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✑ 川添 愛 この書評の依頼が来たとき、私は多数の締切に追われていた。とても引き受けられる状態ではなかったが、引き受けざるを得なかった。だって、あの島本和彦先生が「締切」について書いた本だ。私は熱血漫画家・炎尾燃を主人公とする『吼えろペン』シリーズに多大な影響を受け、フリーでやっていくエネルギーをもらってきた。どんな状況であっても引き受けるし、むしろ締切に追い立てられている今こそ引き受けるべきではないかっ! こんなふうに、炎尾燃よろしく瞳に炎を宿した状態で担当者に「やります!!!」と返事をしたのだった。 実際、本書から得られたパワーは計り知れず、おかげで他の仕事は超スピードで片付いた。いいタイミングで読めたのは幸運だったが、本書の書評を書く段階になって非常に困った。 というのも、読みながら取っていた大量のメモがほとんど役に立たないのだ。「そうか!」「なるほど‼」「さっそくやります!!!」の
この四半世紀にわたって続いた自民党と公明党との連立という枠組みが崩れ、日本政治はいま大きな岐路に立っています。盤石にみえた自公連立はなぜ、解消という結果に至ったのか。新たに形成された「自維政権」は安定したものになりうるのか。『自公政権とは何か ――「連立」にみる強さの正体』(ちくま新書)で日本政治における「連立」を分析した中北浩爾氏に、緊急論考を寄せていただきました。第一人者による分析にぜひご注目ください。 ✑中北浩爾 中北浩爾『自公政権とは何か ――「連立」にみる強さの正体』(ちくま新書) ※帯に記載のQRコードは本記事での論考にリンクしています 公明党の斉藤鉄夫代表は2025年10月10日、自民党との連立から離脱することを表明した。自公政権は開始から26年後に終焉を迎えたのである。 なぜ公明党は連立を解消したのか。 第一に、自民党の派閥の政治資金収支報告書への不記載という「政治とカネ」
✑ 岸政彦 『生活史の方法』(ちくま新書)から、「おわりに」を公開します。 おわりに 生活史とは何でしょうか。なぜ私は長年、生活史を聞くということをしてきたのでしょうか。 本書はとにかく「生活史を聞いて、書いて、形にしてみよう」という本なので、ここで、そもそも生活史とは何か、のような理論的なことや方法論的なことを書くことは控えます。それはそれで、これまでたくさん書いてきましたし、これからも別の形で書いていくことになります。私は一生この仕事を続けていくのだと思います。 ただ、ここでは素朴に、生活史を聞いていて感じることについて短く書いて、それで本書を終わりたいと思います。 いろいろな、さまざまな人びとの生い立ちや人生の語りを聞いてきて、いまあらためてしみじみと、つくづく感じるのは、私たちはみな、ひとりの例外もなく「懸命に生きている」という、あっけないほど素朴なことです。私たちは必死に生きてい
不朽の名作、『ゴジラ』(1954年)。東京に上陸したゴジラは、銀座松坂屋、和光ビル、国会議事堂を次々と破壊し、麹町・赤坂へ向かうと、テレビ塔をなぎ倒す。そして1958年に東京タワーが完成して以降、映像作品のなかでこのタワーは、モスラの幼虫など怪獣たちに次々と破壊されていく。戦後復興の象徴でもある東京タワーを、怪獣たちはなぜ襲撃し続けたのか? そこにおいてタワーは、どのような意味を担わされていたのか? 社会学者の吉見俊哉さんが、全12回にわたり、考察を深めていきます。ぜひ! ✑ 吉見俊哉 ゴジラに殺された人々の声 戦後日本を代表する映画『ゴジラ』(1954年)には、誰もが思い出すことのできる衝撃的なシーンがある。そのひとつは、ゴジラがテレビ塔をなぎ倒す場面だ。二度目の襲来において、京浜方面から上陸したゴジラは、芝浦から銀座へと向かう。それをおそらくは麹町方面のテレビ塔から中継しているアナウン
小学校の高学年から高校卒業までのあいだ、1990年代の大半を、埼玉県の奥の方、大宮や浦和、川口のような都会とはひとあじ違う、本気の埼玉の山を切り開いてつくられたニュータウンで暮らした。 電車に乗ってうっそうとした山道をすすみ、トンネルを抜けると、山の斜面に突如みっちり戸建てが整列する景色があらわれる。ふもとの駅に降りた住民たちは、山を登ってそれぞれの家に帰る。私の家は山のほとんど頂上に建っていたから、駅からたっぷり登る必要があった。 駅から少し山を登ったところに、スーパーマーケットを中心とした商店の集まる一帯が営業していて、書店もあったのだけど、私が引っ越してきてすぐに閉業してしまった。これには困った。雑誌が買えないことは、私にとって大きすぎる問題だ。 狼狽する私に気づいたらしい父が、思わぬ場所に書店を見つけた。それが「ひまわり書店」だった。ニュータウンの山を降り、駅の向こう側に出ると谷を
蓮實重彦さんの「些事にこだわり」第27回を「ちくま」9月号より転載します。 「民主主義」の名のもとに、もっともらしく展開される「投票」という行為がはらむ「代理させる」「代理させられる」ことの不気味さについて。ご覧下さい。 ✑蓮實重彦 ときに例外的なケースもあるとは思うが、一般に「投票」と呼ばれる振る舞いは、ほとんどの場合、投票所と呼ばれる異空間で、どこの誰が提供したのか見当もつかない一枚の紙きれに、会ったことも言葉を交わしたこともない未知の人物の名前を涼しい顔で表記してから、しかるべき箱に投入するという不気味な儀式にほかならない。であるが故に、その不気味さに耐えることが、どうやら等しく民意を問うものとされる「民主主義」の根幹をなしていることになる。実際、国政選挙であれ、地方自治体の場合であれ、この国の多くの男女は、その「不気味な儀式」にしぶとく耐えているかに見える。そのとき紙片に「他人」の
これまでの西洋哲学のメインストリームは、古代ギリシアから近現代にいたるまで、形而上学的な領域に依拠して展開されてきました。しかし、こうした哲学はもう消えていかなければならないでしょう。こうした強い思いをもって書かれた『哲学は何ではないのか』の序論を公開します。 ✑ 江川隆男 差異の哲学は、人間がもつ傲慢さを打ち砕くことにあると言える。差異についての哲学は、人類においてもっとも重要な思考様式を言語化しうるものである。それは、異なるものを否定するのではなく、それらを相互に肯定する多様性の考え方の基本である。 これは、西洋哲学の歴史においてほとんど存在しなかったような思考様式である。私は、これを内在性の哲学としてこれまで考察してきた。内在性の哲学の起点は、つねにバルーフ・デ・スピノザ(1632⁃1677)にある。そして、20世紀の後半に差異の哲学を明確に打ち出したのが、ジル・ドゥルーズ(1925
ちくま文庫は、2025年12月に40歳になります。 これまで、古典文学や個人全集、コミックやサブカルチャー、異色の名作や幻の傑作の発掘にもつとめてきました。多種多様な品揃えにもかかわらず、「ちくま文庫らしさ」というものがあるならば、それは支持していただいた読者のみなさまのおかげというよりほか、ありません。 みなさまによって形作られてきた「ちくま文庫らしさ」を、これからも大切にしていきたい。これまで40年間、みなさまとちくま文庫がどんなふうに関係してきたのか、そしてどんなところに「とっておき」を感じたのかを教えてもらいました。集まったエピソードを一挙公開いたします。 ※紹介順はランダムです 江戸川乱歩『ちくま日本文学007 江戸川乱歩』小学生の頃父の影響で訪れたミステリブーム。新本格や海外の名作を読み漁る中、「江戸川乱歩はやはり通らねばなるまい」と思い書店で手にとったのがちくま文庫です。特に
✑千葉雅也 本書で言われる「斜め論」とは、水平性と垂直性を共に考えることである。 ここで、水平性とは、民主的、対等であること、いわばフラットな関係。それに対して垂直性とは、規範的なもの、権力的な不均衡など。 まず、垂直批判。高きに位置するもの=規範や権威を仰ぐことが、または深さを追求して掘り下げるといったことが、大まかに言って伝統的には「偉い」ことだとされてきたわけだが、そうではない方向へ。すなわち、水平方向に、フラットに展開する関係性を多様に開いていく。そういう方向性が、我々の世代にとって重要だった。というか、本格的にその新しさを推し進めたのはこの世代、いわゆる氷河期世代・ロスジェネの前後だと思っている。それが90年代以後の変化だった。 自分は97年に大学入学だが、ずいぶんと人を突き放す言葉を平気で言う年長者がおり、そのほうが主流なくらいだったと思う。そういう環境での修行──「修業」とい
物事の善し悪しを判断するのは難しい。社会のあるべき姿や幸せの形も人それぞれ。ならば意見の食い違う人と対話するのは不毛なのだろうか。それでも私たちは他者と共に社会をつくるため、答えの出ない問題について話し合わなければいけないことがある――。すれ違いの根底にある「倫理問題」にじっくり向き合い、協力的・生産的に討論するための方法を考える、伊勢田哲治さんの新刊『倫理思考トレーニング』より、「はしがき」を公開します。 ✑ 伊勢田哲治 伊勢田哲治『倫理思考トレーニング』(ちくま新書) 「倫理って何かわかりません」 わたしの専門は科学哲学と倫理学だが、大学ではいろいろな授業を担当している。その中で科学技術と社会の関係についての授業をやっていたのだが、半年の授業期間の終わりに近づいたころ、受講している学生の一人と話していて、「授業の中で倫理という言葉がよく出てきますけど、倫理って何かわかりません。他の学生
✑松岡和子 ✑長崎訓子(挿絵) 『マクベス』では、勇気のいる解釈が多かったと申し上げました。先行訳とちがう翻訳をするのは、とても勇気のいることです。 夫人宛の手紙 一幕三場、魔女から「万歳、マクベス! いずれは王になるお方」と言われたマクベスは、そのことを夫人に宛てた手紙に書いています。 マクベス夫人の初登場シーン、マクベスからの手紙を読むところです(一幕五場)。 (原文) While I stood rapt in the wonder of it, came missives from the King, who all-hail'd me, "Thane of Cawdor"; by which title, these Weird Sisters saluted me, (直訳) それの不思議さに呆然と立っていると、王からの使者たちが来て、「万歳、コーダーの領主」と挨拶した。その称
「この社会は大丈夫?」を感じた、すべての人のための、渾身の書──井手英策『令和ファシズム論』冒頭を先行公開 物価高が続き、生活が苦しくなるなかで、「ぼんやりとした不安」を感じるようになった私たち。シンプルで極端な主張をSNSなどで繰り広げ、人びとを煽あおり立てる〈身近な指導者〉たち。 いま、何が起きているのかを、財政史という「メス」を用いて鋭く分析。この社会の危機を浮かび上がらせ、肯定的な未来への道を全力で探った井手英策さんの『令和ファシズム論――極端へと逃走するこの国で』。その「はじめに」(抜粋)を、8月7日の刊行に先がけて緊急公開します! 『令和ファシズム論』井手英策 2025年8月7日発売 ISBN:978-4-480-86486-4 私だけが不安なのだろうか? 本書は、絶望でいろどられた歴史から〈いま〉を照射し、令和期の日本社会に立ちこめる不安の輪郭をうかびあがらせようとするこころ
✑児玉真美 合法化では後発でありながら短期間でラディカルな変貌を遂げつつあるカナダで何が起こっているかーー 児玉真美『安楽死が合法の国で起こっていること』(ちくま新書)「第一章 安楽死「先進国」の実状」より、カナダの事例に関する一部を公開します。 カナダは安楽死の合法化では2016年と後発国でありながら、次々にラディカルな方向に舵を切り続け、今ではベルギー、オランダを抜き去る勢い。ぶっちぎりの「先進国」となっている。 †転換点となったカナダの合法化 カナダではケベック州が先行して2015年に合法化したが、その際に法律の文言として積極的安楽死と医師幇助自殺の両方をひとくくりにMAID(Medical Assistance in Dying)と称し、翌年の合法化でカナダ連邦政府もそれを踏襲した。Medical Assistance in Dying を平たい日本語にすると「死にゆく際の医療的介
本は、あとがきから読む。 職業柄、「学術書」と言われる類のものをよく読む。そのあとがきでは、たいてい最後に謝辞が述べられる。 恩師に、研究仲間に、編集者に、そして家族や友人に。形式的な挨拶、とわずらわしく思う人もいるかもしれないけれど、これを読むのがけっこう楽しい。 本ができあがるまでに、著者がどのような人と関わりを持ち、どのような影響を受けてきたのか。文章を読むだけではわからない、著者の書く行為を取り巻くバックグラウンドに触れた気持ちになる。 たとえ、それが文章に明確な形としては表れていなかったとしても、書き手のことばや思考は、さまざまな人との関係によって培われ、支えられている。 口述筆記という手法 もっとも、より直接的な形で、誰かとものを書くことを実践した書き手もいる。今ではおこなわれることの少なくなった口述筆記は、そうした執筆手法のひとつだ。 ……出版社の方が御好意で口述筆記の人を差
追悼・打越正行さん✑ 上間 陽子 2024年12月9日に、打越正行さんが亡くなられました。沖縄でいっしょに調査をし、親交の深い上間陽子さんに、追悼文を寄せていただきました。 追悼文を書かないといけないのですが、打越くんのバカ話ばかり思い出して笑ってしまいます。笑っていると、あれ、そもそも私は何を書こうと思っているんだっけと追悼文のことを思い出して、ああ、もうここにはいないんだと確認しています。 1か月近く、こんなかんじで打越くんの不在を何度も確認してくたびれてしまいました。しょうがないので、打越くんのバカ話を書こうと思います。 初めて打越くんの名前を聞いたのは、私が東京で大学院生をしていたころです。琉球大学の教育学部の数学科の学科室に打越正行というひとが住んでいて、そのひとは誰にも求められていないのに、ひとりで社会学の卒論を書いているとのことでした。 噂のひとである打越くんに初めて会ったの
✑蓮實重彦 蓮實重彦さんの「些事にこだわり」第25回を「ちくま」5月号より転載します。 「大統領」という役職のうろんさと、それが必然的にはらむ危険性について、歴史を繙きながら考察します。ご覧下さい。 「大統領」と呼ばれている国際的な地位というか役職というべきものが、どうも好きになれない。むしろ大嫌いだといってそこにいかなる誇張も含まれてはいない。では、極東のちっぽけな島国の「総理大臣」なら受け入れる心の余裕があるのかと問われれば、そんな職種のことは、これまで思考の対象に上ったためしなど一度としてないとひとまず答えておく。 では、なぜ、「大統領」が好きになれないのか、あるいはそれが大嫌いなのか。「大統領」という言葉の定義が曖昧で、その機能さえ明らかなものとはいえないからである。そんなことはあるまい。その機能なり権限なりは、いずれもそれぞれの国の「憲法」で、国民の誰の目にも明らかなものとして定
✑木村幹 ちくま新書2025年4月刊『国立大学教授のお仕事』は、韓国の政治文化を研究する還暦間近のとある部局長が、意外と知られていない大学教授の仕事の実態を伝える一冊です。大学の仕事と学会の仕事、そしてツーリングとオリックスの応援で多忙を極めるなか、新書の執筆まで背負い込んだとある部局長。いつものように疲れ果てて帰宅すると、韓国から衝撃的な知らせが飛び込んできました。 『国立大学教授のお仕事』の一節として書かれたものの、「大学教授の仕事としてあまりにも一般性がない」と収録が見送られた原稿を、もったいないので少し修正のうえ公開します。 『国立大学教授のお仕事――とある部局長のホンネ』 木村幹|筑摩書房 2025年4月10日発売! 先日、『国立大学教授のお仕事』という著作を脱稿した。その中で紹介したのは、筆者の経験から見た国立大学教員の仕事の一端であり、どちらかといえば、「日常」の仕事に属する
摂理なく芽吹く、とルクレティウスは言った。ー ルクレティウス著『事物の本性について』書評 / アダム・タカハシ【ちくま学芸文庫】 ✑ アダム・タカハシ 古代ローマの哲学詩『事物の本性について』がこのほど、ちくま学芸文庫に収録されました。作者であるルクレティウスは、西洋思想を長らく支配してきたプラトンともアリストテレスとも異なる、生き生きとした「自然哲学」を歌い上げました。中世自然哲学史がご専門のアダム・タカハシさんに評していただきました。(PR誌「ちくま」2025年4月号より転載) この数年、文学作品を読む演習によく参加するようになった。演習といっても大学の授業ではない。或る先生が月に二、三回ひらかれている〈読書会〉で、たいていは英米の短編小説を原文で読んでいる。その会のおかげで、書かれたテクストだけでなく現実世界への向き合いかたも少しずつ変わってきた。とくに変化したのは、現実か虚構かにか
「東大卒」は日本社会の何を映しているのか ー 『「東大卒」の研究―データからみる学歴エリート』ためし読み/本田由紀【ちくま新書】 ✑ 本田由紀 学力格差や体験格差が深刻化する日本の教育。そんな中、入試難易度や威信という点においてトップに君臨しつづける東京大学に進学するのはどんな人たちなのか。東大卒業生を対象に行われた大規模な独自調査のデータから、学歴エリートの生態と格差社会の実態に迫る新刊『「東大卒」の研究―データからみる学歴エリート』より、本田由紀さん執筆の本文の一部を公開します。 『「東大卒」の研究―データからみる学歴エリート』(ちくま新書)東大に凝縮される「教育格差」 といった事象は、少なくとも国内においては、東京大学が「最高」と呼んでよい立場にあることを示していました。しかしもちろん、東京大学が話題に上るのは、ポジティブな面だけではありません。 ネガティブな事象の一つとして、「教育
✒︎ 蓮實 重彦 蓮實重彥さんの連載時評「些事にこだわり」第24回を「ちくま」3月号より転載します。思いもよらず洗面所への「セルフ監禁」という羽目に陥った筆者。スマホは手元になく、家人は不在で、隣家も遠くかつ深夜であるーー絶体絶命の状況からいかに脱出しえたか、奇遇としか言いようのないオチも含めて、一枚の扉がもたらした「個人的な冒険」、ご覧下さい。 「芸術家」とも訳せるアーチストという奇態な名の錠剤を含む十一種類もの薬を朝食後に嚥下したばかりだから、文字通り病身と呼ぶべき立場にあるこのテクストの書き手は、今回にかぎり、ごく例外的に、つい最近その身に起ったさる珍事を詳述することになるので、「個人的な体験」などいっさい興味はないと判断される向きには、即刻読むことをおやめ下されとひとまずご注進申し上げる。これから、昨年末のクリスマス・イヴも過ぎたある晩のこと、思いもかけずこの身が受け入れざるをえな
桜庭一樹『読まれる覚悟』書評 ✑森脇透青 2025年1月刊のちくまプリマー新書『読まれる覚悟』は、25年にわたって小説家として活躍してきた桜庭一樹さんが贈る、心穏やかに書き続けるための”読まれ方の入門書”です。「書評家や批評家は小説家の教育者になりうる」、でも冷笑やイジリを受けてつらい思いもしてきた。そんな思いを率直に綴った本書を、批評家の森脇透青さんはどのように読まれたのでしょうか。PR誌「ちくま」からの転載に、書き下ろしの「追記」を合わせてお読みください。 きわめて「時代的」な本だ。本書が応対するのは現代、つまりは人類史上、はじめて人間が誰もが書きうるし誰もが読まれうる環境を手にしつつある、このかつてない時代である。しかしおそらく人類はまだ、自身の文章がここまでの規模と速度で拡散され読まれるという現実への対応策を用意できていない。現代的な問題のほとんどが、リテラシーをめぐるすれ違いから
『なぜ人は自分を責めてしまうのか』(ちくま新書)から、あとがきを公開します。信田さよ子さんがカウンセラーとして大切にしてきたことを、端的に書いていただきました。「必要なのは、他者である。自分を助けようとする他者だけではない。自分に似た経験をした他者、類似した他者の存在こそ必要なのではないか」 いまではもう日常用語になった感のある「自己肯定感」という言葉だが、私は激しく忌み嫌っている。聞くたびに拒否感で身体反応が起きるくらいだ。 Aさんはこう言う。 「ほんとにつらくて……いつもいつもどうしてこんなんだろうと自分を責めてしまいます。だから、自己肯定感を上げるにはどうしたらいいか、ヒントが欲しいんです。ほんとうに自己肯定感低すぎなんです。」 Bさんはこう言う。 「ああ、自分を好きになりたい。自分を愛せたら変わるでしょうか」 こんな言葉を聞くたびに、正直全身から力が抜ける気がする。講演などでそう語
✑ 蓮實 重彦 蓮實重彥さんの連載時評「些事にこだわり」第22回を「ちくま」11月号より転載します。掲載時より思いもよらぬ展開を経て、ふりだしに戻ったかのようなこの話柄。丹那トンネルより西ではどんな不思議でも起こるのか、(元)官僚たちの言葉のマジックがいよいよ時代を覆い尽くさんとしているのか。ご覧下さい。 六本木からさして遠からぬ三河台という麻布の一郭で生まれ、そこにあった祖父母の家が戦災で焼け落ちてからはもっぱら世田谷で暮らしていたので、とても生粋の江戸っ子などとは呼べぬ曖昧な身分でありながら、戦事中を疎開先の長野県で暮らしたほかはほぼ例外なしに東京に住んでいたのだから、昭和九年に開通した東海道本線の丹那トンネル以西の土地をそっくり異国と見做しているのも、さして無理からぬ事態の推移というべきかもしれぬ。 実際、わたくしにとっては、丹那トンネルはいわば安土桃山時代の「関ヶ原」みたいなもので
『ルポ アフリカに進出する日本の新宗教』ためし読み✑ 上野 庸平 話題の新刊『ルポ アフリカに進出する日本の新宗教』の一部を「ためし読み」として、特別公開いたします。著者がアフリカ、ブルキナファソで出会ったのは熱心な真如苑の信者ジャック。彼の姿からは、日本とは違った宗教の姿が見えてきます。驚きが詰まった貴重なルポ、ぜひお読みください! 唐突な真如苑信者との出会い 「ここに来た時、『日本人はいないの?』と探し回った。それで、やっと彼女に出会えたんです」 僕がブルキナファソに住む真如苑しんにょえんの信者と出会ったのは本当にただの偶然だった。ある週末にクーペラという地方都市へ日本人の知人を訪ねて遊びに行った時のこと、その知人と道を歩いている時に、ばったり出くわした知人の友人がたまたま真如苑の信者だったのだ。 ジャック・ソンド・ノンガネレ、33歳。ブルキナファソ第二の都市ボボジュラソ生まれの真如苑
『ぼっちのままで居場所を見つける』書評✑ 村上 靖彦 河野真太郎『ぼっちのままで居場所を見つける 孤独許容社会へ』(ちくまプリマー新書、2024年10月刊)についての村上靖彦さんによる書評を公開いたします。ぜひお読みください(PR誌「ちくま」2024年11月号からの転載) 本書は、居場所や対話が強調される現代に、「ひとりぼっち」でいることの価値を訴える。孤立が悪しきものとして避けられがちな時代に、「良い孤独」があると語る。ここ数年孤立からの脱出をテーマにしてきた私にとっては驚きだった。 孤独という現象は最近の発明であり、孤独には悪い孤独と良い孤独があるという。かつて人がどのように孤独を発見したのか、二一世紀に社会が息苦しくなるなかで、悪い孤独から良い孤独への脱出の道をどのように探索できるのかを、著者は丁寧に考える。 本書は『アナ雪』の鮮やかな分析から始まる。エルサは、自分が持つ魔法の力とい
✑ 信田 さよ子 11月刊のちくま学芸文庫『増補 アルコホリズムの社会学』(野口裕二著)より、信田さよ子氏による解説を公開します。多くのアルコール依存症者たちのカウンセリングを行ってきた信田氏にとって、本書は「バイブルのような存在」だといいます。それはなぜなのか、カウンセラーとしての自身の歩みを振り返りながら述べていただきました。ぜひご一読ください。 はじめに 本書は、私にとってバイブルのような存在である。 1970年代からずっとアルコール依存症にかかわり、その経験にもとづいてアディクション全般にカウンセリング対象を拡大してきた。さらにアメリカでアディクション援助の世界が生み出したさまざまな言葉(アダルト・チルドレンや共依存など)に軸足を置きながら、家族と家族の暴力の問題をターゲットにしてきた。 そんな私の分岐点は1995年にあった。現在まで続くカウンセリング機関を開設したのである。本書が
✑ 野家 啓一 20世紀に歴史哲学のパラダイム・シフトをもたらしたアーサー・C・ダントの代表作『物語としての歴史』がこのほど、ちくま学芸文庫入りしました。「歴史理論で最も影響を受けた本」と言われる野家啓一氏が、本書のもつ哲学史的背景と意味について解説をお寄せくださっています。どうぞご一読ください。 1 「大きな物語」の衰退 「歴史哲学」と聞いて、人は何を思い浮かべるだろうか。おそらく念頭をよぎるのは、ヘーゲルの『歴史哲学講義』に代表されるような、世界史の流れを俯瞰してその意義と目的を論じる「大きな物語」のことではあるまいか。 本書の著者アーサー・C・ダントによれば、「歴史総体の意味を論じて、ヘーゲルはそれを絶対的なものの自己認識へ至る過程であると考えた」(36頁)のである。あるいはそれを、ヘーゲルは世界史の行程を「自由の自己実現」のプロセスと見なした、と言い換えてもよい。これが神の世界創造
『悪文の構造』解説 ✑ 石黒 圭 ちくま学芸文庫10月刊『悪文の構造』(千早耿一郎著)より、石黒圭さんによる解説を公開します。文章読本は世に数多くありますが、なかでも「悪文」を扱った本には名著が多いといいます。それはなぜなのか、また、そのような中で本書の特長はどこにあるのかを紹介いただきました。ぜひご一読ください。 もしあなたがスリムな体型を手に入れたい場合、『みるみる痩せる激やせ食事法』と『太りにくい身体を作る食事法』、どちらの本を書店で手に取るだろうか。おそらく『みるみる痩せる激やせ食事法』をまず手に取るのではないか。手っ取り早く痩せられる方法が書いてありそうだからである。 しかし、ダイエットにはリバウンドがつきものである。一年後の自身の体型を考えた場合、どちらの本に従えば、目標を確実に達成できそうだろうか。冷静な頭で考えれば、『太りにくい身体を作る食事法』に軍配が上がることに多くの
『フィールドワークってなんだろう』より本文を一部公開✑ 金菱 清 フィールドワークの目的は、「ブラックスワン」を探すこと。自分の半径5メートルから飛び出してはじめての世界に飛び込む方法を伝える『フィールドワークってなんだろう』より本文の一部を公開します! ブラックスワン 現在、ネットという強い味方があり、ちょちょっとググればそれこそ寝ながら検索し、いろいろなことを調べることができます。それなのに、なぜ時間とお金をかけて苦労して調査をするのでしょうか。それを一言でいえば、「ブラックスワン」を探すためです。直訳すれば黒い白鳥。ホワイトスワンつまり普通の白鳥は、ネットで検索すれば、すぐに見つけ出すことができます。しかし、ブラックスワンは検索ではでてきません。 また、一羽でも黒い白鳥をみつけることができれば、白鳥はすべて白いとは言えなくなります。そのため、白鳥という概念そのものを考えなおす必要が生
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