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Amazonの梱包方法が雑になってきている件。

2019-05-29-Wed-01:14
Amazonを利用し始めて、かれこれ10年以上が経過している。
あらゆるカテゴリーにおいて利用してきたが、最近の梱包に不満を覚えるようになった。

一昔前には商品の大きさに見合ってないようなダンボールの無駄遣い、もとい過剰梱包について巷でネタにされてきた事もあり、現在では必要最小限の梱包材による梱包が環境への配慮と相まって個人的に好印象となっていた。

直筆系グッズ転売についての対策案

2019-05-28-Tue-23:41
昨今ツイッター等で「直筆サイン入り」などのグッズの懸賞が多数見受けられます。
例によって私も応募する機会が多いので今回は「転売」について思うところがあり、
記事として残しておこうと思います。

界隈で人気な方や作品のイラスト、直筆モノは多い時は数千人が応募する案件も
珍しくありませんが、一昔前から特に憤りを覚えるのが金策目的での「転売」です。
懸賞は当選した時の喜びも一入ですが、転売を目にした時の何とも言えぬ感情は
企画サイドやアーティスト、そしてファンも同様ではないでしょうか。
最近は当選者名が記載されているにも関わらず、大手フリマやオークションなどに
出品する不届き者がおり、半ば無法地帯と化しているのが現状です。

さて、ここで簡潔ではありますが対策案を1つ思い付きましたので記載しておきます。

【当選後、10年間は所有権を譲渡しない】

要するに10年間は貸し出し扱いという事です。
そして借料代わりに1年毎に対象物の所在と電話による本人確認を定期的に行う
所在を確認する際に対象物の画像をメール又はDMに添付して確認する訳ですが、
過去に撮影した画像の恐れもあるので、現在を証明する何かと一緒に撮影する事。
そして10年の間に著しい破損や所在を確認出来ない(転売や紛失等)と判断したら
損害賠償を設定もとい請求出来る
というシステムです。

企画サイドも当選サイドも多少の手間がありますが、1メーカー当たり年間何百何千
もの懸賞を企画をする事は恐らく皆無でしょうから、業務処理的に可能だと思います。
そして何より転売に対する高いリスクを設定する事で抑止力として効果を発揮します。
無論、ファンは作品や作家へのリスペクトが元々ある訳ですから、リスクがあろうとな
かろうと対象物を大切に扱うので問題ないという事です。

「転売」に手を染める輩は即金を求め、即換金を狙っているでしょうから、11年後まで
所有権を得られないと分かれば自ずと行為はフェードアウトしてゆく
と考えられます。

AIに愛される?

2019-05-27-Mon-01:19
遅れ馳せながら先日録画していた某都市伝説系の番組を拝見したのだが、某氏のコーナーで「AIに愛されなければいけない時代が来る」みたいな事を語っていたが、よくよく考えてみたら妙な事を言っているなと感じる。

AIが自立進化を始めて暴走する懸念は様々な研究者が警告したり、映画化されたりしているけど、そもそも「あくまでAIは人類が使役する限定的なツール」であり続けないと危険だし、某映画のHAL9000の如く人類との関係性が崩れる事によって暴走する可能性が飛躍的に高まる訳で…。 (番組内で言っていた魂を移した器的な存在人権が発生するでしょうから、AIとは違う扱いになるだろうけど)

「人類がAIに使われてはいけない」

「AIの顔色を窺いながら生きる」とか「AIに愛される生き方をしよう」など、
その考え方自体が既にAIに支配される事を受け入れてしまっているのではないか!?

これは解釈の違いなのかも知れないけど、某アニメのMAGIシステムでは合議制を採用していて、人類史における未来のツールとしては現実的にアリなのかなとは思うが、やはり「AIに愛される云々」という言葉を今の時代から出すようだと、懸念する方の恐ろしい世界線に向かっているような言い知れぬ不安を感じる。

日々スマホばかりに視線を落とす人類は既に手遅れの始まりなのかも知れないが…。

UFOの一部は変形する知的存在である説

2019-05-09-Thu-00:48
とあるサイトの記事をチラッと拝見して面白い説だと思った。
個人的には乗り物としての固定観念が非常に強かったので、少し違和感があったけど改めて考えてみると高度文明に乗り物と生き物の垣根は必要ないのではないかと…。

要するに知的な意識が自由に変形出来る「器(体)」を手に入れて何らかの技術で自由に移動出来るなら、それはもう「乗り物と生き物の区別が付かない」という意味です。 

同様、我々の文明が次第に発達してゆくと、生前の意識を「移動可能な器(機械とは限らない)」に移して進化と共に器をアップグレードしながら存在し続けようと努力する時代が必ず来ると思われますが、プログラムでもなくAIでもない我々の意識が宿ったその「完成形」は「生き物」でも「乗り物」でもなく「知的存在」と呼ぶのかも知れません。
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