五十嵐太郎
市ヶ谷出版社、2008年、319ページ
ISBN=4870711478
[インタヴュー]
「様式の併立」をめぐって 日埜直彦──これまで伺ってきたお話を振り返ってみると、大きくは桂離宮を巡り端的に現われた日本の近代建築と伝統建築の問題ということになる...たいと思っております。 一般に日本における近代建築史のストーリーとして、例えばル・コルビュジエ...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.187-197
[インタヴュー]
戦後の日本建築界 日埜直彦──今回は一九五〇年代を視野としてお話を伺いたいと思っております。当時の建築の世界においてモダニズムに対する信頼は揺るぎないものだった...す。そしてその運動を先導するのが前衛です。近代建築史において、歴史を運動史だけで書いてしまう...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.169-176
[東アジア建築世界の二〇〇年 1]
...旧知の数名の研究者たちと二日ほど酩酊した。近代建築史に関してはすでに交流があるものの、その関... ...るだけでは袋小路に入ってしまう。実際、韓国近代建築史の研究には閉塞感が漂い始めている。 この雰...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.189-200
[論考]
...の中にある「近代建築」像とは、私がいる日本近代建築史学とは、実のところ何だった(である)のだ... ...の隔たりは大きく、それらをひと括りに「日本近代建築史」の祖先とするのは遡行する私たちの観念だ...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.149-163
[年表]
...建築の年表ではなく、日本近代建築史の年表を作成した。 「日本近代建築史」は通常、幕末・明治初期... ...と同時代との接点にあたる。日本建築史、西洋近代建築史、アジア建築史は、隣接しながらそれぞれ影...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.164-165
[対談]
...よりも広義の意味での言説を中心に明治以降の近代建築史を概観するという趣旨で、ここでは「建築史... ...を取り上げようと思います。いろいろと「日本近代建築史」に関するテクストを読んでいると、当り前...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.62-76
[CONCEPTUAL 日本建築 8]
...チャードソン) 引用出典=日本建築学会編『近代建築史圖集』(彰国社、1974)3──カーソン、ピリ&... ...店 (サリバン) 引用出典=日本建築学会編『近代建築史圖集』(彰国社、1974)4──最初の日本旅行で...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.222-237
[論考]
...観についてであった。建築保存の概念生成は、近代建築史の問題であり、建築と保存の境界を問うこと... ...、そこからは、藤森による一九七〇年代以来の近代建築史への独特のアプローチが、そもそも保存への...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.120-125
[現代住宅論 2]
...リクスの歴史的背景について考えてみよう。 近代建築史を辿ると、そこにはさまざまなデザイン思想が... ...モダニズムがうみ出したものである。一方で、近代建築史家たちの研究は、新しいデザイン思想は以前...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.225-233
[東アジア建築世界の二〇〇年]
...(『ユ98中国近代建築史国際研討会論文集』、中国建築学会研究史学分会中国近代建築史専業委員会ほか... ...ェート空間となっていた。 この邸宅が日本の近代建築史において注目を集めるのは、コンドルの手によ...
『10+1』 No.29 (新・東京の地誌学 都市を発見するために) | pp.212-224
[建築家的読書術]
...たときに読むと、元気が出る本である。 二、近代建築史の教科書のような本だが、意外にちゃんと読ま... ...同じことはN・ペヴスナーやL・ヴェネヴォロの近代建築史に関する本についても言えるだろう。 三、僕...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.86-88
[東アジア建築世界の二〇〇年]
...建て、学校、病院を設けた★七。 従来の日本近代建築史では、三島のこれらの業績を含む、地方の土木... ...建物は、「植民地」建築としてではなく、日本近代建築史の太い幹の上に位置付けられる。 ただ、実際...
『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.162-175
[論考]
...ように見える。おそらくそれは、藤森が、日本近代建築史を担ったからではないだろうか。 アジアでの... ...目によって、様式、技術、思想を統合した日本近代建築史を目指したのではないかと思えるのである。...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.134-141
[インタヴュー]
... 青井──そうですね。神社というと何となく近代建築史の枠の外の、とても特殊な世界のように思われ... ...)。要するに最初の二〇年間は本当の意味での近代建築史の神話時代だった。文献がなくて作品だけ残...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.54-77
[現代住宅論 3]
...建築運動が勃興したのは二〇世紀初頭だから、近代建築史とアルミニウム建築の歴史はほぼ重なり合っ... ...るが、おしなべて近代建築史の傍流を歩んでいることである。この事実は近代建築史におけるアルミニ...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.209-221
[建築を拓くメディア]
...版が一九八七年に『a+u』誌に翻訳連載され、近代建築史における話題の書であったことはいまさら言う... ...が、「現代」という言葉がもたらす響きが西洋近代建築史に確固たる現代性、批評性を与えているのは...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.122-123
[論考]
...「……の誕生」といった枠組みがそうであり、近代建築史でも「日本的なもの」をめぐる〈言説〉の検... ...──近代・神社・建築史 神社の問題は、日本近代建築史のなかにそれなりに重要な位置を与えられてし...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.107-118
[論考]
...るだろう。じっさい、藤森の狭義の専門は日本近代建築史だが、彼の思考の経路は不断に〈初原〉へと... ...〉。探求のための歩く力である。藤森は〈日本近代建築史研究のための三大プロジェクト〉として、〈...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.126-133
[論考]
...う用語が徐々に定着してゆくのである。 日本近代建築史のなかで 建築史学の展開のなかで看板建築の... ...ニア的活躍が浮かび上がってくる。当時の日本近代建築史研究は明治建築にひとつの区切りをつけ、い...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.100-107
[1990年代以降の建築・都市 3]
...ようになるものだ。断絶の強調は、英雄中心の近代建築史が操作したイメージに過ぎない。飯島は、理... ...をつき破る鍵なのではないか。ギーディオンの近代建築史のように、「大きな物語=歴史」は、事件が...
『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.142-153
[集中連載 2]
...は上記のシュルツェ・ナウムブルグが、従来の近代建築史では、ナチズムの「血と大地」の路線の代表... ...九〇四/〇五)を出版した。この流れは従来の近代建築史で進歩的な傾向の主流として位置づけられて...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.194-207
[東アジア建築世界の二〇〇年]
...た。 ウォートルスのこの銀座煉瓦街を「日本近代建築史」上の事物として、西洋(イギリス)との関わ... ...四〇──禹大性、前掲書。 ★四一──アジア近代建築史における琉球の位置づけについては第四章で詳...
『10+1』 No.24 (フィールドワーク/歩行と視線) | pp.201-213
[連載 9]
...)これは該当している。近代都市計画の歴史を近代建築史の本から繙こうとする時、われわれがその先... ...ーザール=旧派という先入概念に把われすぎた近代建築史のテクストでは見すごされてきたが、近代都...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.182-199
[万博という問題系2]
第二の戦争画としての「万博芸術」 椹木──この秋に『戦争と万博』という本を出すことになっているので、まずそのあたりから話を始めてみることにします。その前提として...健三を英雄に仕立てるわけですから。 戦後の近代建築史では、なんとなくナショナリズムの帝冠様式を...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.80-95
[論考]
二〇世紀という工業化の時代を生き抜いたジャン・プルーヴェ(一九〇一─一九八四)がコンストラクター(建設家)として、マレ・ステヴァンス、トニー・ガルニエ、ボードワ...座に理解されてきたかどうかは定かでない。「近代建築史」の基本文献に目を通してみても、プルーヴ...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.90-97
[万博という問題系 3]
丹下研究室の浅田孝 五十嵐──磯崎さんと万博の関わりを整理しておくと、まず大阪万博の現場でテクノロジーの最前線におられたと同時に、反博のアーティストらとも交流を...クックと二度対談しました。イギリスに数いる近代建築史家や批評家のなかでは僕は依然としてメタボ...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.96-111
[アート・レヴュー 1]
今年も現代美術の祭典であるヴェネツィア・ビエンナーレがオープンした。二年に一回開催されるこの国際美術展は、今年で四八回目である。同様の国際美術展にドイツのカッセ...の記念碑的なバルセロナ・パヴィリオンなど、近代建築史において、万国博覧会のパヴィリオンは非常...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.41-42
[東アジア建築世界の二〇〇年]
三─一 帝国主義とその手先 帝国主義とその発端 一八八七年六月二一日、ほぼ一一五年前のこの日に戻って世界のあちこちを見渡してみたならばその賑やかさには圧倒された...も参加した調査の報告書で、藤森照信は、日本近代建築史の叙述の仕方と同様に、建築のスタイルの変...
『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.196-204
[連載 8]
17 機能主義という抽象モデル ル・コルビュジエの一連の都市計画のモデルは機能主義的ともいわれるわけだが、もはや自明なものとしてその思想史的な意味を問われること...ビュジエの反ボーザール史観に同調する多くの近代建築史は、機能主義/合理主義に共感を示しながら...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.198-212
[グローバリズム 4]
1 東京 二〇〇三 vs 東京計画一九六〇 vs ドバイ二〇〇? 東京のど真ん中に誕生したばかりの新しい都市、「六本木ヒルズ」のそのまた中心を占めるタワ...ールからデッサウ、ベルリンと転々したことは近代建築史の常識に属するが、ワイマールとデッサウ(...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.208-220
[ポストモダニズムと建築 1]
...築分野に引き寄せて最も狭義に考えれば日本の近代建築史上の近代主義がそこで終焉したということに... ...してくる。国内では村松貞次郎らによる『日本近代建築史再考──虚構の崩壊』(一九七五)が、それ...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.18-19
[1990年代以降の建築・都市 4]
近代都市のアール・ヌーヴォー 今から一〇〇年前、地下鉄が近代都市のシンボルだった頃、パリのメトロの入口が、エクトール・ギマールの設計によって華麗に飾りたてられた...「建築」を設計する人物ではない。今でこそ、近代建築史の教科書を開けば、これらの作品は近代建築...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.156-166
[現代建築思潮]
1日目:建築家の有名性──戦中・戦後の建築雑誌にみる丹下健三の表象 南後由和 南後由和──日本の建築家を取り巻く制度、建築ジャーナリズムの系譜を追いかけながら、...れている、早稲田大学戦後建築研究会「〈日本近代建築史〉年表」をお配りしました。 戦前・戦中の建...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.27-44
[建築を拓くメディア]
「磯崎新を軸に日本建築史を読みなおす」。これがこの小論に課せられたテーマである。磯崎新の近年の日本を主題とした著作、『空間の行間』(福田和也との共著、筑摩書房、...論」なのである。神代の著作は日本建築史から近代建築史に及ぶが、これらにおいて積極的に掘り下げ...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.118-121
[批評]
建築にとって装飾とは何か? 現在の装飾論ということであれば、まず鶴岡真弓の仕事に触れなければなるまい。ケルト美術研究に始まり、さまざまな装飾・文様の再評価によっ...あり、それはまた後に批判される点ともなる。近代建築史はマニフェストによって作られ、理念によっ...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.164-171
[論考]
焦土の幾何学 「あーきれいだ、絵画的だなー」★一。 疎開先の山梨から東京に戻り、強い夕日を受けた褐色の焼跡を見て、甚だけしからないことだと思いつつ、東京帝国大学... モダニズムと直線の伝統 岸田日出刀は「欧州近代建築史論」をまとめて学位を取った後、一九三〇年...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.119-129
[建築を拓くメディア]
建築系の映像といえば、デルファイ研究所からリリースされた「現代建築家シリーズ」が基本的なビデオといえるだろう。ロバート・ヴェンチューリとデニス・スコット・ブラウ...ないが、書き言葉ではなく、話し言葉によって近代建築史を伝えるジョン・ピーター『近代建築の証言...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.134-135
[中国]
1956年北京生まれ。南京工学院建築系卒業。84年渡米して、建築を学ぶ。ライス大学で教鞭をとっていたが、中国の変化に魅力を感じ96年帰国。妻とともに93年、「非...でも、今をかたち作っている建築界も、中国の近代建築史では当初少数派にすぎなかった。一九二六年...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.124-125
[メキシコ]
1966年メキシコ生まれ。89年モンテレイ工科大学建築学科卒業。97年ハーヴァード大学大学院デザイン学部卒業。94年以降独自に設計活動を開始している。現在、モン...ロドリゲスはアングロ・サクソン主導の「西洋近代建築史」ではほとんど無視されているメキシコのモ...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.118-119
[論考]
1 なぜ八〇年代なのか リヴィジョニズム リヴィジョニズム=re-vision-ism、という言葉を聞いたことがあるだろうか。ちょっと耳慣れない言葉かもし...代とそれ以降の間にあるのみではない。日本の近代建築史においても、戦中期から戦後期にかけてのプ...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.78-92
[論考]
一九三六年に結成された「日本工作文化連盟」は、日本における近代建築運動の先駆けとなった分離派建築会の中心人物である堀口捨己から、戦後の建築界を牽引することになろ...築思潮の形成」(『新訂建築学大系・第六巻 近代建築史』彰国社、一九七六)。 ★八──村松貞次郎...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.130-142
[鼎談]
建築と身体、ジェンダー 五十嵐── 今回の特集は、もともとは身体、ジェンダーなどの問題からスタートしました。僕は一九九〇年頃から美術史におけるジェンダーの問題に...しょう。 アメリカの表象的な論者の多くは、近代建築史の研究者であるのですが、ヴィドラーは、一八...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.62-81
[論考]
1「千年王国」の現在 電子レンジ、ディスポ─ザ─、ふかふかとしてとても心地よいじゅうたん。ふんわりとしていて、温泉に浸っているような、こうした文明形態は、否応...。カフカの城もそんなだったかもしれないが、近代建築史における神殿と工場という二つのメタファ─...
『10+1』 No.04 (ダブルバインド・シティ──コミュニティを超えて ) | pp.21-32
[翻訳]
建築のパラドクス──ピラミッドと迷路 1 建築に携わる人ならたいてい、ある種の幻滅と失望を感じたことがあるはずだ。二〇世紀初期に生まれたユートピアの理想が実現...。唯一このパラドクスに代わるものは沈黙だ。近代建築史に放たれる究極の名文句、つまり自滅を招く...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.301-316
[批評]
個人の人格がこれほど多くに分裂している時代では、おそらく怒りが最大のインスピレーションである。とつぜんにひとつのものが、ひとつの要素のなかでのすべてとなるのだ ...エの協力を示唆する者までいまだにいるのだ。近代建築史の大半においては、最も最近のもので見かけ...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.218-226
[批評]
ル・コルビュジエが白い服をたえず褒めたたえたのはもちろん、色彩の過剰を攻撃していたからである。『今日の装飾芸術』で彼は白く塗りつぶすことを実に熱心に宣伝し始めた...のの、しかし説明されないままなのだ★一六。近代建築史のあらゆる大著は彩色された絵画を見過ごし...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.95-112
[論考]
現代の建築保存は実に多様なあり方を示している。厳格に現状を維持しようとする保存修理から、移築、再建、復元まで、その手法は幅広い。また、保存すべき対象も、建物の種類、建てられた年代、ともに拡大の一途をたどる。 修復や保存が建築の大きな主題としてクローズアップされはじめたのはおよそ二世紀前のことである。一九世紀の建築家たち...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.112-113
[翻訳]
今日、東京は経済発展を遂げた世界で最大の都市cittàである。ここで用いる「都市città」という用語はおそらく不適当で時代遅れの感さえあるのだが、より適当な言葉がないという理由で慣例的に使っている。日本語では「市」というひとつの漢字に、異なる二つの概念、すなわち市場と都市という意味をあてるのだが、これはおそらく偶然で...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.152-161