「私は」、「私自身は」などの一人称単数形を頻繁に使う人は、うつや不安に苦しみやすい傾向にあるという。こういう人たちは、人間関係に悩み、注目を集めたがる傾向にある。逆に「私たち」など一人称複数形を多く使う人は、うつになりにくく、わざと人の気を引くような態度はあまり見せない。
この説を唱えたのは、ドイツ、カッセル大学のヨハネス・ツィンマーマン博士。うつ病や不安症などで医者にかかっている男性15名、女性103名を対象に、過去、人間関係、自己認識などさまざまな質問をし、回答してもらった。
その結果、「私」という言葉をよく使う人ほどうつになりやすく、まわりとの関係をうまく築くことができない人が多いことがわかった。さらに彼らはひとりで過ごすのが苦手で、人にかまってもらいたがる傾向があり、自分の存在を過度に誇示するという。
逆に「私たち」という言葉をよく使う人は、良好な対人関係を築きやすく、まわりとうまくやっていける人が多い。博士によると、一人称単数形は、自己と他者をはっきりと区別して、自分が確固たる存在であることを示し、一人称複数形は、自己が社会やグループの一部であることを表すので、その違いなのではないかということだ。
ということで、誰かと何かを話すとき、自分や相手が一人称単数である「私は」を頻繁に使用しているかどうかを確認しつつ、頻繁に使っているようであれば自発的に「私たちは」、女子的には「うちら」を使うことで、周りと自分の関係を再認識し、逆にうつ病のリスクを遠ざけることができるのかもしれないね。
『みんな』を頻繁に使う人は鬱陶しいという研究発表はまだですか?
社長が「達とかじゃなくて、お前の意見はどうやねん。自分自身からの考えではないのか~!!達て他誰やねーん」の質問形式を取っていたので、私は私はが癖付いてしまったよぅ
それどころは私なんてリアルで使う一人称が決まっていないんですが
論外ってやつかな
これは逆なんじゃないかな。
一人称を使うほど鬱になるんじゃなくて、
周りの人たちも自分と意見が同じだと勝手に思っているほど
幸せな脳だから鬱にならないだけじゃないのか。
なるほどシューカツで鬱になるわけだ
私私みたいなむしろ他人を鬱にさせる自己主張の強い下品な人間の方が多いんだけど
我が強い人ほどってことでしょ。
「自分の考えは世界の総意だ!」と思い込む事で仮想の集団に所属する妄想をしてる人はうつにはなりにくいってことですね
…別の病気なんじゃねぇかな
物事の話し合いで「圧力」を相手に感じさせようとするのに、「自分一人だけなのに『私たち』」とかいう手法もあるが、厚かましいドキュソ根性に通ずる気配も濃厚そうだ。
「私」=「(特に見返りもないのに)責任だけを一人で抱え込む」
「私たち」=「都合の悪いことは他人にも背負わせれば、自分の負担は軽い」、という暴徒にも似た「自分だけが悪いわけじゃない」、
というのに要約できそうだ
そうすると、日本語使いより英語使いの方が鬱になり易い事になるな。
毎日毎日、「私は、、私は、、」と言っていれば、団結力が付くはず無いよね。
なんとなく…個人として社会と関わろうとする人と、社会や集団に組み込まれた1人として自身を認識する人との意識の違いなのかなと。後者は自身の行動の選択に、周囲の意見や基準を必ず用いるから、ある意味『わたしたち』でやったこととして、失敗があっても自分だけ泥を被る事が無いのかも。そして、『皆』と言う言葉も武器として、迎合し得ない相手に振るったりする。一方前者は個人で何でも抱えようとしがちで、何かあってもダメージを総て自分で請け負わなくちゃならなくなるような意識を持っているのでは?
うつ病を患ってる友だちがいるけど、「私」を多用するというのはピタリと当てはまるわ。ただし、もともとそうだから鬱になつたのか、鬱になったことで協調性が著しく低下してしまってそうなっているのかは、分からないと思う。
迎合しろということなら「私は」を使う私たちはそれを良しとしない
なるほど
お前はお前がアイツはアイツがと二人称三人称を多用してれば鬱にならない訳だ
それを聞かされる周りの人間は鬱になるかも知れんけど
いや意味がわからない
つか仕事とかでも我々とか私どもは、とかは使わないな
せいぜい弊社では、とか
他は全部「私」か「自分」だな
病気になって気を引きたいのは、鬱ではなくて別の病気だろ…。
本当の鬱病は鬱っぽいと言えなくて完全に病気になるタイプだ。
おそらく自分側に悪い原因があると分かった時に『自分のみ』にかかるか『自集団』にかかるかという負担の違いじゃないかな?
そういえば見てて鬱になるアニメ&漫画で『ぼくらの』ってのがよく挙がるね
「みんな」「私達」「うちら」タイプの人は
「自分」の意見にしたくないから
仲間や第三者を盾にしてるだけの人も多いんだけどな
勝手に同意見にされて迷惑な経験をした人が少なからずいるはず
人称名詞の使い方は言語によって違うから、日本社会にそのままあてはめることはできないと思うな。
例えば一般論を話す時、日本語だと主語を言わないか「人は」とか言うところを、英語だと"you"が主語になる。
タガログ語の「私たち」という単語には、その場にいる全員を含むものと、話している相手を含まないもの(外国人に向かって「私たち日本人は」という場合とか)とで二種類ある。
上の研究はあくまでもドイツ語使用者の場合でしょ。
ある程度の普遍性はもちろんあるだろうが、日本社会なら日本語使用者を対象に調査しないとなんとも言えんのではなかろうか。
というか机上の社会論や安易な精神論に終わるだけじゃないだろうか。
社会が悪い、政治が悪い、時代が悪い、みんなが悪い、会社が悪い・・・
三人称ばかり言う人は人格障害が多いという研究はないのか?
原文記事へのリンク貼ってもらえませんか。
一人称単数形なので「俺」「僕」も含まれる
まさに一人称単数形を多用するけど、それは他人様が自分と同類にされるのは堪らなく迷惑だろうと考えて、気配りを一応しているつもり。
私たちの意見じゃなくて、私の意見。悪いのは私の口だけ、隣の人は悪くないよって事。
しかし一人で過ごすのは好き、鬱病にもなってない。
一人称を多用してる人みんなが自己顕示欲を自制しないタイプでは無いと思うんだけどな。
・犯罪者の98%はパンを食べている
・暴力的犯罪の90%は、パンを食べてから24時間以内に起きている
と同じレベルですね。
愛、安心、平穏を求める人間ほど鬱になる。
なぜなら、求めれば求めるほど、反対の感情に恐れを抱くからだ。
もともと、愛されてきた人は、愛を求めることはない。けれど愛される。
つまり、生まれてきたときからの環境が大事ってことだな
私は~の代わりに私たちは~って日常で使うシチュエーションってどんなんだ…?
自分の意見なのに私達は
とか言う人は他人に鬱陶しがられて、逆に鬱になりそうなんだけどな。
例えば北ドイツの出身と知られている人が、北ドイツの価値観や習慣を言う時、「北ドイツでは~」と言わずに「私たちは~」と言う。
「私は~」と言うとその人個人の考え方になる。
一方、列車のアナウンスも「私たちはミュンヘンに到着します」と言い方をしたり、大きな組織では「私たち」をよく使うが、大きな組織は信用されていない。
経営者や博士、マイスターが「私が~します」と言うと信用されて、会社名より個人名と肩書きがものを言う社会。
帰属意識や責任感に関係あるんじゃない?
たったそれだけの人数を相手に調べた事を全人類に当てはめて考えるのはどうかな?
木を見て森を見ず、と言う。
昔の人の言ってる事の方が正しいね。
連帯感をかけらも感じない相手に『私たち』を使われると
ものすごく鬱々とした気分にはなるが。
これはドイツ語圏の例だしそのままの日本語訳に当てはめたら意味が違ってくるのに、なんでコメ欄は批判ばっかりなの?外国の事例として受け取ったら良いじゃん
※30 の人の意見が出た後もそれを慮らないコメがあるし
分かった、おれがやる
言語によって「私」「私たち」の使い方って微妙に違うからなぁ
どうでもいいけど関西弁の若者言葉の「自分」、少々口の悪い「ワレ」が実は「あなた」という二人称っていうのはおもしろいよね
長文書いてるやつの鬱傾向のほうが読み取りやすい
「私たち」にする事で、ストレスを分散させてるんだろ
「私たち」であって「私」じゃない。無意識に第三者視点になることで
自分に向ってくるであろうストレスを他人が受けていると摩り替える
まぁしかし。最近は「個人」ではなく「国」でストレス分散の範囲を広げようとしてる輩もいるようだけど……ね
おまいらー^^
なんでどいつもこいつもネガティブな捉え方しかしてないんだ
裏読み過ぎて自分から否定的になっちゃってるよ
話の途中から自分の話に持って行きたがって、話の注目を集めたがる人はほんと鬱になりやすい。
「私たち」を多用しなくても、基本聞き役の人はメンタル強いまじに。不思議。
他人の使う一人称を過度に気にする人はどっちだ?
『私、自分』をよく使う鬱病患者です。
英語圏に長く住んでいた影響かと思ってました。
私って使う人は責任感が強くて真面目、私たちって使う人はみんなと一緒がいい。チャラい責任を人に擦り付ける、いつも取り巻きとかグループ行動してないと落ち着かない人ってイメージがあるな
うつ病患者に限らず、人が口にする頻度は 私>私達
普段の会話で、私達 ってあまり口にしないし聞かないけど
私は ってのは皆毎日何度も口にしてる
犯罪者の食べたパンの枚数の話と同じ気がする
むしろ、自分の意見や希望を強く言う人って、うつになりにくそう
私ってこういう人だからーみたいな、自分語りが好きという意味で自己主張激しい人が病んでる感じがするのはわかるけど
日本語だと日常会話(口語)の場合一人称、場合により二人称も省略されるが。
この説が正しければ、うつ病患者の発生率は西洋言語の話者より日本のそれの方が著しく低くなっていなければならない。
旦那はストレス発散と言って飲みに行く
私は一人でパソコンに向かう
私は一人
私は欝ですか?
まず研究者が鬱になってそう
私の中の他者を自覚する者は鬱にならないだろう。
いや他者を恐れ、鬱になる者もいるかもしれない。
貴方もOK,私もOKの考えが良い。実際は困難だろうが・・・。
被験者の男女比に違和感…
男女比同じにしないと分かりにくいと思う
他人に意見を押付けてると思われたくなくて「私は~」って主語を使う事は多々あった。
自己主張したいというより「他人には他人の考えがあるだろうから同意は求めないし反論も認めたいと思ってる、だから絶対に意見を押付けてるなんて誤解しないで」という気持ちを込めてた。漠然と他者から意見を押付けてるように誤解される事が怖かった。
しかし突然、私が発言してるって事実を他人は主語抜きでも判別できるし主語つけるだけ無駄だよなって思って使わなくなったんだが、それは患っていた欝が良くなった頃だったという。
ただ、私たちは~とか日本人は~みたいな括りの発言もしたくないな…他人を勝手に巻き込むの申し訳ない気がする。
SNS仲間に鬱病の人いるけどまさにこれ。なんの話しても 私は私は。聞いてもないのにでも私はこう。とか自分の話ばっかりしてる。正直うんざりだけど指摘したら指摘したでさらに落ち込みそうで何も言えない
何でも私たちと憚らず言えるようになったら別の病気、に一票
いじめをする側は病人扱いされない国だからネ
Royal Weとかって皮肉あるよね
状況がわからんw
単純に単数か複数で言い方変わるだけじゃん。自分自身の考えをまるで全体の意見かのように話すような事?例えば外国の人に「私は米が好き」ってのを「私達(日本人)は米が好き」って複数形にするだとか、そういう事を言っているのか?そういう意味じゃないならちょっと例が思いつかん。
少数派の人が「自分は他人と結構違う」事をわかっててそういう口癖が付くってだけじゃ?
けど考えさせられる良いきっかけになった。
「他人と違って当然、自分は自分、自由に生きよう」みたいな風潮が強まった現代でも、他人と違う事はどうしてもストレスになってしまうんだなあ
ドイツ語でも、「全米が感動」みたいな、周りや同じグループ人間の勝手に「私たち」と仲間にしてしまう表現はもちろんあるけど、ここで言われてるのは、たとえばドイツ語で誰かに、「じゃあ明日会いましょう」という場合、Wir sehen uns morgen とWeにあたる言葉を「お互い」というような意味で使ったりするようなときの話では。自分から相手にだけでなく、お互いに認識しあう表現だからね。
日本語のコミュニケーションにおける「アイメッセージ」はとても大切だと思って使っているから、これには賛同できないな そこまで人に気を使えるから鬱になりやすい、という側面はありそうだけど決めつけ難い
そうかな、「自分は」そうは思わないなーw
全体としてはこうだけど私はって人は「私達」で考えていて、全体は考えず私はって人は本当に自分の主観「私」でしか話さない
鬱になりやすいのは後者
後者の人は、ライブで3時間は我慢できる私でも5時間は厳しい、みたいに書く
前者の人なら、ライブで3時間は我慢できる人が多いけど5時間はみんな厳しいよね、みたいに書く
こういう違いだよ
上弦の壱も首を斬られた直後から一人称が俺に変わってたなぁ。