サンタクロースはどこにいるのだろう? 北極でないことは確かだが、サンタクロースのモデルといわれる聖ニコラウスが眠っている場所についても、考古学者の意見は分かれている。(参考記事:「真夏にサンタ大集合、熱気あふれる写真23点」)
聖ニコラウスは、クリスマスのシンボル、サンタクロースのモデルとなったといわれる実在の人物だ。彼の墓について、トルコの考古学者チームが新たな可能性にたどり着いた。トルコ南西部、アンタルヤ県の教会にあるモザイクに覆われた床の下をスキャンして調査したところ、未知の墓の存在を示唆する結果が得られたのだ。(参考記事:「封印を解かれた「キリストの墓」の新事実」)
教会が建っているアンタルヤ県のデムレ地域は、4世紀に聖ニコラウスが誕生して暮らした地とされている。聖ニコラウスは貧者を助け、施しをしたことでよく知られている。
(気前のよい聖人という彼の評判は長年語り継がれ、オランダで「シンタクラース」と呼ばれるようになった。今に続く近代のサンタクロースのイメージは、19世紀の作家ワシントン・アービングによる描写から始まっている。)
遺骨のありかに諸説
彼の評判もいろいろだが、同様に、遺骨のありかについても、誰に聞くかによって答えが違う。(参考記事:「クリスマスの悪魔「クランプス」、米国で大流行」)
これまで、聖ニコラウスの遺骨はイタリアの船乗りが11世紀に盗んだと考えられてきた。古代にはデムレの地はミラと呼ばれ、盗難があったころはアラブ軍に占領されていた。盗まれた遺骨は、イタリア南東部の海岸に建つサン・ニコラ聖堂の地下室に運ばれたという。
1993年になって、聖ニコラウス永眠の地が地中海に浮かぶゲミレル島であると、考古学者のチームが主張した。この主張は状況証拠に基づいていた。その島が船乗りの間で「聖ニコラウス」と呼ばれていたこと、4世紀のものと判明した遺物、当時の聖人に多い行列のように配置された墓などだ。考古学者らはこの説に基づき、7世紀になって遺骨はアラブの艦隊を避けて、ミラに移されたとした。(参考記事:「洗礼者ヨハネの遺骨発見?」)
2009年には、遺骨がサン・ニコラ聖堂にあると信じるトルコの考古学者らが、イタリア政府に対し遺骨の返還を求めたこともある。だが、イタリア側が応じることはなかった。(参考記事:「悲劇の聖人の遺骨、イタリアで発見か」)
デムレの教会の床下に何があるのか。真相を明らかにするには、精巧なモザイクを作っているタイルを一枚一枚はがさなくてはならないだろう。(参考記事:「漆喰の下に12世紀のモザイク画を発見、聖誕教会」)
アンタルヤ県史跡管理当局の遺跡担当者は、考古学者たちに対し、大発見の可能性がスキャンで示された場所の発掘に助力を求めている。一方、床下にはところどころ落ちくぼんだ地面があるという確認に終わるだろうという懐疑的な見方もある。