1941年生まれ。文芸評論。
(最終更新:2009年4月20日)
[インタヴュー]
『解体』の輪郭執筆──六〇年代アートシーンの坩堝から 日埜直彦──今回は『建築の解体』についてうかがいたいと思います。この本は建築における六〇年代の終わりを象徴...と思うんです。『隠喩としての建築』を書いた柄谷行人が、「あれを読んだから書いたんだ」と言って...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.190-205
[建築家的読書術]
...雄+松永安光訳、彰国社、一九七九)。 一一、柄谷行人『隠喩としての建築』(岩波書店、二〇〇四)... ...ハムの書いたものは要チェックである。 2──柄谷行人『隠喩としての建築』五、磯崎新はたくさんの本...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.86-88
[インタヴュ―]
...確信犯的にブントだったんでしょうね(笑)。柄谷行人がどうなっていたのか実は無知のまま、この間... ...うはいかない。小林秀雄の立場はそれに近い。柄谷行人は小林秀雄的なものを批判していますから、純...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.263-276
[セヴェラルネス:事物連鎖と人間4]
...れなかったであろう。 ★ 五──管見の限り、柄谷行人だけが唯一、セミラチスがツリーの重合体にすぎ... ...し示すのかについての検討はなされていない。柄谷行人『隠喩としての建築』(講談社、一九八三)を...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.12-23
[現代住宅論 2]
...ける「コペルニクス的転回」である。評論家の柄谷行人は「美学の効用」と題する論文において、カン... ...を意味する。 柄谷行人「美学の効用──『オリエンタリズム』以後」 『定本柄谷行人集 四──ネー...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.225-233
[批評]
...のさしずめ「忘れ得ぬ人々」だったのであり、柄谷行人なら風景の「価値転倒」とよぶだろうものだっ... ...oli International, 1991)より4 あくまでも臆断だが、柄谷行人のいう「日本近代文学の起源」、あるいは「風...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.68-87
[論考]
...「風景の発見」的問題設定の問題性 柄谷行人は『日本近代文学の起源』(講談社、一九八)のなかで、... ...視線を問い直すことはできない、と。これは、柄谷行人の、「『風景』以前の風景について語るとき、...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.107-118
[論考]
...やボードレールによる「笑い」の概念に倣って柄谷行人が述べたように、「同時に自己であり他者であ... ...。 ★五七──Ibid., pp.87-92.参照。 ★五八──柄谷行人『ヒューモアとしての唯物論』(講談社学術文庫...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.108-119
[現代建築思潮]
...男『日本の思想』、吉本隆明『初期歌謡論』、柄谷行人『批評とポストモダン』からの抜粋についてで... ...動のひとつと位置づけている。 [大島耕平] 柄谷行人「批評とポストモダン」(『差異としての場所...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.47-54
[映画の地理学 4]
...とは「心臓の恐ろしさ」だ、と漱石が、または柄谷行人が言うとき、主観は排除され、ただ見知らぬ他... ...だ。この倫理原則がカントによって提唱され、柄谷行人が『トランスクリティーク──カントとマルク...
『10+1』 No.21 (トーキョー・リサイクル計画──作る都市から使う都市へ) | pp.39-40
[現代住宅論 4]
...性を含めて問題にしていたからである。例えば柄谷行人は「ツリー」の背後に潜む思想について、次の... ...本的な敵意がある。『隠喩としての建築』(『柄谷行人集』二、岩波書店、二〇〇四) 柄谷は、近代...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.213-222
[都市表象分析 4]
...していた危機のひとつの表われと捉えられる。柄谷行人が明快に説いているように、マルクスの『ルイ... ...ルテ『クーデターの技術』一一頁。 ★二四──柄谷行人「表象と反復」(カール・マルクス『ルイ・ボ...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.2-13
[グローバリズム 3]
...ーヨークのグッゲンハイムでの展覧会のために柄谷行人が書いた「美術館としての日本」における、西... ...20世紀」展カタログ、一九九八)。 ★二五──柄谷行人「美術館としての日本」(『批評空間』II─1、...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.225-236
[批評]
...ディでもある。それは行き過ぎた都市なのだ。柄谷行人はかつて、二◯世紀における諸学問・諸芸術の... ...一九九六年、岩波書店、一九六頁)。 ★八──柄谷行人『批評とポストモダン』(一九八九年、福武書...
『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.74-85
[都市の傷痕とRe=publik 6]
...なのだ、と言う論調。こうした方々は、きっと柄谷行人『隠喩としての建築』(一九八一)の議論を半... ...研究』(INAX出版、一九九八)。 ★二─四──柄谷行人『隠喩としての建築』(講談社学術文庫、一九八...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.27-28
[対談]
...る「郵便空間」という概念を提起されている。柄谷行人さんはかつて「隠喩としての建築」と言ったけ... ...ん自身が先ほど交通の比喩を出されましたが、柄谷行人さんの出された「交通空間」と「郵便空間」と...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.74-91
[鼎談]
...哲学との親和性がある。 隈──現代思想でも、柄谷行人さんが一時期建築で人気があったのは、やっぱ... ...聞き込みも特徴的ですね。 永江──多木浩二、柄谷行人といった建築家以外の人が書いた建築について...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.54-70
[論考]
...の上に現われてくるものなのである。 ここで、柄谷行人が『日本近代文学の起源』のなかで国木田独歩... ...)における議論や解説も参照。 ★三──以下、柄谷行人『日本近代文学の起源』(講談社、一九八〇)...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.126-135
[非都市の存在論 10]
...ろうか。 1──キルヒャーによる古代漢字書体柄谷行人が指摘するように、ライプニッツにとっての課題... ...頁。 ★六──次を参照。子安宣邦・酒井直樹・柄谷行人(共同討議)「音声と文字/日本のグラマトロ...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.9-21
[別種の自然 2]
夢にいたる、狭く暗い回廊には危険が満ちている。言うまでもなく、それは狂気である。古井由吉は「就寝の手続きなるものがあるそうだ」と始めてこう続ける。この手続きが何...としたために、このような「ほとんど狂気」(柄谷行人)の場所にたどり着く。この狂気が、卓越した...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.32-33
[グローバリズム 2]
1 福岡 一九九〇(ポストモダン) vs 日本 戦後(モダン) PART1 前回「ペキン 二〇〇三」の冒頭で引用したコールハースのテクストは、「日本に関して...タナティヴを日本に見たがる人は少なくない。柄谷行人は、これを、日本文化への愛と尊敬をその経済...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.230-238
[現代建築思潮]
「批評」は必要なのか? 今村──今度始めようとしている「現代建築思潮研究会」には、「建築を巡る言葉の力を取り戻したい」というモチーフがまずあります。そして、そこ...したが、その最初のところで、東さんが最近の柄谷行人はだめだと論理的にはっきりと言っています。...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.32-42
[「悪い場所」にて 15]
旅先のホテルで久しぶりにテレビをつけると、日曜だけあって各局趣向を凝らしたセットを組んではいるのだが、それらが一様に卑俗な秋の日本美をなぞっているようで朝から気...しているからだ。 だいたいこの問題は、以前に柄谷行人が書いていたが、かつて川端康成がノーベル賞...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.37-39
[Urban Tribal Studies 10]
物が与えられ、返されるのは、まさしく〈敬意〉──われわれはさらに、〈礼儀〉と呼びうるかもしれない──が相互に取り交わされるからである。 しかし、そればかりでなく...、日本でもLETSを媒介にした社会運動が始まり、柄谷行人らがそのマニフェストを発表しているが、悲し...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.221-230
[セヴェラルネス:事物連鎖と人間 5]
大極殿の発見 奈良の平城京、とくに天皇による政(マツリゴト)の中心施設であった大極殿(ダイゴクデン)の位置同定には、もはや伝説とも言うべき逸話が存在する。 平城...して」(『國文學解釈と教材の研究 特集:柄谷行人の哲学・トランスクリティーク』學燈社、二〇...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.13-25
[建築の解體新書 7]
論理的徴候 岡崎乾二郎 1 知られているように富永仲基(一七一五─一七四六)は荻生徂徠の思想の圧制をもっともよく批判しえた人物でした。富永仲基のような存在がな...にすでに先行する論が叩き台にされ覆される。柄谷行人がかつて書いたように、しかし本当の問題は、...
『10+1』 No.21 (トーキョー・リサイクル計画──作る都市から使う都市へ) | pp.12-20
[1990年代以降の建築・都市 3]
フラット派批判 昨年末、飯島洋一が「反フラット論──『崩壊』の後で 2」という文章を発表した★一。この論は世界貿易センタービルの破壊に触れて、スーパーフラットの...。 資本主義は全体化しているのだ。しかし、柄谷行人が言うように、「(一九八九年のベルリンの壁が...
『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.142-153
[都市表象分析 20]
1 「都市とその起源」 写真家畠山直哉には、石灰石鉱山を扱った連作《ライム・ヒルズ》(一九八六─九〇)、《ライム・ワークス》(一九九一─九四)、《ブラスト》(一...する風景』、八─九頁)参照。この議論はほぼ柄谷行人の考察に依拠している。 ★一六──畠山「ライ...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.2-12
[「悪い場所」にて 14]
不気味な嵐の前の静けさのような心境だ。思えばここ五年ほどで、いろいろなことが変わってしまった気がする。説明責任、安全基準の徹底、個人情報保護、消防法の厳守、著作...より過激なかたちで実現されてしまっている。柄谷行人ではないが、たしかに小説的想像力、とりわけSF...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.33-34
[別種の自然 3]
「あなたの本を読んでいたら、『千と千尋の神隠し』を思い起こしましたよ」。 「あなたの本」というのは、私が一昨年末に出版した『森と建築の空間史──南方熊楠と近代日...しかしここにきて、「今こそ主題が必要だ」(柄谷行人)という声があちこちから聞こえてくる。とこ...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.33-35
[批評]
あなたは寝室の天井の色を覚えている? 白、だと思う。グレーかもしれない。ベージュかな。紫がかっていたかも……。 写真的記憶という言葉がある。何かの事物を言葉と...点で、写真の発明と主張する発明家もいれば、柄谷行人のように 、大量複製が可能となるネガ=ポジ法...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.230-241
[対談]
1 『ポスト・モダニズムの建築言語』の時代背景 日埜──今回の特集のテーマは「八〇年代建築を読み直す」としています。ポストモダンの建築に対する評価、あるいは距離...晰な状況説明というか指針でした。あるいは、柄谷行人の『隠喩としての建築』はウィトゲンシュタイ...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.62-77
[論考]
1 なぜ八〇年代なのか リヴィジョニズム リヴィジョニズム=re-vision-ism、という言葉を聞いたことがあるだろうか。ちょっと耳慣れない言葉かもし...うした議論に負うところがあったと思われる。柄谷行人は文芸批評の文脈から出発し、知識人の左翼的...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.78-92
[批評]
建築にとって装飾とは何か? 現在の装飾論ということであれば、まず鶴岡真弓の仕事に触れなければなるまい。ケルト美術研究に始まり、さまざまな装飾・文様の再評価によっ...者」の提示が、同じく八〇年代に広く流通した柄谷行人の著作に何度となく反復される「他者」概念に...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.164-171
[建築を拓くメディア]
「磯崎新を軸に日本建築史を読みなおす」。これがこの小論に課せられたテーマである。磯崎新の近年の日本を主題とした著作、『空間の行間』(福田和也との共著、筑摩書房、...えない重みを持って迫ってくるだろう。それは柄谷行人の『日本精神分析』(文藝春秋、二〇〇二)が...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.118-121
[キーワード]
連続と切断の言語風景── 1990年代の都市と建築をめぐって 南泰裕 たったいま終わりを告げたばかりの、1990年代の都市と建築を切り出して、「何かが確実に変わ...た、建築プロパー外からは、デリダ、浅田彰、柄谷行人、ジェイムソン、ハーヴェイ、ライクマン、ク...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.68-87
[論考]
Uchida who? 最近のインタヴューで、レム・コールハースに対して磯崎新が「彼がもう少し長く生きていれば丹下健三の最大のライヴァルになったであろう」と語っ...争と昨今の経済戦争を重ね合わせてみている。柄谷行人の『〈戦前〉の思考』や福田和也の『日本の家...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.114-120
[映像/写真 1]
この五月に三原港からフェリーで三〇分弱の瀬戸内海上に浮かぶ佐木島で「鷺ポイエーシスI──映画と建築の接線」なる野心的なセミナーが開催された。舞台となったのは鈴木...た二人の若い映画作家、井土紀州と諏訪敦彦が柄谷行人とともに「日本映画における〈主題〉の不在を...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.30-31
[建築の還元 3]
1 純粋さ、または他者という与件 おそらく多くの建築家や建築をなす者が問うてきたのと同じように、私もまた、「建築にとって何がもっとも重要か」ということを繰り返...重要か」と問わざるをえないのである。 例えば柄谷行人は、建築と映画があらゆる芸術の中でもっとも...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.189-199
[新・都市の下層民 6]
0 一九二〇年代のベルリン、およびパリを活写したベンヤミンの『一方通行路』には、「物乞い、物売り、お断り!」という短い断章がある。実際にパリやベルリンの街を歩い...トを開催するなどの活動を行なっている。 3 柄谷行人は、『批評空間』II─22(太田出版、一九九九)...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.26-26
[Urban Tribal Studies 5]
具体的な事例の記述と分析からはじめたい。はじめて海外でトランスのレイヴ・パーティに参加したある女性(日本人、研究者)は次のように語った。 「みんなが同じ音楽で、...な問題となるだろう。しかし、プロ野球好きの柄谷行人がむきになってサブカルチャーを参照する議論...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.208-218
[建築の還元 1]
1 〈交通問題〉としての近代、および建築 ひとつの表現をなすことの、恐らくはきわめて現在的で共同了解的な認識であるに違いないのだが、長い間、私は自らを建築につい...野村修編訳、岩波書店、一九九四)。 ★四──柄谷行人『隠喩としての建築』(講談社、一九八三)。 ...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.2-12
[映画の地理学 6]
別の場所に『フルスタリョフ、車を!』について書いた文章の中で、私は〈種の目〉という言葉を用いた。 「種の目」は、象徴的であるにもかかわらず何も代表しない。とい...で、この〈種の目〉を主観と呼べるだろうか。柄谷行人によれば、サルトルは、物自体を外的な対象と...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.41-42