの違い
しかし、筆者は、パリやローマがイギリスやイタリアの首都なのは、偶然的真理なので、単語の意味には含まれない、としている。


医者と男性、看護師と女性は共起しやすい
偏見を意味に含んでしまうという問題もある。
単語ベクトルは単語の意味らしきものではあるが、意味ではない、のではないか、と


ニューラルネットワークは体系性を欠く


筆者自身がLLMに対して、意味を理解していないと感じている点について。
1つは、ハルシネーション(本書では「幻覚」と表記されている)
もうひとつは、入力の些細な違いへの敏感さ
敵対的サンプル攻撃、というものがある。
特に画像判定AIで有名だが、画像に、人間には些細な違いにしか見えない、あるいは判別できないようなノイズを混ぜた途端、全然違う画像として判定してしまう、という奴
LLMも、入力の一部を同義語で置き換えたときに、全然違う出力を返すことがある


ゲアリー・マーカスは筋金入りの反コネクショニスト、らしい
また、不適切な言語運用はAIに可能か、と問う。
人間の言語運用は完全には程遠く、様々な不適切な運用を行うことがあるが、それには様々な理由がある(体調不良とか)
逆に、AIはそういう阻害要因を持たない。


終章 機械に心は宿るのか?

マイクロソフトのセバスチャン・バベックらによる、GPT-4の性能調査
バベックらは、知能について6つの特徴(推論、計画、問題解決、抽象的思考、複雑な考えの理解、すばやい学習と経験に基づく学習)をあげ、その特徴と関連する能力について課題を課した。
基本的には高評価となっているが、「計画」能力の乏しさが指摘されている。

AIの知能を測るテストとしてチューリングテストが有名だが、筆者は、これが相手を騙すテストであり、質問者を騙せるかどうかは、ほかの要因の影響を受けるので、何を測っているか曖昧になってしまい、知能の指標として用いることに疑問を呈する。

ウィノグラード・スキーマのような課題もあるが、目標が明確なテストは解かれやすい。
チューリングテストについて、機械に接した人間の反応から間接的にテストする方向性自体はありだと、筆者は考える。
チューリングテストに代わるテストとして、ピーター・ミリカンが2013年に提案したチューターテストというものを紹介している。
AIがチューターとなって、人間に勉強を教えるというテスト。
勉強を教えるためには、その教える内容について理解しているだけでなく、教わる相手が何を理解していないか、ということも分かっている必要もあり、知能の判定として使えるのではないか、と筆者は考えている。
ただし、筆者自身、チューターテストは実際にやろうとすると、問題がたくさんあることは認識している(何の科目を教えるのか、どれくらいの期間行うのかなどなど)。

尾上哲治『大量絶滅はなぜ起きるのか』

三畳紀末の大量絶滅についての本
いわゆるビッグファイブの1つに数えられる大量絶滅だが、その原因は必ずしもはっきりしていないらしい(というか、はっきり分かっているのは白亜紀末の奴くらいなのだろう)。
ただ、近年まさに研究が進められているらしく、本書に紹介されている研究は2010年代くらいのものが多い。そして、本書では、筆者がまさに検討中の仮説が紹介されている。
第7章以降について、筆者自身が、まだ実証されておらず、今後の発見次第で覆されうる話だということを再三強調している。
しかし、その分、現役の古生物学者がどのように研究を進めているのか、というのが伝わってくる感じになっている。

プロローグ 大地
第1章 異変
コラム1 ビッグファイブ
コラム2 超大陸パンゲア
第2章 混沌
第3章 犯人
コラム3 謎の衝撃石英
第4章 指紋
第5章 連鎖
コラム4 葉化石を用いた大中の二酸化炭素濃度の推定
コラム5 長石の化学的風化と二酸化炭素の除去
第6章 疑惑
コラム6 ストロンチウム同位体
第7章 消失
コラム7 コノドントの酸素同位体比と海水温
コラム8 現代の森林消失
コラム9 火成活動と硫酸酸性雨
第8章 限界
第9章 境界
エピローグ 深海

プロローグ 大地

1980年代、ヨーロッパやアメリカから鳥たちの異変の報告が相次いだ。殻が不完全な卵の産卵率はなぜ急上昇したのか? その原因は大地の変化にあった。
(この文章は、版元のページからコピペしたもの。以下、各章について同じ。
『大量絶滅はなぜ起きるのか 生命を脅かす地球の異変』(尾上 哲治):ブルーバックス|講談社BOOK倶楽部

第1章 異変

ニューカレドニアには、三畳紀末の海で形成された地層がある。三畳紀末に起きた異変の謎を解く、最初の手がかりだ。生物が小型化し、絶滅した世界「スモールワールド」が見えてきた。

この章は、各地での化石発掘調査の様子が描かれている。
筆者は、イタリアのマニュエル・リゴとの共同研究を行っており、リゴと共同研究にいたった経緯、共同研究を始めるべく、イタリアに渡ったときのことが書かれている。
その上で、

について、発掘調査の様子と、それぞれが三畳紀末に小型化していることが書かれている。
それぞれは、海の中での環境の違い(沿岸、浅海、遠洋)に対応し、海洋全体で小型化が生じ、その直後に絶滅してしまうことが示される。
筆者は、三畳紀末に生き物が小型化したことを「スモールワールド」と呼び、何故スモールワールドが生じたのか、を探っていくこととなる


ところで、本書では、大量絶滅について、三畳紀末、白亜紀末、ペルム紀末と表記されている。これらは、それぞれT-J境界、K-Pg境界、P-T境界とも呼ばれるが、本書によるとこれらの言い方は最近はされなくなってきて、三畳紀末、白亜紀末、ペルム紀末と(再び)呼ばれるようになってきたらしい。
なお、本書で扱われている三畳紀末の大量絶滅は、三畳紀の中のレーティアン後期のものとなる。
小型化は、レーティアンになって生じる。

第2章 混沌

ロッキー山脈の東端、ブラックベアリッジという丘陵地にも三畳紀の海の地層がある。そこでは、海退、酸性化、無酸素化という多様な環境変化の記録が見つかった。この混沌の中に大量絶滅の原因が隠されているのだろうか?

ブラックベアリッジは、3つの環境変化を記録している。
まず、地層の不整合は、海退があったことを示している。
次に、石灰岩の堆積が中断していること(代わりに黒色頁岩が堆積している)は、海洋が酸性化したことを示している。二酸化炭素の増加が原因か。
そして、黒色頁岩が「黒」い色をしていることは、無酸素化を示している(有機物の分解が止まっている)。
無酸素化は、温暖化により海洋循環が緩慢となって、暖かい表層水と冷たい深層水に成層化したから。
こうした環境変化は、何によって引き起こされたのか。

第3章 犯人

三畳紀末のさまざまな環境変化を引き起こした有力な容疑者は、巨大隕石と史上最大規模の火成活動。広範囲で見つかる海底地滑りの証拠は、犯人特定につながるか?

やはりイタリアの研究者であるマルツォリは、「CAMP(中央大西洋マグマ地域)」の提唱者として知られている。
マルツォリは、三畳紀末の大量絶滅をCAMPで説明しようとしている。
CAMPは、ペルム紀末大量絶滅を引き越したシベリア・トラップの2倍のマグマ噴出量をもつ
しかし、CAMPの火成岩は、三畳紀大量絶滅よりあとの時代からしか見つかっていない
一方、対立仮説として、ポール・オルセンの天体衝突説がある。
白亜紀末の大量絶滅が隕石衝突によるものなので、三畳紀末もまたそうなのではないか、という説だ。
オルセンは当初(1980年代)、カナダのマクニアガン・クレーターがその衝突の跡だと考えるが、1993年の年代測定で1200万年以上古いことがわかる。
2000年代に入り、オルセンイリジウム濃集層を発見。また、同じ層でシダ胞子の増加も発見する。ほかの植物がいなくなったところで、シダが増えたのではないか。
今度は、フランスのロシュシュアール・クレーターが候補となる
デイヴィッド・ラウプが示した「殺戮カーブ」という、クレーターのサイズと絶滅率との関係式がある。それだと、ロシュシュアールは小さすぎるということになるが、ここは、鉄質隕石によって衝突が起きたというユニークさがある。超巨大地震を引き起こしたと考えられる
2003念、マイケル・シムズによって「スランプ堆積物」という海底地すべりによって生じた堆積物が発見されている。
2010年頃、筆者も岐阜県坂祝町で、チャートから天体衝突の痕跡を探していたが、見つからなかった。
2017年、ロシュシュアールも形成年代が三畳紀末絶滅より古いことがわかる。


天体衝突が三畳紀末絶滅を引き起こしたわけではなかった
が、CAMP説も、絶滅より前の火成岩が見つかっていないというネックがあった

第4章 指紋

世界中の地層を対比するには、時間の物差しが必要だ。その目盛りとして、炭素同位体比という「元素の指紋」が使える。海洋の異変、生物の小型化と絶滅、そして地層から見つかった3つの目盛りはどのような順で並ぶのか?

三畳紀末には様々な出来事が起きていたことが分かってきたが、そもそもこれがどういう順番で起きたのか、比べるためには時間を示す目盛りが必要である。
ここで注目されるのが、「炭素同位体比の負異常」である。
三畳紀末には、これが3度記録されている。
専門的には、古い順にプレカーサー、イニシャル、メインと呼ばれているが、この呼び方は分かりにくいため、
本書では、便宜的に、ファースト、セカンド、サードと呼称される。
ここまで取り上げられてきた現象の時期は、以下のようにまとめられる


CAMP溶岩の噴出は、「セカンド」以降しか知られていない
ただし、水銀の研究からは、CAMP火成活動の時期と3度の負異常はオーバーラップしている
「スモールワールド」と絶滅は、「セカンド」の時期に起きている
環境変動は、「ファースト」から「セカンド」にかけて、海退、海洋の無酸素化、海洋酸性化の順で起きている
時期的に、海退と絶滅の関連は薄い、と

第5章 連鎖

三畳紀末大量絶滅を説明する美しい理論が発表された。それは、二酸化炭素が形を変えながら大気・大地・海洋を変化させていく「連鎖モデル」だ。謎はすべて解けた……のか?

マルツォリは、より古い時代の玄武岩が存在している可能性もある、と述べている。
マグマが地上に噴出してできた「溶岩」ではなく、マグマが地下で冷えて固まった「貫入岩」に着目すると、CAMPの時期の謎が解ける
2018年、マルツォリの弟子グループが、アマゾン盆地で「ファースト」から「セカンド」にかけて大規模なマグマ貫入が起きている年代データを示した。
こうして、以下の仮説的ストーリーが描かれる
(1)CAMP火成活動
(2)マグマによる二酸化炭素放出
(3)海洋酸性化
(4)炭酸カルシウム形成阻害→絶滅
植物の気孔の数から二酸化炭素濃度変化が推定できる
T/J境界で二酸化炭素濃度は急増するが、「ファースト」から「セカンド」の時期に限っては大きな変化がない
二酸化炭素はどこに消えたのか
スロバキアのタトラ山脈で、カオリナイトという鉱物が大量に発見されている
カオリナイトは長石が化学風化することで生じる。
カオリナイトの増加は、気候の湿潤化を意味する
CAMPによる二酸化炭素の増加は、気候の温暖化・湿潤化をもたらし、化学風化を促進し、二酸化炭素を大気から除去した
また、無酸素化は、海洋の成層化が原因と考えられているが、それ以外に、化学風化の促進が赤潮をもたらし、これが無酸素化を引き起こしたとも考えられる。


ペルム紀末の大量絶滅で構築された「連鎖モデル」を、三畳紀末に当てはめた理論がある。
火成活動による二酸化炭素の増加が引き金となって、大気-大地-水環境をリレーしながら、様々な現象が連鎖的に発生し、大量絶滅を引き起こしたというモデルである。
これは一見、全ての出来事をうまく説明しているように見える。
しかし、筆者は腑に落ちない。

第6章 疑惑

オーストリア・タトラ山脈で見られる三畳紀末の地層には、生命活動の豊かな海と突発的絶滅が記録されていた。連鎖モデルへの疑惑が湧く。二酸化炭素のリレーでは「遅すぎる」!

スロバキアのミヒャリクという研究者のもとへ向かう。筆者が父のように慕っている人物らしい。
タトラ山脈の地層から採取された石灰岩から試料を作るプロセスについて、紹介されている。石灰岩試料を作るのは手間で、研究時間の8割は試料作成とのこと
ミヒャリクは、有孔虫化石層序というのを作っている
「ファースト」から「セカンド」にかけて漸進的に絶滅しているのではなく、「セカンド」に入って一気に絶滅している
ストロンチウム同位体比が、「ファースト」までは上昇し、「セカンド」のタイミングで低下する。これは乾燥化を意味する
スランプ堆積物の年代も「セカンド」直前
シダ胞子の急増は、「ファースト」と「セカンド」の間で発生
裸子植物の衰退が「ファースト」以降に起きている

第7章 消失

化石に記録された三畳紀の海水温が、驚くべき温暖化を示した。温暖化は生物の小型化をもたらしうる。さらに、2つの新しい異変が見つかる。海で生物が小型化したとき、陸地では森と土壌が消失していた。

2020年、筆者はリゴとオンライン・ミーティングしながら、「三畳紀絶滅にかんする特集号」に投稿すべくモノチス・カルバータの小型化と絶滅についての論文を執筆
三畳紀末の温暖化について、PETM(暁新世-始新世温暖化極大)と比較
筆者らは、高温世界が小型化ををもたらしたと考えるようになった。
しかし、どの程度の温暖化が生じたがわからない


同じ号に、シュットプルージュが、森林消失・土壌流出説を発表していた。
年代が逆転している地層を発見。これは、土壌流出によって生じる
ストロンチウム同位体比の変化を説明できる。
ストロンチウム同位体比上昇は、化学風化で、土壌消失によって風化が起きにくくなり、同位体比が低下した
スランプ堆積物の存在も説明できる
また、石灰岩の堆積停止も説明できる。
では、なぜ森林消失が起きたのか。
CAMP火成活動による硫酸の雨によって
あるいは、森林火災によって
この原因についての仮説は、まだどちらも決定的な証拠はなさそうだが。

第8章 限界

どれだけ暑く、湿度が高ければ、生き物は死にはじめるのか? スモールワールドは、極端な温暖化が生命の限界を超えた世界だったのかもしれない。

人間は汗の気化熱で熱を逃がしているが、湿度があがると熱が逃げにくくなる。
気温が体温以上だと、体から大気への熱の移動が起きなくなり、体温が上昇していく。
湿度が100%に近いと、気温が30〜31度度程度でも6時間が限界
湿球温度35度は人間の生存限界
家畜の熱耐性はよく研究されていて、人よりもやや低い傾向
トカゲについて、熱帯ではすでに最適温度を超えている可能性がある。
PETM、熱帯で湿球温度35度超えていた可能性あるという研究があり、この時期、哺乳類の小型化が起きている
三畳紀末の気温を検証するすべはなく、温度上昇がどの程度だったかを示すデータもない
しかし、カオリナイトストロンチウム同位体比から、ヨーロッパで熱帯のような湿潤な気候になっていたことは推定される。


暑さにどこまで耐えられるか、というと、最近、以下のような記事を読んだけど、少し違う話かもしれない。
『日経サイエンス 2025年1月特大号』 - logical cypher scape2

  • 飽差と植物の限界

飽差というのは乾燥度合いの尺度(飽和水蒸気圧と実際の水蒸気圧の差).
植物の場合、こちらが重要になる
飽差が大きい(乾燥している)と27〜28度で熱ストレスの影響が出てくる
40度で枯死
現在、メキシコやアマゾンの熱帯雨林の一部で、影響が出始めている


コンピュータモデルの三畳紀の平均気温・降水量
高い気温と乾燥が予想される地域と、森林消失と起きていた地域が重なる
逆に、中国ジュンガル盆地、高緯度で、森林消失は起きなかった

  • 連鎖モデルの欠点

実は「無酸素化」と「酸性化」は、直接的には絶滅を説明できない
というのも、絶滅はあらゆる環境で起きているが、無酸素化や酸性化は一部の環境でしか起きていなかったから
また、森林消失や土壌流出についての説明も与えていない。


一方、CAMP火成活動に端を発する温暖化による超高温世界説は、森林消失や土壌流出を説明することができ、そして、高温化は小型化を説明するとともに、土壌流出による海洋環境の変化(鉄やケイ素が供給されなくなる、土砂に埋もれて生息できなくなる)により絶滅が引き起こされることも説明できる。
しかし、この説にもまだ弱点はあり、「ファースト」から「セカンド」にかけてどの程度温度上昇したのかがわからない、この時期、二酸化炭素濃度はさほど上がっていないので、温暖化が進行した理由がわからない、「サード」で二酸化炭素濃度が急上昇する理由もわからないなど。
また、森林消失については、高温化ではなく寒冷化によっても説明が可能で、ポール・オルセンが寒冷化を主張している。
ただし、寒冷化の場合、スモールワールドや無酸素化などを説明できない。また、寒冷化の原因を、CAMP火成活動により発生した二酸化硫黄が硫酸エアロゾルになったため、としているが、その証拠は見つかっていない、と。



カーニアン多雨事象についても、少し触れられていた。
カーニアンは、本書で取り扱われているレーティアンよりも2つほど古い地質年代
発見したのはマイケル・シムズ
カーニアン多雨事象については、少し前にニュースで見たことがあるが、今再確認したら、筆者も関わっている研究だった。
九大など、三畳紀に200万年続いたカーニアン多雨事象の発生理由を解明 | TECH+(テックプラス)

第9章 境界

現在の地球では、「第六の大量絶滅」が進行中だという。それは本当なのか。環境変化がどの境界を越えると、大量絶滅が起きるのだろうか。

現在は、第六の大量絶滅が起きていると言われているが、実際に、大量絶滅と言えるほどのものなのか、まずは指標を確認している。

  • 絶滅率

絶滅率を見ると、実は他の大量絶滅と比べて、全然低い数字でしかない。
ただし、タイムスケールの違いを考慮すべき。

  • E/MYS値(年間100万種あたり絶滅数)

こちらは、平穏時と比較すると、確かに高い。
しかし、大量絶滅といえるほどなのかはわからない


次に、境界条件を考える(科学者は境界条件を考えるのが好き)

環境学者ヨハン・ロックストロームらによって提案された、9つの項目について、人間活動にリスクを伴う領域かどうかを評価する指標
生物多様性」の項目が、E/MYS値によって定義される。
しかし、筆者はやはり、E/MYS値によって大量絶滅か否か判断するのは難しいとしている。というのも、解析する期間が短くなるほど高くなるから。

プラネタリー・バインダリーとは別に、後戻りできないポイントとして、ティッピングポイントという指標もある。
ティモシー・レントンらが、9つの構成要素についてティッピングポイントを検証している
筆者はこちらで、アマゾン熱帯雨林にかんするものに着目する。
3.5〜6度の気温上昇がアマゾン熱帯雨林ティッピングポイント
熱帯雨林の消失は、二酸化炭素の増加による気候変動につながるとして語られがちだが、陸上生態系の崩壊・土壌消失・海洋生態系の崩壊として、大量絶滅にもつながる


東南アジアの熱帯雨林は土壌流出するともう戻らない(回復に数十万年かかる).
平野部がほとんどなく、山岳地から直接海へと流出してしまうから

エピローグ 深海

岐阜県木曽川沿いには、三畳紀末の深海で形成された地層がある。そこで見つかる化石は、何かがおかしい。新たな謎が立ち上がる。

ヨーロッパでは、コノドントも放散虫も「セカンド」のタイミングで小型化・絶滅する
が、岐阜県坂祝町のチャートでは、「セカンド」をすぎても絶滅の気配を見せず「サード」のタイミングでいなくなる
パンサラッサ海の赤道域が避難所=深層水のリフュージアとなっていたのではないか。
深海水の湧昇による栄養塩の供給が、これを支えていたのではないか。

麻田雅文『日ソ戦争―帝国日本最後の戦い』

第二次大戦末期、ソ連の対日参戦によって開戦した日ソ戦争についての本
日ソ戦争の戦場となったのは、満洲樺太・千島である。
本書については、ソ連が北海道を占領しなかったのは何故か、ということが書かれている本ということから興味をもった。
元々は、純粋な歴史的関心から気になった本であって、『イスラエルパレスチナ』に対しての関心とは種類の違う動機だったのだけど、ここ最近のウクライナ情勢から、かなりアクチュアルな関心もいりまざった読書になった。というか、アメリカがロシア寄りの立場からウクライナを恫喝しているニュースを見ながら、この本を読むのは、なかなかなんともいえない読書体験ではあった。
それにしても、ソ連終戦間際に対日参戦したこと自体は知っていても、実際、どこでどういう戦争をしていたのかは、そういえばさっぱり知らなかった。シベリア抑留や北方領土についても、その経緯についてはよく知らなかった。
確かに、日中戦争や太平洋戦争と比較して、ほとんど話題にならない戦争だと思う(そもそも「日ソ戦争」という言葉自体、この本のタイトルで知った)。
ソ連の対日参戦は8月8日、ポツダム宣言の受諾が8月14日(玉音放送が8月15日)、降伏文書への調印が9月2日となるわけだが、この日ソ戦争は、ポツダム宣言受諾後、9月上旬まで継続されている。
つまり、もう戦争は終わったはずなのに、なお戦闘が続くという状況だったのである。武装解除させていく過程、ともいえるのだが、まあ、ソ連なかなかえげつないことをする、というところでもある。


全4章構成だが、分量としては2章と3章がメインで、1章は序章、4章は終章という感じである。
というのも1章は開戦まで、4章は戦闘終了後だからである。
上述した通り、日ソ戦争の戦場は、満洲樺太・千島であり、それぞれ2章と3章とがあてられている。


歴史の本はいつも、どうやってまとめればいいか悩むのだけど、今回は結局力尽きた。

第1章 開戦までの国家戦略―日米ソの角逐
 戦争を演出したアメリカ―大統領と米軍の思惑
 打ち砕かれた日本の希望―ソ連のリアリズム
第2章 満洲の蹂躙、関東軍の壊滅
 開戦までの道程―日ソの作戦計画と動員
 ソ連軍の侵攻―八月九日未明からの一ヵ月
 在満日本人の苦難
 北緯三八度線までの占領へ
第3章 南樺太と千島列島への侵攻
 国内最後の地上戦―南樺太
 日本の最北端での激戦―占守島
 岐路にあった北海道と北方領土
 日ソ戦争の犠牲者たち
第4章 日本の復讐を恐れたスターリン
 対日包囲網の形成
 シベリア抑留と物資搬出

第1章 開戦までの国家戦略―日米ソの角逐

 戦争を演出したアメリカ―大統領と米軍の思惑
 打ち砕かれた日本の希望―ソ連のリアリズム


本書では、日ソ戦争の演出者はアメリカだったと述べられている。
どういうことかというと、アメリカがソ連の対日参戦を望んでおり、ソ連に働きかけていたら。
アメリカは、日本を降伏させる戦略として、ソ連参戦と核兵器の2つを用意しており、その両方の準備を進めていた。
ヤルタ会談などがその一例である。
核兵器開発に成功すると、アメリカはソ連参戦を望まなくなった、とも言われているが、実際には核兵器開発成功後も、ソ連核兵器の両方の戦略を維持した。
ただし、ドイツ敗北後、少しずつ米ソは対立するようになっていき、ローズヴェルトトルーマンではソ連ないしスターリンへの信頼度も違っていて、ソ連参戦自体は推し進めたけど、ソ連を外す方向も出てくる。
一方、日本はソ連についてどう考えていたか。
日ソ中立条約があったので、ソ連は参戦してこないという楽観論があった。
また、無条件降伏は呑めないと考える者らは、ソ連への仲介も考えていた。
実のところ、参謀の中には、ソ連軍の動きなどから(ドイツ降伏後、極東への移動が始まっていた)、ソ連参戦を予期していた者たちもいた。しかし、大本営全体としては、楽観論へと流れることになった。

第2章 満洲の蹂躙、関東軍の壊滅

 開戦までの道程―日ソの作戦計画と動員
 ソ連軍の侵攻―八月九日未明からの一ヵ月
 在満日本人の苦難
 北緯三八度線までの占領へ


満洲については、関東軍が民間人を置いて先に逃げたなどと言われている。
本書の論調としては、現場レベルでは善戦したところもないわけではないが、そもそもの戦略がダメなのでダメ、という感じがした。
ソ連が宣戦布告してくるまで、あくまでもソ連は中立の立場であり、また、仲介を頼みたい思惑もあって、「対ソ静謐」がとられた。ソ連の侵攻を予期して部隊の移動などは始められたのだが、対ソ静謐を維持したままでの実施が強いられたので、中途半端な移動をすることになった。
そもそも関東軍は、ソ連に対する守備を行う軍だが、戦争末期には、中国や南方へ兵力をとられるようになっていて、手薄になっていた。
また、大本営は対米ソ戦について、本土決戦に備える方針だったので、益々満洲は手薄になった(対ソ静謐を保ったまま、朝鮮半島側に師団を移動させることになった)。


日本軍側にまずいところがあったのは確かだが、しかし、民間人に犠牲が出たのはそもそもソ連が攻撃してきたから、ということを本書は再三強調している。
その上で、ソ連側の残虐な行為にはどのような理由があったのか、という背景説明も行っている。
それは、ソ連側の軍隊文化に由来するものである、と。
この文化が変わらないと、行為も変わらない。ウクライナ侵攻しているロシア軍にも、同じ文化があることがうかがえるらしいが、それについては別稿参照とのこと。


ソ連側も厭戦気分があり、日露戦争の復讐がプロパガンダに持ち出された。

北緯38度線までソ連が占領したので、朝鮮半島が2つに分かれ独立することになったわけだが、そもそもソ連の目標は満洲であって、朝鮮半島は当初目標になっていなかったらしい。38度線までソ連が占領するということを決めたのは、アメリカ側で、それに従ってソ連は急遽南下することになったとか。

第3章 南樺太と千島列島への侵攻

 国内最後の地上戦―南樺太
 日本の最北端での激戦―占守島
 岐路にあった北海道と北方領土
 日ソ戦争の犠牲者たち

南樺太から逃げ出した人たちが留萌沖までいってたとか
千島列島の攻防の経緯とか
ソ連が考えた雑な北海道分割案とか


(追記20250310)
南樺太について、アメリカがソ連へ攻撃を要請していたが、ソ連は当初、満洲攻撃に注力していたので消極的
また、日本側も対米戦を想定し、対ソ戦はあまり考えおらず、北海道防衛に注力していた(樋口第五方面軍司令官)。
8月10日に開戦
南樺太でも朝鮮人虐殺や集団自決が起きている
集団自決については、吉村昭が小説にしているらしい。
また、真岡への上陸について、当時、真岡に住んでいた李恢成の回想が引用されている
真岡の女性交換手の集団自決は、さすがの自分も聞き覚えがあった。
8月22日に停戦協定が結ばれるのだが、その直後に、豊原へ爆撃が行われたりしている。
またやはり8月22日に留萌沖で、樺太から脱出した人たちを乗せた船が攻撃され沈没している。2022年現在で100名以上が身元不明で、ロシア側の史料公開が進んでおらず、事件の解明が進んでいないとのことである
樺太アイヌの中には樺太に残ることを希望した者もいたが、日本人とみなされ、強制送還の対象になったとか(千島も同様。なお、ニヴフやウイルタは樺太に残留できた)
逆に、樺太からの送還がなされなかった、中国残留孤児ならぬ、樺太残留邦人・朝鮮人・韓国人という問題もある、と


千島列島については、ソ連への軍需物資の補給や日本への攻撃のため、もともとアメリカが欲していた。
ソ連との共同で千島列島占領を考えたり、あるいは、カムチャッカソ連から借りて日本攻撃の拠点にする案があったりしたが、ソ連側の協力が得られず頓挫する。
アメリカ軍部は、千島列島占領をかなりギリギリまで考えていたらしい。ただ、アメリカ政府内部でも考えの隔たりがあって、結局、トルーマンは千島列島をスターリンに譲る。
日本側も千島列島を攻撃してくるならアメリカだろうと考えて、ソ連が攻撃してくるとは思っていなかったらしい。
8月18日に占守(しゅむしゅ)島へのソ連軍上陸が始まり、激しい戦闘が起きる。
完全にポツダム宣言受託後である。日本側は、マッカーサーに訴えたりしているのだが、ソ連軍はマッカーサーの指揮下に入ることを拒否していたので、これには意味がなかった(満洲でも同様のことが起きている)。
占守島の戦闘の結果、それ以降の千島列島占領に際して、ソ連も攻撃するのではなく日本軍の幕僚を通して降伏させる方向に切り替えたため、以後、無駄な戦闘は避けられた、と。
ソ連アメリカとでどこを占領するかをめぐって、1945年8月にトルーマンスターリンのあいだで書簡が往復している
この際、ソ連側は、千島列島だけでなく北海道の北半分も要求しており、北海道の占領はトルーマンが拒絶している。
ソ連側は北海道占領作戦を準備しているが、8月22日に中止命令が出たとされている。
なぜスターリンが北海道占領を諦めたのかについては、史料が残されておらず不明のままで、歴史家の間でも見解が分かれているが、アメリカとの関係悪化をおそれて、というのが妥当ではないか、というのが筆者の見解のようである。
北方領土については、北海道占領を諦めることとバーターで侵攻してきた、という面があるらしく、択捉上陸が8/28、国後・色丹上陸が9/1、歯舞の武装解除完了が9/7
なお、米軍の北海道進駐が始まったのは10/4とのことである。
(追記ここまで)

第4章 日本の復讐を恐れたスターリン

 対日包囲網の形成
 シベリア抑留と物資搬出

『現代思想2025年1月号 特集=ロスト・セオリー 絶滅した思想』

かつて信じられていたが、今では過去の考えと見なされているような学説・思想を取り上げている特集。
「ロスト・セオリー」という言葉は今回の特集にあたっての造語だろう*1。絶滅した思想と日本語訳がつけられていて、編集後記では、絶滅した生きものについて研究する学問(古生物学)は存在するが、絶滅した思想について研究する学問はない、と今回の企画意図が語られている。
まあ、とはいえ、科学史・思想史がそれに該当する学問では? とは思うが、確かに今回の特集に並んでいるようなトピックが一堂に会する機会というのはなかなかないようにも思う。
いずれの論考も、取り上げているトピックについての概説となっており、つまり、既に「ロスト」した学説・思想を取り扱っているので、まずはそれの概観を把握するための紹介となっており、分かりやすい。一方で、やはり「ロスト」している考えなので、理解するのが難しいところもあったが、それも含めて全体的に面白かった。
特に面白かったと思うのは「錬金術」「エーテル」「金星生命論」「幽霊島」「ニューアカ」「伝染のたね」「プトマイン」とかかな。

秩序のもとに、天は動く。――天動説 / アダム・タカハシ

天動説というのは、単に地球が中心でという話なだけでなく、なぜ、この世界には何もないのではなく、何かがあるのかという形而上学とセットなんだよ、ということで、その形而上学についての話
神の言葉こそがその根拠だが、それが天使によって具体化される
有限の宇宙から無限の宇宙へ
カント

神のバイオテクノロジーへの途――前成説 / 山内志朗

前成説は17世紀に登場し、19世紀まで命脈を保った
ヤン・スワンメルダム、マルチェロマルピーギ、アントン・ファン・レーウェンフック、そしてライプニッツが名を連ねている。
ここでは、ライプニッツによる前成説が特に取り上げられる。
また、ゲーテに与えた影響についても。



「哲学者」たちの「技」――錬金術 / 渡邉真代

錬金術は、ごく一般的には、卑金属から貴金属、特に金を錬成しようとする、怪しげな魔術ないし詐術とされているだろうし、また、もう少し踏み込んで、それは表層的な理解であって、本来は、金を目的としたわけではなく、近代の化学を準備することになった、中世の知識体系であった、ということもそれなりに有名ではあろう。
しかし、じゃあ実際に、錬金術というのがどういう歴史的経緯を辿ってきたのか、ということになると、知っている人はかなり少なくなるのではないだろうか。
古代ギリシアの知識がいったんイスラムを経由してから、ヨーロッパから逆輸入されてくる。
錬金術も例外ではなく、逆輸入後に「黄金期」を迎え、この頃の文献は比較的よく残っており、研究が進んでいるそうだが、本論はそれをさらに遡る。


錬金術は、もとは染色を含む技術の総称
デモクリトス『四書』の成立した1世紀ころがその起源
300年頃、パノポリスのゾシモスにより確立
8世紀以降 アラビア語へ翻訳され、以後、15世紀ころまでイスラム圏で発展
12世紀以降、アラビア語からラテン語への翻訳
16~18世紀ヨーロッパ 錬金術の「黄金期」 
「フュシス」を「自然」と訳すか「本性」と訳すか問題


「シャービル文書」
ジャービル・ブン・ハイヤーンに帰されるアラビア語著作群
ジャービル本人ではなく、ジャービル信望者たちにより後世に書かれた部分が多い
医学、「技」の学、特性の学、護符の学、天上界の操作の学、バランスの学、生成の学という7つの分野からなる。「技」の学=錬金術
『三十語の書』(ジャービル文書の一つ)
四元素説
『四元素の働き』(12世紀イタリアのギリシア語作品で『三十語の書』に多くを寄っている)
この2つの書物の差異として、後者は「卵」に言及されている
四元素と卵の結びつきは珍しくなく、9世紀のアラビア語作品に基づくとされるラテン語錬金術書『哲学者たちの集い』にも記述がある
卵の中心部=生物の源=第五の存在=天球の質料=アイテール=第五元素

来た、見た、分かった 飛来する剝離像(エイドラ)――内送理論 / 佐藤真理恵

古代において視覚を説明する理論には、大きく二つに分けて、外送理論と内送理論というものがあったという。
本論では、マイノリティであった内送理論について主に取り上げられている


「外送理論」=目からなにがしかの「光」が出て、見られるものを照らす一方で、見られるものからも「流出物」があり、さきほどの光と合体することで視覚が生じる
「内送理論」=目は、見られるものからの「流出物」を感受する器官


デモクリトスが代表的な内送理論論者
「流出物」のことを「エイドラ」と呼ぶ(イドラ、アイドルの語源)
エイドラは事物から剝離した薄膜で、もとの事物の色や形態が刻印されている
目に接触すると穴から入り込んで視覚が生じるとされる。内送は外送とちがって、夜の夢も説明できる
視覚だけでなく、性格や思考もエイドラに複製されることもある
音を発したりする、とすらいわれる
現代的意義として「イメージ」概念の再考のヒントとなるのではないか、と

科学におけるロスト・セオリーの役割――永久機関 / 山本貴博

永久機関、とりわけ第二種永久機関、そしてゼーベック効果と現代における応用であるエナジーハーベスティングについて解説されている。
この内容、最近どこかで読んだなと思ったら、『Newton2024年6月号』 - logical cypher scape2の「熱電変換の物理学」の監修者が、本記事の著者だった。

科学史を貫くプロテウス的概念――エーテル / ジミー・エイムズ

エーテルについて、まあ何となく知っているところはあるが、全体的にどういうものかという理解はできていなかったが、アリストテレスからアインシュタインまでを概観してくれて、分かりやすく勉強になった。
プロテウスというのは、変身するギリシア神話の海神で、エーテルという概念が、歴史的に変化していったことをプロテウスに喩えている。
本論は、歴史的にエーテル概念が変化していったことを解説するだけでなく、何故、何度も失われながらも変化して復活してきたのか、というところまで論じている。
簡単に言ってしまうと、人類は真空を嫌うから

真空は原理的に存在しない。天上界を満たすもの

宇宙空間を満たす元素。天体の運動や光の伝達を説明する

デカルトのように宇宙が充満体とは考えていない。著作により記述が異なり、ニュートンにとってのエーテルがどのようなものか明確にはわからない。エーテルの振動により、光について説明しようとしていた。
なお、万有引力の理論は、遠隔作用が措定されているが、これはあくまでも数学的な定式化でニュートン自身も、遠隔作用の存在には否定的だった、とか。
しかし、結果的に、万有引力説が広まると、天体運動や重力の媒質としてのエーテルはすたれていった、と。

フロギストンやカロリックは、エーテル的説明→気体分子運動論の登場ですたれる
電気と磁気が電磁気として統合され、光も電磁波の一種とわかると、光エーテルによって媒介されると考えられた

光の粒子説と波動説
18世紀 粒子説が有力に
19世紀 波動説が有力に→光エーテル復権
1887年 マイケルソンとモーリーの実験で光エーテルは検出されず、特殊相対性理論でとどめ

  • 20世紀

しかし、実はアインシュタイン自身が、一般相対性理論の時空構造をエーテルとして解釈して論じている
ディラックもまた、量子論から、エーテルの存在を措定すべきと論じている


筆者のジミー・エイムズってどんな人だろうとググっていたところ、下記の火星生命論の米田翼とともに、21世紀の自然哲学へ - 株式会社 人文書院に論文が収録されていることを知った。

ライプニッツモナド論と現実の捩れた構造――自然哲学試論……ジミー・エイムズ
宇宙からの眺め、炭素からの解放――ベルクソンの複数世界論と代替生化学……米田翼

 

地球から遮断された世界へ――金星生命論 / 米田翼

金星生命論ってなんだろと思ったが、話の枕として金星をおいているのであって、全体としては、地球以外にも生命はいるのか、世界の複数性についての話
で、前半は、そういう思想史なのだが、後半から、現代の化学の話になる。化学空間とか。
筆者は世界の複数性についての論も基本的には地球中心主義と批判し、それを脱す議論を、化学空間に見出す
著者は、ベルクソンの研究者らしい

なぜ人びとは性格を区別したがるのか――四体液説と類型論 / 小塩真司

四体液説から始まって、古今の性格類型論を紹介し、それらが大体似たような分類になっていることを指摘している
また、類型論と特性論とを比較する。類型論はわかりやすいけれど、極端な特徴だけが見出されやすい。特性論というのは、スペクトラムで性格をみるもの。数値化して違いを把握できるけど、直観的ではない。

キャラクターは顔に出る――観相学 / 松下哲也

キャラクターデザインの源流を観相学へと遡って見出す。
アリストテレス『動物誌』
アリストテレスの弟子筋による偽書『人相学』
サヴォナローラ『人相の鏡』(15世紀前半)四体液説ベース
コクレス『観相学要略』(16世紀前半)
ポルタ『人間の観相学
ラヴァター『観相学断片』(18世紀後半)
カンパー「顔面角理論」(ラヴァターが参照。今から見ると差別的な説。同時代の日本人による受容も紹介されているが、思うところがあったのではないか、と)
ヘンリー・フューズリ(ラバターの親友で挿絵など担当)
ウィリアム・ブレイク(フューズリの友で、ラヴァターの愛読者。観相学を利用して自分の絵にでてくる人物をデザインしている)
テプフェール『観相学試論』

姿かたちの異なる人々はどこまで人間なのか――怪物民 / 廣田龍平

世界各地の「怪物民」の伝承
プリニウス『博物誌』とか中国の『山海経』とか

ないものの生が教えること――幽霊島 / 東辻賢治郎

幽霊島というのは、存在していないけど地図に載っている島のこと
聖ブレンダンの島
6世紀のアイルランドの聖人ブレンダンに由来する島で、1235年ごろに作成された地図で初めて地図に出現する。が、当初から、存在が疑わしいことが明示的に示されていて、通常、実在が前提されている幽霊島においては珍しい、と
聖ブレンダンの島は、時代を経るごとに、ヨーロッパ人にとって未知の領域へ移動している。
幽霊島は、地図の誤謬とその改訂を示す出来事、というだけではないのだ、と論じている

Interlude

セオリーがロストすること――「ニューアカデミズム」再考 / 檜垣立哉

これだけ異色と言えば異色で、むろん、筆者もそのことを意識している。
しかし、ロストした思想運動なのは確かである。
日本のほかの思想運動として、京都学派や思想の科学をあげつつ、ニューアカデミズムが自然発生的である点を相違としてあげている。
また、消費されること、ロストすることをあらかじめ内在していた点も。
ロストした要因として、外在的には、バブル景気に依存していたことをあげつつ、
ニューアカデミズムが、アカデミックな達成を成し遂げられなかった点もあげる。
浅田は、「ジャングル」でなければ学問はできないと喝破したが、実際の大学は「ジャングル」にはならなかった。
そういう、実現しなかったがありえたかもしれないアカデミズムないし大学のことを念頭に置きつつ、ニューアカデミズムの別ヴァージョンが今後必要ではないかと論じる。

似て非なるもの――フラカストロの「伝染のたね」 / 田中祐理子

16世紀の医者フラカストロが、流行病の原因として考えていた「伝染のたね」について
現代からみると、フラカストロの考えは一見、かなり先駆的にも思えるが、実際どうなのか
そもそも「伝染」という考え方が、ガレノス医学とは異なる新奇な理論なので、これを「汚染」という言葉を使いながら、丁寧に論じている
この「伝染のたね」を「種子」のようなものとして解釈すると、病原菌に近いものとしてとらえられ、驚くほど先駆的な理論となる。
が、フラカストロが「汚染」を説明する際に用いている「全体」と「部分」のメカニズムの説明や、フラカストロルクレティウスから影響を受けていたことなどから、それはむしろ古代の原子論の文脈で理解すべきという意見もある、と。
そうなると、正真正銘ロストした理論なのではないか、と。
一方で、フラカストロの流行病予防策は、現在の我々の実践と通じるところもある、と。

汚れた空気と疫病流行――瘴気説 / 井上周平

汚れた空気である「瘴気」が流行病の原因となった、という考えは、過去における謬説として有名だが、そもそもこの「瘴気」概念というのは、それほど定まったものがない。実際にはどういう考えだったのか。


ペストマスク、実際に使われたかは疑わしいらしい
ペストマスクを描いた版画はドイツ語圏でしか発行されておらず、ドイツ語圏からフランスやイタリアといった「異国」を誇張して描くものとして描かれたのではないか、と。


伝統的な医学史では、瘴気説に対して、フラカストロの「種子」による接触感染説があらわれ、それが病原菌説の先鞭になったとされることが多いが、瘴気説はもともとモノに付着し接触感染するという考えで、接触感染と対比されるものではない、と
また、細菌学の隆盛で、最終的に瘴気説の影響力は失われるが、19世紀後半には、瘴気は病原体である微生物がただよう汚れた空気、とみなされるようになっていて、曖昧、漠然としたものであるゆえに生き残ってもいた。また、曖昧であるがゆえに、公衆衛生改革においては便利に用いられてもいた。
また、原因不明なものを一気に説明できるという意味で便利で、その意味では、瘴気説に代わる説が出てくると、今度はそちらの説で何もかも解決しようとする動きもあった、と
例えば、ジェンナーの種痘に効果があると、あらゆる病気に効くのではないかと考えられたり。
細菌が病原体だとわかってくると、あらゆる病気は細菌によって引き起こされると考えられ、インフルエンザも当初インフルエンザ菌によるものと考えられた、とか。

大腸は墓場か?――プトマイン説 / 美馬達哉

これは初めて知った。
大腸にたまる糞便からの毒素が病気の原因になるという考えで、それをもとに大腸切除手術なども行われていたという。
食中毒というのは、もともと名前の示す通り、毒物の混入だと思われていた。それが、のちに細菌によるものだとわかるが、その過渡期において、毒物説と細菌説の橋渡しになったのがプトマイン説である、と。
大腸は便をためているだけの不要な器官であり、自己中毒・自己感染を起こすのだ、と
さらに、精神疾患の原因であるともされ、外科手術による治療が試みられてもいた。20世紀前半に行われていたが、死亡率が高かった。
最後に、近年の腸内細菌叢の考えとの比較も行われている。

ポリフォニーとしてのモダン」と催眠、超自我、構造――動物磁気説 / 鈴木國文

後半半分くらいはフロイトの話だった気がするけど、動物磁気説がいかに精神分析へとつながっていったのかがわかる。
動物磁気が催眠へと変わって精神分析

イングランド国教会の王権論と「アングリカン革命」――王権神授説 / 原田健二

イギリスの国教会と王権とは一心同体であるかのように思われがちだけど、実は、緊張関係があったよ、という話
王権神授説のもと、聖職者は王に忠誠を誓うけれど、王が望ましくない命令を下した場合はどうするのか、と。聖職者が従うのは神のみであって、王そのものではないが、神に従うというのは王政に従うということなので、望ましくない命令には従わないとしてもそれに対する王からの罰は甘んじて受ける、というような立場になるとか。
王が事実上秩序を維持している、ということが、その王が神意を満たしているということになるので、王個人というよりは王政に対して従うとか。
なんかそういう話だった気がするが、結構内容が難しかった。
というか、ほかの論文もそうなのだけど、わりとページ数が短く制限されているので、結構色々と用語などを知っていることを前提に書かれている印象。

豊かさは陰謀と一体である――国家理性論 / 重田園江

マキャベリ 必要に応じて道義に背く力をふるうことも許される
ボテロ 国家の拡張ではなく「保全」 行政的 豊かさ
マイネッケ
フーコー 国家理性の暴力性・劇場性を、マザランの秘書ガブリエル・ノーデや、ジェームズ一世の顧問官フランシス・ベイコンを取り上げて論じる
ノーデによる「国家によるクーデタ」=法を超越する国家の行動
反乱を防ぐための監視、秘密政治の系譜
国家理性論は、近代国家成立にとって必要だったが、のちに、法の支配、憲法民主化、公開性、三権分立などによって忘れ去られていく

「保守的」と見なされた一八・九世紀ドイツの思想家たちから何を学ぶか――保守的啓蒙・ロマン主義政治経済論・社会的使用価値論 / 原田哲史

保守的とみなされている、3つの思想・学説について。
研究者は、革新的・左翼的とされる思想を主に研究し、保守的とされる思想を軽視しがちだが、保守的とされる思想の中に、注目すべき点がある、と。

*1:Lost Theoryで検索すると、そういう名前の音楽フェスがヒットする

ヤコヴ・ラブキン『イスラエルとパレスチナ』(鵜飼哲・訳)

サブタイトルは、「ユダヤ教は植民地支配を拒絶する」であり、ユダヤ人の立場からイスラエルを批判する本となっている。
筆者は、旧ソ連出身で現在はカナダ在住の歴史学者であり、科学史ユダヤ教シオニズムについて研究している。ユダヤ教徒としてシオニズムイスラエルユダヤ教に反するものとして批判している。
本書は、2023年10月以来の、イスラエルからガザ地区への攻勢をうけて緊急に書かれたパンフレットであり、岩波ブックレットの88ページというごく薄い本ではあるが、シオニズムの背景から今回の攻撃までの流れがまとめられている。
一応、現在は停戦が成立し、(イスラエルが細々と難癖をつけているところはあるが)今のところ順調に人質や収監者の解放が進んでいるように見えるところではある。
しかし、トランプやネタニヤフの発言から、今後のガザの命運に関しては全く予断を許さない状況であり、本書のアクチュアルな意義は失われていない、どころか、益々重要なところだと思う。

日本語版への序文
シオニストによる植民地化前夜のパレスチナ
パレスチナ人に対するシオニスト国家の態度
ユダヤ教の拒絶と新しい人間の形成
ヨーロッパの遺産――暴力と無力
一〇月七日の攻撃に至るまで
復讐とイスラエルの存続
ダビデゴリアテ、そしてサムソン――地獄に堕ちるのか?
あとがき
参照文献/訳注/訳者あとがき


本書は、基本的にシオニズムイスラエルを批判する本であるが、また同時に、西欧諸国のイスラエルへの加担についても批判している。


まず、シオニズムというのはもともとユダヤ教に内在していた思想ではなく、19世紀のナショナリズムに由来するものだと指摘されている。
19世紀ロシアによるポグロムにより迫害・弾圧されたユダヤ人たちが、東欧のナショナリズムの影響を受けて、ユダヤナショナリズムを形成したのがシオニズムだという。
もともとユダヤ教において「約束の地」というのは、あくまでも精神的なものであって、現実にイスラエルの地に帰還することが目指されたことはなかったし、実際の帰還はむしろ戒められているらしい。
また、ユダヤ人というのは、トーラーに従うことによって規定されている集団であり、また「追放」というのがユダヤ人にとって重要なアイデンティティであり、種族的なナショナリズムとは本来相容れないのだ、とも。
イスラエルにおいてユダヤ教は世俗化し、トーラーを守ることはむしろ求められなくなり、イスラエル国家を維持すること自体が、イスラエル人のアイデンティティとなっている。
筆者は繰り返し、ユダヤ教シオニズムユダヤ人とイスラエル人を区別する。
それを混同させるのが、イスラエルプロパガンダであり、反イスラエルを反ユダヤと取り違えさせているが、それは誤りだ、と。
そしてもうひとつ、イスラエルのことを、最後の入植植民地であると指摘している。
イスラエルのやっていることは、19世紀のヨーロッパ諸国やアメリカが入植を行い、原住民を追い払い植民地を作ったことと同じことなのだ、と。
つまるところ、イスラエルパレスチナに対する暴力というのは、かつて西欧諸国やアメリカがやっていた植民地支配による暴力と同種のものなのだ、と。
最後に筆者は、レニングラード包囲とガザの状況を類比している。
かつてナチスドイツがレニングラードを包囲し、市民を飢餓に追いやったことと、イスラエルがガザでやっていることは同じだと。
さて、ナチスドイツがユダヤ人や非アーリア人に対して行った絶滅政策というのもまた、入植により先住民を滅ぼしていった植民地支配の一種なのだと捉える。
最後にマルチニックの詩人エメ・セゼールの、ナチスドイツが罰せられたのは、人類への罪としてではなく、白人への罪のためだ、という言葉が引用される。
欧米諸国が植民地の先住民にやってきたことを、ナチスは白人に対して行ったから、断罪されたのだ、と。
これは、逆に言えば、イスラエルパレスチナに対して行っていることが何故断罪されずにいるのか、ということを示してもいるだろう。


報道の偏りの事例として、CNNはパレスチナ問題について報道する際、全ていちどエルサレム支局のチェックを通しているらしい。


本書は、パレスチナ問題を、イスラエルパレスチナの間におきている、宗教の絡む特殊な問題としてではなく、19世紀から20世紀にかけて起きてきた、ナショナリズムと植民地支配における問題の事例として位置づけ直している。
そうすることで、イスラエルの何が問題か、ということが明確化されている。
本書は緊急に書かれたとはいえ、さすがに最近のトランプの発言までは拾っていないが(日本語訳が出版されたのが2024年10月なので再選前である)、例えば、ここ最近のトランプのウクライナに対する言動は、彼がまるっきり19世紀的な論理で動いていることを示唆している。
シオニズムイスラエルを、19世紀のナショナリズムや植民地支配と結びつけるとき、ともすれば、それらは古い問題系のようにも見えてしまうが、しかし、恐るべきことに、今年になって急速に、それらはアクチュアルな危険として甦ろうとしている。

国際・苗場

2月に札幌国際、3月に苗場にスキーしに行ってきた。
多分、6年ぶりくらいのスキー


という、ただそれだけの記録なんだけど
苗場が実は16年ぶり2回目の来訪で、しかしそのことを忘れていて、というか、今回苗場に行く前にスキー場のサイト見てなんか見覚えあるなと思って、試しにこのブログを見直してみたら、その時の日記が残っていた
ので、今回も10数年後の自分が検索するかもしれないから、書いておこうかと思った。


国際は吹雪で大変だったが、苗場は、1日目快晴、2日目曇りで天気に恵まれた。
どちらも、スキーそのものより、スキーの準備片付けや、子を抱えたりなんだりで、汗だくになった。脚(も疲れたがそれ)よりも腕にくる感じ。
国際は天気悪かったけど、雪はよかった。いったん1人でも滑ったのでその際にまあまあ堪能した。
苗場は、モーグルコースを2度ほど滑った。他の上級も気になったけど、そちらは行けず。