壱 | 弐 | 参 | 四 | 五 | 六 | 七 | 八 | 九 | 拾 |
壱~ | 拾壱~ | 弐拾壱~ | 参拾壱~ | 四拾壱~ | 五拾壱~ | 六拾壱~ | 七拾壱~ | 八拾壱~ | 九拾壱~ |
出 典:後撰集
口語訳:秋の田のほとりに立てられた仮小屋は屋根の苫の網の目がとても荒く、私の袖は夜露で濡れてしまうばかりだ。
解 説:秋の田畑にて収穫に勤しむ農民の情景を詠んだ歌。夜露に濡れる農民の立場になってその厳しさを思いやり涙を流した(わが衣手は露に濡れつつ)とも考えられる。
出 典:新古今集
口語訳:どうやら春は過ぎ去り、夏がやって来たらしい。天香久山の周りに純白の着物が干してあるというから。
解 説:奈良県柏原市にある香具山は大和三山の一つで昔から神聖視されており、春から夏への変わり目には衣替えとして白い衣を干す風習があったと考えられている。一方では白い衣は卯の花や雪の比喩であるともされている。この歌も山部赤人(四)のものと同様に万葉集からの改変が見られ、万葉集では「春過ぎて 夏来たるらし(夏ぞ来ぬらし) 白妙の 衣乾したり(衣乾かす) 天の香具山(訳: 春は過ぎ去り、夏がやって来たようだ。純白の着物が干してあるから。そう、天香久山の周りに)」。つまり、新古今の時代には戸外の様子の確認を直接行うのは高貴な身分の人間らしからぬ行為だと見なされるようになったからだと考えられる。
出 典:拾遺集
口語訳:独り夜を明かすという雄の山鳥、その山鳥の垂れた尾の様に長い長い夜を私は恋人と離れ一人寂しく眠るのだろうか。
解 説:山鳥の雄と雌は夜になると別々に離れて眠るといわれている。その山鳥を自身と照らし合わせ長く垂れた尾から長い夜を連想し、恋しい人を想いながら長い長い秋の夜をただ一人寂しく寝て過ごす切なさを詠んだ歌。リア充爆発しろ。
出 典:新古今集
口語訳:田子の浦に出て仰ぎ見ると、純白の富士山の天辺に今も雪が降り続いている。
解 説:駿河の国(静岡県)の田子の浦から冬の富士山を仰ぎ見て、その美しさと壮大さを詠んだ歌。万葉集では「田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける(訳: 田子の浦を通って出て来て見ると、真っ白になるほど富士山の天辺に、あぁ雪が降ったんだなあ。)」とされているが、これは選者である藤原定家が収録する際に手を加えた為と言われている(改変については諸説ある。例えば声に出して詠む時の切れ目が万葉の時代は「五七/五七/七」だったのが新古今の時代は「五/七五/七七」になったので、「雪」を引き出す枕詞「白妙の」などの効果的かつ優雅な言葉選びになった云々。いずれの説も時代の変化に合わせたものだという点では概ね一致している)。
出 典:古今集
口語訳:奥山にて、紅葉した落ち葉を踏み分けながらを歩いていると鹿の鳴く声が聞こえる。そんな時、秋は悲しい季節だと感じる。
解 説:秋の歌。「奥山で紅葉を踏み分けているのは私なのか鹿なのか」がはっきりとしていない。故にとりあえず人も鹿も踏み歩くほどに紅葉が敷き詰められた山の奥であると考えるのが良い。ちなみに猿丸大夫は実在したかどうかも疑わしい人物。
出 典:新古今集
口語訳:七夕の夜になると天の川にかささぎが掛け渡すという橋。その橋のように見える宮中の階段に白く光る霜が降りているのを見ると夜もすっかり更けてしまったのだなと実感する。
解 説:かささぎのわたせる橋とは、七夕の夜にかささぎが翼を並べて天の川に橋を架け、織女を渡すと云われる伝説からの由来。しかし「おく霜の」とあるので一見ややこしいが真冬の夜の歌である。
出 典:古今集
口語訳:広い大空を仰ぎ見れば月が出ている。かつて春日にある三笠山で昇るのを見たあの月と同じ月なのだなあ。
解 説:作者の安倍仲麿は若くして中国(唐)への留学をした。長い留学生活を終えて帰国しようとした際に唐で見た月が美しかった事からこの歌を詠む。しかし悪天候に阻まれ二度と日本の地を踏むことは無かったため、望郷を思う悲しい歌とされている。
出 典:古今集
口語訳:私の住まいは都の東南(辰巳)で鹿の住むような宇治の山奥にあり、心静かに過ごしている。しかしそんな私を世間は「世を憂して山に篭った」と噂するようだ。
解 説:「お前の勝手なイメージを押し付けるな!」の一言。「しかぞすむ」は「然り(このように)」と「鹿が住むような」を掛けており、「うぢ」は「憂し(つらく苦しい)」と「宇治」を掛けている。
出 典:古今集
口語訳:あの美しかった桜の花は色あせてしまったようです…。何もしないまま…。この世に降っている長雨を眺めていた間に…。
解 説:美女として名高い小野小町が、ふらふらしているうちに年とってしまったことに気づき、orzとなっている自身を自虐的に詠んだ歌。技法としては、有名な掛詞「ながめ」(眺め・長雨)の他に、「ふる」(降る・経る・古る・歴る)の掛詞、「降る→雨」の縁語の使用がある。「花」はもちろん桜を表す。二句切れ。倒置法。作が小野小町であることの悲哀、掛詞縁語の技巧、などにより、小倉百人一首の中でも最も有名な歌の一つとなっている。
これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも あふ坂の関
蝉丸
出 典:後撰集
口語訳:これが、都へ行く人、帰る人が誰しもそれぞれの道を別れ別れて行き、知った人も知らない人もここで出会うと言われている逢坂の関なのだなあ。
解 説:掻い摘んで言えば「逢坂の関なう!」ということである。我々は別れと出会いを繰り返す、そんな人生の道を辿っている。諸行無常、一期一会の道理を端的に表現した歌と言われている。ちなみに蝉丸は坊主めくりの際に唯一許された最強の坊主である。
拾壱 | 拾弐 | 拾参 | 拾四 | 拾五 | 拾六 | 拾七 | 拾八 | 拾九 | 弐拾 |
壱~ | 拾壱~ | 弐拾壱~ | 参拾壱~ | 四拾壱~ | 五拾壱~ | 六拾壱~ | 七拾壱~ | 八拾壱~ | 九拾壱~ |
出 典:古今集
口語訳:大海原を沢山の島々へと向けて漕ぎ出して言ったと、知り合いに伝えておくれ。漁夫の乗る船よ。
解 説:参議篁とは、小野篁のこと。小野小町の祖父とも言われる。隠岐島に流罪の憂き目にあった際に詠まれた歌とされる。「わたの原」で始まる上の句はもう一つ(七十六)あるため、百人一首の際は注意が必要である。
出 典:古今集
口語訳:空に吹く風よ。雲の中の通り道を吹いて隠してくれ。天女が舞う姿をもう少し見ていたいから。
解 説:ゆっくりしていってね! というわけで僧正遍昭が出家する前、5人の乙女を天女に見立てて踊るという宮廷行事を見た時に詠んだ歌。「風よ。雲の中の通り道を隠して天女を地上にとどめてくれ」ということである。女の子が踊る姿っていいよね!
出 典:後撰集
口語訳:筑波山の峰から落ちるみなの川に深い川淵が出来るように、私の恋も大変深いものとなった
解 説:陽成天皇が恋を詠んだ歌である。「みなの川」は川の名。茨城県に存在する「男女川(みなのがわ)」のこと。妃の綏子内親王に宛てた歌と言われる。
出 典:古今集
口語訳:奥州(東北)の信夫捩じ摺りのように私の心は乱れている。一体誰のために乱れているのでしょう。私のせいではないのに。
解 説:河原左大臣とは源融のこと。「あなたのために心が乱れてしまっていますよ?」という恋を詠んだ歌。信夫捩じ摺りは陸奥国信夫郡(現福島県信夫地方)の特産品の染め布。
出 典:古今集
口語訳:あなたのために春の野に出て若菜を積んでいると、私の袖に雪が降りかかりました。
解 説:若菜は春の七草を指すと考えられている。地味だが、献身的な恋心を詠んだ歌。「君がため」で始まる上の句はもう一つ(五拾)あるため注意が必要。
出 典:古今集
口語訳:あなたと別れて因幡国へと向かうけれども、稲葉の山に生える松のようにあなたが帰りを待っていると聞いたならば、すぐにでも帰ってきましょう。
解 説:在原行平の歌。「いなばの山」は因幡国にある山の名とされるが、単に因幡国の山とする説もある。「去なば」と「いなば」、「松」と「待つ」をかけている別離の歌。
出 典:古今集
口語訳:不思議なことが数々起こったという神代の時代の話でも聞いたことがない。竜田川の水をこんなにも鮮やかな紅に染め上げてしまうなんて。
解 説:「紅葉が川に浮かんで真っ赤だよ。綺麗だねえ」ということを詠んだ歌。「くくる」は「くくり染め(纐纈染め)」と「(水を)潜る」がかかっている。枕詞「ちはやぶる→神」、3句切れの倒置法などの技巧が含まれている。この歌を詠んだのが在原業平、伊勢物語の主人公とされる。なおこの歌は落語の「千早振る」の元ネタになっている。
出 典:古今集
口語訳:住の江の岸に波は寄ると言うのに、あなたは夜の夢の中でさえも来てくれない。どうして夢の中の通い道でも人目を避けているのだろうか。
解 説:どう解釈するかは諸説ある。一般には用心深い恋人に対するじれったさを詠んだ歌とされる。百人一首において上の句が「す」で始まるのはこれだけなので覚えやすく取りやすい。
出 典:新古今集
口語訳:難波潟に生えている芦の節と節の間のような短い時間も逢わないで、この世を過ごしてしまえと仰るのですか。
解 説:要約すると「逢ってよ!逢えないなんて死ねというのね?」ということ。伊勢は恋多き女性で、誰へと贈った歌かはよくわかっていない。蘆=あし
出 典:後撰集
口語訳:やりきれない。もはや逢っても逢わなくても同じことだ。難波の澪標の名前のように、身を尽くしてもあなたに逢いたいと思う。
解 説:宇多上皇の妃、藤原褒子との不倫が露見した際に詠んだ歌とされる。開き直っている。「もう不倫がバレてしまってどうしようもない。こうなったら死んでもあなたに逢うだけだ」という事を詠んでいる。「澪標」と「身を尽くし」をかけているが、「澪標」は航路の標識のこと。大阪市の市章にもなっている。
弐拾壱 | 弐拾弐 | 弐拾参 | 弐拾四 | 弐拾五 | 弐拾六 | 弐拾七 | 弐拾八 | 弐拾九 | 参拾 |
壱~ | 拾壱~ | 弐拾壱~ | 参拾壱~ | 四拾壱~ | 五拾壱~ | 六拾壱~ | 七拾壱~ | 八拾壱~ | 九拾壱~ |
出 典:古今集
口語訳:あなたがすぐに行きますと言ったばかりに私は九月の夜長を待ち続けているうちに、とうとう夜明けの月が出てしまった。
解 説:素性(そせい)法師は男性だが恋人を待つ女性の気持ちになって詠んだ歌。他所の女の所へ行ったのか、何らかのトラブルで来れなくなったのか、男の素性(すじょう)が分からずとも待ち続ける女性の悲しい歌。とにかく社交辞令はダメ、ゼッタイ。
出 典:古今集
口語訳:激しい秋風が山から吹きはじめると途端に秋の草木が萎れ始める。なるほどこれを「嵐(荒らし)」というのだな。
解説: いいかみんな 「山」と「風」では 組み合わせると田畑も土地も つまり台風だからってはしゃいで
ただののどかな自然だが 荒らし尽くす「嵐」となる! 外へ飛び出すのはやめような。
| へ ~ * ~
(゚д゚ ) 山 ( ゚д゚) 風 ( ゚ Д゚) 嵐 \(;д; ) 嵐
(| y |) \/| y |\/ (\/\/ | y |\
百人一首において上の句が「ふ」で始まるのはこれだけなので覚えやすく取りやすい。
出 典:古今集
口語訳:月を見ていると様々な物事が悲しく思えてしまう。私一人だけの秋では無いのだけれども。
解 説:平安時代から秋は哀愁(秋の心)の季節とされている。そんな秋の月を眺めていると様々な寂しさや悲しさがこみあげてしまう。自分一人にだけ秋が来るわけではない、そう分かっていてもこの寂しさや悲しさは自分ひとりにだけ降りかかっている様に思えてしまう。と言うような哀愁と季節の変わり目をすっごいネガティブに詠んだ歌である。独りぼっちは、寂しいもんな。ちなみに大江千里(おおえの・ちさと)。シンガーソングライターの大江千里(おおえ・せんり)は彼とは特に関係は無いらしい。
出 典:古今集
口語訳:今回のこの旅では、準備もまともにする時間もなく、いつも持って行く道祖神へのお供えの「幣(ぬさ)」も持ってこられませんでした。その代りの手向けには、美しく色づいた錦のような紅葉を捧げまして、旅の安全を神のみ心にお任せいたします。
解 説:学問の神様天神様こと菅原道真が詠んだもの。彼の有名な歌には左遷時の悲哀を伴う「東風吹かば~」があるが、本歌は秋の紅葉を色鮮やかに詠んだ比較的明るい歌。宇多上皇が吉野山に御行幸した折に道真が随伴しており、その際に詠んだとされる。このたび(この旅・この度)と、たむけやま(手向山・手向け)の2組の掛詞が含まれている。「手向山」は固有名詞ではなく、道祖神を祀る祠のこと。「まにまに」はお祈りの形容……ではなく「随(意)に」と漢字を当てたまんまの意味。
出 典:後撰集
口語訳:「逢坂山のさねかづら」がその名にふさわしい意味を持つのならば、その名の通り誰にも知られることなく貴方を手繰り寄せる方法があればいいのに。
解 説:「名にし負はば」は「名にし負う(~という名を持つ)」+「ば(仮定)」で~という名を持つならば、その名に背く事が無いのであれば、となる。「逢坂山」は京都と滋賀の境にある山で「逢う」との掛詞であり、「さねかずら」はツタの絡むモクレン科の草であり「共寝(さね)」との掛詞である。早い話が「こっそり逢ってやりたくて辛抱たまらん連れ出したい」という歌である。下の句に「人づてならでいふよしもがな」と非常に良く似たもの(六拾参)があるので百人一首でのお手つきに注意。
出 典:拾遺集
口語訳:小倉山の峰の紅葉の葉よ、もし人間の情というものが分かるのならばせめてもう一度天皇がここにいらっしゃるまで散らずに待っていてはくれないだろうか。
解 説:「小倉山」は京都北西の山で紅葉の名所、麓にある定家の山荘「小倉山荘」で百人一首が作られたと言われる小倉百人一首ゆかりの地。「みゆき」とは「御幸(上皇や天皇が訪れる事)」である。拾遺集によれば宇多上皇が小倉山を訪れた際、その美しい景色を醍醐天皇(息子)にも見せたいと言った事を受けて藤原忠平(後の貞信公)がこの歌を詠んで送ったとされている。こうした名歌による自然への働きかけ(言霊)は、たとえ願いが叶わなくとも大いに上皇の慰めとなったことだろう。
出 典:新古今集
口語訳:みかの原に湧いて流れ、みかの原を分けて流れるいづみ川。その川の名のように私は貴方をいつ見たというのか、一度も逢った事は無いはずなのにどうしてこんなにも恋しいのだろうか。
解 説:みかの原は漢字で書くと「瓶原(木津川北部)」となる。「わきて」は「分けて」と「湧きて」の掛詞のため分けて流れると湧いて流れるの2つに取れる。更に「湧きて」は「いずみ(泉)」を指している。更に「いずみ」と「いつ見」を掛ける高度な恋の歌。噂で聞いただけの想像上の相手に恋する様な心を詠んだ歌。
出 典:古今集
口語訳:山里では冬にこそ一段と寂しさが実感できる。人が来ることもなくなり、草木も枯れてしまうこと思えば。
解 説:普段から寂しい山里では冬になるとよりいっそう人目が「離れ(かれ)」草木も「枯れ」てしまう(掛詞)、そんな冬の寂しさと静けさを詠んだ数少ない冬の歌。現実は非情である。
出 典:
口語訳:もし折るのならあてずっぽうで折ってみようか。初霜が降りて隠れ、見分けのつかなくなってしまった白菊の花を。
解 説:白菊を手折り(採り)たいのだが初霜の降りた真っ白な地面と白菊の花が全く同じ色をしていて区別が付かない、それほどまでに冷たい晩秋の早朝の風景は白く美しいという風情を詠んだ歌。ちなみにこの歌は後に正岡子規によって「秋の白菊がそんなに見えないわけがない」的な酷評を受けたという。
出 典:古今集
口語訳:夜明けに残る月がそっけなく見えるようなそんな冷たく思えるあなたとの別れ以来、夜明けほどつらく感じるものは無い。
解 説:平安時代の男性貴族には夜に愛する女性の元に通い、一夜を過ごして朝方に帰るという風習があった。一見女性側の目線の歌であるが実は男性側目線の歌である。、夜が明ければ自分は帰らねばならないのに有明の月は残り続けるから月も女性もつれなく見えると言った半ば逆恨みにも近い、女々しくて女々しくてつらいやーな歌である。作者の壬生忠岑は紀従兄弟(参拾参、参拾伍)と共に『古今集』の撰者。壬生忠見(四拾壱)は息子。
参拾壱 | 参拾弐 | 参拾参 | 参拾四 | 参拾五 | 参拾六 | 参拾七 | 参拾八 | 参拾九 | 四拾 |
壱~ | 拾壱~ | 弐拾壱~ | 参拾壱~ | 四拾壱~ | 五拾壱~ | 六拾壱~ | 七拾壱~ | 八拾壱~ | 九拾壱~ |
出 典:古今集
口語訳:夜がほのぼのと明けていく頃、夜明けに残る月かと思うばかりに吉野の里には白雪が降り積もっているではないか。
解 説:夜明けか?有明の月の光か?いや違う!白雪だ!と見間違うほどに春は桜、冬は雪の名所である吉野の里(現在の奈良県)の冬の朝方の景色の美しさ、自然への驚きを詠んだとされる歌。参拾の「有明」と「有明の月」は同じ意味である。「降れる白雪」のように最後を名詞で〆る書き方を「体言止め」という。
出 典:古今集
口語訳:山中の川に風が掛けたしがらみ(柵)は、流れようとしても流れることのできない紅葉の集まりであった。
解 説:しがらみとは川の水をせきとめる為の竹や木で作られた柵。そんな柵が深い山中の川にあるはずもないのに紅葉が川をせき止める様に集う姿を見て「これは秋の風がいたずらでしがらみを掛けたのだ」と見立てている。日本伝統の擬人化である。
出 典:古今集
口語訳:日の光がさすのどかで穏やかな春の日に、どうして桜の花は落ち着き無く散っていくのだろうか。
解 説:穏やかな春の日に咲く桜を視覚的で華やかにイメージさせながら、風で慌しく散っていく桜の哀愁を感じさせる歌。作者の紀友則は『土佐日記』で有名な紀貫之(参拾伍)の従兄である。紀貫之や壬生忠岑(参拾)と共に『古今集』の撰者となるが、完成を見る前に亡くなっている。
出 典:古今集
口語訳:(多くの友人が先立ってしまった今となっては、)誰を私の友人にしたらよいのだろうか。長寿の高砂の松はあったとしても、昔からの友達とは言えないのだし…。
解 説:長生きしてしまった作者の悲哀を詠んだ歌。自分の旧友がいなくなってしまい「誰を友人にしようか(困ったものだ)」と嘆く。とはいえ、鬱々と落ち込んでいるのではなく、次の友人を探そうとしているところがポジティブだったりもする。老人パネェ。高砂の松は兵庫県高砂市にある松。高砂は松を導く枕詞となることもある。「長寿の松は生きていたとしても、昔話はできないから結局さびしいんだよね。」と諦観して歌を締めくくっている。「誰をかも知る人にせむ」は「誰をかも→せむ」の係り結び。2句切れ。
出 典:古今集
口語訳:人の心というものは移り変わってしまうものなのであなたの心はわかりません。でも懐かしいこの里は昔のままの梅の香りが薫っています。
解 説:前半2句までが移り変わってしまう人の心の不安定さを表しており、3句以降は故郷の自然に目を転じ、鮮やかな花と梅花の香り匂う美しさの不変性を(人の心と)対照させている。作者は『土佐日記』の作者であり、従兄の紀友則(参拾参)らと共に『古今集』の選者の一人でもある紀貫之。昔馴染みの里をしばらくぶりに訪れた時、余りに間が空いていた為にすっかりヘソを曲げてしまった旧知の友の為に詠んだ歌で、「きっとあなたの心もこの梅と同じく変わっていませんよね?(だからどうか家に泊めておながいします(^・ω・^))」と取り成している。奈良時代~平安時代初期までの「花」は「梅の花」を指す。係り結び「花ぞ→にほひける」。2句切れ。
出 典:古今集
口語訳:夏の夜は短く、まだ宵の時間なのに明けてしまった。で、月は雲のどこかに隠れているんでしょうかねぇ(棒)。
解 説:夏になれば日は長く、夜は短くなるという自然を詠んだ比較的シンプルな歌。満月は当然沈んでいるわけで、雲のどこかに隠れているわけではないが、「隠れているんじゃないですかね?」とおちゃめに詠んでいる。作者は勅撰歌人の清原の深養父。清少納言の曽祖父だったりする。3句切れ。
出 典:後撰集
口語訳:白露の下りた秋の野に風が吹き続けています。その風によって首飾りのような一筋の玉がぱっと解けて散っていきました。
解 説:秋の野原の露と吹き続ける野の風を静かに、かつ、動的に詠んだ歌。「秋の野は」主格の格助詞「は」が使われているものの、それに対応する述語が存在しない。「秋の野では」と理解しておくと後半と対応しやすい。「つらぬきとめぬ」は貫いていた糸が解けて離れていく様を表す。貫いていたのは草なのか、クモの巣なのか。いずれにせよ情景美に満ちた歌である。係り結び「玉ぞ→散りける」。3句切れ。
忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな
右近
出 典:拾遺集
口語訳:あなたに忘れられてしまうなど思いも及ばず、二人とも神様に(永遠の愛を)誓ってしまいましたね。(でもあっさり忘れてしまうなんて…。)誓いを破ったあなたの命が(天罰で失われてしまうなんて)惜しいものです。
解 説:失恋の歌である。「誓いを破って天罰が当たるのだから仕方ないけど、死んじゃうなんてかわいそうだわー(棒読み)」「それにしてもこんな結末も予想できなかった過去の自分爆発しろ!」なんていう雰囲気が漂っている。裏切られた女性は失恋の悔しさでいっぱいなのであるが、あたかも「私はどうってことないけどあなたの命が心配ね。」とカッコウつけているかのようである。ツンというかやせ我慢というか…。3句切れ。
出 典:後撰集
口語訳:茅(かや)がまばらに生えつつある原っぱにある篠原(小笹の原っぱ:しのはら)ではないけど恋心を人忍んで隠してきました。しかし、思い余ってしまう・・・。ああなぜこんなに人が恋しいのだろうか。
解 説:枕詞「浅茅生の→小野」、縁語「篠原~シノブ(シダの一種)」、掛詞「シノブ=忍ぶ」の技巧で始まる歌。古今集の「浅茅生の 小野の篠原 しのぶとも 人知るらめや 言ふ人なしに」(詠み人知らず:原っぱの篠原ではないが人忍んでいた私の恋が世間に知られてしまったのはなぜだろう。誰にも言っていないのに)の本歌取りでもある。係り結び「などか→人の恋しき」も存在する。以上のように非常に技巧に凝った歌であるが、要は「誰も言っていなかったら余計に人恋しくなったなう」である。3句切れ。
忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は 物や思ふと 人の問ふまで
平兼盛
出 典:拾遺集
口語訳:恋していることを隠していたのだが顔に出てしまったらしい。それも「恋でもしてるんですか?」と聞かれてしまうほどに。
解 説:960年の村上天皇の『天徳四年内裏歌合』で詠まれた歌。お題は「忍ぶる恋」。歌合せはある種の競技会のようなもので、お題に沿って歌を詠み優劣を競うというものである。この歌の対抗歌が四拾壱番の「恋すてふ~」(壬生忠見)であり、優劣つけがたかったのだが、村上天皇が「忍ぶれど」をより多く口ずさんだということでこちらが勝者となったという。係り結び「物や→思ふ」。二句切れ倒置。
四拾壱 | 四拾弐 | 四拾参 | 四拾四 | 四拾五 | 四拾六 | 四拾七 | 四拾八 | 四拾九 | 五拾 |
壱~ | 拾壱~ | 弐拾壱~ | 参拾壱~ | 四拾壱~ | 五拾壱~ | 六拾壱~ | 七拾壱~ | 八拾壱~ | 九拾壱~ |
出 典:拾遺集
口語訳:ヒソヒソ( ゚д゚)アノ人恋シテルンデスッテ (゚д゚ )ネェ …などと、もう既に私の恋の噂が立ってしまったらしい。人に知られないように想い始めたばかりだというのに。
解 説:作者の壬生忠見は壬生忠岑(参拾)の息子。この歌は上述平兼盛(四拾)の歌と歌合せの場で競われたもの。この試合に敗れた忠見はショックのあまり食べ物がのどを通らなくなり亡くなった、という大げさな伝説が残っているが史実としては確認されていない。技巧としては係り結び「人知れずこそ→思いそめしか」の使用であるが、已然形で終わることで逆接のニュアンスも出している(しか「れども」が隠れている印象を与える)。三句切れ。
出 典:後拾遺集
口語訳:約束しましたよね。(絶対にないといわれている)末の松山を波が越えてしまうような事態にでもない限り(浮気などあり得ない)と。互いに涙で濡らした袖を絞りながら。でも、今や早くもその「波」が末の松山を越えてあなたは去ってしまいました・・・。
解 説:作者は清少納言(六拾弐)の父。末の松山とは宮城県にある歌枕(多賀城市末の松山浄水場)。当時の中心地だった多賀城と海岸線の間にある砂丘で、貞観地震など災害の相次いだ平安時代には津波や高波がここを越えることはないといわれていたらしい(東日本大震災でも直下の国道まで津波が来たがこの丘を越えることはなかった)。これをテーマにした古今集の「君をおきてあだし心をわが持たば末の松山浪も越えなむ」(詠み人知らず|歌意:あなたを置いて浮気心を持つなんて末の松山の波も越えるくらいありえないことです)があり、本歌はその歌を基にした歌である(本説取り)。「契りきな(約束しましたよね)」と「かたみに袖をしぼりつつ(互いに涙で袖をしぼりつつ)」がしっくりしないのは多くの部分が省略されているからである。本説取りの元歌が末の松山→浮気をしないということを詠んでいるので、涙にくれているのはもう少し修羅場があった後のことである。初句切れ。
出 典:拾遺集
口語訳:あなたに実際に逢ってやっちゃった後、さらに恋しくなりました。今考えてみると、昔は恋心など抱いていなかったかのように思えてきてしまいます。
解 説:いわゆる後朝(きぬぎぬ)の歌。当時の文脈では「逢う」は肉体関係を持つの意。「大事にしてね♥」「うぉぉぉぉ、すきだぁぁぁ」的なシチュエーションをストレートに表現したものといえる。技巧も係り結び「昔は→けり」のシンプルな形。3句切れ。
出 典:拾遺集
口語訳:(恋に破れてしまった私ですがこうしてお目にかかってしまいました。なんというつらいことでしょう。)もし絶対に私があなたにお目にかからないのであれば、かえってあなたや私自身を恨めしく思うことはありませんのに。
解 説:失恋した相手に時折偶然出くわしてしまい微妙な空気と悲しさにさいなまれる作者の心情を詠んだもの。未練たらたらである。「絶えて」は「逢ふことの→絶ゆ」(逢わなくなる)と同時に「絶えてし→なくば」(絶対にない)を並置させる掛詞。この歌も村上帝の天徳四年内裏歌合での一首(四拾&四拾壱参照)。2句切れ。
哀れとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな
出 典:拾遺集
口語訳:私が死んでも私のことを「かわいそう…」などと思ってくれそうな人は今思いつきません。そんな孤独なまま私は死んでしまうのでしょうか。
解 説:兼徳公こと藤原伊尹が「俺死んでも誰も悲しんでくれないし」と嘆いている歌。「身のいたづらになる」とは死ぬということ。ポイントはこの歌がただ自身を悲観したものではないということ。きちんと贈った相手がいる。「今俺死んじゃっても誰もかわいそうなんて言ってくれないしー。かわいそうじゃね?(モテないまま人生が終わりそうだお・・・。)かわいそうと思うなら付き合ってよ。」という恋の歌なのである(必死にもほどがある)。3句切れ。
出 典:新古今
口語訳:(流れの激しい)由良川の河口を渡る船の船頭が舵を失ってしまったらどうなるでしょう。それと同じように私の恋の道も行き先が定まらず放浪してしまうのですよ。
解 説:「由良の門」は紀淡海峡を指すこともあるが、ここでは兵庫県北部の由良川の河口を指す。川幅が狭く流れが急である。そこの渡し守が舵を失ってしまう情景を詠み手自身の恋になぞられている。「かぢを絶え」は舵を失う、コントロールを失うという意味と同時に「梶緒(ひも)→絶え」ひもが切れるという意味をにおわせる縁語となっている。主題そのものは自分の恋が目的を失ってさまよう様子を述べたものであるので最初の1~3句は序詞である。3句切れ。
出 典:拾遺集
口語訳:(かつて源融が幽雅に暮らしたというこの河原院にも)幾重にも雑草が茂り、さびしい。そんなさびしい廃墟には人が訪れることはないのだが、この場所にも秋が来たのだなぁ。
解 説:ぜいたくな暮らしをしたという源融の曾孫安法法師が客を呼んで歌詠みの会を開いた際に恵慶法師が詠んだとされている。栄華も今は昔となりただ廃墟が広がる。そんな情景を詠んだ無常を感じさせる歌である。訪ふ人もなき宿なれど来る春は八重葎にも障らざりけり(紀貫之)の本説取りとなっている。
出 典:詩花集
口語訳:風が強いために岩にぶつかる波が砕けていく。そんな波と同じように私も心を乱して恋を患っているのです…
解 説:非常にダイナミックで情景描写的な歌。他方景色の描写が多くて「物を思ふ」がどんなことを表しているのか不明確である。「くだけて」にウェイトを置けば挫折、すなわち失恋を表すのだろうが、全体的な情景とミスマッチの感もある。この歌は「山がつの畑に刈り干す麦の穂の砕けて物を思ふ頃かな(曾禰好忠)」の本歌取りになっている。「風をいたみ」は「を→み」の原因を表す構文。
出 典:詩花集
口語訳:宮中を護衛するみかきもり(御垣守)の衛兵が焚いているかがり火のように、夜は燃え、昼は消えそうなくらい消沈してしまいます。そんな私のあなたへの恋心です。
解 説:自分の恋心を宮中の近衛兵のかがり火に例えて詠んだ歌。昼夜燃え続けるのではなく、夜は燃えあがるが昼は逢えなくて鬱々悶々とする起伏の激しい揺れる恋心を詠っている。技巧はこの例え言葉(序詞)、および係り結び「物をこそ→思へ」。2句切れ。作者大中臣は中臣鎌足から続く家柄の子孫。大中臣能宣は伊勢大輔の祖父にあたる。
君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな
出 典:後拾遺集
口語訳:「あなたのためなら私の命など惜しくはないっ!」・・・と思っていた時期もありましたが、(こうして一緒に暮らしていると)長く生きたいと思ってしまうものなのですよ。
解 説:作者の藤原義孝は当時流行していた天然痘に罹ってわずか21歳で他界している。そんな作者が、独り身であった時の命の軽さ、恋に燃えた時の命がけの想い、などと二人が結ばれた時の急に命を惜しむ気持ちが生じる不思議を対比して詠んでいる。「もがな」は「~であってほしい」(願望)を表す。「思ひけるかな」は過去の助動詞けりを「詠嘆」として解釈。
五拾壱 | 五拾弐 | 五拾参 | 五拾四 | 五拾五 | 五拾六 | 五拾七 | 五拾八 | 五拾九 | 六拾 |
壱~ | 拾壱~ | 弐拾壱~ | 参拾壱~ | 四拾壱~ | 五拾壱~ | 六拾壱~ | 七拾壱~ | 八拾壱~ | 九拾壱~ |
出 典:後拾遺集
口語訳:「伊吹山(言ふべき山)で採れる藻草(然しも草)」になぞらえてみますと、私は自分の気持ちをはっきりと言えないのですが、燃える思いをあなたは知らないのでしょうね。
解 説:非常に技巧的な歌。「斯くとだに」(この様にとさえ)「えやは言ふべき」(どうして言えようか)という自分の気持ちを言えない状況を冒頭で提示すると同時に「いふべき=伊吹(山)」の掛詞を導いている。係り結び「えやは→いふべき」を含んでやや複雑な技巧。さらに、伊吹山で採れる「指焼草(御灸に使うもぐさ)」を序詞として「然しも知らじな」(そんなことは知らないでしょうね)を引き出す。ここでも係り結び「さしも→知らじ」を含む。第5句「燃ゆる思ひを」にも「思ひ」と「(おも)火」を掛けた掛詞が含まれている。意訳してしまえば、「口に出せませんがこの燃える私の気持ちなど知らないのでしょうね」ということになる。
出 典:後拾遺集
口語訳:夜が明けてしまっても、いずれ日が暮れ、あなたに逢えるということは知っています。知っていますが、それでも恨めしく思えてしまう後朝の朝なのです…。
解 説:「明けぬれば」は<完了助動ぬ已然形+ば>で「明けてしまったので」の意味になるのだが、夜が明ける→日が暮れるにも対応することを考えると、うまく合わない。「明ければ」の意味を持つ「明けなば」(ぬ未然形+ば)が文法的には正しいのだが、あえて「明けぬれば」としているのは、明けてしまった今宵を名残惜しむ感情を表している。一夜を共にした後の朝、相手へのフォローとして贈った後朝の歌である。
出 典:拾遺集
口語訳:(あなたが来ないので)嘆きながら一人孤独に寝る夜が明けて扉を開けるまでの時間はどんなに長く感じるものか、あなたは知っているのでしょうか?
解 説:夫が別の女性のもとに行ってなかなか来てくれないので恨み言を言ったらある日久しぶりにやってきた。そんな時にすぐに門を開けてしまったら癪なので扉を開けずにいたらどっかに行ってしまった。orz。 という風情を詠ったもの。あくるまが「開くる(扉を開ける)」「明くる(夜が明ける)」の掛詞になっている。「ものとかは→しる」の係り結び。作者藤原道綱の母は『蜻蛉日記』の作者として知られているが、本歌の部分も蜻蛉日記に登場している(→こちら)。
出 典:新古今
口語訳:「いつまでもあなたを忘れない」などという約束も、未来永劫守り続けることは難しいので、(こんな幸せな)今日を最後に死んでしまう命であってほしいくらいです。
解 説:「忘れじ」は忘れないという誓いの言葉。何を忘れないかは文脈で判断するのだが、「行く末(ずっとさき)までは難い(忘れないことは難しい)」が続くので、相手(ここでは私)への愛のことと思われる。忘れずに愛を持ち続けていくことがむずかしい事実を嘆いている。だが、ただ単に悲嘆にくれているのではない。「難ければ(已然形+ば)」(難しいので) 「今日を限りの命ともがな」(今日で死んでしまってもいい)と続く。つまり、これから先のことはよくわからないが、今は幸せなのである。
出 典:拾遺集
口語訳:この滝は枯れてしまって音も絶えすでに長い時間が経ってしまっているのですが、その名はますます広まり、有名になっているのです。
解 説:「音」=音、名声、「なり」=成り、鳴り、「ぬれ」=ぬれ、濡れ、「流れ」=(水の流れ、噂の流れ)、「聞こえ」=(有名になる、聞こえる)、といったかけ言葉が用いられている、技巧的な歌。係り結び「名こそ→聞こえけれ」も含む。音読すると「な」の音が繰り返されており、リズム感あふれる歌でもある。歌中の「滝」は大覚寺の滝を指す。昔は有名な滝であったが、公任が大覚寺を訪れたときにはこの滝は枯れていた。
出 典:後拾遺集
口語訳:もうすぐ私はこの世からいなくなってしまうでしょう。あの世での思い出として、今一度あの人に会いたいものです。
解 説:表面上を読むと、死を前にして来世への思い出としていとしいあの人に会いたいという切実な感情を歌ったもののように見える。しかし、「世」には恋の意味もあるので、死ではなく失恋を詠んだものだという説もある。いずれにせよ文法・構文上はシンプルである。「もがな」は願望を表す。作者の和泉式部は小式部内侍(六拾)の母で、母娘ともども恋多き名歌人として有名。
出 典:新古今集
口語訳:偶然出くわして、「あれ?あなた?」と思っている間にいなくなってしまったあなた。雲隠れしてしまった夜半のつきのようですね。
解 説:『源氏物語』の作者として有名な紫式部の歌。歌中の逢った人は恋人ではなく友人のようである。「めぐりあひて」が「めぐり合い」と「(月が)巡る」の縁語となっている。技巧としてはシンプルな歌。百人一首かるたでは一字決まりの札の一つでもある。「め」と聞いたらすぐに「雲がくれにし」を取ろう。
出 典:後拾遺集
口語訳:「有馬山の猪名(否)の笹原に(そよ)風が吹く」ではありませんが、そうそうその人(あなたです!)を忘れたりするもんですかっ。
解 説:後拾遺集の歌の冒頭には「かれがれになるをとこのおぼつかなくなどいひたりけるによめる」(別々になった男が「私のことを忘れてしまいましたか?」などと言ってきたので詠んだ歌)とある。返事としては「忘れていません」になる・・・のだが、いろいろと技巧に凝っていて解読が難しい。「有馬山 猪名の笹原 風吹けば」は「そよ(風)」を導く序詞。「猪名」は地名であると同時に「否(いいえ)」と否定の意味をにおわせる。「風吹けば」は已然形+ばで「風が吹くので」という帰結を示すが、ここでは強い因果関係を示すのではなく、序詞の橋渡しとなっている。「いでそよ(そういえばその・・・)」という躊躇した間投詞を導いているところに作者の感情が現れている。「忘れやはする」は係り結び「やは→する」で反語となっている(忘れるだろうか、いや、忘れない)。言いたいことは単純だが、歌枕の有馬山の情景を美しく取り込んで技巧に凝った歌となっている。作者の大弐三位(だいにの・さんみ)は紫式部の娘で、『源氏物語』の「宇治十帖」の作者という説があるが定かではない。3句切れ。
出 典:後拾遺集
口語訳:(普通だったら)ためらわずに寝ようと思っていたのに、あなたがいらっしゃるというので待っていたら夜が更けてしまい、傾いた月を眺めていたのですよ。
解 説:「やすらふ」は「ためらう」の意味であり、動詞+「なまし」で「○○したいのに」(反実仮想)の意味である。歌の前半は「ためらわずに寝ていたかった」というもの。実際は夜更かしをして起きていたということになるのだが、これは百人一首弐拾壱番の「いま来むといひしばかりに長月の有り明けの月を待ちいでつるかな」を意識した本説取り。月が傾く(南中が過ぎて西に沈みつつある)のは夜半過ぎということ。
@Akazome: こっちは月が傾いてます…ああもういっそ寝れば良かったorz (赤染衛門:59番) RT @Sujou:すぐに来てくれるって言ったから待ってたのに既にお月様が出てる件 (素性法師:21番) (出典はこちら)
出 典:金葉集
口語訳:私の祖父の大江ではないのですが、大江山から生野を経て行く旅は遥か遠いので、まだ足も踏み入れてもおらず、また手紙すら見てもいないのです。
解 説:小式部内侍の母は和泉式部(五拾六)。和泉式部の実家は大江家で、結婚離婚を繰り返して丹後の国へ居を移していた。小式部内侍は歌合せに呼ばれたのだが、和歌の天才として名高い母に詠ませるのではないかとうわさになっており、藤原定頼(六拾四)に「お母さんからの返事は戻ってきましたか?」とからかわれたという。これに対して小式部は「大江山(どこをさすのか不明)から生野を通って天橋立のある丹後まで行くのは遠すぎて使いの者も行けないし、文も見ていないのです。」とこの即興の歌で切り返し、定頼はギャフン(死語)と言うどころか返歌すらできずにそそくさと退散したという。とはいえ小式部は母と同様恋多き女性として知られ、一応プレイボーイの定頼とも付き合っていたらしい。男女の道は奇なるものかな。さて、「道~踏み~橋」という縁語の他、「大江山=大江氏」「生野=行く野」「踏みもみず=文も見ず」とふんだんに掛詞が用いられている。4句切れ。
六拾壱 | 六拾弐 | 六拾参 | 六拾四 | 六拾五 | 六拾六 | 六拾七 | 六拾八 | 六拾九 | 七拾 |
壱~ | 拾壱~ | 弐拾壱~ | 参拾壱~ | 四拾壱~ | 五拾壱~ | 六拾壱~ | 七拾壱~ | 八拾壱~ | 九拾壱~ |
出 典:詞花集
口語訳:旧都奈良で咲いていたという八重桜は、今日九重(の門に囲まれた京都)で鮮やかに咲き誇っていることですね。
解 説:奈良時代の「花」は梅であったものの、桜がなかったわけではない。時代を経て京都で咲き誇る桜も種類こそ違えど奈良にも咲いていたのである。八重桜は京の桜と比べてより鮮やかな色をしていたという。「にほひぬる」の語幹の「におひ」には鮮やかな色をするという意味もある。即興的に作られた歌と言われているが、「今日=京」「九重=ここの辺」の掛詞や「八重→九重」「奈良→京」の対置など様々な技法が用いられている。3句切れ。
出 典:後拾遺集
口語訳:まだ夜が明けないのに鶏の鳴きまねをして「朝ですよ~」と言ってだまそうとしても、逢坂の関が開いて私と逢うことができるなんてことは決してないのですよ。
解 説:枕草子の作者として有名な清少納言作の歌。中国の『史記』の中で語られる孟嘗君の伝説を基にした本説取りの歌。中国の戦国時代の宰相孟嘗君は若かりし頃他国に仕えていたが王に嫌疑をかけられ逃亡中だった。関所で早朝に足止めを食った際には家来が雄鶏のまねをして関を開門してもらい事なきを得たという(「鶏鳴狗盗」の故事)。平安時代の書の名手三蹟の一人である藤原行成が清少納言を早朝に訪ね、鶏のまねをして会おうとしたという。これに対して「今どき孟嘗君の話ですか?ププッ。わろすわろすw」といって断ったというお話。「よに」は「夜に」「世に(決して)」を、「逢坂」は「大坂」「逢う」を、かけている。シンプルだがネタがわかると結構深い歌。3句切れ。
出 典:後拾遺集
口語訳:今となっては「あなたへの想いはもうすっぱり忘れてしまいました」ということを他人任せではなく、(直接あなたに、面と向かって)言いたいものです。
解 説:突然の別れを経験してしまった作者。サヨナラの言葉も言えずに悶々としている気持を歌にしている(どうやら実話のようである)。今となっては逢うことも難しい、そんなあなたに「思いは断ち切りました」と一言面と向かって言いたいと恨み節を述べている。「ならで」は「●●ではなく」の否定の意味、「もがな」は「○○したいものだ」の願望の意味。技巧は凝っておらず比較的ストレートな歌であるが、省略が多いので補って考えなければならない。3句切れ。
出 典:千載集
口語訳:口語訳:朝になって宇治川の川霧が少しずつ晴れていき、川辺の漁師の仕掛け網の木々がところどころに現れてきます。
解 説:「あさぼらけ」は早朝闇が明けて明るくなっていく時間帯を表す(「あさぼらけ」で始まる句は小倉百人一首にもう一つあるためここで取ってはいけない)。「たえだえに」はところどころ切れていく(絶え絶え)さまを表し、それによってあらわれてくるのが瀬々の網代木(川辺の漁師網の木)である。技巧としてはシンプルであるが、色鮮やかな絵をイメージさせる写実的な美しさを持つ。作者の藤原定頼は名歌人・藤原公任の息子(五拾五)。プレイボーイとして有名で、大弐参位(五拾八)、小式部内侍(六拾)、相模(六拾五)らとも浮名を流したが、知的な女性に人気があったのは、このような爽やかな情景歌が詠めたのと決して無縁ではないだろう。まあそうでなくとも音楽・書・読経も得意なイケメンだったらしいが。もげろ。4句切れ体言止め。
出 典:後拾遺集
口語訳:(失恋してあなたを)恨みながら(涙を流し続け)乾くことのない着物の袖なのに、根拠のない恋の噂ばかり立ってしまい、名が朽ちてしまって評判を落とすのが本当に悔しいものです。
解 説:「恨みわび干さぬ袖」とは、恨みつつ涙を流して袖が乾かない状態を表す。袖が乾かないほど涙を流すのは和歌に頻繁に見られる誇張表現。「あるものを」の「を」は逆接を表し、「あるのに」という意味になる。上の句全体では「実際の世界では恨みながら涙を流している状態だが・・・」という意味になる。下の句はこれに対するものなのでここでは「人が口にしている噂」での私の虚像ということになる。うわさレベルではこの人は相当な浮名を流しているようである。そんな噂に対して余計の恨みを募らせてしまう作者なのである。係り結び「名こそ→をしけれ」が入っているもののシンプルな歌。3句切れ。
出 典:金葉集
口語訳:共にしみじみと慰めあおうか、山桜よ。もはや私は花以外には知っている人はいないのだから。
解 説:一言でいえば「ぼっちなう」の歌である。作者は偉いお坊さんである。修行中に山にこもって孤独を味わった時に作った歌という(案外俗っぽいっすね)。「もろともにあはれと思へ」と命令形になっているが、「いっしょにしみじみと物思いにふけりましょう」と慰めあっている様子である。花よりほかに「誰が」「何を」知る人がないのかは解釈が必要である。「私が」花以外に「知っている人が」いないと解釈するか、「花以外が」「私の孤独を」知ることはないと解釈するかであるが、基本的にストレートに解釈して花以外に私は知る人もいないと孤独感を強調していると解釈した。3句切れ。
出 典:千載集
口語訳:春の夜の夢のようにはかない二人の愛なら、あなたに「腕枕してさしあげましょうか?」と言われても浮名ばかり立つのが残念なので(ご遠慮申し上げます)。
解 説:「春の夜の夢ばかりなる」は「春の夜の夢only」とか「あたり一面春の夜の夢」という意味ではなく、「春の夜の夢のような状態になる」という意味。儚い様子。何が儚いかといえば「作者とお相手の仲」であるがどうも二人は恋仲というわけではないらしい。実はこの歌にはエピソードが残っている。周防内侍らが夜みんなで語り合っていて(言ってみれば合コンのようなものか)夜も更けて寝ようとしたところ、御簾の下から腕が伸びてきて「この腕にどうぞ(というかあちらに行って二人でもう少しイイコトしませんか?)」と言われたという。ナンパなのか、ただからかったのかわからないが、周防内侍は「そんなこと、噂が立ってしまっていやですわ、実体もないのに」とこの歌を詠んで切り返したという。「かひなく」は「甲斐なく」と「腕(かいな)」の掛詞になっている。係り結び「名こそ→をしけれ」を含む3句切れ。
出 典:後拾遺集
口語訳:思ってもいないことなのだが、もしこの浮世に生きながらえて長生きしてしまったとしたら、この夜半の月を懐かしく思うのだろうなぁ。
解 説:三条院(三条天皇)は、全盛期の藤原道長に退位を迫られた悲劇の天皇である(当時の天皇家は多かれ少なかれ摂関家の政治に巻き込まれて大変な目に遭っているのだが・・・)。即位時にすでに立場が弱いことを承知しており、体も弱かった三条天皇は、ある夜、月を見て「もし私が長生きしたらこの月を懐かしむだろうなぁ」と嘆息する。あいにく三条天皇は即位6年にして退位後、1年ほどで亡くなってしまったという。「心にもあらで」(思ってもいないことだが)が一連の言葉になっており、句切れはよくない(意図的であるが)。「ながらへば」はハ行下二段動詞「ながらふ」(生きながらえる、長生きする)の未然形+ばで仮定を表す。恋しかるべきの「べき」は推量を表す。3句切れ。
出 典:後拾遺集
口語訳:あらしが吹く三室の山の紅葉の葉っぱたちは、風で川に落ちて竜田川の錦になることだなぁ。
解 説:「竜田川もみぢ葉流る神奈備の三室の山に時雨ふるらし(古今集・詠み人知らず・竜田川に紅葉の葉が流れている。きっと神が宿るという三室の山にしぐれ雨が降ったのだろうな)」という歌を踏まえた本説取り。元の歌が竜田川の視点であるのに対し、本歌は三室山視点である。ただ、この視点の切り替えだけで、完全にべたな歌になっているので、情景描写は美しいものの、発想はそれほど斬新ではない。「錦なりけり」は断定なり+詠嘆けり。3句切れ。
さびしさに 宿を立ち出でて ながむれば いづこもおなじ 秋の夕ぐれ
良選法師
出 典:後拾遺集
口語訳:さびしいので家を出てみて眺めると、どこもかしこも同じような(寂しい)秋の夕暮れである。
解 説:「秋」「冬」の季節は寂しさの象徴である。木枯らしが吹き、木は枯れ始め、寒いところであれば雪も降る。良暹法師は歌人として活躍したが、詳しい素性はよくわかっていない。多くの僧侶がいる比叡山から洛北の大原に移ってきた頃詠んだ歌とされる。人がたくさんの賑やかな比叡山からひなびた大原の里へとやってきた良暹。そんな良暹の胸中には一層山里のさびしさが染みこんできたことだろう。
七拾壱 | 七拾弐 | 七拾参 | 七拾四 | 七拾五 | 七拾六 | 七拾七 | 七拾八 | 七拾九 | 八拾 |
壱~ | 拾壱~ | 弐拾壱~ | 参拾壱~ | 四拾壱~ | 五拾壱~ | 六拾壱~ | 七拾壱~ | 八拾壱~ | 九拾壱~ |
出 典:金葉集
口語訳:夕方になれば、家の門前にある田圃の稲の葉が風に揺れて音を立てて、芦葺の小屋に秋風が吹く。
解 説:「おとづれて」は「訪れる」の意味もあるが、ここでは「音を立てる」の意味で用いられている。音ズレの訪れ。大納言経信は源経信。源師賢の梅津(現京都市右京区梅津)の別荘の歌会で、秋の農村を題材にして読まれた歌という。前句(七拾)の歌は秋の寂しさを感じさせる歌だが、この歌は秋のさわやかな風が稲の穂を揺らすような澄んだ風景を詠んだ歌で、田園への憧憬を感じる。気がする。実際、この頃は農村に別荘を持つのが貴族の一種のステータスだったらしい。日本は長らくお米がお金の代わりを果たしていた国であり、田園は富の象徴でさえあった。みんなお米食べろ!
出 典:金葉集
口語訳:評判のいい高師浜にうちつける騒々しい波にはかからないようにしておきます。波で袖が濡れては大変ですから。
解 説:祐子内親王家紀伊は、祐子内親王に使えた侍女。平経方の娘とも藤原師実の娘ともいい、はっきりしない。夫の藤原重経(兄説もある)が紀伊守であったことから紀伊と呼ばれたという。さて、この口語訳を見ただけでは何のことを言っているのかはっきりしない。そこで大胆に補足してみると
評判のいい高師浜にうちつける(=プレイボーイで浮気性のあなたの)騒々しい波(=誘い言葉)にはかからないようにしておきます。波で袖が濡れて(=捨てられて涙で袖を濡らして)は大変ですから。
となる。この歌は歌会で29歳の藤原俊忠から贈られた恋歌の返歌である。高師の浜は和泉国の海岸。現在も大阪府高石市高師浜として地名が残っている。「高師浜」と「(浮気性の)評判高し」をかけている。あだ波は「虚しい波」「騒々しい波」の意。「あだ花」の言葉を聞いたことがあるだろうがそれと同じである。「袖が濡れる」の表現は今までにも何度が出ており、失恋して泣くことを意味する。「あなたの都合のいい誘い文句に乗ったが最後、ついには泣くだけでしょうに」この時、紀伊は70歳だったという。歌会の場で本気の求愛ではなかったとは言え、孫ほどの年齢である藤原俊忠にこんなウィットに飛んだ歌を返したのだ。
出 典:後拾遺集
口語訳:大きな山の頂上の桜が咲いた。里に近い山の霞が(桜に)立たないでいてほしい。
解 説:前権中納言匡房は大江匡房。大江氏は菅原氏と同じく土師氏を祖としており、菅原氏に並ぶ学者の家柄であった。匡房も学者として活躍しており、「江帥」と呼ばれていた。「高砂」は砂の積み重なった山を指し、「をのへ」は「尾上」で山頂。「外山」は「(少し外れた)里に近い山」を指す。「なむ」は願望の終助詞。ストレートに桜が見えるよ嬉しいなという喜びを表現した歌である。
「あっ。高い山に桜だ。綺麗だなあ。あの近い山の霞がかからないといいなあ(・ω・ )」
出 典:千載集
口語訳:つれない人(の心を和らげようと初瀬の観音に願をかけたのに)初瀬の山から吹く風は激しくなるばかりだ。激しくなれとは祈っていないのに。
解 説:「憂かりける」は「つれない」。初瀬は大和国の地名。現奈良県桜井市初瀬である。当地には古刹長谷寺があり、観音菩薩が安置されている。「山おろし」は「山颪」つまり山から吹きあらす強い風で、「憂かりける人」に更につれない態度をとられたと解釈することが出来る。「つれない人を振り向かせようと観音菩薩に祈ったのに、風みたいに余計冷たくされた。そんなふうに祈ったんじゃないのに(´・ω・`)」、恋のイロハは今も昔も複雑である。
出 典:千載集
口語訳:お約束してあったよもぎについた露(のような言葉を)頼みにしていたのに、嗚呼今年の秋も過ぎていくのですね。
解 説:「契り」は「約束」、「おきし」の「おく」は「露」の縁語である。「させも」は「よもぎ」のこと。平安時代末期は万能薬として重宝されていた。そこについた「露」は「(よもぎのような)恵みの露」の意味。「いのち」は「頼み」という意味。「いぬ」は「往ぬ」で「過ぎる」のこと。さて、これだけではよくわからない。基俊の息子・光覚はすでに出家していた。親馬鹿基俊は維摩経というお経を教える講師にするよう藤原忠通と約束したが、その約束は果たされなかった。これは「秋になっても息子が講師にならなかったんですけどそのあたりどうなってんですかね(#^ω^)ピキピキ」という事を問いただすために忠通に送った歌とされている。
出 典:詞花集
口語訳:海原に船で漕ぎ出して見渡してみると、雲と混じり合って見間違えてしまうような沖の白波。
解 説:法性寺入道前関白太政大臣は藤原忠通のこと。若いうち、25歳の時に藤原氏の氏長者(氏族内の総帥、藤原氏の代表)となり太政大臣、関白、摂政を歴任し、強い権力を持っていた。書家、そして歌人としても才能があり崇徳天皇に「海を題材にした歌を詠め」と言われ詠んだ歌という。「わたの原」は「海原」、「久方の」は天体についての枕詞でここでは「雲い」にかかっている。「雲い」は「雲居」で空のことであるが、ここでは「雲」そのものを指す。「沖つ白波」で体言止め。雄大な紺碧の海にかかる、雲と間違えてしまうようなどこまでも真っ白な波。そこには島も他の船もなく、境目もわからない水平線がただただ広がっている。時の権力者らしいスケールの大きな歌である。
出 典:詞花集
口語訳:川瀬の流れが早く、岩にせき止められている急流が2つに分かれてもまた合流して流れ続けるように、私たちも(別れてしまったが)またきっとどこかで逢おうと思っています。
解 説:崇徳院は崇徳上皇。鳥羽上皇の第一皇子で、5歳の若さで即位。のち23歳の時、鳥羽上皇に強いられてわずか2歳の近衛天皇に譲位させられた。崇徳上皇は弟の後白河天皇とどちらの皇子を立てるかで対立し「保元の乱」が勃発してしまう。結果敗れた崇徳院は讃岐国に流され罪人として暮らした。「せかるる」は「せき止められる」、「滝川」が「滝のような川」で「急流」、割れてもは「川の流れが分かれる」と「男女が別れる」の意味がかかっており、「あはむ」(逢おう)に続く。「岩はどうしようもない障害だが、あの急流のように再会しよう」、「岩」「滝川」という言葉には何か強い意志を感じる。
出 典:金葉集
口語訳:淡路島を行き交う千鳥が鳴く声に幾晩目覚めさせられたのだろうか。須磨の関守は。
解 説:「淡路島」は言わずと知れた現在兵庫県の島である。「千鳥」は「チドリ」で水辺に住む鳥の一種で、冬の象徴とされていた。「須磨」は現兵庫県神戸市須磨区で、源兼昌の頃にはなくなっていたが関所があった。つまり「関守」は「須磨の関所の番人」である。須磨は源氏物語にも登場し、第十二帖「須磨」の舞台となっている。光源氏が須磨で、「友千鳥 もろ声に鳴く暁は ひとり寝覚の 床もたのもし」という歌を読んでおり、源兼昌はこれを踏まえてこの歌を詠んだのではとも言われている。冬の象徴とされる千鳥が眠りを覚ます。少し寂しい情緒が汲み取れる。
出 典:新古今集
口語訳:秋風によってたなびいている雲の切れ間からこぼれ出てくる月の光の澄んで明るいことといったら。
解 説:左京大夫顕輔は藤原顕輔。公家の藤原氏六条家(六条藤家)の祖であり、歌人として優れ「詞花集」の撰者として知られている。「月の影」が「月の光」、「さやけさ」が「澄み渡っている」を意味すると分かれば意味を理解するのは簡単であろう。見たままを表したシンプルな歌ではあるが、夜にぼんやり雲がかかっている月の光の風流さを感じ取るには充分である。
出 典:千載集
口語訳:(あなたの心が)末永く変わらない心か分からず、黒髪も(心も)乱れて、今朝は物思いにふけっています。
解 説:堀河は鳥羽天皇の皇后、待賢門院の女房。「長からむ心」は「末永く変わらない心」、「乱れて」は「黒髪」と「思へ」にかかっている。「こそ」で係り結びになっており「思へ」は已然形。「今朝」は、所謂「後朝の歌」であったことを示し言わせんなよ恥ずかしい。「契りを交わしたのはいいけれど、この心は末永い、変わらないものであるのですよね?それが気になって私の黒髪も心も乱れているのです」エロい。黒髪乱れるとかエロいなあ!エロいなあ!待賢門院堀河たんの乱れた綺麗な黒髪ペロペロしt(以下自重
八拾壱 | 八拾弐 | 八拾参 | 八拾四 | 八拾五 | 八拾六 | 八拾七 | 八拾八 | 八拾九 | 九拾 |
壱~ | 拾壱~ | 弐拾壱~ | 参拾壱~ | 四拾壱~ | 五拾壱~ | 六拾壱~ | 七拾壱~ | 八拾壱~ | 九拾壱~ |
出 典:千載集
口語訳:ホトトギスが鳴いた方を眺めてみれば、ただ明け方の月が残っているだけだった。
解 説:後徳大寺左大臣は藤原実定のこと。ホトトギスは初夏の象徴。初音(季節の初めの最初の鳴き声)を聞くためにわざわざ夜明けまで起きているのが当時の貴族の流行りだったという。ホトトギスが鳴いた方を眺めてみれば、ホトトギスはもういない。ホトトギスの鳴き声の余韻を有明の月に託した風情豊かな初夏を詠んだ歌である。なんだか文学的だなあ。うん。
出 典:千載集
口語訳:思い悩んでいても命だけはあるものなのに、憂鬱を耐え難く涙が零れ落ちるんだなあ。
解 説:憂鬱な歌である。「思ひわび」が一般に恋心について言われるため恋を詠んだ歌とも言われるが、「命があるってのは(こんなに長く続くのは)残酷だぜ、ボーイ……」のような気持ちを読んだ歌ではないかと解釈する人もある。道因法師は本名を藤原敦頼という。地位は高くないぱっとしない官人であったが、歌道に対する向上心・執着心はよく知られている。歌が好きで好きで仕方なく、80歳になっても住吉明神に毎月徒歩で通って「秀歌を詠ませ給え!」と祈っていた逸話がある。92歳まで生きて歌を詠み続けた道因法師は没後、千載集に歌を載せてもらったことに感謝して撰者藤原俊成の夢の中に現れて涙を流して礼を言ったという話もある。
出 典:千載集
口語訳:世の中に(どんなに辛いことがあっても避ける)道はないのだ。思いつめて山に入ったが、鹿も(辛いことがあるようで)鳴いている。
解 説:皇太后宮大夫俊成は藤原俊成。小倉百人一首の撰者・藤原定家の父親である。俊成も歌人として著名であり、千載和歌集(千載集)の撰者として知られる。この歌は俊成が27歳の頃に詠まれたものとされ、当時は貴族と武士の対立が激化しており、秩序が乱れ貴族が衰退し始めた時期であった。「山の奥」は出家の隠喩とされる。俊成の歌人仲間も西行法師をはじめ出家し、俗世間から逃れようとしていた。「いや、(出家したところで)私は逃げられない。現実と向き合わないと」のような気持ちでもあったのだろうか、俊成が出家したのは結局62歳の時であった。
出 典:新古今集
口語訳:この先も長く生きたのならば、今の時代が懐かしく思う時が来るのだろうか。辛く憂鬱であった昔も、今は恋しいのだから。
解 説:八拾弐から続く憂鬱な歌の一つ。藤原清輔は歌学者として有名であったが、父親の藤原顕輔とは仲が悪かった。「憂鬱だ。憂鬱だけど生きていればなんとかなる筈だ。昔だって辛かったじゃないか。でも今は懐かしい」前向きな感情で締めている。
夜もすがら 物思ふころは 明けやらで 閨のひまさへ つれなかりけり
俊恵法師
出 典:千載集
口語訳:(つれない人を思って)夜通し物思いにふけっている時は、なかなか夜も開けないで寝室の隙間でさえつれない。
解 説:この歌は俊恵法師が女性の立場で詠んだもの。おい、誰だネカマとか言ったやつ。「夜もすがら」は「夜通し」、「明けやらで」は「夜が明け切らないで」、「閨」は「寝室」、「ひま」は「隙」で「隙間」のこと。隙間からは夜明け、朝日が射すはずだがなかなか夜が開けない。物思いにふけっていると時間が長く感じられるものだ。そんな不眠症のような恋煩いを寝室の隙間に例えて詠んだ技巧豊かな歌である。
出 典:千載集
口語訳:嘆けと言って月が物思いをさせるのか。(いやそうではない、自分の恋の悩みだというのに)月のせいにする私の涙なのだなあ。
解 説:西行法師は俗名を佐藤義清。藤原北家秀郷流佐藤氏の嫡流でもとは北面の武士として活躍していた。のち23歳の時に出家。吟遊の旅に出た。「やは」は反語の係助詞。「する」が結びで連体形となっており、「月が物思いをさせるのか(いや、そうではない)」という意味になる。「かこち顔」は「かこつける」つまり、「~のせいにする」の意。北面の武士といえば上皇を守るエリート職であるが、西行はその職を捨て俗世の未練を絶ち切り僧侶となった。それでも恋愛(人々への愛と解釈することもある)という大きな未練、愛着を断ち切れないのだ。月は人を物思いに耽らせる。
出 典:新古今集
口語訳:にわか雨の露がまだ乾ききっていない槙の葉に、霧が立ちのぼっている秋の夕暮れである。
解 説:「村雨」は「にわか雨」、「ひぬ」は「干ぬ」で「乾かない」、「まき」は「槙(真木)」で「上等な木材になる杉や檜などの木」という意味がわかれば古語の知識がなくてもすんなり意味が分かりそうな句である。秋の夕暮れは憂鬱や寂しさの象徴でもあった。シンプルな歌ではあるが、五七五七七の中で憂鬱な秋の夕暮れを幻想的に詠んだ歌だ。
出 典:千載集
口語訳:難波の入江に生えている芦の刈り取った節のように短い、一夜のあなたとの旅の仮寝の出来事のために、澪標のように身を尽くして、一生あなたを恋しく思わなければならないのだろうか。
解 説:拾九、弐拾の歌と同じく、難波の地名が登場。拾九、弐拾の合わせ技のように「難波」と「芦」、「難波」と「澪標」が登場している。「かりね」は「刈根」と「仮寝」がかかっており、「仮寝」は旅先の宿のこと。旅先で一夜の契りを交わした男のことが忘れられないということを技巧豊かに詠んだ歌である。忘れられないものですよ、肌と肌が濃厚に触れ合えば、ね。
出 典:新古今集
口語訳:私の命よ、絶えるのならば絶えてしまえ。生き長らえば、耐え忍ぶ気持ちが弱まって耐えることができなくなってしまうと困るから。
解 説:「たえ」「ながらへ」「よわり」は「緒」の縁語。伝えられない、人目を忍ばなければならない恋。好きだと伝えたい、それでも隠さなければならない恋。その恋心を、「命よ、絶えるのならばいっそ絶えてしまえ」という、強い言葉で表現した歌である。
出 典:千載集
口語訳:(涙で濡れて色が変わってしまった袖を)見せたいものです。雄島の漁師の袖でさえ、濡れに濡れたって色は変わらないのに。
解 説:つれない男性に向けてのじれったさを詠んだ歌。雄島は日本三景として知られる松島の島の一つ。涙で袖が濡れて色が変わるというのは、涙が枯れ果てるほど嘆き、遂には血涙を流すという中国の故事からと言われる。この歌は源重之が詠んだ「松島や 雄島の磯にあさりせし あまの袖こそ かくはぬれしか」(後拾遺集)という歌を本歌取りして歌会の場で詠まれた。実際に殷富門院大輔がこんなつれない男と付き合っていたわけではない…はず。
九拾壱 | 九拾弐 | 九拾参 | 九拾四 | 九拾五 | 九拾六 | 九拾七 | 九拾八 | 九拾九 | 百 |
壱~ | 拾壱~ | 弐拾壱~ | 参拾壱~ | 四拾壱~ | 五拾壱~ | 六拾壱~ | 七拾壱~ | 八拾壱~ | 九拾壱~ |
出 典:新古今集
口語訳:こおろぎが鳴いて、霜が降りるほどこの寒い夜に、筵の上に服の片袖を敷いて一人で寝るのかなあ。
解 説:後京極摂政前左大臣とは藤原良経のこと。きりぎりすは現代で言うきりぎりすのことではなく、こおろぎのことである。「こんな寒い夜にひとり寂しくごろ寝するんだろうね。(´・ω・`)さびしいね」ということを詠んだ歌である。「さむしろ」は「寒し」と「筵」をかけている。これも歌会の場で作られた歌。本歌があるとされるが、どの歌が本歌となったかは諸説ある。
出 典:千載集
口語訳:私の袖は引き潮でも姿を現さない海の中の石のようです。誰も知らないけれども(涙で)乾く間もないのです。
解 説:「あの人は知らないけれども、私は袖が乾く間もなくあの人を想っているの」という片想いを石にたとえて詠んだ歌とされる。「人」は世間一般の人という意味だけでなく、「恋の相手」を指すと見ることも出来る。この歌がきっかけで二条院讃岐は「沖の石の讃岐」と呼ばれるようになったという。
出 典:新勅撰集
口語訳:世の中はいつまでも変わらないでいてほしい。波打ち際を行く漁師の船の綱を引く光景はなんとも趣深いものだ。
解 説:鎌倉右大臣は鎌倉幕府3代将軍、源実朝のこと。どちらかと言えば歌人として有名であり、作品集「金槐和歌集」が知られる。実朝は12歳で将軍の座につき、28歳で甥の公暁に暗殺された。父、頼朝の死去以降内情が不安定だった鎌倉幕府に翻弄された実朝がこの歌を詠んだと考えると…。
出 典:新古今集
口語訳:秋の山の風が夜更けに吹き降ろし、古い里である吉野は寒く、衣をうつ砧の音が寒々と聞こえてくる。
解 説:参議雅経とは飛鳥井雅経のこと。公家の飛鳥井家の祖で、歌人として有名。本歌取りで、坂上是則の「み吉野の 山の白雪 つもるらし ふるさと寒くなりまさるなり」(古今集)という歌が本歌である。吉野は現在の奈良県吉野地方のこと。吉野に離宮があり、多くの天皇が行幸した。しかし今は寂れて山里となっている。「衣うつ」は布生地を打ち付け光沢を出す作業。この道具を砧(きぬた)という。山村に砧が寂しく響く秋の夜を歌った寂しいながらも風流な歌である。
出 典:千載集
口語訳:身の程知らずではあるが、この世の人々を覆ってあげよう。杣(山林)に住み始めた私が、墨染の袖を使って。
解 説:慈円は天台宗の僧侶。日本初の歴史論集「愚管抄」を著したことで知られる。墨染の袖で覆うというのは世の人々の救済をするために祈ることを指し、杣は比叡山を指している。比叡山には天台宗の本山、延暦寺がある。この歌は慈円が若い頃に詠まれた歌とされ、延暦寺の僧侶となった慈円が世の人々の為に幸せを祈ろうとする決意を詠んだ歌と思われる。
出 典:新勅撰集
口語訳:嵐が庭の花を誘い、雪のように降りゆくのではなくて、古りゆくのは私自身なのだなあ。
解 説:入道前太政大臣は、西園寺公経のこと。花はだいたい桜を指し、これも桜と考えて間違いないだろう。「降る」と「古」が掛かっている。桜は美しく咲き誇るが、いざ花びらが舞い落ちると寂しく感じる。桜吹雪に老いてゆく自分を重ねて読まれた歌。
出 典:新勅撰集
口語訳:いつまで待っても来ない人を待っていると、松帆の浦の夕凪の頃に焼く藻塩のように私の身も(恋い)焦がれている。
解 説:権中納言定家は藤原定家のこと。この百人一首を撰んだお人である。「待つ」と「松帆」をかけている。松帆は淡路島の地名。藻塩は海藻から作られた塩のこと。「名寸隅の 舟瀬ゆ見ゆる 淡路島 松帆の浦に 朝なぎに 玉藻刈りつつ 夕なぎに 藻塩焼きつつ 海人娘子 ありとは聞けど 見に行かむ よしのなければ ますらをの 心はなしに たわや女の 思ひたわみて たもとほり 我れはぞ恋ふる 舟楫をなみ」(万葉集)という長歌を本歌とする。夕暮れ時、待ち人が来ず恋焦がれていることを、焼かれる藻塩と絡めて叙情豊かに詠んだ歌である。
出 典:新勅撰集
口訳訳:風がそよそよ吹いて楢の木の葉を揺らしているならの小川の夕暮れは、秋の気配となっているようだが、(川辺で行われている)禊祓いこそが、夏であることの証拠なのだなあ。
解 説:従二位家隆は藤原家隆。後鳥羽上皇の時代の代表的な歌人である。「ならの小川」は上賀茂神社の境内を流れる小川を指す。「みそぎ」は「六月祓(みなづきのはらえ)」のこと。旧暦の6月は現在の7月に当たり、蒸し暑くなり疫病が発生しやすい季節だったため、罪や穢れを祓い落とすため、6月30日、つまり晦日に六月祓が行われた。7月からは暦の上では秋となる。秋に変わりつつある、夏の終わりの神事の風景を詠んだ歌。ちなみにこの歌、藤原道家の娘の嫁入り道具となった屏風に書かれたとか。
出 典:続後撰集
口語訳:人のことをいとおしくも、恨めしくも感じる。世の中がつまらないと感じて、色々と悩んでしまうこの私には。
解 説:後鳥羽院は鎌倉時代初期の天皇。のち土御門天皇に譲位し、上皇となり院政を敷く。鎌倉幕府との勢力争いから北条氏を打倒するために挙兵するも、敗れて隠岐島へと流罪の憂き目に遭った。「をし」は「いとおしい」の意。「あぢきなく」は「つまらない」「おもしろくない」の意である。貴族から武士へと権勢が移るのを目の当たりにした後鳥羽院。その胸中には、この歌のように愛憎が巡っていたのだろうか。
出 典:続後撰集
口語訳:宮中の古くなった軒端の忍ぶ草を見ていても、昔のことがしのんでもしのびつくせないほど思い慕われてくるなあ。
解 説:順徳院は九拾九、後鳥羽院の第3皇子。のち天皇となり、父親と同じく上皇となった。後鳥羽院の挙兵に従うが、敗れ佐渡島に流されてしまう。「ももしき」は「百敷」で宮中、内裏のこと。「しのぶ」はノキシノブ(シダの一種の植物)と「偲ぶ」が掛かっている。「昔」は醍醐天皇や村上天皇が在位していた延喜、天暦の時代を指す。「今は武士の世になってしまって、皇居もすっかり古くなってしまった。昔は貴族が栄えていてよかったなあ(´・ω・`)」というようなことを詠んだ歌。
掲示板
36 ななしのよっしん
2014/02/12(水) 15:06:52 ID: a/USoWDXxI
37 ななしのよっしん
2014/09/12(金) 12:50:39 ID: Ir3fMikX6m
>蝉丸は坊主めくりの際に唯一許された最強の坊主である
うちの3姉妹で蝉丸がヒーロー扱いされていたのはそういうことだったのか…?
38 ななしのよっしん
2015/03/27(金) 15:48:27 ID: JVsPSROSSj
つきみればちぢにものこそかなしけれだけ覚えてるな
ありがたく記事利用させてもらいます
>>33
普通に上手い、じゃ駄目だったんじゃないの
その家系だから最低でも上手くないといけなかった
そこらと同じかー、あの家系なのに(上手いけど)この程度かー、みたいな
全然詳しくないしそういう家系だったことを今知ったあれだからただのトーシロの想像だけど
急上昇ワード改
最終更新:2024/12/23(月) 11:00
最終更新:2024/12/23(月) 10:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。