マロングラッセも古くはマロニエの実が使われたという。
フランスでは街路樹になっていたりするマロニエを見かけます。その樹木の命名が栗のマロンに由来する、というのはあり得そうな気がする。
でも、その実(マロン)でマロングラッセを作っていたというのは、信じがたい思いがします。フランスでは、有毒だから食べてはいけないとしか言われませんので!
◆ ニワトリが先か、卵が先か、の続き
マロングラッセについて以下の記事を書いたのですが、今回はその続きです。
いつマロングラッセが誕生したたかには諸説あるのですが、16世紀であろうというのが、フランスやイタリアでは定説になっているようでした。発祥地としては、フランスのリヨンと、イタリアのクーネオが登場しているのですが、現在の国境線が引かれた18世紀までは同じ文化圏だった地域と言えると思います。
栗を砂糖菓子にするレシピは、1667年に刊行された料理の本で初めて紹介されました。マロングラッセが大衆化したのは、工場生産に成功したフランスの企業が創設された1882年。
マロニエの木がヨーロッパに入ったのが、これらの時期の後であれば、マロングラッセをマロニエの実で作っていたというのは辻褄が合わないことになります。ヨーロッパでは、中世にはすでに栗は大切な食料となっていましたので。
以下に拾った情報を書きますが、私がたどり着いた結論から先に言っておきます。
マロングラッセが生まれたのは16世紀とすると、セイヨウトチノキで作っていたという話しあり得ない。17世紀以降だとすると、あり得ないこともない...。
とは言え、栗で作っても非常に手間がかかるマロングラッセを、毒性があり、皮をはがすのも容易ではないマロンで作っていたとは信じられないという先入観で私は染まっています...。
![]() Paradoxe de l'œuf et de la poule |
マロニエの木は、いつヨーロッパに入ったのか?
マロニエが入る前から、イタリアやフランスでは栗をマロンと呼んでいたのは確かだと思います。
ここまでに書いたことも含めて、まとめてみます。
栗の木: シャテニエ(châtaignier) | |
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ヨーロッパグリの学名はCastanea sativa。sativaは「栽培された」の意味。 栗の実は、フランスでも太古から食されていた。ギリシャのテッサリアは、古代から質の良い栗として定評があった。 栗の品質を良くするためにフランスで栽培が始まったのは中世。シャルルマーニュ(カール大帝)は、ワインを飲みながら焼き栗を食べていた、という伝説がある。 秋に収穫された栗はクリスマスまでも保存できない。そのまま調理しても美味しくない栗や、長期保存するための栗は、乾燥して粉にして小麦粉の代わりに使われることが多かった。また、栗は家畜の餌にもされたりしていた。 小麦が育たない地域では栗が小麦の代用となっており、栗の木は穀物の代わりになることから、シャテニエは「パンの木」、栗は「貧者のパン」などと呼ばれていた。家畜の餌になることから、「ソーセージの木」、「肉の木」とも呼ばれていた。 16世紀、大きくて風味もある上質の栗は「marron(マロン)」という"カテゴリー"で販売された。イタリアからも上質の栗はフランスに入ってきた。 17世紀には、リヨンの市場で扱われる栗が「marron de Lyon(リヨンのマロン)」として高い評価を受けていることが定着していた。 ※ 栗と同様に食糧難から人間を救う食料となるジャガイモは、フランスには1770年に入った。 19世紀ではフランスには栗林が非常に多かったが、20世紀になってからの農村から都市への人口移動、栗の木の病気によって栽培される栗の生産量はかなり減少した。 2006年、アルデッシュ県で生産される栗が「アルデッシュのシャテーニュ(Châtaigne d'Ardèche)」として、高品質保証のAOC(原産地統制呼称)を獲得した。 | |
セイヨウトチノキ: マロニエ(marronnier) | |
![]() | 実はマロン(marron)と呼ばれ、食用にはならない。 栗でなくトチノキであることを強調するためには、樹木はマロニエ・ダンド(marronnier d'Inde)、果実はマロン・ダンド(marron d'Inde)と呼ぶ。「ダンド」は「インドの」の意味だが、東インド会社から入ったものや、珍しいものには「インドの」と付けることがよくあった。 マロニエの学名Aesculus hippocastanum。Aesculusは、食用になる殻斗果のコナラの意味。ippocastanumの方は、馬 (hippos) とシャテーニュ(châtaigne ギリシャ語で(kastanon)に関係している。馬が名前に入っているのは、馬には少量なら与えても大丈夫なことから。 ※ 英語圏ではマロニエをhorse-chestnut、hippocastanumと、学名のままで呼ばれているようだ。イタリアでの名称はippocastanoないしcastagno d'Indiaで、マロニエはイタリア全土にある(特に多いのは中央北部)。 現在ではマロニエの葉や果実からは薬も作られている。マロンを馬に与えるにしても、薬にするにしても、毒性を抜く作業が必要である。 原産地は小アジア。氷河期の終わりころには生育していたとみられる。1557年に、バルカン半島にあったものがコンスタンチノープルに入ったと言われる。 1576年(あるいは1591年)、ウィーンにマロニエが入ったのがヨーロッパで初めてであると一般的に言われる。しかし最近では、考古学者と古生物学者が、もっとずっと前からヨーロッパに存在していたことを発見している。 フランスに入ったのは1615年というのが定説(ルイ13世の時代)。植えられたのは、パリのスービーズ館(Hôtel de Soubise)だと言われる。 マロニエが初めに植えられたのはパリの庭園であり、ヴェルサイユ宮殿でも庭園を飾ったことから、マロニエは緑陰樹として適していることからだったと思われる。 1718年、marronnier d'Inde(マロニエ・ダンド)という名称が文献に登場する。 18世紀になると、慢性気管支炎などを治療するために、マロニエの果実から薬を作るようになった。 |
フランスでは、いつから栗を「マロン」と呼んでいたのか?
ラ・フォンテーヌの『寓話』に登場する「火中の栗を拾う」という表現日本語で「火中の栗を拾う」という名訳ができている「tirer les marrons du feu」という表現がフランスにあります。
ラ・フォンテーヌ『寓話(Fables de La Fontaine)』の第9巻 第17話「猿と猫(Le Singe et le Chat)」に出ているために有名になった表現です。
ギュスターヴ・ドレの挿絵
この寓話が発表されたのは1678年。
でも、「tirer les marrons du feu(火中の栗を拾う)」はラ・フォンテーヌが考え出した表現ではなくて、その前から使われていた表現なのだそうです。
古い文献に現れた栗としてのマロンを挙げてみます。
- 1526年: Claude Grugetの『Les Diverses leçons de Pierre Messie』で、「fruit du marronnier(マロニエの果実)」として(P. 888)。
- 1640年: Antoine Oudinの『Curiosités françoises(フランス奇言集)』で、「tirer les Marrons du feu avec la patte du chat(猫の脚で火中のマロンを取り出す」として。
- 1655年: モリエールの喜劇『L'Étourdi ou les Contretemps(粗忽者)』で、「tirer les marrons de la patte du chat(猫の脚でマロンを取り出す)」として(第5幕)。
少なくとも、17世紀にはマロンと呼ぶ栗が身近な存在だったと言えると思います。
マロングラッセのレシピが初めて文献に登場したのも17世紀「
このレシピでも、栗はマロン(marron)という単語を使っています。
17世紀には、「Marron de Lyon(リヨンのマロン)」という栗が美味しいという定評が出来上がっていたそうですので、それを使ったレシピなのかもしれません。
リヨンのマロンといっても、リヨン市で栗が取れたわけではなくて、大都市なので周辺から栗が集まったためです。フランスの栗の産地であるアルデッシュ県にも近いし、イタリアにも遠くはない。少なくとも、パリよりはずっと栗が集まりやすい場所でした。
マロングラッセは、16世紀にリヨンで誕生したという説は、それをもとにしていると思われます。
16世紀には、大きくて美味しい栗を「マロン」と呼んでいたそうなのですが、イタリアから入った栗も、アルデッシュ産のものも、販売する価値があるような美しい栗はマロンと呼んでいたのではないでしょうか。
栗は小麦の代わりになるために「貧者のパン」とも呼ばれていたし、家畜の飼料にもされていたのですから、ただ栗の実であることを示す「シャテーニュ」ではなくて、「マロン」と呼びたかった気持ちは理解できる気がします。
マロンの語原はイタリア語marron(マロン)には色々な意味があるので複雑です。
フランス語の「マロン(marron)」という単語は、ラテン語のmaroに語源があると言われています。リヨン周辺地域で昔にあった言葉では、そのラテン語を受けて「marr-」という接頭語が「小石」の意味で使われていたのだそう。
フランスの植物情報では、マロニエ(marronnier)という名前が付いたのは、この実が小石(マロン)のように丸かったからという説明もありましたが、仏仏辞典には記載がなかったので、真偽のほどは分かりませんでした。
ともかく、イタリア語から入ったマロン(古いフランス語ではmaronと綴った)という単語は、10世紀のフランスでは使われていたようです。
マロニエの実(マロン)でマロングラッセを作っていたというのは信じられないので、おかしいと言いたくて背景を調べて書いてしまいました。
同じように疑問を持たれた方が記事を書かれています。こちらの方がスッキリしていて良いですね:
☆ マロングラッセはかつて本当にセイヨウトチノキ(マロニエ)の実が使用されていたのか
そこに書かれている情報によると、飢饉のときにマロニエの実を食べていたという記載があるそうなのですが、私が調べたフランス語情報では1つも出てきませんでした。マロンを食べるためのあく抜きをする方法も全くなし。
フランスは昔から食料には恵まれていたので、マロンまで食べなくても切り抜けられたのだろうと思いますけれど...。
飢饉も乗り越えられるジャガイモを普及させるために、フランス王家はかなり苦労していました(ジャガイモの花で書いています) 。日本のドイツ文学者とおしゃべりをしたとき、ドイツでは南米からジャガイモが入ったときには人々が簡単に飛びついていたと言われたので違いを感じて興味深かったのでした。
マロニエの実を食べていたはずはない、と少し違った角度からも立証してみたいと思って私も書いたわけなのですが、日本の百科事典に書かれていたことは本当なのだろうか? と調べる必要もなかった、と思っているのが正直な気持ちです...。
以下のことは分からなかったのですが、保留にしておきます:
栗の「マロン」は、植物学の定義ではイガの中に実が1つだけ大きく成長したものを指すのだそうですが、その定義がいつ出来たのかは分かりませんでした。
16世紀に「マロン」と呼んでフランスで販売されていた栗が、イガの中に実が1つだけの栗を指していたのかどうかの情報は見つけることができませんでした。植物学的定義がこの時代にはできていなかったとしたら、市場では栽培して大きな実になって美味しい栗を「マロン」と呼んでいた可能性は大きいと思います。
まだマロンには不思議が残っているので、もう少し(!)続けます。
続き:
★ シリーズ記事目次: 栗のマロンには不思議がいっぱい!
ブログ内リンク:
★ 目次: 食材と料理に関して書いた日記のピックアップ
外部リンク:
【研究機関の情報、辞典】
☆ Cairn: Classer et nommer les fruits du châtaignier ou la construction d'un lien à la nature
☆ CNRTL: Définition de MARRON | Etymologie de MARRON
☆ Bibliothèque municipale de Lyon: Marrons et châtaignes
☆ Larousse: Définitions marron
☆ Littré: marron (définition, citations, étymologie)
☆ Tela Botanica: Le chataîgnier l'arbre à pain, providence de nos ancêtres
【その他のソース】
☆ Doctissimo: Marronier d'Inde (Aesculus hippocastanum)
☆ Introduction du marronnier en France
☆ Le Rendez-vous des Arts Culinaires: Histoire de la châtaigne
☆ Grand Paris: Caractéristiques du marronnier d'Inde
☆ La Châtaigne un peu de botanique
☆ L'atelier des Chefs: Tirer les marrons du feu… (avec la patte du chat)
☆ ルネサンスのセレブたち: 庶民の腹を満たした栗の話 イタリア情報
【火中の栗を拾う】
☆ 北鎌フランス語講座 - ことわざ編 成句 tirer les marrons du feu
☆ 故事ことわざ辞典: 火中の栗を拾う
☆ Wikipedia: The Monkey and the Cat
☆ Fable Jean de La Fontaine le singe et le chat
☆ 能楽さんぽ 火中の栗を拾う
【焼き売り屋(Marchand de marrons)】
☆ France pittoresque: Marchand de marrons d'autrefois
☆ Google Livres: Le Castoiement ou Instruction du perè à son fils
☆ Wikisource: Les rues de Paris-Les Vieilles Rues (Le Vieux Paris)
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