「ルーシー」として知られる人類の祖先の化石が世界的現象を巻き起こすことを最初に予感させたのは、1974年12月、フランス、パリの空港でのことだった。税関を通ろうとしていた古人類学者のドナルド・ジョハンソン氏は、バッグの中に入れていた包みを、「エチオピアからの化石」だと申告した。すると、税関職員が尋ねた。「ルーシーですか?」
ルーシーの発見
そのわずか数週間前の11月24日、ジョハンソン氏はエチオピアのアファール地方で化石を探していた。すると、ハダールという場所で、侵食された丘の斜面から突き出していた前腕骨に目が留まった。
これを回収してキャンプに持ち帰ったジョハンソン氏と発掘チームはその晩、化石の発見を祝って曲をかけ、歌を口ずさんだ。その歌が、ビートルズの名曲「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」だった。翌日、気温43℃という暑さのなか残りの骨格を掘り出し、これを「ルーシー」と名付けた。
後に、科学界では「AL 288-1」という名がつけられ、さらにエチオピアではアムハラ語で「あなたは素晴らしい」という意味を持つ「ディンキネシュ」と呼ばれた。
下顎、頭骨の破片、椎骨、肋骨、腕、骨盤、脚など全て合わせると、全身のおよそ40%がそろった。成人のようだったが、身長は1メートルを少し上回る程度だった。(参考記事:「猿人ルーシーの死因は木から転落? 注目の理由は」)
化石を挟むように堆積していた火山岩の地層を調べた結果、ルーシーが生きていたのは320万年前であることが明らかになった。当時知られていた最も古い人類の祖先よりも2倍近く古い。しかも、その次に古いとされていた骨格はわずか10万年前のものだった。
頭骨の破片などから、ルーシーはチンパンジーと同程度の小さな脳と突き出た顔を持っていたと推測される。そのほかの骨格は、人間のように完全に直立していたことを示唆していた。
1978年、ジョハンソン氏と研究仲間は正式にルーシーを「アウストラロピテクス・アファレンシス」(ラテン語で「アファールの南方猿人」の意)として新種記載した。そして、人類の祖先が大きな脳を進化させる前に二足歩行をしていたことの証であると宣言した。(参考記事:「ヒトとサルをつなぐ100年前の大発見、猛反発からの意外な逆転劇」)
ルーシーは、科学における地位以上に、文化的に重要な存在となった。大衆受けしそうな愛称や発見された経緯など、当初から人気者となる条件を全て備えていた。しかし何よりも大きかったのは、ジョハンソン氏という情熱的な語り手がいたことだろう。