1961年4月12日、旧ソビエト連邦が人類史上初の有人宇宙飛行を成功させた。27歳の宇宙飛行士ユーリ・ガガーリンを乗せたボストーク1号は、打ち上げから89分後、地球の軌道周回に成功した。これは米国とソ連の宇宙開発競争における決定的な出来事となり、その8年後、今度は米国が人類を初めて月面に到達させることになる。しかし、有人宇宙飛行の物語はボストーク1号の成功によって始まったのではない。それよりも何年も前の、ソ連によるもう一つの成功によって、軌道は既に描かれていたのだ。
始まり
米国とソ連は、第二次世界大戦中こそ同盟国だったものの、戦争末期の1945年には、互いに対する疑念を深めつつあった。米国は広島と長崎に原爆を落とし、都市全体を一瞬にして消滅させる破壊力を手にしたことを証明して見せた。こうして、米ソによる世界の覇権をかけた冷戦時代が幕を開けた。(参考記事:「米国は第3の原爆投下を計画していた」)
両国は、互いに技術力の優位性を示すために、大量の核兵器を製造し、世界中が標的に入るロケットの開発を始めた。1950年代半ばには、米ソがともにこのロケットを使って宇宙に人工衛星を送る計画を発表。米国はこれを「ヴァンガード計画」と銘打ち、最初の打ち上げを1958年に予定していたが、ソ連は米国の先手を打とうと、ひそかに独自の計画を進めていた。
そして1957年10月4日、ソ連は人工衛星「スプートニク」を打ち上げ、軌道に乗せたことを発表し、世界を驚かせた。大きさはビーチボールほどしかなく、技術的にできることも限られていたが、衛星が頭上を通過した時に無線を通じて聞こえてきた信号音は、米国人を恐れさせるのに十分だった。
宇宙空間の支配権をソ連に持っていかれることに危機感を抱いた米国は、1958年7月、米航空宇宙局(NASA)を設立し、宇宙飛行の実現に向けて本格的に取り組むことになった。
有人宇宙飛行へ
米国は、1940年代から既に、ミバエやアカゲザルなどの動物をロケットに乗せ、弾道飛行の実験を行っていた。ソ連も、1951年にイヌを宇宙に送る実験を始めた。
しかし、その最終目的は人間を宇宙へ送ることだ。1958年に、NASAはマーキュリー計画を立ち上げ、3つの具体的な目標を定めた。その目標とは、米国人を宇宙へ送り、地球軌道を周回させること、人間の体がどこまで宇宙飛行に耐えられるかを調べること、宇宙船と宇宙飛行士の両方を安全に地球へ帰還させること。さらに、これら全てをソ連よりも先に達成させるという裏の目標もあった。
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