2024年にブレイクを果たしたポップシンガーのチャペル・ローン氏が、ファンによる行き過ぎた行為(ストーカー行為、望まない接触、彼女の友人や家族の安全を脅かすような接触)に対して8月に声を上げると、有名人とファンとの関係、いわゆる「パラソーシャル関係」の弊害について大論争が巻き起こった。
一般にパラソーシャル関係とは、例えば、一ファンが有名人を愛していても、有名人の方はそのファンの存在に気づいていないというような一方通行の関係だ。実在する有名人だけでなく、架空のキャラクターと人々との間にもパラソーシャル関係は生まれる。もちろん、そのキャラクターを実在の俳優が演じているかどうかも関係ない。(参考記事:「大きな体にネットも有名人も興味津々、キングペンギン「ペストくん」」)
デジタルメディアは、ファンがこれまでになかった方法で有名人とつながることを可能にした。X(旧Twitter)やインスタグラムのようなプラットフォームは、有名人が身の危険を感じるほどの全能感をファンに持たせてしまうのだろうか?
パラソーシャル関係の誕生
パラソーシャル関係という言葉は、1950年代の研究から生まれた。心理学者たちはこの研究で、テレビの画面から語りかけてくる司会者やMCやタレントに対して、視聴者がどのような反応を示すのかを調べた。その結果、自宅でテレビを見ている視聴者は、自分とタレントとの関係と現実世界の人間関係との違いが分からなくなってしまうのではないかという懸念が生じた。
その後1970年代から80年代にかけて、学者たちは、人々がパラソーシャル関係を形成するのは孤独や孤立が原因であり、孤独な人ほどそれを埋め合わせるために強いパラソーシャル関係を形成する傾向があるという仮説を立てはじめた。
米ニューヨーク州立大学エンパイアステート校の教授で、パラソーシャル関係の専門家であるゲイル・スティーバー氏によると、現時点ではこの仮説の裏付けは得られていないと言う。
「たしかに孤独な人はパラソーシャル関係を形成します。けれども孤独でない人も、スクリーン上のキャラクターと同様の関係を形成する可能性があります」(参考記事:「大人のファンが救った ブロック玩具のレゴ、復活劇の舞台裏」)
スティーバー氏は、「私たち人間の脳は、生存と繁殖を目的としています」と指摘する。あるキャラクターや有名人が、その人を慰め、安らぎを与え、落ち着かせてくれるなら、脳は自動的に永続的な愛着を形成する。「相手が現実世界の知り合いであるかどうかは、脳には関係ないのです」
それは必ずしも悪いことではない。健全なパラソーシャル関係は、その人を強くし、励まし、インスピレーションの源となる。
「推し」の歌手や俳優やキャラクターがいるからといって、その人が孤独であることにはならない。スティーバー氏によれば、むしろ現実世界で良い人間関係を持っている人ほど、パラソーシャル関係は、より強く、健全なものになるという。(参考記事:「マヤ文明からテイラー・スウィフトへ、友情ブレスレットの進化史」)
ネット時代の新しいパラソーシャル関係
しかし、デジタルなやりとりは、こうした自然な人間関係を複雑化させる。
YouTube、TikTok、インスタグラムで活動するクリエイターたちは、ビジネスモデルの一環として、視聴者とのパラソーシャル関係を積極的に築いている。ソーシャルメディア(SNS)の台頭以来、インフルエンサーたちは、視聴者をつなぎとめて商業的な利益を確保するため、自分たちの間には真に双方向的な関係があると視聴者に思い込ませてきた。
けれどもチャペル・ローン氏の発言が示しているように、この戦略は裏目に出る可能性もある。
「SNSの投稿を通じて有名人とつながるファンは、実際よりも相手と親密な関係にあると思い込んでしまうのです」と、米セントラルフロリダ大学のデジタル人文科学の准教授で、近著に『Fandom Is Ugly(ファン世界は醜悪)』があるメル・スタンフィル氏は言う。
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