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大そうじへの備え
yulily100.hatenablog.jp
2019年の9月に子どもが生まれ、産後休業(出産後2ヶ月間)→育児休業に切り替わる11月下旬から少しだけ働き始めた。いわゆる半育休というもの。給付金の出る育休を取りながらも、1ヵ月の就業時間が80時間以下であれば働いてもいいよ、というものである。 ちなみに夫は三ヶ月の育休を取った。最初の一ヶ月は完全な育休で、後の二ヶ月は半育休。 そんな感じで11月下旬から12月の年末年始休みまでの一ヶ月間は夫婦二人で半育休という形になった。 わたしの半育休 週に8時間程度働く この曜日にまとめて、というのではなく必要なときに一日1〜2時間というのがほとんど。 腰を据えて作業というよりかは臨時的に行うようなものが多い。 社員数名の小さな会社なので、私しか内容を知らない細かい作業が多い。 作業時間は赤ちゃんが昼寝しているときや、夜の寝かしつけ後などに。 だいたいの業務は自宅勤務 web&グラフィックデザイン、
子が生まれて3ヶ月がたった。赤ちゃんはあっという間に成長してしまう。ちょっとしたことでも忘れてしまうのは悲しいのと、後から見返して楽しめるよう生後1ヶ月〜3ヶ月の2ヶ月間のことを簡単に振り返っておく。 写真は拳を高く掲げて手を観察する赤ちゃん。 赤ちゃんのようす 夜のお世話と睡眠 生後1ヶ月くらいでも深夜は頻回授乳。睡眠時間を確保するために夜は夫、朝は私というシフト制で世話をしていた。 粉ミルクを飲まない赤ちゃんなので、夜中は搾乳したものを飲ませてもらって私は寝る、というのをやっていたのだけれどまあまあ大変だった。 搾乳器と哺乳瓶を洗うのがめんどう 今日のぶんの搾乳しなくちゃ…という義務感がずっと続く 搾乳量が足りなくて結局1時間後に授乳することもある 赤ちゃんの泣き声で結局目が覚めてしまう 利点としては、運がよければ6時間くらいぐっすり眠ることができる 赤ちゃんも夫も私もあまりメリットが
2019年9月19日。 ダラダラと続く暑さがパチと切り替えられたかのような爽やかな日。家のすぐそばに咲いた花のピンク色がいつもより透き通って見える。ふだんと変わらない玄関先の風景のはずだけれど、やはり特別な感じがしてしまう。もう進むしかないよっていう、試験の当日の朝みたいな、諦めにも似た清々しさ。 その日はこどもが生まれる日、ということになっていた。 おなかの子は逆子だったので、出産日が予め決められる予定帝王切開になった。妊婦最後の夜には新卒時代から大好きだったすし善のちらし寿司を食べた。夜はもっとどきどきして眠れないかと思っていたけれど、あっさりと朝になっていた。 病院に着き、直前のエコーをしてもらうがやはり逆子。そうだよね、つい今朝もみぞおちのあたりを頭突きしてたものね。この日は朝から緊急の帝王切開手術が入っていたので、わたしたちの手術はそれが終わり次第のお昼過ぎ、ということになった。
週末の夜にだけオープンするコーヒー屋。きょうはコーヒー酒があるというのでそれを飲んでいた。茶色い液体がとろりとしていて、口当たりに甘い。いくらでも飲めてしまいそうな危うさ。これはいいな、また飲みたいな。コーヒー屋さんなのにコーヒーを頼まないまま出てきちゃった。夜眠れなくなりそうなんだもの。次は序盤に頼むことにしよう。 このコーヒー屋というのは、同僚がやっている。趣味なのかなんなのかはよくわかってない。週末の夜にだけお店を開けている。個人のお店としてはすこし広い店内の、微妙にあいた距離の中ぼーっと本を読んでいた。会話をするべきなのかというじりじりとした緊張感。読んだのは穂村弘の「世界音痴」。さいきんなくなっていた書きたい気持ちがすこしだけ潤った気がする。出してばかりでもダメだね。バランスが大事なんだな。 世界音痴〔文庫〕 (小学館文庫) 作者: 穂村弘出版社/メーカー: 小学館発売日: 20
我が家の二〇一八年の最初のブームはお料理のようです。と言ってもここ数日の話なんだけど…。会社から帰ってきて、わたしが何か作る間に夫も何か作る。するとあら不思議、自分が作ったのとは別のもう一品ができているんです。当たり前のこと言ってるみたいだけど、ちょっと違うんだな。たとえば二人で手分けしてこの二品を作ります!とかだったら、片方は切る係、もう片方は炒める係になる。そうすると二品分の段取りについて気を使わないといけない。それから、どちらか一人が指示を出す形になって、もう一人はお手伝いになってしまう。効率的でいいのだけれど、どうしても相手のことが気になってしまうし、達成感が得られにくい。 それが、一人一品だと、一つのことに気にかけている間にもう一品が出来上がってる。これ、なんだか魔法みたいじゃないですか? (気にかけることに力を使いすぎ、ってのもある)そんな感じで、わたしがオムレツを作っている間
文化の日。 両家顔合わせということで、行ってみたかった料亭で食事をした。 お互いの親に証人の欄を埋めてもらった。 親を見送って、その日のうちに役所に向かった。 タクシーのおっちゃんに「婚姻届を出しに行くんです」と言うと、 「それはそれは、おめでとうございます!」と言われたのが嬉しかった。 結婚の決め手は?なんて聞かれるけど、これが難しい。 ご飯を作りながら変な踊りを踊ったり、 二人にしか通じないことばで会話してみたり、 東京出身の彼に「551の豚まんがあるとき〜!」って言ってキョトンとされたり、 へたな演奏でコピーバンドやったりする、 そういう日常を愛しているからで。 それは「一緒にいて楽しいから」という、月並みな答えになってしまって、 求められているようなかっこいい答えができない。 最近ではなんというか、自分がもう一人いるかのような感覚になっている。 自分を大切にするのは当たり前だし、
先週の金曜日、「団地図解」という本の出版イベントに行ってきた。 本に取り上げられている千里ニュータウンを紹介しながら、団地を読み解いていく。 サブカルチャーやノスタルジー的なコンテンツとしてではなく、建築や都市計画の文脈の団地。 千里ニュータウンと団地 全然知らなかったんですけど、千里ニュータウンというのはいくつかの団地が集まってできているんですね。 そのうちのひとつである千里青山台団地。 ここは丘陵を切り崩してできた切り開いてできたから、すっごく高低差のある場所。 素人目線で考えると、斜めの部分に建てたくないじゃないですか。なんというか、すごく難しそうだし…。 地面を平らにすることばかり考えると思うんですね。 けどこの団地では建物のほうを工夫した。 ピロティやポイントハウスといった、傾斜に建てられる住棟を選んだ。 それはなぜか? ハイテク重機のない時代で、丘を平らにするのにすごくお金がか
京都市左京区に「駱駝」という四川料理のお店がある。ここの麻婆豆腐がとにかくうまい。 真っ黒で旨味たっぷりなひき肉・香りの良い麻味・柔らかめの豆腐ととろみの少ないタレにもうメロメロ。大学生のころからもう数え切れないくらい行ってるなあ…。 そしてそのおいしさを家でも再現すべく、5ヶ月以上に渡って試行錯誤を繰り返した。(頻度は月2回ほど。計10回ちょい?) 最終的にいい感じになったのでレシピを紹介します。甜麺醤を多めに使った、黒っぽいのが特徴の四川風麻婆豆腐です。 ※麻味とは、唐辛子のようなヒリヒリする辛さではなくて、舌が痺れるような山椒の辛さのこと。 材料(2人分) 【1】肉を炒める 豚ひき肉 160g 甜麺醤 大さじ1 焼肉のタレ 大さじ1.5 辛口もしくはニンニク強めのもの サラダ油 大さじ2 生姜 ひとかけら みじん切り にんにく ひとかけら みじん切り 【2】麻婆豆腐タレを作る 豆板醤
七月は祭りに忙しい。まずは祇園祭でしょう。 六月三十日に水無月を食べたら、その次の日からまる一ヶ月間お祭りムード。 デパートのBGMまでがコンチキチンの音になる。 宵山は山鉾巡行は言わずもがな。一大イベント。 ちょっとニッチなところで出町桝形商店街の七夕祭り。 これは小さなお祭り。 近所のおっちゃんなんかがホットプレートでフランクフルトを焼いている。 そんなアットホームな雰囲気だけれど、商店街はギュウギュウになるくらい人が集まる。 そして最後に下鴨神社の御手洗祭。 下鴨神社の中にある小さな川を歩いて、ろうそくを灯して、神水を飲む。 わたしはこのお祭りが大好きで大好きで、大学三年生の頃から毎年欠かさず来ている。 夜に来ると、提灯やろうそくがなんともいいムード。 見た目の何倍も冷たい水にキャアキャア言いながら川を渡る。 ろうそく、消えちゃわないようにね。 ふだんは大行列のふたばの豆餅が買えちゃ
金曜日。仕事が終わったその足で街へと繰り出す。 きょうは祇園祭の宵々々山。山鉾巡行の三日前。 山鉾は出るが烏丸通りの歩行者天国はない。 華やかな露店の賑わいを楽しむのもいいけれど、この宵々々山の、まだまだ人の少ない祇園祭を歩くのが好きだ。 人が少ないと山鉾をじっくりと見て回れる。 ちょうちんの柄なんかを見ていると、どれも違ったふうで楽しい。 菊水鉾。半分の菊に波打っているような紋。赤字に青という配色がまたしびれる。 放下鉾は、遠目に見ると幾何学的な模様に見える。 すはま紋というそうで、近くで見るとまるまるっとしている。 四条傘鉾はそのまま「傘」の字。 なんともかわいい蟷螂山のかまきり。 いつの時代の、どんな人がデザインしたのかな。 カマをまあるく収めたすばらしいデザイン。 露店は出ていないけれど、店先にはたくさんの食べ物が売られる。 去年は売り切れて買えなかった、膳處漢ぽっちりのしみだれ豚
いまは梅雨で、土日は大雨が降った。京都らしいむわっとした湿気がめちゃくちゃ暑い。 いつもと同じように重たい自転車を漕ぐ。 橋を渡り始める。真ん中あたりで立ち止まる。 北に見える山の稜線が重なって見えて、それぞれが少しずつ違った色をしている。 わたしはこの線と青い色が大好きだ。 夏至を過ぎて少しずつ日が短くなってきた。毎日同じような時間に帰っているのに、景色は少しずつ暗くなっていく。 自転車と止めて、リュックからカメラを取り出し山に向けて構える。その瞬間に強い風が吹く。 なまぬるい空気に強い風、と来ただけでたまらないのに、加えてサックスを練習する音なんかが聞こえてくる。 ああもう、どうしろっていうの。 何度となく見ている景色なのに、いつまでも体験は強烈なんだ。
友達カップルが家に遊びに来てくれたので手巻き寿司をしたよ! 食べたい具材を適当に買ってくるだけでOK。 今回はお刺し身盛り合わせ、錦市場のだし巻き卵、粒うに、いくら、きゅうり、しそ、ツナなど。 米炊いて具材を切るだけなのでめっちゃ簡単。だけどめっちゃおいしいし楽しい! そのあとはSwitchで遊んだり、何時間もボードゲームをしたり。 子供みたいな一日だけどこういうのもいいな。ゲームでわいわいするのはいくつになっても楽しい。 近くに気軽に遊べる友達が住んでるのも嬉しいなー。
WiiUのスプラトゥーンを楽しそうに遊ぶ友人たちを横目に、Switch版が出たらわたしも遊んでみたいなあと思っていた。一方で、ゲームに夢中になれるのかは懐疑的だった。 わたしが最後にしっかりと遊んだテレビゲームは小学生時代の初代PlayStationで、かれこれ20年くらい前。果たしておとなになった今でも楽しいのだろうか? けどけど、ふたりで暮らし始めたんだから、ふたりで遊べるゲームがあってもいいんじゃない? それにわたしデザイナーだし。人を楽しませる仕事をしているのなら、エンタメの王道であるところのNintendoのゲームくらいやらないといけないんじゃない? そんな都合のいいことをふわふわと考えていたところに、スプラトゥーンモデルのNintendo Switchが発売されるという話を聞く。 曖昧な気持ちだったけれど、ウェブサイトに大きく表示されたスプラトゥーンの絵と「予約受付中」という文
朝、目が覚めると「二次審査の結果と表彰式のご案内」というタイトルのメールが来ていた。 友人たちと三人で応募していたポスターコンテストの結果が来ていたのだった。なんと一次審査・二次審査を通過し、上位8作品に入ったらしい。そしてその三日後にはグランプリの発表とその授賞式が開かれるという。 飛び上がるような気持ちだった。というか本当にベッドの上で何度か跳ねたし、枕に顔をうずめてジタバタバンバンするやつをやった。 何を着ていこう。授賞式なんて生まれて初めてだ。 クローゼットの中を見て、手作りのワンピースにお気に入りの革靴をあわせることにした。髪も、簡単なアレンジを練習した。 当日会社に行くと「あれ?今日いつもと違いますね」なんて言われて「へへへ、今日の夜はパーティなんですよ!」なんて答えた。 今夜はパーティなんですよ。 人生でこんな言葉を発したことがあっただろうか。その日わたしは完全に浮かれていた
チームの後輩が頻繁に行っている店がある。週に一度は行っているような気がする。なんならチームのメンバーも連れてよく行っている。よくよく聞いてみると「カレーラーメンの店」だと言う。 ほほう、カレーラーメンとな。 調べてみると「ひゃくてんまんてん」という名前のお店だった。三条通りにあって、のれんだけは見かけたことがあったが、入ったことはなかった。 まあ一度くらい、ということで早速行ってみることにした。職場からは徒歩5分ほどで、お昼休みにちょっと出るのにも最適だ。 のれんをくぐって二階へと続く階段を登る。内装はなかなか渋い。学生街に古くからある食堂のような面持ち。 だが悪くない。いやむしろ、わたしはこの年季の入った感じが大好物である。 メニューを見る。 平日昼のランチメニューには「カレーラーメン、ミニカレー付き」という文字が見えた気もするが、とりあえず気にしないでおこう。 「カレーラーメン」を頼む
鴨川デルタに初めて来たのは確か十八歳の春だった。進学が決まった大学へ向かう最初の日か、何かそんな感じだったと思う。 京阪電車から降り地上へ出ると、橋が架かっていて川と川が合流するのが見えた。それから亀の形をした飛び石を渡っていく人や、並んでパンのようなものを食べる人。新生活への期待感も相まって、なんだかすごく素敵なところに来てしまったな、なんて思った。 去年の年末くらいからふたりで住める家を探し始めた。今まで川のそばに住んでいたのが気に入っていたから、次も川のそばが良かった。 賃貸ポータルサイトをふわっと使ってみる。「駅から10分、オートロック有り」みたいなチェックマークをぽちぽちと押していくと、条件に合う家が何百件と出てくる。ピカピカで素敵なんだけれど、どれも同じに見えて一つを選ぶのが難しかった。 「ピンとくるものがなかなかないね」なんて言ってたところで、少し個性的な物件を扱うサイトを教
昼と夜の間くらいの時間に、おばあちゃんお父さんお母さんそれからちいちゃな子供2人の家族がおぼつかない足取りでバスに乗り込む。あっているはずなんだけど、という不安そうな空気感を横目にこういうのもお正月らしいな、なんて思う。バスが出発する。ここ数年、京都で年を越して、元日の夕方に帰省するのがいつものパターンになってきた。 元日の夜、寒気がすると思ったら発熱していた。次の日になっても気だるいのが続く。昼には帰るつもりだったのだけれど「もう一泊していったら?」の声に甘えて、パジャマのままゴロゴロとしていた。ちょっと楽になったかと思って起きていると、すぐにしんどくなってきてまた布団に入るのだった。 寝てるんだか起きてるんだかわからない正月。薄暗い部屋が日暮れとともにさらに暗くなってきた。あいふぉんを片手に、新年のご挨拶や豊富でいっぱいのインターネットを観覧していると、よく聞き慣れた音が聞こえてきた。
ポテトサラダが大好きだ。ジャンルを問わず、あらゆる居酒屋に置かれている。オーソドックスな大衆居酒屋から、ちょっとこじゃれたビアホールまでカバーする。そのカバー力の高さは、ギャル系からナチュラル系まであらゆる系統の女性から好かれるきれいめカジュアルファッションの男か!と言いたくなる(※独断と偏見です)。マヨネーズをふんだんに使ったがっつり系のものがあれば、いもの素材の味を生かしたものまで。専門店では、あつあつにマッシュされた芋とともにそれぞれの得意分野がボウルに突っ込まれている。和知みたいな燻製屋さんでは、燻製ベーコンを使った香り高いポテサラが。おでんやさんであるだるまときんぎょでは、おでんの旨味たっぷりのだしに漬かったじゃがいもとたまごを使って作られるポテサラが。 専門店が表すものは味だけではない。ビニールシートに覆われたニュー大文字では、大衆居酒屋らしく景気良く高く積まれたものが出される
note.mu これを読んで思い出したこと。 そういえば、子どもの頃はじぶんのことを救いようのないブサイクだと思い込んでいた。いつのころからか親にそう言われていた。父はわたしの似顔絵をよく描いていたんだけど、そこにはお世辞にも綺麗とは言えない顔の像が描かれていた。細い目とふっくらとした頬を滑稽に強調させた、おかめみたいな顔の絵。(まあ、そうなんだけど。笑)そういうのを見るたびに、自然と外見にコンプレックスを持つようになった。そのなかでもいちばん嫌いだったのが鼻の下にあった大きなホクロ。人と話すとき、ホクロを見られているような気がしてうまく目を合わせられないことが多かった。性格も今よりもずいぶん暗くて卑屈だったと思う。 中学を卒業した春休み、転機は簡単な形で訪れる。ホクロをコンプレックスに思うことを見かねた母親が、レーザーとやらで取らせてくれた。実際には3ミリ程度の小さな点が無くなっただけだ
さて、今日で26歳です。毎年自分の誕生日にブログを書くようにしているので今年も書きます。昔書いた日記を読んでみると、その時考えていたことが手に取るようにわかって楽しい。昔と変わらないようでいて、全然違っていたりする。数年前の自分の感性がずいぶんと幼く感じたりする。いまは、ずいぶんと大人になったなあなんて思っているけど、10年後なんかに見ると幼稚すぎてびっくりするのでしょう。良い歳の取り方ができるといいな。 25歳はどうだったか 25歳を振り返ってみると、それなりに大変だった。ひとことで言うと、自信を失っていた。けれども、振り返ると悪いことばかりではない。なにもかもうまくいかないと思っていたときに読んでみた本がきっかけで考え方が前向きになった。本を読む習慣も身についた。いろいろと厳しいことを言われる状況にいたけれど、それがきっかけでひとつのものにこだわりを持つ力や、粘り強さがついた。自分が案
12月に京都で行われるトレランの大会に出ることにしました。距離は30kmで、累積標高も低く比較的初心者向け、とのこと。 もともと自然の中を走るの気持ち良さそうだなあと思って気になっていたのと、朝走るモチベーションになるようなイベントがあるといいなと思っていたのと、会社の人が何人か出るというので深くは考えずに申し込みボタンを押していた。何かを決めるとき、だいたいいつもこんな感じ。 それで、3ヶ月後に向けて準備をしていかなくちゃなあと思ってこのブログを書いている。人から見える場所に書いて残しておかないと、締まりがないので…! 目標 初めてなので、とりあえず時間内に完走する 準備さぼらずしっかりする 練習 8月暑すぎて朝あまり走れなかったので、頻度を戻していく。2ヶ月前くらいにはしっかり走り込めるといいな。 普段すること 今まで通り、平日の朝に川沿いを走る(週2,3) オフィス(ビルの8階)まで
8月31日というのはなんだかずるい。字面がまずずるい。こちらの気持ちなんておかまいなしに「夏」の終わりはここです、と、宣言しているかのようなずるさ。それでいて、実際は夏なんだけど夏じゃないようなおかしさもある。朝晩なんかは涼しくて、薄手の毛布に丸まって寝る。昼間の日差しは暑いけれど、日陰に入ると涼しい。昼休みにすこし散歩して、御所のベンチでぼーっと花が揺れるのを眺めていた。夏の終わりを自負しながら、吹く風はすでに夏じゃないんだもの。 たくさんお酒を飲んで知らない間に眠ってしまった次の日、ふと目を覚ますと、目の前ですきな人が眠っていた。かわいい顔をしていた。なんということでしょう。起きるのがもったいなくなって、わたしはまた目を閉じる。ちょっとしてからまた目をやると、変わらず同じ様子で眠っていて、ほわほわとした気持ちになって、やっぱり目を閉じてしまう。特別なイベントでもなんでもないはずなのに、
味噌汁が好きでよく作っている。半年くらい前までは出汁をとったことすらなかったのだけれど、すっかり夢中になってしまった。今では冷蔵庫に味噌を4種類ストックしているくらいだ。こないだ飛騨に行ったのだけれど、自分へのおみやげには迷わず味噌を買った。昨日作ってみたら、そこそこ気に入るものができたので、この半年で試したことを書いてみようと思う。 出汁 昆布と煮干しを一晩水出ししたものを使っている。 作る前日の夜に、水に昆布と煮干しを突っ込んで冷蔵庫で放置する。 一日以上置くと煮干しのクセが出てあまりおいしくない。 お茶を入れるような細長いポットに入れると冷蔵庫で場所を取らない。 昆布のだしだけで作ってみたこともあったが、上品すぎて物足りなかった。 鰹節のだしも試したが、火に通したりこしたりするのが面倒。 「だし」として売られているものは試したことがない。 味噌 2種類以上を混ぜるとおいしい。 米味噌
1ヶ月前くらいからバランスを崩し始めて、なんだか落ち込むようだった。よくわからないが不安感があり、ウワーとなって、その不安を埋めるように酒を飲んだ。缶をあけるときのプシュという音が好きで、その音を聞いてると、久しぶりに楽しくなり、飲み過ぎてしまった。ダメな感じ。そのあとあまり覚えてないけど気がついたら外で、知らない場所にいて、財布はなくて、携帯の電池は切れて、めちゃくちゃ怖かった。道もわからずひたすら歩き続けたら夜が明けていって、すっかり朝になった。ようやく知ってる道を見つけて、歩き続けて、家にたどり着いた。心身ともにドロドロになった。そんなこともあり、ここ2,3日あまり眠れなかったり、味がわからなくなったり、うまく話せなくなっていた。ランチの皿をひっくり返すなど、ちょっと疲れている感じ。休憩したほうが良い気がして、今日は会社を休んでゆっくりしていた。疲れているので、という理由で休める会社
「夫が居間で客人の相手をしている横で、妻は台所で料理の準備や後片付けをする」 昔ながらの夫婦感というと、こんな感じだろうか。「男女平等」という教育をされて育ったわたしは、この価値観がよくわからなかった。不公平感というよりかは、「女の人はなぜ黙って尽くすことができるのだろう? 」という疑問があった。どうして、楽しそうなことをしている横で黙々と作業がこなせるのだろうか。こどものわたしは、大人になって結婚すれば、自然と割り切ることができるようになるのかと思っていた。 先日とても素敵な夫婦を見た。その夫婦は、田舎に住む昔ながらの夫婦である。奥さんは、旦那さんが客とお酒を飲んでいる横で楽しそうに料理をしている。そこに「仕方ないからやっている」ような印象はない。よく見ると、旦那さんはつねに奥さんのことを気遣っている様子である。今何をやっているかは把握しているし、時おり話しかけたり、ビールを差し入れたり
なんとなく、人は何かしら表現したいんじゃないかな、って思っています。 絵を描いたり曲を作る、みたいなのはもちろん、instagramに写真をあげたりTwitterでつぶやくのも表現。カフェで他愛のないおしゃべりをするのも、居酒屋で将来のことについて語り合うのも表現。「わたしはここにいるぞ」って積極的に主張するわけじゃないけど、根本ではどこかそんなふうに思っている部分があって、それぞれにぴったりフィットする方法で表現している。 わたしの場合、その方法のひとつにブログがあります。 なぜブログなのかって言われると、素朴に「書くこと」自体が好きなのかも…。決して上手ではないですが、中学生のときに先生に文章をめちゃくちゃ褒めてもらった原体験があって、それをいまでも引きずっているんですね。お恥ずかしいことですが。 わたしは、口頭で表現するのがとっても苦手です。「楽しかった」とか「感動した」なんてのは心
『日本のシビックエコノミー』という本を読みました。シビックエコノミーとは、市民が社会や地域と関わることで生まれる経済、という意味で使われています。この本はその「関わり方」を紹介する事例集です。事例とともに、特徴的なポイントや活動の背景等が書かれています。詳しくは、筆者の一人である江口晋太朗さんのブログで紹介されています。 blog.eguchishintaro.jp シビックエコノミーの考え方で面白かったのは、価値を収益や来場者数などの数値化できることだけではなく、生きがいになったとか孤独感を埋められたとか学びが得られた、のような数値化できないことにも置いていることでした。 エコノミー、即ち経済というと、金銭を動かして利潤を得るための方法のようなイメージがありました。ですが、この本ではそれだけではなくて「豊かさ」の観点でも事例が紹介されています。(「豊かさ」というと様々な捉え方があると思う
ぷらぷらと自転車を走らせて、夜中の東山に向かった。坂を登ると大量の木魚の音が聞こえてくる。わたしは、知恩院の「ミッドナイト念仏」にやって来た。今回が二度目。ミッドナイト念仏、いいよね。何がいいかって、ネーミング。寺の厳かなイメージを覆すポップさ。そのギャップに惚れ惚れしちゃう。まあでも、夜通しで何かするっていうのはそれだけでときめいてしまうよね。悪いことしてるみたいで。念仏なのにね。 最近スピリチュアルをちょっとだけ信じるようになってきたからか、去年とはなんだか違って感じた。これが年をとるということなのかな。無数の木魚の音を聞いていると空の状態になる。もしかするとこれが、「瞑想」なのかもしれない。とってもスッキリする。最初は考え事をしていたんだけど、だんだん気持ちが収束していく。「何もない」がそこにはあった。 頭と心はからっぽに。気持ちは、晴れやかに。
考えなくてもよいことをもやもやと考えてしまって無意味に落ち込んでいる。今朝はそんな感じだった。しかし、ランニングのために家を飛び出してみると、なんとまあ鴨川の桜が綺麗で綺麗で。もう何度も見たはずなのに、何故だか胸が締め付けられるような気がした。そんなことを感じながら走っていると、もやもやと考えていたことなんてどうでもよくなった。 それから、自分はこうしているときが一番生き生きとしていて、素であるなあ、と思った。こうしているときっていうのは、自然に囲まれた状態で体を動かしているときである。コンクリートに囲まれて育ったから気がつかなかったけど、どうやらわたしは緑が好きみたいだ。 わたしはものすごく飽き性で、興味が1年以上続くことがあまりない。けどランニングは1年以上続いている。暮らしのリズムにうまくフィットしたから、というのもあるけど、四季の変化を感じながら汗をかくことが快感だから、というのが
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