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2008/01/17

シリーズ記事 【不思議なクラムシ―の町(目次
その1


久し振りにクイズを出してみようかと思って、それに付ける写真を探してみました。

すぐに出てきたのは、少し前に行ったブルゴーニュ地方にあるクラムシー町で撮った写真でした。

これです ↓



通りの名前は「ロマン・ロラン通り」。クラムシーはロマン・ロランが生まれた町なのです。

これは何だった建物でしょう?」というのが、私が考えたクイズの質問でした。

でも、クイズにするのは止めました。

そもそも、私がどんな答えを期待しているのか、この写真だけでは分からないでしょう? 幾通りもの答えが可能なはずです・・・。


◆ロマン・ロランが生まれた町クラムシー

さらにヒントのようなものを考えたら、罠にかけるみたいなので、これをクイズにする気はなくなりました。

この建物はクラムシーという町にあって、そこはロマン・ロラン(1866-1944年)の生まれた町。

・・・としたら、ロマン・ロランの生家? と考えてしまう方もあるかも知れない!

この町にはロマン・ロラン博物館があって、そこは彼が生まれた家を使っています。もっとずっと立派なお家です。

★クラムシー町にあるロマン・ロラン博物館: Musée d'Art et d'Histoire Romain Rolland


私はクラムシーに行ったら、あちこちにロマン・ロランの名が見えたので、この町で彼が生まれたのだと知りました。

さらに気がつけば、彼が晩年を過ごした家があったヴェズレー(世界遺産に指定されている美しい村)は、このクラムシーから近いのでした。

書きながら調べてみたら、その距離は23キロ。県が違うので、もっと遠いように感じていました。

さらに気がつけば、ロマン・ロランはヴェズレーで息を引き取って、このクラムシーの教会で葬儀をしていたのでした。

★ロマン・ロランの死を報道したニュース・ビデオ:
DEUX HOMMES SONT MORTS : ROMAIN ROLLAND ET LE COLONEL FABIEN

*陸軍大佐と一緒の日に葬儀が行われたので、ニュースでは二人の業績を交差させてしまっています・・・。



ロマン・ロランの言葉



◆中世のお店

話しがそれてしまいました!

上に入れた写真は、「この家は、中世にはお店でした」という答えを期待していました。

フランスの古い建物が残っている旧市街を歩いていると、よくこの形の建物を見かけます。店だと教えてもらってから、バカの一つ覚えのように「わあ、お店だ!」などと喜んでしまっています。

例えば、下の写真は、同じブルゴーニュにあるディジョンの、旧市街の中でも一番観光客が通る道にある建物です。


Maison Millière

道路に面している窓にご注目ください。

写真では見えにくいかも知れませんが、道路に面したところがカウンターのように石が少し飛び出しています。

それから、木組みの家である点も重要です。こういう風に木組みに土など色々なものを詰めている建てかたの家は、石だけでできた家よりランクが低いので、典型的に商店だろうと推測できるのです。貴族などが、こういう家に住むということはまずなかったはず。

中世の商店は、窓のところに商品を並べて、外からお買いものする形式になっていたそうです。

ちなみに、このディジョンの中世の店はとても美しい建物なのに、長いこと放置されていました。数年前、やっと持ち主が売る気になったのか、お土産屋さんがオープンしました。それを知ったときは、中にも入れるようになったので喜んだのでした。

まだ放置されていた状態だったときも、映画のロケで使われたりしていました。



ジェラール・ドパルデュー主演『シラノ・ド・ベルジュラック』 (1990)
お土産屋さんもロケで使われた建物であることが自慢らしく、映画の写真を窓ガラスに貼っています。これは、それを撮影したものです。

ブログ内リンク:
ブルゴーニュの作家ロマン・ロランの足跡をたどって 2013/06/26
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2007/09/26

シリーズ記事 【文化遺産公開日のヴィジット 2007年(目次
その3


お城の中を見学した後は、自由に庭を歩いて良いということになっていました。

※この日記は、「フランス貴族の見分け方」の続きです


庭園にある観光スポットは2つありました。

(1) 「Le Mystère de la chambre jaune(黄色い部屋の謎/秘密)」という映画のロケで使ったところが、そのまま残っている。

(2) 19世紀に、このお城のお嬢さんのために建てた人形の家。その子が見つけないように木立の間に建てて、クリスマスの日に木々を切って家を見つけられるようにした、というもの。オモチャの家ではなくて、かなり本格的な家だとの説明でした。「昔だから、そんなことができたのでしょうね~」、とマダム。


実は、人形の家の方がすっかり忘れてしまったので見学しそこなってしまいました。普通のお家として使われているお城ですから、「黄色い部屋」はこちら、「人形の家」はこちら、などという風に看板がでているわけでもないのです。

なにしろお城の庭園は広い! どこかに立って見回したって、一部しか見通せません。


◆黄色い部屋

ここで殺人事件が起きた、それが謎... というミステリーだそうで、フランスでは大成功した映画だったようです。



Gaston Leroux, Le Mystère de la chambre jaune ( 2003 )
原作が書かれたのは1907年

映画のロケに場所を提供したために得た報酬で、マダムが近代的な台所を作ることができた♪ と言っていらした場所です!

私はこの映画も、原作の小説も読んでいないので、見学していた人たちが話していることを聞くだけ...。

映画のストーリーでは、この大きな柱時計に人が隠れたりしたそうで、男の子が中に入ったりしていました。

 黄色い部屋の謎

映画を見た人は、この黄色い部屋はお城の中にあると感じていたそうなのですが、実は離れの、物置小屋のように味気ない建物が使われていたのでした。

下の写真は、外から見たところです。窓には鉄格子があるのも重要なポイントだったそうです。



いつか映画を見るときのために、ここにあったものを覚えておこうと思いました。


見学者の中に、このあたりにあるお城の水道工事をしたという人がいて、私のデジカメの話しから、おしゃべりがはずみました。もう引退した高齢者。水道工事をするためにお城に出入りしていたとき、いかに貴族の人たちが信頼していてくれたかという話しをしてくれました。

お城の鍵を預かっていたけれど、ご主人がなくなったので息子さんに返そうとしたら、父親が預けた鍵だからそのまま持っていてくれと言われたとのこと。つまり、「あの城に泥棒に入ろうと思えばいつでも入れるのだ」と笑っていました。こういうご主人というのは今では少ないとおっしゃる。つまり、昔のような信頼関係がなくなったから、今のフランスには盗難がつきないのだとも思いました。

そんなおしゃべりをしていたら、マダム、つまり侯爵夫人が黄色い部屋にやって来ました。誰かを探しにいらしたらしい。それで、私たちに、「このベンチは本物ではないんですよ~!」とおっしゃる。

軽々と持ち上げられることをデモンストレーション。よくよく眺めてみると、ベンチの淵がはげて木材であるのが見えていました。

マダムが探していた人はいなかったようで、またお城の方に戻っていきました。かなりの距離なのです。広いお家に住むというのは大変です!...

この後、お城の敷地にある別の建物で、この地方のワインを広めようと試飲をさせていたところに立ち寄りました。ここで聞いた話しも面白かったのですが、長くなりすぎるので割愛...。


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情報リンク:
★映画のサイト: Le Mystère de la Chambre Jaune
★原作者: Gaston Leroux
★原作フランス語を読みたい方はこちら:
La Bibliothèque électronique du Québec: Le Mystère de la Chambre Jaune
★ウィキペディア: 黄色い部屋の秘密


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カテゴリー: 文学、映画 | Comment (4) | Top
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2007/07/14
生きているのって、なんて空しいのだろう・・・。ズシ~ンとくる映画を見ました。

去年、日本に帰国したときに紹介された哲学者が、「良い映画だから是非見るように」と言っていた映画です。友達が「きのう見たテレビの映」と言ったとき、見るように言われていた映画だった、と気がついた次第。

再放送があることを知ったので、テレビの前に座りました。


◆「虫けら」と訳すのが適当ではないだろうか?

フランス語の題名は「Mouchette」。

日本でも公開されている映画で、邦題は『少女ムシェット』。



日本語で「ムシェット」と言われたときには全く気がつかなかったのですが(だって、最後の「ト」にアクセントがありますから)、映画を放映する前の解説のときにフランス語で耳にしたら、なんてひどい名前だろうと思いました。

あだ名でしょうね。いくらなんでも、そんな名前を付ける親はないと思います!

ムーシュ(mouche)とは「ハエ」。あの、見かけたらビシっとたたきたくなる虫です。それに「小さな」のような語尾をつけてMouchette(ムーシェット)にしている。

この語尾は愛情をこめて付けたりするのですが、ハエにつけたら可愛くはなりません。mouchetteと呼ばれる小さなハエも存在するのだし・・・。

この映画を見るようにと言われたときにはストーリーのことは分っていなかったのですが、題名をフランス語で聞いたら、どんなお話なのかが想像できました。




存在している価値を認められていない少女の悲劇・・・。

それほど辛辣でもない環境です。そんな辛い子ども時代があった人でも、たいていは乗り越ると思います。

でも、映画を見ていると、ムシェットの辛さが痛いほど伝わってくるのです・・・。

自分の子ども時代をオーバーラップさせてしまいました。私が子どものときは、ちっとも可愛くない子だったようです。でも、感受性があり過ぎたから、そうだったのだ、と自己弁護しています。大人は、子どもは幼稚な考えをしていると見ますが、私が幼稚園児だった頃の記憶などは、子どもとは思えないものでした・・・。

ムシェットの年齢を映画の中で言っていたのでしょうか? インターネットで調べたら、彼女は14歳となっていました。終戦後間もないという時期のお話しです。その頃の義務教育は14歳までだったと聞いているので、ムシェットは、その最後の年だったのだと思います。

思春期・・・。

幼児期から変わっていた私は、思春期には、最も可愛くない子どもになっていました・・・。それで、ムシェットは、余りにも共感を覚える少女に見えました。だから、この映画を見たら、自分の子ども時代を思い出して、落ち込んでしまいました・・・。


◆すごい圧力を与える映画・・・

こう書いていると、ストーリーを紹介しなければいけないと思うのですが、書く元気もありません。

てっとり早く、この映画を紹介したサイトのリンクを張ろうとして探したら、またまためげてしまいました。映画を紹介するサイトに内容の紹介があったのですが、その後にコメントが入っている・・・。死ぬしかなかった少女の気持ちを無視して、軽々しいコメントが並んでいるのを見たら、よけいに滅入ってしまいました・・・。

こういう虫けらみたいに扱われた少女の不幸は、そんな気持ちを味わったことがない人は客観的に受け取れるわけなので、そんなに軽々しく扱って欲しくないと批判することはできません・・・。

*でも、ムシェットが、唯一、無邪気に楽しむ表情を見せた乗り物は「バンピング・カー」と呼ぶのだと学びました。私も数年前に乗って、日本語では何というのだろうかと疑問に思っていたのです。


◆沈黙と音が作りだした映画・・・

映画に詳しい方だったら、この映画の監督者ロベール・ブレッソン(Robert Bresson)の才能を評価しているのだろうと思います。

Bernanos(1888-1949)の原作も素晴らしいのでしょうが、芸術作品に仕上げられた映画でした。

このように白黒映画の時代には、映像に頼ることができなかったせいもあって、内容を訴えることができたのではないでしょうか?・・・

沈黙: この映画には、ほとんど会話がありません!

今のフランス人たちからは想像ができませんが、むかし、生活が厳しかった農村では、じっと苦難に耐えて無口だったのだ、とフランス人が説明してくれました。

音: 沈黙の中に響いてくる音が印象的でした。

田舎の家なのに、トラックが通り過ぎる音が聞こえてくる。耐えがたい騒音・・・。

主人公ムシェットは貧しい家庭の子ども。それを象徴するように、彼女が歩く時には木靴の音が響きます。

見た目は普通の靴ですが、木でできているgalocheという靴。足が痛くなってたまらない靴だったそうです。戦時中にはこういう靴を履くことを余議なくされたそうですが、この物語は戦後間もなく。ムシェットが貧しい家庭の子どもだったということを象徴されていたのだと思います。

そして最後のシーン。偽善家の大人が施してくれた包みに入っていた花嫁衣装の白服を持ったムシェットが、何度も野原の勾配をころがります。何をしているのかと思ったら・・・、沼に落ちたことを知らせる音が響きます。

それが最後の画面!・・・

不幸な境遇をなげくこともなかった。自殺するという悲壮な覚悟があったわけでもなかった。余りにも痛ましい死でした・・・。

ムシェットは、社会にとってはハエのような存在でしたが、作者は純粋無垢な子どもであったことを伝えたかったのだと思います。作者Bernanosはキリスト教作家です。彼の作品を映画化した「Sous le soleil de Satan」も、ずっしりと響いてくる映画だったことを思い出しました。

作者(Georges Bernanos)の作品を読んでみたいと思います。




◆厭世感? でも、人生って、そんなものかも知れない・・・

ところで、この映画を見るようにとおっしゃった日本の先生は、研究の比較対照としてフランスを選んだのだとおっしゃっていました。

特別な思い入れがあったというこの映画を見て、紹介していただいた日に話ししていた日本の古い風習というのを思い出しました。ちゃんと名前がついている風習だったのですが、なんだったか忘れてしまいました。ご存じの方があったら、教えてください。

今では、ほとんど見られなくなった農村の風習。でも、残っているところもある、と話してくれたのです。

壮絶な風習です!・・・

村で瀕死の人がいると、近所の人たちが集まって来て、最後を迎える儀式をしてくれる。

天国はあの山の上にある、天国は間近だ、というようなことを明るく言いながら、死に行く人のまわりで踊る。そういうのって、涙が出るくらい嬉しい風習ではないですか?!

ところが・・・

最後のクライマックスで、「あなたは、あそこには行けない」とやる。悪いことをたくさんしてきたから、という理由。

「その後は?」、と私は聞いてしまいました。

「でも、あなたは救われる」、と続くと思うではないですか?

何にもないのだそうです。あなたは救われないということで儀式は終わる。

すごい・・・。これほど凄い風習はないと思います!・・・ でも、それが現実なのでしょうね・・・。

情報リンク:
少女ムシェット
☆ Movie Walker: 少女ムシェット
Mouchette ― Un film de Robert Bresson

少女ムシェット [DVD]

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2005/04/11
観光客があまり行かないところを歩くのが好きです。

モンマルトルの住宅街を歩いていたら、なんの変哲もないマンションの前を通ったときに奇妙なものを見つました。


壁を突き抜けようとしている人がいる!(右の写真)

よく見れば彫刻でした。

一緒に散歩していた友達に説明されて、むかし読んだマルセル・エメの小説『Le Passe-muraille(壁抜け男)』を思い出しました。

壁を通り抜ける才能を持った男のお話しです。

日本に遊びに来ていたフランス人と知り合って、彼女が「この本は、とてもおもしろいから」と言って私にくれた本でした。フランス語を勉強していた頃のこと。

モンマルトルが舞台になっていたとは気にしていませんでした。

あのころは、モンマルトルなんて、はるか遠くの場所だったもの・・・。



ブログ内の関連記事:
ドール市と猫とマルセル・エメの関係 2011/10/09
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外部リンク:
Place Marcel Aymé


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