百人一首の一覧 単語

ヒャクニンイッシュノイチラン

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このページには百人一首とその口語訳、解説を掲載する。

百人一首の詳細は百人一首の記事に掲載。

拾壱~ 弐拾壱~ 参拾壱~ 四拾壱~ 五拾壱~ 六拾壱~ 七拾壱~ 八拾壱~ 九拾壱~

の田の かりほのの をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ

天智天皇

出 典:後撰集

口語訳:の田のほとりに立てられた仮小屋は屋根の網のがとても荒く、私の袖は露で濡れてしまうばかりだ。

解 説:田畑にて収穫に勤しむ農民の情を詠んだ歌。露に濡れる農民の立場になってその厳しさを思いやりを流した(わが衣手は露に濡れつつ)とも考えられる。

すぎて 来にけらし 妙の 衣ほすてふ の香具山

持統天皇

出 典:新古今集

口語訳:どうやらは過ぎ去り、がやって来たらしい。香久山の周りに純着物が干してあるというから。

解 説:奈良県柏原市にある香具山は大和三山の一つで昔から神視されており、からへの変わりには衣替えとしてい衣を干す習があったと考えられている。一方ではい衣は卯の花喩であるともされている。この歌も山部人(四)のものと同様に万葉集からの改変が見られ、万葉集では「過ぎて 来たるらし(ぞ来ぬらし) 白の 衣乾たり(衣乾す) 天香具山(訳: 春過ぎ去り、夏やって来たようだ。純白物が干してあるから。そう、天久山の周りに)」。つまり、新古今の時代には戸外の様子の確認を直接行うのは高貴身分の人間らしからぬ行為だと見なされるようになったからだと考えられる。

あしびきの 山の尾の しだり尾の ながながしを ひとりかも寝む

本人麻呂

出 典:拾遺集

口語訳:独りを明かすという雄の山、その山の垂れた尾の様に長い長いを私は人と離れ一人寂しく眠るのだろうか。

解 説:山の雄と雌はになると別々に離れて眠るといわれている。その山を自身と照らし合わせ長く垂れた尾から長いを連想し、しい人を想いながら長い長いをただ一人寂しく寝て過ごす切なさを詠んだ歌。リア充爆発しろ

田子のに うち出でてみれば 妙の ふじのたかねに はふりつつ

山部

出 典:新古今集

口語訳:田子のに出て仰ぎ見ると、純富士山辺に今もが降り続いている。

解 説:駿河(静岡県)の田子のから富士山を仰ぎ見て、その美しさと壮大さを詠んだ歌。万葉集では「田子のゆ うち出でてみれば 真白にぞ 富士の高嶺に は降りける(訳: 田子のを通って出て来て見ると、真っ白になるほど富士山辺に、あぁが降ったんだなあ。)」とされているが、これは選者である藤原定家が収録する際に手を加えた為と言われている(改変については諸説ある。例えばに出して詠む時の切れが万葉の時代は「五七/五七/七」だったのが新古今の時代は「五/七五/七七」になったので、「」を引き出す詞「妙の」などの効果的かつ優な言葉選びになった々。いずれの説も時代の変化に合わせたものだという点では概ね一致している)。

奥山に 紅葉みわけ なく鹿の こゑきく時ぞ はかなしき

丸大夫

出 典:古今集

口語訳:奥山にて、紅葉した落ち葉を踏み分けながらを歩いていると鹿の鳴くが聞こえる。そんな時、は悲しい季節だと感じる。

解 説:の歌。「奥山紅葉を踏み分けているのは私なのか鹿なのか」がはっきりとしていない。故にとりあえず人も鹿も踏み歩くほどに紅葉が敷き詰められた山のであると考えるのが良い。ちなみに丸大夫は実在したかどうかも疑わしい人物。

かささぎの わたせるに おく霜の しろきをみれば ぞふけにける

中納言

出 典:新古今集

口語訳:七夕になると天の川かささぎが掛け渡すという。そののように見える宮中の階段にる霜が降りているのを見るともすっかり更けてしまったのだなと実感する。

解 説:かささぎのわたせるとは、七夕かささぎを並べて天の川を架け、織女を渡すとわれる伝説からの由来。しかし「おく霜の」とあるので一見ややこしいがの歌である。

の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出でしかも

安倍麿

出 典:古今集

口語訳:広い大空を仰ぎ見ればが出ている。かつて春日にある三笠山で昇るのを見たあのと同じなのだなあ。

解 説:作者安倍麿は若くして中国(唐)への留学をした。長い留学生活を終えて帰しようとした際に唐で見たが美しかった事からこの歌を詠む。しかし悪に阻まれ二度と日本の地を踏むことはかったため、望郷を思う悲しい歌とされている。

わがは 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 人はいふなり

喜撰法師

出 典:古今集

口語訳:私の住まいは都の東南(辰巳)で鹿の住むような宇治の山にあり、心静かに過ごしている。しかしそんな私を世間は「世を憂して山に篭った」と噂するようだ。

解 説:「お前の勝手なイメージを押し付けるな!」の一言。「しかぞすむ」は「然り(このように)」と「鹿が住むような」を掛けており、「うぢ」は「憂し(つらく苦しい)」と「宇治」を掛けている。

の色は 移りにけりな いたづらに 身世にふる ながめせしまに

小野小町

出 典:古今集

口語訳:あの美しかったは色あせてしまったようです…。何もしないまま…。この世に降っている長を眺めていた間に…。

解 説:美女として名高い小野小町が、ふらふらしているうちに年とってしまったことに気づき、orzとなっている自身を自虐的に詠んだ歌。技法としては、有名な掛詞「ながめ」(眺め・長)の他に、「ふる」(降る・経る・古る・歴る)の掛詞、「降る→」の縁語の使用がある。「花」はもちろんを表す。二句切れ。倒置法。作が小野小町であることの悲哀、掛詞縁語の技巧、などにより、小倉百人一首の中でも最も有名な歌の一つとなっている。

これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも あふ坂の関

出 典:後撰集

口語訳:これが、都へ行く人、帰る人がしもそれぞれのを別れ別れて行き、知った人も知らない人もここで出会うと言われている逢坂の関なのだなあ。

解 説:掻い摘んで言えば「逢坂の関なう!」ということである。々は別れと出会いを繰り返す、そんな人生を辿っている。諸行無常一期一会理を端的に表現した歌と言われている。ちなみに丸は坊主めくりの際に一許された最強坊主である。

拾壱

拾壱 拾弐 拾参 拾四 拾五 拾六 拾七 拾八 拾九 弐拾
壱~ 弐拾壱~ 参拾壱~ 四拾壱~ 五拾壱~ 六拾壱~ 七拾壱~ 八拾壱~ 九拾壱~

拾壱

わたの原 八十かけて 漕き出でぬと 人には告げよ あまのつりぶ

参議

出 典:古今集

口語訳:大海原を沢山の々へと向けて漕ぎ出して言ったと、知り合いに伝えておくれ。漁夫の乗るよ。

解 説:参議とは、小野のこと。小野小町の祖とも言われる。隠岐に流罪の憂きにあった際に詠まれた歌とされる。「わたの原」で始まる上の句はもう一つ(七十六)あるため、百人一首の際は注意が必要である。

拾弐

 のかよひ路 吹きとぢよ 乙女の姿 しばしとどめむ

僧正遍昭

出 典:古今集

口語訳:に吹くよ。の中の通りを吹いて隠してくれ。女が舞う姿をもう少し見ていたいから。

解 説:ゆっくりしていってね! というわけで僧正遍昭が出する前、5人の乙女女に見立てて踊るという宮廷行事を見た時に詠んだ歌。「よ。の中の通りを隠して女を地上にとどめてくれ」ということである。女の子が踊る姿っていいよね!

拾参

波嶺の みねより落つる みなの ぞつもりて 淵となりぬる

陽成院

出 典:後撰集

口語訳:筑波山の峰から落ちるみなのに深い淵が出来るように、私のも大変深いものとなった

解 説:陽成天皇を詠んだ歌である。「みなの」はの名。茨城県に存在する「男女(みなのがわ)」のこと。妃の綏子内王に宛てた歌と言われる。

拾四

陸奥の しのぶもぢずり ゆゑに 乱れそめにし ならなくに

河原左大臣

出 典:古今集

口語訳:州(東北)の信夫捩じ摺りのように私の心は乱れている。一体のために乱れているのでしょう。私のせいではないのに。

解 説:河原左大臣とは融のこと。「あなたのために心が乱れてしまっていますよ?」というを詠んだ歌。信夫捩じ摺りは陸奥国信(現福島県信夫地方)の特産品の染め布。

拾五

君がため の野にいでて 若菜摘む わが衣手に は降りつつ

光孝天皇

出 典:古今集

口語訳:あなたのためにの野に出て若菜を積んでいると、私の袖にが降りかかりました。

解 説:若菜春の七草すと考えられている。地味だが、献身的な心を詠んだ歌。「君がため」で始まる上の句はもう一つ(五拾)あるため注意が必要。

拾六

立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む

中納言行平

出 典:古今集

口語訳:あなたと別れて因幡へと向かうけれども、稲葉の山に生えるのようにあなたが帰りを待っていると聞いたならば、すぐにでも帰ってきましょう。

解 説:在原行平の歌。「いなばの山」は因幡にある山の名とされるが、単に因幡の山とする説もある。「去なば」と「いなば」、「」と「待つ」をかけている別離の歌。

拾七

ちはやぶる 神代もきかず 竜田 からくれなゐに くくるとは

在原業平朝臣

出 典:古今集

口語訳:不思議なことが数々起こったという神代の時代の話でも聞いたことがない。竜田をこんなにも鮮やかなに染め上げてしまうなんて。

解 説:「紅葉に浮かんでだよ。綺麗だねえ」ということを詠んだ歌。「くくる」は「くくり染め(纐纈染め)」と「(を)潜る」がかかっている。詞「ちはやぶる→神」、3句切れの倒置法などの技巧が含まれている。この歌を詠んだのが在原業平伊勢物語主人公とされる。なおこの歌は落語の「千早振る」の元ネタになっている。

拾八

住の江の に寄る波 よるさへや のかよひ路 人よくらむ

藤原敏行

出 典:古今集

口語訳:住の江のに波は寄ると言うのに、あなたはの中でさえも来てくれない。どうしての中の通いでも人を避けているのだろうか。

解 説:どう解釈するかは諸説ある。一般には用心深い人に対するじれったさを詠んだ歌とされる。百人一首において上の句が「す」で始まるのはこれだけなので覚えやすく取りやすい。

拾九

難波潟 短かきの 節の間も はでこの世を 過ぐしてよとや

伊勢

出 典:新古今集

口語訳:難波潟に生えているの節と節の間のような短い時間もわないで、この世を過ごしてしまえと仰るのですか。

解 説:要約すると「ってよ!えないなんて死ねというのね?」ということ。伊勢多き女性で、へと贈った歌かはよくわかっていない。=あし

弐拾

わびぬれば 今はた同じ 難波なる 身をつくしても はむとぞ思ふ

元良

出 典:後撰集

口語訳:やりきれない。もはやってもわなくても同じことだ。難波澪標名前のように、身を尽くしてもあなたにいたいと思う。

解 説:上皇の妃、藤原褒子との不倫が露見した際に詠んだ歌とされる。開き直っている。「もう不倫がバレてしまってどうしようもない。こうなったら死んでもあなたにうだけだ」という事を詠んでいる。「澪標」と「身を尽くし」をかけているが、「澪標」は航路の標識のこと。大阪市章にもなっている。

弐拾壱~

弐拾壱 弐拾弐 弐拾参 弐拾四 弐拾五 弐拾六 弐拾七 弐拾八 弐拾九 参拾
壱~ 拾壱~ 弐拾 参拾壱~ 四拾壱~ 五拾壱~ 六拾壱~ 七拾壱~ 八拾壱~ 九拾壱~

弐拾壱

今来むと いひしばかりに 長月の 有明を 待ち出でつるかな

素性法師 

出 典:古今集

口語訳:あなたがすぐに行きますと言ったばかりに私は九月長を待ち続けているうちに、とうとう明けのが出てしまった。

解 説:素性(そせい)法師は男性だが人を待つ女性の気持ちになって詠んだ歌。他所の女の所へ行ったのか、何らかのトラブルで来れなくなったのか、男の素性(すじょう)が分からずとも待ち続ける女性の悲しい歌。とにかく社交辞令ダメ、ゼッタイ。

弐拾弐

吹くからに 木の しをるれば むべ山風を あらしといふらむ

文屋康秀

出 典:古今集

口語訳:しいが山から吹きはじめると途端に木が萎れ始める。なるほどこれを「荒らし)」というのだな。

解説: いいかみんな    「山」と「」では    組み合わせると田畑も土地も  つまり台風だからってはしゃいで
              ただののどな自然だが   荒らし尽くす嵐」となる!    外へ飛び出すのはやめような。
      |               へ               ~ *                ~
     (゚д゚ )            (д゚) 風           ( ゚ Д゚ 嵐               \(;д; )  嵐
     (| y |)           \/| y |\/            (\/\/                    | y |\

百人一首において上の句が「ふ」で始まるのはこれだけなので覚えやすく取りやすい。

弐拾参

月見れば ちぢに物こそ 悲しけれ わが身ひとつの にはあらねど

大江千里

出 典:古今集

口語訳:を見ていると様々な物事が悲しく思えてしまう。私一人だけのではいのだけれども。

解 説:平安時代からは哀愁(の心)の季節とされている。そんなを眺めていると様々な寂しさや悲しさがこみあげてしまう。自分一人にだけが来るわけではない、そう分かっていてもこの寂しさや悲しさは自分ひとりにだけ降りかかっている様に思えてしまう。と言うような哀愁と季節の変わりをすっごいネガティブに詠んだ歌である。独りぼっちは、寂しいもんな。ちなみに大江千里(おおえの・ちさと)。シンガーソングライター大江千里(おおえ・せんり)は彼とは特に関係はいらしい。

弐拾四

このたびは ぬさもとりあへず 手向山 紅葉のにしき 神のまにまに

菅家

出 典:古今集

口語訳:今回のこの旅では、準備もまともにする時間もなく、いつも持って行く祖神へのお供えの「幣(ぬさ)」も持ってこられませんでした。その代りの手向けには、美しく色づいた錦のような紅葉げまして、旅の安全を神のみ心にお任せいたします。

解 説:学問の神様天神様こと菅原道真が詠んだもの。彼の有名な歌には左遷時の悲哀を伴う「東吹かば」があるが、本歌は紅葉を色鮮やかに詠んだ較的明るい歌。上皇吉野山に御行幸した折に道真が随伴しており、その際に詠んだとされる。このたび(この旅・この度)と、たむけやま(手向山・手向け)の2組の掛詞が含まれている。「手向山」は固有名詞ではなく、祖神をのこと。「まにまに」はお祈りの形容……ではなく「随(意)に」と漢字を当てたまんまの意味。

弐拾五

名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな

三条右大臣

出 典:後撰集

口語訳:「逢坂山のさねかづら」がその名にふさわしい意味を持つのならば、その名の通りにも知られることなく方を手繰り寄せる方法があればいいのに。

解 説:「名にし負はば」は「名にし負う(という名を持つ)」+「ば(仮定)」でという名を持つならば、その名に背く事がいのであれば、となる。「逢坂山」は京都滋賀にある山で「う」との掛詞であり、「さねかずら」はツタの絡むモクレン科のであり「共寝(さね)」との掛詞である。い話が「こっそりってやりたくて辛抱たまらん連れ出したい」という歌である。下の句に「人づてならでいふよしもがな」と非常に良く似たもの(六拾参)があるので百人一首でのお手つきに注意。

弐拾六

小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば 今ひとたびの みゆき待たなむ

貞信

出 典:拾遺集

口語訳:小倉山の峰の紅葉の葉よ、もし人間の情というものが分かるのならばせめてもう一度天皇がここにいらっしゃるまで散らずに待っていてはくれないだろうか。

解 説:「小倉山」は京都北西の山で紅葉の名所、麓にある定の山荘「小倉山荘」で百人一首が作られたと言われる小倉百人一首ゆかりの地。「みゆき」とは「御幸(上皇天皇が訪れる事)」である。拾遺集によれば上皇小倉山を訪れた際、その美しい色を醍醐天皇息子)にも見せたいと言った事を受けて藤原(後の貞信)がこの歌を詠んで送ったとされている。こうした名歌による自然への働きかけ(言霊)は、たとえ願いがわなくとも大いに上皇の慰めとなったことだろう。

弐拾七

みかの原 わきて流るる いづみ いつ見きとてか しかるらむ

中納言兼

出 典:新古今集

口語訳:みかの原に湧いて流れ、みかの原を分けて流れるいづみ。そのの名のように私は方をいつ見たというのか、一度もった事はいはずなのにどうしてこんなにもしいのだろうか。

解 説:みかの原は漢字で書くと「原(木北部)」となる。「わきて」は「分けて」と「湧きて」の掛詞のため分けて流れると湧いて流れるの2つに取れる。更に「湧きて」は「いずみ)」をしている。更に「いずみ」と「いつ見」を掛ける高度なの歌。噂で聞いただけの想像上の相手にする様な心を詠んだ歌。

弐拾八

山里は ぞさびしさ まさりける 人も かれぬと思へば

出 典:古今集

口語訳:山里ではにこそ一段と寂しさが実感できる。人が来ることもなくなり、木も枯れてしまうこと思えば。

解 説:普段から寂しい山里ではになるとよりいっそう人が「離れ(かれ)」木も「枯れ」てしまう(掛詞)、そんなの寂しさと静けさを詠んだ数少ないの歌。現実は非情である

弐拾九

心あてに 折らばや折らむ 初霜の 置きまどはせる 菊の

河内躬恒

出 典:

口語訳:もし折るのならあてずっぽうで折ってみようか。初霜が降りて隠れ、見分けのつかなくなってしまった菊のを。

解 説:菊を手折り(採り)たいのだが初霜の降りた真っ白な地面と菊のが全く同じ色をしていて区別が付かない、それほどまでに冷たい晩風景美しいという情を詠んだ歌。ちなみにこの歌は後に正子規によって「菊がそんなに見えないわけがない」的な酷評を受けたという。

参拾

有明の つれなく見えし 別れより ばかり 憂きものはなし

壬生忠岑

出 典:古今集

口語訳:明けに残るがそっけなく見えるようなそんな冷たく思えるあなたとの別れ以来、明けほどつらく感じるものはい。

解 説:平安時代男性貴族にはする女性の元に通い、一夜を過ごして方に帰るという習があった。一見女性側の線の歌であるが実は男性線の歌である。、が明ければ自分は帰らねばならないのに有明は残り続けるから女性もつれなく見えると言った半ば逆恨みにも近い、女々しくて女々しくてつらいやーな歌である。作者壬生忠岑は紀従兄弟(参拾参、参拾)と共に『古今集』の撰者。壬生忠見(四拾)は息子

参拾壱~

参拾壱 参拾弐 参拾参 参拾四 参拾五 参拾六 参拾七 参拾八 参拾九 四拾
壱~ 拾壱~ 弐拾壱~ 参拾 四拾壱~ 五拾壱~ 六拾壱~ 七拾壱~ 八拾壱~ 九拾壱~

参拾壱

ぼらけ 有明と 見るまでに 吉野の里に 降れる白雪

坂上是則

出 典:古今集

口語訳:ほのぼのと明けていく頃、明けに残るかと思うばかりに吉野の里には白雪が降り積もっているではないか。

解 説:明けか?有明月の光か?いや違う!白雪だ!と見間違うほどにの名所である吉野の里(現在奈良県)の方の色の美しさ、自然への驚きを詠んだとされる歌。参拾の「有明」と「有明」は同じ意味である。「降れる白雪」のように最後を名詞でる書き方を「体言止め」という。

参拾弐

山川に のかけたる しがらみは 流れもあへぬ 紅葉なりけり

出 典:古今集

口語訳:山中が掛けたしがらみ(柵)は、流れようとしても流れることのできない紅葉の集まりであった。

解 説:しがらみとはをせきとめる為のや木で作られた柵。そんな柵が深い山中にあるはずもないのに紅葉をせき止める様に集う姿を見て「これはいたずらでしがらみを掛けたのだ」と見立てている。日本伝統の擬人化である。

参拾参

久方の のどけき の日に しづ心なく の散るらむ

紀友則

出 典:古今集

口語訳:日のがさすのどかで穏やかなの日に、どうしては落ち着きく散っていくのだろうか。

解 説:穏やかなの日に咲くを視覚的でやかにイメージさせながら、で慌しく散っていくの哀愁を感じさせる歌。作者の紀友則は『土佐日記』で有名な紀貫之(参拾)の従兄である。紀貫之壬生忠岑(参拾)と共に『古今集』の撰者となるが、完成を見る前に亡くなっている。

参拾四

をかも 知る人にせむ 高の も昔の 友ならなくに

藤原

出 典:古今集

口語訳:(多くの友人が先立ってしまった今となっては、)を私の友人にしたらよいのだろうか。長寿の高はあったとしても、昔からの友達とは言えないのだし…。

解 説:長生きしてしまった作者の悲哀を詠んだ歌。自分の旧友がいなくなってしまい「友人にしようか(困ったものだ)」と嘆く。とはいえ、々と落ち込んでいるのではなく、次の友人を探そうとしているところがポジティブだったりもする。老人パネェ。高兵庫県高砂市にある。高を導く詞となることもある。「長寿のは生きていたとしても、昔話はできないから結局さびしいんだよね。」と諦観して歌を締めくくっている。「をかも知る人にせむ」は「をかも→せむ」の係り結び。2句切れ。

参拾五

人はいさ 心も知らず ふるさとは ぞ昔の 香ににほひける

紀貫之

出 典:古今集

口語訳:人の心というものは移り変わってしまうものなのであなたの心はわかりません。でも懐かしいこの里は昔のままのの香りがっています。

解 説:前半2句までが移り変わってしまう人の心の不安定さを表しており、3句以降は故郷の自然を転じ、鮮やかなの香り匂う美しさの不変性を(人の心と)対照させている。作者は『土佐日記』の作者であり、従兄の紀友則(参拾参)らと共に『古今集』の選者の一人でもある紀貫之。昔染みの里をしばらくぶりに訪れた時、余りに間がいていた為にすっかりヘソを曲げてしまった旧知の友の為に詠んだ歌で、「きっとあなたの心もこのと同じく変わっていませんよね?(だからどうかに泊めておながいします(^・ω・^))」と取り成している。奈良時代平安時代初期までの「花」は「」をす。係り結び「ぞ→にほひける」。2句切れ。

参拾六

は まだ宵ながら 明けぬるを のいづこに 宿るらむ

清原深養父

出 典:古今集

口語訳:は短く、まだ宵の時間なのに明けてしまった。で、のどこかに隠れているんでしょうかねぇ(棒)。

解 説:になれば日は長く、は短くなるという自然を詠んだ較的シンプルな歌。満月は当然沈んでいるわけで、のどこかに隠れているわけではないが、「隠れているんじゃないですかね?」とおちゃめに詠んでいる。作者は勅撰歌人清原の深養清少納言の曽祖だったりする。3句切れ。

参拾七

白露に の吹きしく の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける

文屋

出 典:後撰集

口語訳:白露の下りたの野にが吹き続けています。そのによって首飾りのような一筋の玉がぱっと解けて散っていきました。

解 説:野原の露と吹き続ける野のを静かに、かつ、動的に詠んだ歌。「の野は」格の格助詞「は」が使われているものの、それに対応する述語が存在しない。「の野では」と理解しておくと後半と対応しやすい。「つらぬきとめぬ」は貫いていた糸が解けて離れていく様を表す。貫いていたのはなのか、クモの巣なのか。いずれにせよ情美に満ちた歌である。係り結び「玉ぞ→散りける」。3句切れ。

参拾八

忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな

右近

出 典:拾遺集

口語訳:あなたに忘れられてしまうなど思いも及ばず、二人とも神様に(永遠のを)誓ってしまいましたね。(でもあっさり忘れてしまうなんて…。)誓いを破ったあなたの命が(天罰で失われてしまうなんて)惜しいものです。

解 説:失恋の歌である。「誓いを破って天罰が当たるのだから仕方ないけど、死んじゃうなんてかわいそうだわー(棒読み)」「それにしてもこんな結末も予想できなかった過去の自分爆発しろ!」なんていう雰囲気が漂っている。裏切られた女性失恋の悔しさでいっぱいなのであるが、あたかも「私はどうってことないけどあなたの命が心配ね。」とカッコウつけているかのようである。ツンというかやせ我慢というか…。3句切れ。

参拾九

浅茅生の 小野篠原 しのぶれど あまりてなどか 人のしき

参議等

出 典:後撰集

口語訳:茅(かや)がまばらに生えつつある原っぱにある篠原(小の原っぱ:しのはら)ではないけど心を人んで隠してきました。しかし、思い余ってしまう・・・。ああなぜこんなに人がしいのだろうか。

解 説:詞「浅茅生の→小野」、縁語「篠原シノブシダの一種)」、掛詞「シノブぶ」の技巧で始まる歌。古今集の「浅茅生の 小野篠原 しのぶとも 人知るらめや 言ふ人なしに」(詠み人知らず:原っぱの篠原ではないが人んでいた私のが世間に知られてしまったのはなぜだろう。にも言っていないのに)の本歌取りでもある。係り結び「などか→人のしき」も存在する。以上のように非常に技巧に凝った歌であるが、要は「も言っていなかったら余計に人しくなったなう」である。3句切れ。

四拾

ぶれど 色に出でにけり わが恋は 物や思ふと 人の問ふまで

兼盛

出 典:拾遺集

口語訳:していることを隠していたのだが顔に出てしまったらしい。それも「でもしてるんですか?」と聞かれてしまうほどに。

解 説:960年の村上天皇の『徳四年内裏歌合』で詠まれた歌。お題は「ぶる」。歌合せはある種の競技会のようなもので、お題に沿って歌を詠み優劣を競うというものである。この歌の対抗歌が四拾番の「てふ」(壬生忠見)であり、優劣つけがたかったのだが、村上天皇が「ぶれど」をより多く口ずさんだということでこちらが勝者となったという。係り結び「物や→思ふ」。二句切れ倒置。

四拾壱~

四拾壱 四拾弐 四拾参 四拾四 四拾五 四拾六 四拾七 四拾八 四拾九 五拾
壱~ 拾壱~ 弐拾壱~ 参拾壱~ 四拾 五拾壱~ 六拾壱~ 七拾壱~ 八拾壱~ 九拾壱~

四拾壱

てふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか

壬生忠見

出 典:拾遺集

口語訳:ヒソヒソ( д)アノ人テルデスッテ (゚д )ネェ  …などと、もう既に私のの噂が立ってしまったらしい。人に知られないように想い始めたばかりだというのに。

解 説:作者壬生忠見は壬生忠岑(参拾)の息子。この歌は上述兼盛(四拾)の歌と歌合せの場で競われたもの。この試合に敗れた忠見はショックのあまり食べ物がのどを通らなくなり亡くなった、という大げさな伝説が残っているが史実としては確認されていない。技巧としては係り結び「人知れずこそ→思いそめしか」の使用であるが、然形で終わることで逆接のニュアンスも出している(しか「れども」が隠れている印を与える)。三句切れ。

四拾弐

契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波こさじとは

清原元輔

出 典:後拾遺集

口語訳:約束しましたよね。(絶対にないといわれている)末の松山を波が越えてしまうような事態にでもない限り(浮気などあり得ない)と。互いにで濡らした袖を絞りながら。でも、今やくもその「波」が末の松山を越えてあなたは去ってしまいました・・・。

解 説:作者清少納言(六拾弐)の。末の松山とは宮城県にある歌多賀城市末の松山浄水場exit)。当時の中心地だった多賀海岸線の間にある丘で、貞観地震など災害の相次いだ平安時代には津波高波がここを越えることはないといわれていたらしい(東日本大震災でも直下の国道まで津波が来たがこの丘を越えることはなかった)。これをテーマにした古今集の「君をおきてあだし心をわが持たば末の松山浪も越えなむ」(詠み人知らず|歌意:あなたを置いて浮気心を持つなんて末の松山の波も越えるくらいありえないことです)があり、本歌はその歌を基にした歌である(本説取り)。「契りきな(約束しましたよね)」と「かたみに袖をしぼりつつ(互いにで袖をしぼりつつ)」がしっくりしないのは多くの部分が省略されているからである。本説取りの元歌が末の松山浮気をしないということを詠んでいるので、にくれているのはもう少し修羅場があった後のことである。初句切れ。

四拾参

ひ見ての 後の心に くらぶれば 昔は物を 思はざりけり

権中納言

出 典:拾遺集

口語訳:あなたに実際にってやっちゃった後、さらにしくなりました。今考えてみると、昔は心など抱いていなかったかのように思えてきてしまいます。

解 説:いわゆる後(きぬぎぬ)の歌。当時の文脈では「う」は肉体関係を持つの意。「大事にしてね」「うぉぉぉぉ、すきだぁぁぁ」的なシチュエーションストレートに表現したものといえる。技巧も係り結び「昔は→けり」のシンプルな形。3句切れ。

四拾四

ふことの 絶えてしなくば なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし

中納言

出 典:拾遺集

口語訳:(に破れてしまった私ですがこうしておにかかってしまいました。なんというつらいことでしょう。)もし絶対に私があなたにおにかからないのであれば、かえってあなたや私自身を恨めしく思うことはありませんのに。

解 説:失恋した相手に時折偶然出くわしてしまい微妙空気と悲しさにさいなまれる作者の心情を詠んだもの。未練たらたらである。「絶えて」は「ふことの→絶ゆ」(わなくなる)と同時に「絶えてし→なくば」(絶対にない)を並置させる掛詞。この歌も村上徳四年内裏歌合での一首(四拾&四拾参照)。2句切れ。

四拾五

哀れとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな

謙徳公

出 典:拾遺集

口語訳:私が死んでも私のことを「かわいそう…」などと思ってくれそうな人は今思いつきません。そんな孤独なまま私は死んでしまうのでしょうか。

解 説:兼徳こと藤原伊尹が「死んでもも悲しんでくれないし」と嘆いている歌。「身のいたづらになる」とは死ぬということ。ポイントはこの歌がただ自身を悲観したものではないということ。きちんと贈った相手がいる。「今死んじゃってももかわいそうなんて言ってくれないしー。かわいそうじゃね?(モテないまま人生が終わりそうだお・・・。)かわいそうと思うなら付き合ってよ。」というの歌なのである(必死にもほどがある)。3句切れ。

四拾六

由良の門を 渡る舟人 かぢを絶え ゆくへも知らぬ かな

好忠

出 典:新古今

口語訳:(流れのしい)由良の河口を渡る頭がを失ってしまったらどうなるでしょう。それと同じように私のも行き先が定まらず放浪してしまうのですよ。

解 説:「由良の門」は紀淡峡をすこともあるが、ここでは兵庫県北部の由良の河口をす。幅が狭く流れが急である。そこの渡し守がを失ってしまう情を詠み手自身のになぞられている。「かぢを絶え」はを失う、コントロールを失うという意味と同時に「梶緒(ひも)→絶え」ひもが切れるという意味をにおわせる縁語となっている。題そのものは自分の的を失ってさまよう様子を述べたものであるので最初の13句は序詞である。3句切れ。

四拾七

八重むぐら しげれる宿の さびしきに 人こそ見えね は来にけり

恵慶法師

出 典:拾遺集

口語訳:(かつて融がに暮らしたというこの河原院にも)幾重にも雑草が茂り、さびしい。そんなさびしい廃墟には人が訪れることはないのだが、この場所にもが来たのだなぁ。

解 説:ぜいたくな暮らしをしたという融の曾孫安法法師が客を呼んで歌詠みの会を開いた際に恵慶法師が詠んだとされている。栄も今は昔となりただ廃墟が広がる。そんな情を詠んだ無常を感じさせる歌である。訪ふ人もなき宿なれど来る八重葎にも障らざりけり(紀貫之)の本説取りとなっている。

四拾八

をいたみ 岩うつ波の おのれのみ くだけて物を 思ふころかな

源重之

出 典:詩花

口語訳:が強いために岩にぶつかる波が砕けていく。そんな波と同じように私も心を乱してを患っているのです…

解 説:非常にダイナミックで情描写的な歌。他方色の描写が多くて「物を思ふ」がどんなことを表しているのか不明確である。「くだけて」にウェイトを置けば挫折、すなわち失恋を表すのだろうが、全体的な情ミスマッチの感もある。この歌は「山がつのに刈り干す麦の穂の砕けて物を思ふ頃かな(曾好忠)」の本歌取りになっている。「をいたみ」は「を→み」の原因を表す構文

四拾九

みかきもり 衛士のたく火の はもえ は消えつつ 物をこそ思へ

中臣

出 典:詩花

口語訳:宮中を護衛するみかきもり(御垣守)の衛兵が焚いているかがり火のように、は燃え、は消えそうなくらい消沈してしまいます。そんな私のあなたへの心です。

解 説:自分の心を宮中の近衛兵のかがり火に例えて詠んだ歌。燃え続けるのではなく、は燃えあがるがえなくて々とする起しい揺れる心を詠っている。技巧はこの例え言葉(序詞)、および係り結び「物をこそ→思へ」。2句切れ。作者中臣中臣足から続く柄の子孫。大中臣宣は伊勢大輔の祖にあたる。

五拾

君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな

藤原義孝

出 典:後拾遺集

口語訳:「あなたのためなら私の命など惜しくはないっ!」・・・と思っていた時期もありましたが、(こうして一緒に暮らしていると)長く生きたいと思ってしまうものなのですよ。

解 説:作者藤原義孝は当時流行していた天然痘ってわずか21歳で他界している。そんな作者が、独り身であった時の命の軽さ、に燃えた時の命がけの想い、などと二人が結ばれた時の急に命を惜しむ気持ちが生じる不思議を対して詠んでいる。「もがな」は「~であってほしい」(願望)を表す。「思ひけるかな」は過去の助動詞けりを「詠嘆」として解釈。

五拾壱~

五拾壱 五拾弐 五拾参 五拾四 五拾五 五拾六 五拾七 五拾八 五拾九 六拾
壱~ 拾壱~ 弐拾壱~ 参拾壱~ 四拾壱~ 五拾 六拾壱~ 七拾壱~ 八拾壱~ 九拾壱~

五拾壱

かくとだに えやはいぶきの さしも さしもしらじな もゆる思ひを

藤原実方朝臣

出 典:後拾遺集

口語訳:「伊吹山(言ふべき山)で採れる藻(然しも)」になぞらえてみますと、私は自分の気持ちをはっきりと言えないのですが、燃える思いをあなたは知らないのでしょうね。

解 説:非常に技巧的な歌。「斯くとだに」(この様にとさえ)「えやは言ふべき」(どうして言えようか)という自分の気持ちを言えない状況を冒頭で提示すると同時に「いふべき=伊吹(山)」の掛詞を導いている。係り結び「えやは→いふべき」を含んでやや複雑な技巧。さらに、伊吹山で採れる「(御灸に使うもぐさ)」を序詞として「然しも知らじな」(そんなことは知らないでしょうね)を引き出す。ここでも係り結び「さしも→知らじ」を含む。第5句「燃ゆる思ひを」にも「思ひ」と「(おも)火」を掛けた掛詞が含まれている。意訳してしまえば、「口に出せませんがこの燃える私の気持ちなど知らないのでしょうね」ということになる。

五拾弐

明けぬれば 暮るるものとは 知りながら なほうらめしき ぼらけかな

藤原道信朝臣

出 典:後拾遺集

口語訳:が明けてしまっても、いずれ日が暮れ、あなたにえるということは知っています。知っていますが、それでも恨めしく思えてしまう後なのです…。

解 説:「明けぬれば」は<了助動ぬ然形+ば>で「明けてしまったので」の意味になるのだが、が明ける→日が暮れるにも対応することを考えると、うまく合わない。「明ければ」の意味を持つ「明けなば」(ぬ未然形+ば)が文法的には正しいのだが、あえて「明けぬれば」としているのは、明けてしまった今宵を名残惜しむ感情を表している。一夜を共にした後の、相手へのフォローとして贈った後の歌である。

五拾参

嘆きつつ ひとりぬるの あくるまは いかに久しき ものとかはしる

右大将道綱母

出 典:拾遺集

口語訳:(あなたが来ないので)嘆きながら一人孤独に寝るが明けてを開けるまでの時間はどんなに長く感じるものか、あなたは知っているのでしょうか?

解 説:夫が別の女性のもとに行ってなかなか来てくれないので恨み言を言ったらある日久しぶりにやってきた。そんな時にすぐに門を開けてしまったら癪なのでを開けずにいたらどっかに行ってしまった。orz。 という情を詠ったもの。あくるまが「開くる(を開ける)」「明くる(が明ける)」の掛詞になっている。「ものとかは→しる」の係り結び。作者藤原道綱は『蜻蛉日記』の作者として知られているが、本歌の部分も蜻蛉日記に登場している(→こちらexit)。

五拾四

忘れじの ゆくすえまでは かたければ 今日を限りの 命ともがな

儀同三司母

出 典:新古今

口語訳:「いつまでもあなたを忘れない」などという約束も、未来永劫守り続けることは難しいので、(こんな幸せな)今日を最後に死んでしまう命であってほしいくらいです。

解 説:「忘れじ」は忘れないという誓いの言葉。何を忘れないかは文脈で判断するのだが、「行く末(ずっとさき)までは難い(忘れないことは難しい)」が続くので、相手(ここでは私)へののことと思われる。忘れずにを持ち続けていくことがむずかしい事実を嘆いている。だが、ただ単に悲嘆にくれているのではない。「難ければ(然形+ば)」(難しいので) 「今日を限りの命ともがな」(今日で死んでしまってもいい)と続く。つまり、これから先のことはよくわからないが、今は幸せなのである。

五拾五

の音は たえて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞えけれ

大納言公任

出 典:拾遺集

口語訳:このは枯れてしまって音も絶えすでに長い時間が経ってしまっているのですが、その名はますます広まり、有名になっているのです。

解 説:「音」=音、名、「なり」=成り、鳴り、「ぬれ」=ぬれ、濡れ、「流れ」=(の流れ、噂の流れ)、「聞こえ」=(有名になる、聞こえる)、といったかけ言葉が用いられている、技巧的な歌。係り結び「名こそ→聞こえけれ」も含む。音読すると「な」の音が繰り返されており、リズム感あふれる歌でもある。歌中の「」は大覚寺のす。昔は有名なであったが、任が大覚寺を訪れたときにはこのは枯れていた。

五拾六

あらざらむ この世のほかの 思ひ出に いまひとたびの あふこともがな

和泉式部

出 典:後拾遺集

口語訳:もうすぐ私はこの世からいなくなってしまうでしょう。あの世での思い出として、今一度あの人に会いたいものです。

解 説:表面上を読むと、死を前にして来世への思い出としていとしいあの人に会いたいという切実な感情を歌ったもののように見える。しかし、「世」にはの意味もあるので、死ではなく失恋を詠んだものだという説もある。いずれにせよ文法・構文上はシンプルである。「もがな」は願望を表す。作者和泉式部は小式部内(六拾)ので、ともども多き名歌人として有名。

五拾七

ぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに がくれにし 半のかな

紫式部

出 典:新古今集

口語訳:偶然出くわして、「あれ?あなた?」と思っている間にいなくなってしまったあなた。隠れしてしまった半のつきのようですね。

解 説:『源氏物語』の作者として有名な紫式部の歌。歌中のった人は人ではなく友人のようである。「めぐりあひて」が「めぐり合い」と「(が)巡る」の縁語となっている。技巧としてはシンプルな歌。百人一首かるたでは一字決まりの札の一つでもある。「め」と聞いたらすぐに「がくれにし」を取ろう。

五拾八

有馬山 名の笹原 吹けば いでそよ人を 忘れやはする

大弐三位

出 典:後拾遺集

口語訳:「有馬山の名(否)の笹原に(そよ)が吹く」ではありませんが、そうそうその人(あなたです!)を忘れたりするもんですかっ。

解 説:後拾遺集の歌の冒頭には「かれがれになるをとこのおぼつかなくなどいひたりけるによめる」(別々になった男が「私のことを忘れてしまいましたか?」などと言ってきたので詠んだ歌)とある。返事としては「忘れていません」になる・・・のだが、いろいろと技巧に凝っていて解読が難しい。「有馬名の笹原 吹けば」は「そよ()」を導く序詞。「名」は地名であると同時に「否(いいえ)」と否定の意味をにおわせる。「吹けば」は然形+ばで「が吹くので」という帰結を示すが、ここでは強い因果関係を示すのではなく、序詞の渡しとなっている。「いでそよ(そういえばその・・・)」というした間投詞を導いているところに作者の感情が現れている。「忘れやはする」は係り結び「やは→する」で反語となっている(忘れるだろうか、いや、忘れない)。言いたいことは単純だが、歌有馬山の情を美しく取り込んで技巧に凝った歌となっている。作者の大弐三位(だいにの・さんみ)は紫式部で、『源氏物語』の「宇治」の作者という説があるが定かではない。3句切れ。

五拾九

やすらはで 寝なましものを さふけて かたぶくまでの を見しかな

赤染衛門

出 典:後拾遺集

口語訳:(普通だったら)ためらわずに寝ようと思っていたのに、あなたがいらっしゃるというので待っていたらが更けてしまい、傾いたを眺めていたのですよ。

解 説:「やすらふ」は「ためらう」の意味であり、動詞+「なまし」で「○○したいのに」(反実仮想)の意味である。歌の前半は「ためらわずに寝ていたかった」というもの。実際は夜更かしをして起きていたということになるのだが、これは百人一首弐拾番の「いま来むといひしばかり長月の有り明けのを待ちいでつるかな」を意識した本説取り。が傾く(南中が過ぎて西に沈みつつある)のは半過ぎということ。

@Akazome: こっちはが傾いてます…ああもういっそ寝れば良かったorz (赤染衛門:59番) RT @Sujou:すぐに来てくれるって言ったから待ってたのに既にお様が出てる件 (素性法師:21番) (出典はこちらexit

六拾

大江山 いく野のの 遠ければ まだふみも見ず 

小式部内

出 典:金葉集

口語訳:私の祖大江ではないのですが、大江山から生野を経て行く旅はか遠いので、まだ足も踏み入れてもおらず、また手紙すら見てもいないのです。

解 説:小式部内和泉式部(五拾六)。和泉式部の実家大江で、結婚離婚を繰り返して丹後のへ居を移していた。小式部内は歌合せに呼ばれたのだが、和歌の天才として名高いに詠ませるのではないかとうわさになっており、藤原定頼(六拾四)に「お母さんからの返事は戻ってきましたか?」とからかわれたという。これに対して小式部は「大江山(どこをさすのか不明)から生野を通って立のある丹後まで行くのは遠すぎて使いの者も行けないし、文も見ていないのです。」とこのの歌で切り返し、定頼はギャフン(死語)と言うどころか返歌すらできずにそそくさと退散したという。とはいえ小式部はと同様多き女性として知られ、一応プレイボーイの定頼とも付き合っていたらしい。男女は奇なるものかな。さて、「踏み」という縁語の他、「大江山=大江氏」「生野=行く野」「踏みもみず=文も見ず」とふんだんに掛詞が用いられている。4句切れ。

六拾壱~

六拾壱 六拾弐 六拾参 六拾四 六拾五 六拾六 六拾七 六拾八 六拾九 七拾
壱~ 拾壱~ 弐拾壱~ 参拾壱~ 四拾壱~ 五拾壱~ 六拾 七拾壱~ 八拾壱~ 九拾壱~

六拾壱

いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな

伊勢大輔

出 典:詞

口語訳:旧都奈良で咲いていたという八重桜は、今日九重(の門に囲まれた京都)で鮮やかに咲き誇っていることですね。

解 説:奈良時代「花」であったものの、がなかったわけではない。時代を経て京都で咲き誇るも種類こそ違えど奈良にも咲いていたのである。八重桜べてより鮮やかな色をしていたという。「にほひぬる」の語幹の「におひ」には鮮やかな色をするという意味もある。即的に作られた歌と言われているが、「今日」「九重=ここの辺」の掛詞や「八重→九重」「奈良」の対置など様々な技法が用いられている。3句切れ。

六拾弐

をこめて そらねは はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ

清少納言

出 典:後拾遺集

口語訳:まだが明けないのにの鳴きまねをして「ですよ」と言ってだまそうとしても、逢坂の関が開いて私とうことができるなんてことは決してないのですよ。

解 説:子の作者として有名な清少納言作の歌。中国の『史記』の中で語られる君の伝説を基にした本説取りの歌。中国戦国時代の宰相君は若かりし頃他に仕えていたが王に嫌疑をかけられ逃亡中だった。関所でに足止めを食った際には来が雄のまねをして関を開門してもらい事なきを得たという(「鳴狗盗」の故事)。平安時代の書の名手三の一人である藤原行成清少納言に訪ね、のまねをして会おうとしたという。これに対して「今どき君の話ですか?ププッ。わろすわろすw」といって断ったというお話。「よに」「夜に」「世に(決して)」を、「逢坂」は「大坂「逢う」を、かけている。シンプルだがネタがわかると結構深い歌。3句切れ。

六拾参

いまはただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで 言ふよしもがな

左京大夫道雅

出 典:後拾遺集

口語訳:今となっては「あなたへの想いはもうすっぱり忘れてしまいました」ということを他人任せではなく、(直接あなたに、面と向かって)言いたいものです。

解 説:突然の別れを経験してしまった作者サヨナラの言葉も言えずに々としている気持を歌にしている(どうやら実話のようである)。今となってはうことも難しい、そんなあなたに「思いは断ち切りました」と一言面と向かって言いたいと恨み節を述べている。「ならで」は「●●ではなく」の否定の意味、「もがな」は「○○したいものだ」の願望の意味。技巧は凝っておらず較的ストレートな歌であるが、省略が多いので補って考えなければならない。3句切れ。

六拾四

ぼらけ 宇治 たえだえに あらはれわたる 瀬々の網代木

権中納言定頼

出 典:千載集

口語訳:口語訳:になって宇治が少しずつ晴れていき、川辺の漁師の仕掛け網の木々がところどころに現れてきます。

解 説:「あさぼらけ」は闇が明けて明るくなっていく時間帯を表す(「あさぼらけ」で始まる句は小倉百人一首にもう一つあるためここで取ってはいけない)。「たえだえに」はところどころ切れていく(絶え絶え)さまを表し、それによってあらわれてくるのが瀬々の網代木(川辺の漁師網の木)である。技巧としてはシンプルであるが、色鮮やかな絵をイメージさせる写実的な美しさを持つ。作者藤原定頼は名歌人藤原公任息子(五拾五)。プレイボーイとして有名で、大弐参位(五拾八)、小式部内(六拾)、相模(六拾五)らとも浮名を流したが、知的な女性人気があったのは、このような爽やかな情歌が詠めたのと決して縁ではないだろう。まあそうでなくとも音楽・書・読経も得意なイケメンだったらしいが。もげろ。4句切れ体言止め

六拾五

うらみわび ほさぬ袖だに あるものを にくちなむ 名こそをしけれ

相模

出 典:後拾遺集

口語訳:(失恋してあなたを)恨みながら(を流し続け)くことのない着物の袖なのに、根拠のないの噂ばかり立ってしまい、名が朽ちてしまって評判を落とすのが本当に悔しいものです。

解 説:「恨みわび干さぬ袖」とは、恨みつつを流して袖がかない状態を表す。袖がかないほどを流すのは和歌に頻繁に見られる誇表現。「あるものを」の「を」は逆接を表し、「あるのに」という意味になる。上の句全体では「実際の世界では恨みながらを流している状態だが・・・」という意味になる。下の句はこれに対するものなのでここでは「人が口にしている噂」での私の虚像ということになる。うわさレベルではこの人は相当な浮名を流しているようである。そんな噂に対して余計の恨みを募らせてしまう作者なのである。係り結び「名こそ→をしけれ」が入っているもののシンプルな歌。3句切れ。

六拾六

もろともに あはれと思へ山 よりほかに 知る人もなし

前大僧正行尊

出 典:金葉集

口語訳:共にしみじみと慰めあおうか、山よ。もはや私は以外には知っている人はいないのだから。

解 説:一言でいえば「ぼっちなう」の歌である。作者は偉いお坊さんである。修行中に山にこもって孤独を味わった時に作った歌という(案外俗っぽいっすね)。「もろともにあはれと思へ」と命形になっているが、「いっしょにしみじみと物思いにふけりましょう」と慰めあっている様子である。よりほかに「が」「何を」知る人がないのかは解釈が必要である。「私が」以外に「知っている人が」いないと解釈するか、「以外が」「私の孤独を」知ることはないと解釈するかであるが、基本的にストレートに解釈して以外に私は知る人もいないと孤独感を強調していると解釈した。3句切れ。

六拾七

の ばかりなる 手に かひなくたたむ 名こそをしけれ

周防

出 典:千載集

口語訳:のようにはかない二人のなら、あなたに「腕枕してさしあげましょうか?」と言われても浮名ばかり立つのが残念なので(ご遠慮申し上げます)。

解 説:「ばかりなる」は「only」とか「あたり一面」という意味ではなく、「のような状態になる」という意味。い様子。何がいかといえば「作者とお相手の仲」であるがどうも二人は仲というわけではないらしい。実はこの歌にはエピソードが残っている。周防らがみんなで語り合っていて(言ってみれば合コンのようなものか)も更けて寝ようとしたところ、御簾の下から腕が伸びてきて「この腕にどうぞ(というかあちらに行って二人でもう少しイイコトしませんか?)」と言われたという。ナンパなのか、ただからかったのかわからないが、周防は「そんなこと、噂が立ってしまっていやですわ、実体もないのに」とこの歌を詠んで切り返したという。「かひなく」は「甲斐なく」と「腕(かいな)」の掛詞になっている。係り結び「名こそ→をしけれ」を含む3句切れ。

六拾八

心にも あらでうき世に ながらへば しかるべき 半のかな

三条院

出 典:後拾遺集

口語訳:思ってもいないことなのだが、もしこの浮世に生きながらえて長生きしてしまったとしたら、この半のを懐かしく思うのだろうなぁ。

解 説:三条院三条天皇)は、全盛期藤原道長に退位を迫られた悲劇の天皇である(当時の天皇は多かれ少なかれ摂関政治に巻き込まれて大変なに遭っているのだが・・・)。即位時にすでに立場が弱いことを承知しており、体も弱かった三条天皇は、あるを見て「もし私が長生きしたらこのを懐かしむだろうなぁ」と嘆息する。あいにく三条天皇は即位6年にして退位後、1年ほどで亡くなってしまったという。「心にもあらで」(思ってもいないことだが)が一連の言葉になっており、句切れはよくない(意図的であるが)。「ながらへば」はハ行下二段動詞「ながらふ」(生きながらえる、長生きする)の未然形+ばで仮定を表す。しかるべきの「べき」は推量を表す。3句切れ。

六拾九

あらし吹く 三室の山の もみぢばは 竜田の 錦なりけり

因法師

出 典:後拾遺集

口語訳:あらしが吹く三室の山の紅葉葉っぱたちは、に落ちて竜田の錦になることだなぁ。

解 説:「竜田もみぢ葉流る神奈備の三室の山に時雨ふるらし(古今集・詠み人知らず・竜田紅葉の葉が流れている。きっと神が宿るという三室の山にしぐが降ったのだろうな)」という歌を踏まえた本説取り。元の歌が竜田視点であるのに対し、本歌は三室山視点である。ただ、この視点の切り替えだけで、全にべたな歌になっているので、情描写は美しいものの、発想はそれほど新ではない。「錦なりけり」は断定なり+詠嘆けり。3句切れ。

七拾

さびしさに 宿を立ち出でて ながむれば いづこもおなじ の夕ぐれ

良選法師

出 典:後拾遺集

口語訳:さびしいのでを出てみて眺めると、どこもかしこも同じような(寂しい)夕暮れである。

解 説:「」「」の季節は寂しさの徴である。木枯らしが吹き、木は枯れ始め、寒いところであればも降る。良暹法師は歌人として活躍したが、詳しい素性はよくわかっていない。多くの僧侶がいる比叡山から北の大原に移ってきた頃詠んだ歌とされる。人がたくさんの賑やかな比叡山からひなびた大原の里へとやってきた良暹。そんな良暹の胸中には一層山里のさびしさが染みこんできたことだろう。

七拾壱~

七拾壱 七拾弐 七拾参 七拾四 七拾五 七拾六 七拾七 七拾八 七拾九 八拾
壱~ 拾壱~ 弐拾壱~ 参拾壱~ 四拾壱~ 五拾壱~ 六拾壱~ 七拾 八拾壱~ 九拾壱~

七拾壱

夕されば 門田稲葉 おとづれて のまろやに ぞ吹く

大納言経信

出 典:金葉集

口語訳:夕方になれば、の門前にある田圃の稲の葉がに揺れて音を立てて、葺の小屋にが吹く。

解 説:「おとづれて」は「訪れる」の意味もあるが、ここでは「音を立てる」の意味で用いられている。音ズレの訪れ。大納言経信は経信。師賢の梅津(現京都市右京梅津)の別荘の歌会で、の農を題材にして読まれた歌という。前句(七拾)の歌はの寂しさを感じさせる歌だが、この歌はさわやかが稲の穂を揺らすような澄んだ風景を詠んだ歌で、田園への憧憬を感じる。気がする。実際、この頃は農に別荘を持つのが貴族の一種のステータスだったらしい。日本は長らくお米お金の代わりを果たしていたであり、田園は富の徴でさえあった。みんなお米食べろ!

七拾弐

音に聞く 高師のの あだ波は かけじや袖の ぬれもこそすれ

祐子紀伊

出 典:金葉集

口語訳:評判のいい高師にうちつける騒々しい波にはかからないようにしておきます。波で袖が濡れては大変ですから。

解 説:祐子紀伊は、祐子王に使えた女。経方のとも藤原師実のともいい、はっきりしない。夫の藤原重経(説もある)が紀伊守であったことから紀伊と呼ばれたという。さて、この口語訳を見ただけでは何のことを言っているのかはっきりしない。そこで大胆に補足してみると

評判のいい高師にうちつける(=プレイボーイ浮気性のあなたの)騒々しい波(=誘い言葉)にはかからないようにしておきます。波で袖が濡れて(=捨てられてで袖を濡らして)は大変ですから。

となる。この歌は歌会で29歳の藤原俊忠から贈られた歌の返歌である。高師の和泉海岸現在大阪府高石市高師として地名が残っている。「高師」と「(浮気性の)評判高し」をかけている。あだ波は「虚しい波」「騒々しい波」の意。「あだ」の言葉を聞いたことがあるだろうがそれと同じである。「袖が濡れる」の表現は今までにも何度が出ており、失恋して泣くことを意味する。「あなたの都合のいい誘い文句に乗ったが最後、ついには泣くだけでしょうに」この時、紀伊は70歳だったという。歌会の場で本気のではなかったとは言え、孫ほどの年齢である藤原俊忠にこんなウィットに飛んだ歌を返したのだ。

七拾参

の をのへの さきにけり 富山かすみ たたずもあらなむ

前権中納言

出 典:後拾遺集

口語訳:大きな山の頂上のが咲いた。里に近い山のが(に)立たないでいてほしい。

解 説:前権中納言房は大江房。大江氏は菅原氏と同じく土師氏を祖としており、菅原氏に並ぶ学者の柄であった。房も学者として活躍しており、「江帥」と呼ばれていた。「高」はの積み重なった山をし、「をのへ」は「尾上」で山頂。「外山」は「(少し外れた)里に近い山」をす。「なむ」は願望の終助詞。ストレートが見えるよ嬉しいなという喜びを表現した歌である。

「あっ。高い山にだ。綺麗だなあ。あの近い山のがかからないといいなあ(・ω・ )」

こう考えると大江房がちょっと可く感じる。

七拾四

憂かりける 人を初瀬の 山おろしよ はげしかれとは 祈らぬものを

頼朝

出 典:千載集

口語訳:つれない人(の心を和らげようと初瀬の観音に願をかけたのに)初瀬の山から吹くしくなるばかりだ。しくなれとは祈っていないのに。

解 説:「憂かりける」は「つれない」。初瀬は大和の地名。現奈良県桜井市初瀬である。当地には古刹長谷寺があり、観音菩薩安置されている。「山おろし」は「山颪」つまり山から吹きあらす強で、「憂かりける人」に更につれない態度をとられたと解釈することが出来る。「つれない人を振り向かせようと観音菩薩に祈ったのに、みたいに余計冷たくされた。そんなふうに祈ったんじゃないのに(´・ω・`)」、イロハは今も昔も複雑である。

七拾五

契りおきし させもが露を いのちにて あはれ今年の もいぬめり

藤原基俊

出 典:千載集

口語訳:お約束してあったよもぎについた露(のような言葉を)頼みにしていたのに、嗚呼今年のも過ぎていくのですね。

解 説:「契り」は「約束」、「おきし」の「おく」は「露」の縁語である。「させも」は「よもぎ」のこと。平安時代末期万能薬として重宝されていた。そこについた「露」は「(よもぎのような)恵みの露」の意味。「いのち」は「頼み」という意味。「いぬ」は「往ぬ」で「過ぎる」のこと。さて、これだけではよくわからない。基俊の息子覚はすでに出していた。馬鹿基俊は維摩経というお経を教える講師にするよう藤原忠通約束したが、その約束は果たされなかった。これは「になっても息子が講師にならなかったんですけどそのあたりどうなってんですかね(#^ω^)ピキピキ」という事を問いただすために忠通に送った歌とされている。

七拾六

わたの原 こぎいでてみれば 久方の いにまがふ 

法性寺入道前関白太政大臣

出 典:詞

口語訳:海原で漕ぎ出して見渡してみると、と混じり合って見間違えてしまうような波。

解 説:法性寺入道前関白太政大臣藤原忠通のこと。若いうち、25歳の時に藤原氏の氏長者(氏族内の総帥、藤原氏の代表)となり太政大臣、関白摂政を歴任し、強い権力を持っていた。書、そして歌人としても才があり崇徳天皇に「を題材にした歌を詠め」と言われ詠んだ歌という。「わたの原」は「海原」、「久方の」は体についての詞でここでは「い」にかかっている。「い」は「雲居」でのことであるが、ここでは「」そのものをす。「波」で体言止め雄大にかかる、と間違えてしまうようなどこまでも真っ白な波。そこにはも他のもなく、もわからない線がただただ広がっている。時の権力者らしいスケールの大きな歌である。

七拾七

瀬をみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ

崇徳院

出 典:詞

口語訳:川瀬の流れがく、岩にせき止められている急流が2つに分かれてもまた合流して流れ続けるように、私たちも(別れてしまったが)またきっとどこかでおうと思っています。

解 説:崇徳院崇徳上皇鳥羽上皇の第一皇子で、5歳若さで即位。のち23歳の時、鳥羽上皇に強いられてわずか2歳の近衛天皇に譲位させられた。崇徳上皇後白河天皇とどちらの皇子を立てるかで対立し「保元の乱」が勃発してしまう。結果敗れた崇徳院讃岐に流され罪人として暮らした。「せかるる」は「せき止められる」、「滝川」が「のような」で「急流」、割れてもは「の流れが分かれる」と「男女が別れる」の意味がかかっており、「あはむ」(おう)に続く。「岩はどうしようもない障害だが、あの急流のように再会しよう」、「岩」「滝川」という言葉には何か強い意志を感じる。

七拾八

淡路島 かよふ千鳥の なくに 幾ねざめぬ 須磨の関守

出 典:金葉集

口語訳:淡路島を行き交う千鳥が鳴くに幾晩覚めさせられたのだろうか。須磨の関守は。

解 説:「淡路島」は言わずと知れた現在兵庫県である。「千鳥」は「チドリ」で辺に住むの一種で、徴とされていた。「須磨」は現兵庫県神戸市須磨区で、の頃にはなくなっていたが関所があった。つまり「関守」は「須磨の関所の番人」である。須磨は源氏物語にも登場し、第十二「須磨」の舞台となっている。源氏が須磨で、「友千鳥 もろに鳴くは ひとり寝覚の 床もたのもし」という歌を読んでおり、はこれを踏まえてこの歌を詠んだのではとも言われている。徴とされる千鳥が眠りを覚ます。少し寂しい情緒がみ取れる。

七拾九

に たなびくの たえ間より もれいづるの のさやけさ

京大夫顕

出 典:新古今集

口語訳:によってたなびいているの切れ間からこぼれ出てくる月の光の澄んで明るいことといったら。

解 説:左京大夫顕藤原公家藤原氏六条(六条)の祖であり、歌人として優れ「詞集」の撰者として知られている。「」が「月の光」、「さやけさ」が「澄み渡っている」を意味すると分かれば意味を理解するのは簡単であろう。見たままを表したシンプルな歌ではあるが、にぼんやりがかかっている月の光流さを感じ取るには充分である。

八拾

長からむ 心もしらず 黒髪の 乱れてけさは ものをこそ思へ

待賢門院堀河

出 典:千載集

口語訳:(あなたの心が)末永く変わらない心か分からず、黒髪も(心も)乱れて、今は物思いにふけっています。

解 説:河は鳥羽天皇皇后、待賢門院の女房。「長からむ心」は「末永く変わらない心」、「乱れて」は「黒髪」と「思へ」にかかっている。「こそ」で係り結びになっており「思へ」は然形。「今」は、所謂「後の歌」であったことを示し言わせんなよ恥ずかしい。「契りを交わしたのはいいけれど、この心は末永い、変わらないものであるのですよね?それが気になって私の黒髪も心も乱れているのです」エロい黒髪乱れるとかエロいなあ!エロいなあ!待賢門院堀河たんの乱れた綺麗な黒髪ペロペロしt(以下自重

八拾壱~

八拾壱 八拾弐 八拾参 八拾四 八拾五 八拾六 八拾七 八拾八 八拾九 九拾
壱~ 拾壱~ 弐拾壱~ 参拾壱~ 四拾壱~ 五拾壱~ 六拾壱~ 七拾壱~ 八拾 九拾壱~

八拾壱

ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば ただ有明の ぞ残れる

徳大寺左大臣

出 典:千載集

口語訳:ホトトギスが鳴いた方を眺めてみれば、ただ明け方のが残っているだけだった。

解 説:後徳大寺左大臣は藤原実定のこと。ホトトギスは初徴。初音(季節の初めの最初の鳴き)を聞くためにわざわざ明けまで起きているのが当時の貴族の流行りだったという。ホトトギスが鳴いた方を眺めてみれば、ホトトギスはもういない。ホトトギスの鳴きの余韻を有明に託した情豊かな初を詠んだ歌である。なんだか文学的だなあ。うん。

八拾弐

思ひわび さてもいのちは あるものを 憂きにたへぬは なりけり

因法師

出 典:千載集

口語訳:思い悩んでいても命だけはあるものなのに、憂鬱を耐え難くれ落ちるんだなあ。

解 説:憂鬱な歌である。「思ひわび」が一般に心について言われるためを詠んだ歌とも言われるが、「命があるってのは(こんなに長く続くのは)残酷だぜ、ボーイ……」のような気持ちを読んだ歌ではないかと解釈する人もある。因法師は本名を藤原頼という。地位は高くないぱっとしない官人であったが、歌に対する向上心・執着心はよく知られている。歌が好きで好きで仕方なく、80歳になっても住吉明神に毎徒歩で通って「秀歌を詠ませ給え!」と祈っていた逸話がある。92歳まで生きて歌を詠み続けた因法師は後、千載集に歌を載せてもらったことに感謝して撰者藤原俊成の中に現れてを流して礼を言ったという話もある。

八拾参

世の中よ こそなけれ 思ひ入る 山のにも 鹿ぞ鳴くなる

皇太后宮大夫俊成

出 典:千載集

口語訳:世の中に(どんなに辛いことがあっても避ける)はないのだ。思いつめて山に入ったが、鹿も(辛いことがあるようで)鳴いている。

解 説:皇太后宮大夫俊成藤原俊成小倉百人一首の撰者・藤原定家父親である。俊成も歌人として著名であり、千載和歌集(千載集)の撰者として知られる。この歌は俊成が27歳の頃に詠まれたものとされ、当時は貴族武士の対立が化しており、秩序が乱れ貴族が衰退し始めた時期であった。「山の」は出の隠喩とされる。俊成の歌人仲間西行法師をはじめ出し、俗世間から逃れようとしていた。「いや、(出したところで)私は逃げられない。現実と向き合わないと」のような気持ちでもあったのだろうか、俊成が出したのは結局62歳の時であった。

八拾四

ながらへば またこの頃や しのばれむ 憂しと見し世ぞ 今はしき

藤原

出 典:新古今集

口語訳:この先も長く生きたのならば、今の時代が懐かしく思う時が来るのだろうか。辛く憂鬱であった昔も、今はしいのだから。

解 説:八拾弐から続く憂鬱な歌の一つ。藤原は歌学者として有名であったが、父親藤原とは仲が悪かった。「憂鬱だ。憂鬱だけど生きていればなんとかなるだ。昔だって辛かったじゃないか。でも今は懐かしい」前向きな感情で締めている。

八拾五

もすがら 物思ふころは 明けやらで 閨のひまさへ つれなかりけり

俊恵法師

出 典:千載集

口語訳:(つれない人を思って)通し物思いにふけっている時は、なかなかも開けないで寝室の隙間でさえつれない。

解 説:この歌は俊恵法師が女性の立場で詠んだもの。おい、誰だネカマとか言ったやつ。「もすがら」は「通し」、「明けやらで」は「が明け切らないで」、「閨」は「寝室」、「ひま」は「隙」で「隙間」のこと。隙間からは明け、朝日が射すはずだがなかなかが開けない。物思いにふけっていると時間が長く感じられるものだ。そんな不眠症のような煩いを寝室の隙間に例えて詠んだ技巧豊かな歌である。

八拾六

なげけとて やは物を 思はする かこち顔なる わがかな

西行法師

出 典:千載集

口語訳:嘆けと言ってが物思いをさせるのか。(いやそうではない、自分のの悩みだというのに)のせいにする私のなのだなあ。

解 説:西行法師は俗名を佐藤義清藤原秀郷流佐藤氏の嫡流でもとは北面の武士として活躍していた。のち23歳の時に出。吟遊の旅に出た。「やは」は反語の係助詞。「する」が結びで連体形となっており、「が物思いをさせるのか(いや、そうではない)」という意味になる。「かこち顔」は「かこつける」つまり、「のせいにする」の意。北面の武士といえば上皇を守るエリート職であるが、西行はその職を捨て俗世の未練を絶ち切り僧侶となった。それでも恋愛(人々へのと解釈することもある)という大きな未練、着を断ち切れないのだ。は人を物思いに耽らせる。

八拾七

村雨の 露もまだひぬ まきの葉に たちのぼる の夕ぐれ

法師

出 典:新古今集

口語訳:にわかの露がまだききっていない槙の葉に、が立ちのぼっている夕暮れである。

解 説:「村雨」は「にわか」、「ひぬ」は「干ぬ」で「かない」、「まき」は「槙(木)」で「上等な木材になるや檜などの木」という意味がわかれば古語の知識がなくてもすんなり意味が分かりそうな句である。夕暮れ憂鬱や寂しさの徴でもあった。シンプルな歌ではあるが、五七五七七の中で憂鬱夕暮れ幻想的に詠んだ歌だ。

八拾八

難波江の のかりねの 一夜ゆえ みをつくしてや ひわたるべき

皇嘉門院別当

出 典:千載集

口語訳:難波入江に生えているの刈り取った節のように短い、一夜のあなたとの旅の仮寝の出来事のために、澪標のように身を尽くして、一生あなたをしく思わなければならないのだろうか。

解 説:拾九、弐拾の歌と同じく、難波の地名が登場。拾九、弐拾の合わせ技のように「難波」と「」、「難波」と「澪標」が登場している。「かりね」は「刈根」と「仮寝」がかかっており、「仮寝」は旅先の宿のこと。旅先で一夜の契りを交わした男のことが忘れられないということを技巧豊かに詠んだ歌である。忘れられないものですよ、肌と肌が濃厚に触れ合えば、ね。

八拾九 

玉の緒よ たえなばたえね ながらへば ぶることの 弱りもぞする

式子内親王

出 典:新古今集

口語訳:私の命よ、絶えるのならば絶えてしまえ。生き長らえば、耐えぶ気持ちが弱まって耐えることができなくなってしまうと困るから。

解 説:「たえ」「ながらへ」「よわり」は「緒」の縁語。伝えられない、人ばなければならない。好きだと伝えたい、それでも隠さなければならない。その心を、「命よ、絶えるのならばいっそ絶えてしまえ」という、強い言葉で表現した歌である。

九拾

見せばやな 雄のあまの 袖だにも ぬれにぞぬれし色はかはらず

殷富門院大輔

出 典:千載集

口語訳:(で濡れて色が変わってしまった袖を)見せたいものです。雄の漁師の袖でさえ、濡れに濡れたって色は変わらないのに。

解 説:つれない男性に向けてのじれったさを詠んだ歌。雄日本三景として知られる松島の一つ。で袖が濡れて色が変わるというのは、が枯れ果てるほど嘆き、遂には血涙を流すという中国の故事からと言われる。この歌は源重之が詠んだ「松島や 雄の磯にあさりせし あまの袖こそ かくはぬれしか」(後拾遺集)という歌を本歌取りして歌会の場で詠まれた。実際に殷富門院大輔がこんなつれない男と付き合っていたわけではない…はず。

九拾壱~

九拾壱 九拾弐 九拾参 九拾四 九拾五 九拾六 九拾七 九拾八 九拾九
壱~ 拾壱~ 弐拾壱~ 参拾壱~ 四拾壱~ 五拾壱~ 六拾壱~ 七拾壱~ 八拾壱~ 九拾

九拾壱

きりぎりす 鳴くや霜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む

後京極摂政前太政大臣

出 典:新古今集

口語訳:こおろぎが鳴いて、霜が降りるほどこの寒いに、筵の上にの片袖を敷いて一人で寝るのかなあ。

解 説:後京極摂政前左大臣とは藤原良経のこと。きりぎりすは現代で言うきりぎりすのことではなく、こおろぎのことである。「こんな寒いひとり寂しくごろ寝するんだろうね。(´・ω・`)さびしいね」ということを詠んだ歌である。「さむしろ」は「寒し」と「筵」をかけている。これも歌会の場で作られた歌。本歌があるとされるが、どの歌が本歌となったかは諸説ある。

九拾弐

わが袖は 潮干にみえぬ の石の 人こそしらね かわくまもなし

二条讃岐

出 典:千載集

口語訳:私の袖は引き潮でも姿を現さないの中の石のようです。誰も知らないけれども(で)く間もないのです。

解 説:「あの人は知らないけれども、私は袖がく間もなくあの人を想っているの」という片想いを石にたとえて詠んだ歌とされる。「人」は世間一般の人という意味だけでなく、「の相手」をすと見ることも出来る。この歌がきっかけで二条讃岐は「の石の讃岐」と呼ばれるようになったという。

九拾参

世の中は つねにもがもな こぐ あまの小舟の 綱手かなしも

鎌倉右大臣

出 典:新勅撰集

口語訳:世の中はいつまでも変わらないでいてほしい。波打ち際を行く漁師のの綱を引く光景はなんとも趣深いものだ。

解 説:鎌倉右大臣は鎌倉幕府3代将軍、源実朝のこと。どちらかと言えば歌人として有名であり、作品集「金槐和歌集」が知られる。実12歳将軍の座につき、28歳で甥の公暁に暗殺された。頼朝の死去以降内情が不安定だった鎌倉幕府に翻弄された実がこの歌を詠んだと考えると…。

九拾四

吉野の 山の さふけて ふるさと寒く 衣うつなり

参議

出 典:新古今集

口語訳:の山の更けに吹き降ろし、古い里である吉野は寒く、衣をうつ砧の音が寒々と聞こえてくる。

解 説:参議経とは飛鳥井経のこと。公家飛鳥井の祖で、歌人として有名。本歌取りで、坂上是則の「み吉野の 山の白雪 つもるらし ふるさと寒くなりまさるなり」(古今集)という歌が本歌である。吉野現在奈良県吉野地方のこと。吉野に離宮があり、多くの天皇が行幸した。しかし今は寂れて山里となっている。「衣うつ」は布生地を打ち付け光沢を出す作業。この具を砧(きぬた)という。山村に砧が寂しくを歌った寂しいながらも流な歌である。

九拾五

おほけなく うき世の民に おほふかな わがたつ杣に 染の袖

前大僧正慈円

出 典:千載集

口語訳:身の程知らずではあるが、この世の人々を覆ってあげよう。杣(山)に住み始めた私が、染の袖を使って。

解 説:慈円天台宗僧侶日本初の歴史論集「愚管抄」を著したことで知られる。染の袖で覆うというのは世の人々の救済をするために祈ることをし、杣は比叡山をしている。比叡山には天台宗本山延暦寺がある。この歌は慈円が若い頃に詠まれた歌とされ、延暦寺僧侶となった慈円が世の人々の為に幸せを祈ろうとする決意を詠んだ歌と思われる。

九拾六

さそふ の庭の ならで ふりゆくものは わが身なりけり

入道前太政大臣

出 典:新勅撰集

口語訳:が庭のを誘い、のように降りゆくのではなくて、古りゆくのは私自身なのだなあ。

解 説:入道前太政大臣は、西園寺公経のこと。はだいたいし、これもと考えて間違いないだろう。「降る」と「古」が掛かっている。は美しく咲き誇るが、いざびらが舞い落ちると寂しく感じる。吹雪に老いてゆく自分を重ねて読まれた歌。

九拾七

こぬ人を まつほのの 夕なぎに 焼くやもしほの 身もこがれつつ

権中納言定家

出 典:新勅撰集

口語訳:いつまで待っても来ない人を待っていると、帆の夕凪の頃に焼く藻のように私の身も(い)焦がれている。

解 説:権中納言定家藤原定家のこと。この百人一首を撰んだお人である。「待つ」と「帆」をかけている。帆は淡路島の地名。藻藻から作られたのこと。「名寸隅の 舟瀬ゆ見ゆる 淡路島 帆のに なぎに 玉藻刈りつつ 夕なぎに 藻焼きつつ 海人子 ありとは聞けど 見に行かむ よしのなければ ますらをの 心はなしに たわや女の 思ひたわみて たもとほり れはぞふる 舟楫をなみ」(万葉集)という長歌を本歌とする。夕暮れ時、待ち人が来ず焦がれていることを、焼かれる藻と絡めて叙情豊かに詠んだ歌である。

九拾八

よぐ ならの小川の 夕ぐれは みそぎぞの しるしなりける

従二位

出 典:新勅撰集

口訳訳:がそよそよ吹いて楢の木の葉を揺らしているならの小川夕暮れは、の気配となっているようだが、(川辺で行われている)禊祓いこそが、であることの拠なのだなあ。

解 説:従二位藤原後鳥羽上皇の時代の代表的な歌人である。「ならの小川」は上賀茂神社内を流れる小川す。「みそぎ」は「六月祓(みなづきのはらえ)」のこと。旧暦6月現在7月に当たり、蒸し暑くなり疫病が発生しやすい季節だったため、罪や穢れを祓い落とすため、6月30日、つまり日に六月祓が行われた。7月からはの上ではとなる。に変わりつつある、の終わりの神事の風景を詠んだ歌。ちなみにこの歌、藤原入り具となった屏に書かれたとか。

九拾九

人もをし 人もうらめし あぢきなく 世を思ふゆえに 物思ふ身は

後鳥羽院

出 典:続後撰集

口語訳:人のことをいとおしくも、恨めしくも感じる。世の中がつまらないと感じて、色々と悩んでしまうこの私には。

解 説:後鳥羽院鎌倉時代初期の天皇。のち土御門天皇に譲位し、上皇となり院政を敷く。鎌倉幕府との勢力争いから北条氏を打倒するために挙兵するも、敗れて隠岐へと流罪の憂きに遭った。「をし」は「いとおしい」の意。「あぢきなく」は「つまらない」「おもしろくない」の意である。貴族から武士へと権勢が移るのをの当たりにした後鳥羽院。その胸中には、この歌のように憎が巡っていたのだろうか。

ももしきや ふるき軒ばの しのぶにも なほあまりある 昔なりけり

順徳院

出 典:続後撰集

口語訳:宮中の古くなった軒端のを見ていても、昔のことがしのんでもしのびつくせないほど思い慕われてくるなあ。

解 説:順徳院は九拾九、後鳥羽院の第3皇子。のち天皇となり、父親と同じく上皇となった。後鳥羽院の挙兵に従うが、敗れ佐渡島に流されてしまう。「ももしき」は「敷」で宮中、内裏のこと。「しのぶ」はノキシノブシダの一種の植物)と「ぶ」が掛かっている。「昔」は醍醐天皇村上天皇が在位していた延喜、の時代をす。「今は武士の世になってしまって、皇居もすっかり古くなってしまった。昔は貴族が栄えていてよかったなあ(´・ω・`)」というようなことを詠んだ歌。

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