過去と未来
2011年 03月 30日
外で、近所の友達と遊んでいた末っ子。
昼になってもなかなか戻ってこないので、ワイフは次男に呼びにいかせた。
それから、ミイラ取りがミイラになったらしく,二人ともなかなか帰ってこなかった。
30分以上経ったころ何かあったかとワイフが見に行こうと思ったら,ようやくにして二人とも帰ってきた。
さあ、それからが予想もしない話の展開。
昼ご飯半ばで,なんだか気持ちが悪いと言い出した末っ子。
よく聞いたら転んで頭を打ったとのこと。
ワイフが丁寧に見たがそんなに腫れてもいなかったので、とりあえず、安静にさせて様子を見たが,それでも気分が変わらないというので、あわてて脳外科に連れて行ってCTスキャン。
痛いことないからと言っても機械が怖い怖いというのでやむなくワイフは放射線遮蔽エプロンを着て手を握っていたという。
で,その頃には末っ子の気分の悪いのも痛いのも確かに薄らいでいたとのこと。しかし,目隠しもさせずに,眼を瞑って居なさいと子供相手にやるってのも少しなあと思ったそうだが、それはまた別の話。
その後、検査の結果を伝えるドクターからワイフは驚愕の事実を聞くことになる。
検査結果の段になって末っ子はなぜか、看護婦さんに別の部屋に連れて行かれてワイフ一人。
なんだこれは?とかなりビビるシチュエーション。これについては,後で話を聞いて、私が居ないところで、よく一人で対応してくれたなと思った。本当に心から感謝している。
「検査は全く問題ありませんでした。」
「ああ,よかった・・・はい?」
「頭蓋骨が骨折していましたね。」
「えええ?!」
「今の話じゃありません。随分古いですね。もちろんもう治ってます。」
ワイフは、思い当たることがあったかなかったか,ショックに動揺して思い出すこともできなかったという。膝ががくがく震えたと云う。CTスキャニングというのは,凄いと当時に恐ろしいものだ。私も,実は最悪の可能性があって3/11にMRIを撮ったが,自分の脳内の循環系の細部を見渡せるその像に驚愕した。
私も思い出せない。身体能力はそこそこ高いが,それにも増して結構無茶をするので、しょっちゅう転んだりぶつかったり。
少なくともたんこぶを作ったのを見たのは,一回か二回ぐらいだったが、もちろんそのときには、医者に連れて行ったり,痛み無いとかあるとか、それなりの対応してきたつもりで、信じられなかった。脳にダメージが行ってないから、頭の柔らかかった赤ん坊の時ではもちろん無いだろう。この状況だと自己申告されなかった時とは思えないのだが。本人、勿論“覚えてない”。ええい,チコにでも聞くかよ,おい。
末っ子の場合、見ているとどうも痛覚に生まれつき強く我慢できてしまうのはありそうだが、とりあえず帰宅して一部始終を聞いていから、頭ぶっつけてすぐに戻ってこずに、遊び狂っていた末っ子と,呼びにいっても一緒に遊んでいて、頭打ったことを末っ子に聞いていながら,ワイフにすぐに報告しなかった次男を、叱ったのでありました。ワイフにさんざん怒られた後だったみたいだけれど。
「ともかく・・・頭,派手にぶっつけたら遊び中断して帰っといで。それでちゃんと報告しなさい・・・聞いてる?!ふたりとも」
自分のことを鑑みて、男の子なら手足がちぎれたり,眼球飛び出していなければ少々のことがあっても驚くに値しないのと思っているのだが。自分の子供が自らの手からもがれて失ってしまうなんてことは,なかなか親は考えたりできない。
震災と津波で多くの人が亡くなられたり家族を亡くされたりしている状況を見ていて、今、遠く離れた地で家族と飯食っている自分がナイーブなことをつぶやいてなんぞいられない気がしてしまう。ただ,「今は有事モード」みたいな状況にどんどん流されるのもよくないと思っている。
鈍いのではなく,やるべきことをやって淡々と過ごす以外ないことを知っているから。そうしないときっと足下をすくわれる。その上で、様々なことを予測し、出来ることが何なのか考えて必死に黙々と動いている人たちの存在は尊い。
「どんな過去を持ち、どんな未来が待っているかは些細なこと 大事なのは自分の中になにがあるかだ。」(ラルフ・ワルド・エマーソン;出典を確認しようとしたのだが見つけていない。言及元が海外刑事ドラマというのが安直)
「出来る事がない場合は食って寝るに限る」(あちこちの被災地で闘っている私の親友)
食って寝て、という基本的なことさえ、十分に与えられる状況ではない人も少なくない凍える被災地のことを思いながら、それでもいつ自分に何が降り掛かってくるか分からないという状況にあっての心構えって,今そこに,その人のまま居るということ,武技における自然体ということ以上のことは出来ないのだなと思い直す。
何はともあれ無事で良かったです。