GovTech東京が描く行政AI活用の未来─全国の自治体で使える“デジタル公共財”

●この記事のポイント
・東京都は「東京都AI戦略」を公表し、行政サービスと業務効率を高めるための全庁的AI活用を打ち出した。その中核となるのが、GovTech東京とデジタルサービス局が整備するAIプラットフォームである。
・Difyはクラウド版とセルフホステッド版の2つを持ち、職員がノーコードで業務アプリを構築・共有できる仕組みを備える。多様なAIモデルを組み合わせて「短い鎖」で業務を分担し、安全性と速度を両立させる設計が特徴。
・住民サービスの入口や編成の工夫が各地で再現可能となり、全国の自治体で導入格差を埋める効果が期待される。
テクノロジーは机上の計画ではなく、現場の摩擦の中で磨かれる。GovTech東京がTokyo Innovation Baseで2025年8月19日に開催した「ガブテックカンファレンス vol.1」は、生成AIを”話題”ではなく行政の品質を上げるための”道具”として、実システムに実装する確かな一歩を示した。
東京都は2025年7月25日に「東京都AI戦略」を正式に公表し、都民サービスの質と業務生産性の双方を高めるために、AIの全庁横断活用を明確化した。その方針の下で、行政DXを推進する組織であるGovTech東京が、AI導入のためのプラットフォームと運用フレームワークを示し、登壇した松尾豊(東京大学大学院工学系研究科教授、東京都AI戦略会議座長)、大山訓弘(日本マイクロソフト業務執行役員)、松本勇気(LayerX代表取締役CTO)の各氏が”実務で回るAI”の条件をそれぞれの視点から具体化した。政策・技術・運用を横断する議論に、現場起点の温度が通った。
●目次
- GovTech東京が目指す自治体AI基盤──共通の道具
- 2026年度の本格稼働へ──現場で使い、使いながら磨く
- 町田市が示した「入口」と「編成」──Dify時代の先行事例
- 「東京の事例」を全国へ──共通道具と作法で導入格差を埋める
- 10年の見取り図──定数から「編成としての処理能力」へ
GovTech東京が目指す自治体AI基盤──共通道具としてのプラットフォーム
今回の中核は、GovTech東京と東京都デジタルサービス局が連携して整備する生成AIプラットフォームである。プラットフォームと表記しているのは比喩的な表現ではない。職員が専門的コーディングに依存せず、ノーコードを含む環境で業務アプリを自ら組み立て、庁内外で共有し、他団体が再利用できることを前提に設計された”現場実装のための道具”だ。
Difyの提供形態はクラウド版とセルフホステッド版の2つに分かれる。前者のパターンのDify Cloudはクラウドで提供される運用一体型、後者のパターンのDify Communityはソースコードが公開されており、自前サーバーに導入して使える形、同じく自前運用前提のDify Enterpriseは組織要件に合わせた拡張・統合を見込むエンタープライズ版である。すなわち、セルフホステッド版は”自庁で動かす”選択肢であり、プラットフォームとしては Dify Enterprise を採用している。
アーキテクチャの骨格は明快だ。既存の文書や台帳を知識として取り込み回答精度を高めるRAG(Retrieval-Augmented Generation:検索拡張生成)、業務横断のデータ取扱いを支えるガバナンス、そしてテナントごとの厳密な分離と統治を前提にする。重要なのは”多機能化”より”標準化”の置き所である。プロンプトと評価の手続き、モデル更新時の回帰確認、監査ログの保全を最初から運用設計に織り込み、安全と速度を両立させた状態で”回し始める”ことを可能にする。
Difyはまた、複数のAIモデルを編成して使う前提で設計され、要約・照会・根拠提示・文書生成といった”短い鎖”に仕事を分解し、場面ごとに最適な能力をつなぎ合わせる。Microsoft Azure OpenAI ServiceのGPT-4o、GoogleのVertex AIによるGeminiやClaude、ローカルLLMなど、多様なAIモデルを統合的に活用できる構成となっている。
2026年度の本格稼働へ──現場で使い、使いながら磨く
生成AIプラットフォームは完成されたプラットフォームとして配布される”大規模一括導入”型ではない。GovTech東京はまず自分たちの現場で自ら試験運用(いわゆる“ドッグフーディング”)し、都庁各局・区市町村での実証を並走させるスタイルで開発が進められている。
文書の校正・要約、議事録作成、ヘルプデスク支援といった、短期で効果が見えやすい領域から成果を積み上げ、作りながら使い、使いながら直す。この進め方は、リスク分散と習熟の同時実現を可能にし、2026年度の本格稼働を現実味ある工程に置き直す。
2025年4月に新設されたGovTech東京のAIイノベーション室が、この取り組みの中核を担う。「AIと技術イノベーションを泥臭く現場に実装」「職員一人ひとりの手取り時間を増やす」「テクノロジーをフル活用し、これまでできなかったことをできるに変える」という明確なミッションの下、既に37団体の区市町村に対して生成AI活用支援を展開している。
視野は都域に閉じない。Difyを使った生成AIアプリの開発は”デジタル公共財”の発想を背骨に置き、Dify Communityを軸に、東京都外の自治体でも自庁環境で活用できる道を開く。同じプラットフォームを共有すれば、初期コストを抑えつつ、地域ごとの制度・表現・業務導線に合わせた上物の作り替えに集中できる。利用者が増えるほどテンプレートやベストプラクティスが洗練され、改修の速度が上がる”正の循環”が生まれる。
町田市が示した「入口」と「編成」──Dify時代の先行事例
共通の道具が整えば、各地の”入口の発明”や”編成の工夫”は知見として流通しやすくなる。町田市のポータル「まちドア」は、三次元アバターと生成AIを組み合わせたAIナビゲーターを導入し、制度名や部署名を知らなくても自然な対話で目的の手続きに到達できる”入口”を実装した。愛称は市民投票で決まった「マチネ」と「マーチ」。窓口の”人柄”をUIに移植する発想が、探索コストを下げ、初手の迷いを減らす。
2025年4月のリニューアルでは生成AIをGPT-4oに更新し、案内の対象を市のデジタルサービスにとどめず公式サイト群へ広げた。
裏側の作りは”万能主義”ではない。要約・照会・根拠提示・文書生成の短い鎖をそれぞれ得意なエージェントに割り当て、全体を編成で底上げする。住民向けと職員向けで入口は異なっても、最終的にはDifyでリクエストを受け、最適なモデルや機能群へ振り分けて応答する構えに進化していく。強い単一モデルに賭けず、編成で勝つ設計は、Difyが掲げるプラットフォーム思想と合致している。ここで強調しておきたいのは、町田が”主役”ではなく、道具が正しく設計されれば各地で再現可能であることを示す先行例だという点である。
「東京の事例」を全国へ──共通道具と作法で導入格差を埋める
全国には1700を超える自治体がある。人手不足が深まるなか、生成AIへの関心は高いが、実装の速度と人材の偏在が大きな壁になっている。現場でAIを回し続けるには、誰でも使える共通の道具と、作法(評価・監査・更新・運用の折り目)が不可欠だ。Dify Cloud/Community/Enterpriseという三つの選択肢は、財政・人員・情報政策の事情に応じた”入り口”を提供し、導入のハードルを下げる。
評価の言語も揃えたい。問い合わせの初期応答時間、一次解決率、申請の離脱率、案件あたりの処理時間──通貨を「時間」に置き換えて語ることで、技術の議論は生活の議論に翻訳される。手続きが簡素化され、「都民の手取り時間」が確実に増えるという結果が積み上がれば、その成功は地方でのデジタル導入の推進力になる。
この取り組みを支える人材基盤も着実に拡充されている。CTO井原正博氏の下、現在約260人体制(東京都職員派遣と民間採用が半々)で運営されるGovTech東京は、「世界最強の行政DX技術チーム」構築を目標に掲げる。
10年の見取り図──定数から「編成としての処理能力」へ
5年先、10年先を穏やかに想像する。市民は制度名を知らずとも自然な対話で目的のサービスに導かれ、必要書類はバックグラウンドで生成される。行政側が必要とする情報や根拠条文も、AIを通じて即時に提示される。Difyはリクエストと応答の流れを常時監視し、細かく刻まれたタスクを特化エージェントへ分配する。職員は例外判断や合意形成に集中し、残業は確実に減る。その成功はテンプレートとして外に開かれ、他自治体は上物の調整だけで追随できる世界が見えてくる。
なお、国の「ガバメントAI」構想も併走する。2025年6月13日に閣議決定された「デジタル社会の実現に向けた重点計画」に盛り込まれ、2025年度中に一部実用化、2026年度から本格提供が開始される予定だ。両者は競合ではなく、階層の異なる基盤として相互補完的に重層化する可能性が高い。国の基盤の上で、東京都発のDifyや、Dify Communityに対応したOSS群が連携・運用される絵柄だ。町田市のような先行事例がDifyと噛み合い、成果が積み上がるほど、AIの行政への浸透は加速する。
結局のところ、行政へのAI導入の鍵は”道具を共通化し、活用のための作法を揃え、現場でどのように回す(使ってもらうか)”に尽きる。生成AIプラットフォームという共通の道具が成熟し、全国に広がれば、その形を最短で形成できるだろう。
(取材・文=本田雅一/ITジャーナリスト)