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今年の「#文学」
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今日の心理学は、過去の研究知見が再現されないという問題(再現性の危機)に直面しています。人間の行動を説明・予測する普遍的な命題を定立することを目的とする心理学が積み上げてきた研究成果は、砂上の楼閣に過ぎないのでしょうか。こうした問題に応えようと、心理学者たちは、過去の知見の再現可能性を確認する研究に取り組んでいます。 第5回では、ミルグラム服従実験についてご解説いただきます。 第二次世界大戦と社会心理学 戦争。人々が仲間と手を組み、敵対する集団の人たちに対して攻撃する。国家、宗教、人種、民族、集落、部族など、様々な集団の間で、また、人類の歴史上のかなり古くから、戦争という現象が観察されてきた。 なぜ戦争は生じるのか。これはとてつもなく大きな問いであり、その答えは様々であり、もちろん、まだ解き明かされていない部分もたくさんある。人々が他者と関わりあう中で働く心の仕組みを解き明かそうとする社会
今日の心理学を考えるうえで、心を測るという実践はもはや不可欠となっています。しかし、そもそも心を測るとはどういうことなのでしょうか。今回は、関西学院大学の清水裕士先生に、公理的測定論というアプローチからこの問題をご解説いただきました。 心を数量化する 心理学では、「心を測る」ということを行います。とはいえ、心はそもそも直接観測することはできませんが、それを測ることはいかにして可能なのでしょうか。数理心理学ではその問題を公理的測定論という研究成果によって答えようとしました。本記事では、心理学で心を測るという問題について、公理的測定論という観点から解説します。また、心理学者が知っているようであまり知らない、尺度水準の数学的な意味についても解説します。 心の測定は可能なのか 心理測定の歴史は、心理学の歴史と重なるほど長いですが、現代でも使われている心理測定の理論の基礎を形作ったのは、Thurst
心理学において、これまでに得られた著名な研究結果が再現されないという再現性の危機が話題となっています。その原因の一端は、統計的仮説検定の使用にあると考えられています。そして、仮説検定のオルタナティブとして、ベイズ統計学に対する注目も高まっています。しかし、仮説検定がもつ問題の一部がどのようにしてベイズ統計学によって解決されうるのか、両者の立場の相違、ベイズ統計学の限界などについて、心理学においてまだ十分な議論がなされていないように見受けられます。そこで今回は、こうした再現性の危機と仮説検定の関係、ベイズ統計学の可能性と限界について、テンプル大学統計科学部助教授のマクリン謙一郎先生にご解説いただきました。 ※今回の記事は、統計的意思決定、仮説検定、ベイズ統計学について基礎的な知識があることを前提としています。あらかじめご承知おきのうえお読みください。 はじめに 再現性の危機が心理学を含む諸分
深層学習と新しい心理学(明治学院大学 研究員:池田功毅、九州大学准教授:山田祐樹、慶応義塾大学教授:平石界) 近年の深層学習(ディープラーニング)の発展には目を見張るものがあります。この発展の前で心理学は、何ができるのでしょうか? 深層学習技術が発展した世界における新しい心理学の可能性について、お三方の先生にご執筆いただきました。 科学的な心理学の目標は、心を科学的に理解・予測し、その成果を社会に役立てていくことだと言われます (e.g. 鹿取 et al., 2020)[1]。しかしこの記事の著者である私たちは、当の心理学者であるにもかかわらず、ここのところ再現可能性危機やらエビデンスレベルやらと、心理学の科学性やその社会的役割について疑問を呈し、不安を感じさせるような議論ばかり行ってきました (池田 & 平石, 2016; 平石, 2022; 平石 & 中村, 2022; 山田, 20
知能検査は個人を理解し、必要な支援を提供するのに役立ってきました。しかし、知能検査は、そもそもの開発者の意図から離れて使われたという過去もあります。社会にとって、知能検査とはどのようなものだったのでしょうか。学問と社会のあり方を考える一つの視点がそこにあります。今回は、優生思想とともにあった知能検査の歴史、および社会と学問のあり方をテーマに、サトウタツヤ先生にご執筆いただきました。 学問が社会のためになる、ということに反対する人はいないだろう。 役にたつことだけが学問ではないとか、いつか役に立つことを考えれば良いのであって今役立つかどうかだけを考えてはいけない、などという考えもありうるだろう。社会のため、というとき、私たちは社会がまっとうなものだという前提を置いている。しかし、社会がまっとうでないとすればどうだろうか? 社会に役立つということ自体、それほどお気楽に宣言できるものではない。そ
国際女性デーに拡散されたエスカレーター動画3月のある日、SNS上である動画が広く拡散されていた。 「今日は #国際女性デー 。映像はヤングカンヌで金賞を受賞したCM。」という文言を添え、クリエーターの富永省吾さんがTwitterにあげていた動画だ。 スーツをまとったサラリーマンらしき男性が、スマートフォンを持っているらしい手元に目をやったままエスカレーターに乗っている。別の二人のスーツ姿の男性が続く。上りエスカレーターだから、何をしなくても自動的に上に運ばれてゆく。対照的に、隣の下りエスカレーターでは、ひとりの女性が進行方向に逆行し自力で上がろうと奮闘している。ヒールのあるパンプスとタイトスカートではいかにも動きづらそうだ。少しでも歩を緩めれば、容赦無く低い位置に連れ戻される。動画の最後に「女性はこのような状況に置かれている」という意味の、「Women are in situation l
脳と心の科学の「ミッドライフクライシス」(京都大学情報学研究科 教授、ATR脳情報研究所 客員室長:神谷之康) #その心理学ホント? 私が学生だった1990年代前半、脳と心の科学の未来は輝いて見えた。80年代末から続いていた(第2次)ニューラルネットワークブームや、当時NatureやScienceに頻繁に掲載されていたサルの電気生理学研究の印象は強烈だった。「認知科学」や「認知心理学」の「認知」という言葉に、旧来の「心理学」や「生理学」にはない軽やかな響きを感じた。当時は、行動主義から認知科学への移行(「認知革命」)によって、観察可能な行動だけでなく、行動の背後にある認知プロセスについて研究できるようになったと言われていた(が、これが単純化された「建国神話」であることが後に分かってきた)(1)。90年代半ば以降、ニューラルネットワークブームは一時下火になる一方、脳イメージング技術の進展を背
世間では必ずしも科学的な知見に基づいていない知識が、心理学と称されて流行しています。これらは、アカデミックな心理学の対比として、ポップサイコロジー(大衆的な心理学)と呼ばれています。このポップサイコロジーの流行に対して、心理学者はどの様に考えているのでしょうか? 九州大学の山田祐樹先生にお書きいただきました。 認知心理学者を自称している私ですが,大学には犯罪心理学者になりたくて入学しました。当時の私はプロファイラーになりたくて仕方がなかったのです。そう思うようになったのは,高校生の頃までに映画,ドラマ,小説,漫画などから多大な影響を受けていたからでしょう。私は昔からそういった作品をたくさん観たり,読んだりするのが好きでした。しかし心理学についての「ちゃんとした」学術書や論文に触れる機会は皆無だったので,私が心理学に対して持っていた印象や知識はおそろしく歪んでいました。また大学で開講されてい
調査の「聞き方」「答え方」がデータに与える影響(大阪大学大学院人間科学研究科教授:三浦麻子) #その心理学ホント? 心理学が使用する代表的な方法の一つが調査法です。多くのデータが得られやすい,実施や集計が容易といった強みを持つ一方,弱みもあります。今回は,調査の「聞き方」,「答え方」によって得られるデータがどのような影響を受けるのかについて,三浦麻子先生にご解説いただきました。 心理学では「心」にまつわる構成概念を測定するために様々な手法を用いますが,そのうち,調査者の問いかけに対象者が主観(自らの気持ちや考え,経験など)を答えるのが調査です.調査では,呈示した質問に対して,あらかじめ用意した数値や選択肢から当てはまるものを選ばせる形で回答を求めることがよくあり,同じ形式で得られたデータですから,たくさんあっても集計・分析するのが容易です.心理学以外の領域でもよく用いられていて,学生の卒論
過去に囚われているのは嫌なもの。心新たに明日に踏み出して行きたい。そう願っていても、人にないがしろにされたり、大きな失敗をしたりした記憶は、何年経っても何度でも蘇っては、自分の足を引っ張ることがあります。そんな記憶にどう対応することができるでしょうか。どのように心の立ち直りを生み出すことができるのでしょうか。精神科医の春日武彦先生に書いていただきました。 【記憶のゾンビ】 幸いにも、わたしは人生観や世界観が一変してしまうような恐ろしい出来事や、途方もなくつらく悲しい事件に遭遇したことはありません。もしそういった出来事や事件と出会っていたら、それらは忘れたくても忘れられない「おぞましい記憶」として頭の中に居座り、たとえ忘れたつもりになっていたとしても、何かの拍子にいきなり(まるでゾンビのように)蘇って心を苦しめるに違いありません。 比較的平穏に人生を送ってきたとしても、恥ずかしい思い出や失望
私たちにはどんな未来が待っているのでしょうか? 未来を考えることは、ひいてはメンタルヘルスの未来を想像することにつながるかもしれません。 私たちの未来、そしてメンタルヘルスの未来について、人間の自己家畜化という観点から、熊代亨先生にお書きいただきました。 約一年前(https://www.note.kanekoshobo.co.jp/n/n19a38bc33558)にも金子書房さんのnoteに書かせていただいた、精神科医の熊代亨です。 今回は、未来の精神医療と未来の人間についてイマジネーションをお届けしたく、再び文章をお届けしてみました。よろしければ、しばしお付き合いください。 【人間の自己家畜化というトピックをご存知ですか?】 精神科医としての私は、操作的診断基準と各種の治療ガイドラインを重視すること、精神保健福祉法を遵守することを第一に考えています。 でもそれは白衣を着ている時の話。社
近年の精神医療や精神療法の進歩には目覚ましいものがあります。 その進歩がもたらした恩恵の一方で、もやもやする気持ちまでもが「治療」の対象になる社会がすぐそこにあるのかもしれません。私たちはどんな社会を望んでいるのでしょうか? 精神科医の立場から現代社会を分析する、熊代亨先生にお書きいただきました。 精神科医として精神医療に従事しながら、「現代人にとって社会に適応するとは何か」をテーマにブログや本を書き続けている、熊代亨といいます。今回のお題、「もやもやする気持ちへの処方箋」に関連して、いつも考えていることを述べさせていただきます。 白衣を着て仕事をしている時、さまざまな「もやもやする気持ち」を患者さんから聴きます。うつ病の患者さんの悲観的なお話や、社交不安障害の患者さんの悩みなどは「もやもやする気持ち」という言葉がよく似合い、聞いているこちらまで気持ちがモヤモヤしてくることもあります。 で
「人生ハードモード」の国で、子どもたちが生き抜いていくために(黒川駿哉:児童精神科医)#私が安心した言葉 「人生ハードモードだ…。」もしかしたらあなたもそう感じることがあるかもしれません。先生のおっしゃる「人生ハードモード」の意味、ご自身が安心した言葉、そして先生が強く願うこととは――。児童精神科医の黒川駿哉先生にご寄稿いただきました。 日本に生まれた時点で人生ハードモード 子ども達のメンタルヘルスを考えるとき、私たちが決して目を背けてはいけないデータが三つあります。一つは、日本の若者のうち「自分自身に満足している者」の割合は5割弱と、諸外国と比べて最も低い結果となっていること[1]。二つめは、15~34歳の死因1位が自殺となっているのはG7の中でも日本のみであり、少子化が進んでいるなかでも19歳以下の自殺者数が増えているということ[2]。そして三つめは、日本の子どもに割り当てられている社
不安な世相を反映し、メンタルヘルスの重要性が、強く認識されるようになってきました。そのこと自体はとてもよいことだと思われます。しかし今、あまりに多くのことが心の問題とされ過ぎていないでしょうか。心を重要視することが、他の要因から目をそらすことにつながっているように感じることはないでしょうか。現在の心の問題の扱われ方について、パーソナリティ心理学がご専門の渡邊芳之先生に、お考えをお書きいただきました。 東日本大震災のあとに、避難所や仮設住宅に「カウンセラーお断り」という貼紙がされたことがあったという。震災やその後の津波の被災者となった人々は強い不安や苦悩を感じており、そうした人々への「心のケア」が急務とされて、国や自治体の要請で現地に入ったカウンセラー、臨床心理士は多かったはずである。それが「お断り」されてしまうというのは奇妙なことだ。 しかし、実際に被災地の人々が求めていたものはなんだった
テレビ、雑誌、ネットなどの各種メディアでよく目にするHSP。心理学はいま、HSPについてどのようなことを明らかにしているのでしょうか? 今回はHSPに関する研究をご専門とされる飯村周平先生に、いまわかっていること、そして私たちが日常でよく目にする情報について、ご解説いただきます。 「HSPブーム」の到来と本記事のねらい いま、SNSやメディアでは、HSP(Highly Sensitive Person)という言葉が注目を集めています。精神科医やHSP専門カウンセラー、当事者など、さまざまな肩書をもつ人たちが、書籍を積極的に出版したり、情報を発信したりしています。 例えば、Twitterで「HSP」と検索してみてください。「#HSPあるある」「#HSPさんとつながりたい」「#HSP診断テスト」「#HSS型HSP」などのタグとともに、様々な情報が発信されていることがわかります。また、「生きづら
子どもたちはゲームやインターネットの世界で何をしているんだろう?(関 正樹:大湫病院児童精神科医)#子どもたちのためにこれからできること 「ゲーム・ネット・スマホとどう付き合うか」(吉川 徹 先生)に続く、ゲーム・ネットと子どもたちについての第2弾です。ゲームやインターネットに熱中している子どもに対して、大人はどうしても不安を感じてしまいがちです。その背景には、ゲーム・ネットの世界や、また、子どもたちがその世界をどう楽しんでいるのかを、大人の側が知らないこともあると思います。今回は、児童精神科医の関正樹先生に、ゲームやネットの世界のこと、その世界に没頭する子どもたちと出会ったときに、支援者や保護者に何ができるかを解説いただきます。 1.どうしてインターネットやゲームはネガティブな側面に注目が集まりやすいのだろう? インターネットゲーム障害がアメリカ精神医学会の診断基準であるDSM-5に「
できるだけ人と会ってはいけないという日々に、つらさを感じた人は多かったと思います。しかし、人と会わないことでかえって楽になったという話も、聞かないわけではありません。できるだけ一人、生身の人間の力で山を登り続けるサバイバル登山を続ける服部文祥先生に、人から離れ一人過ごすことへの思いを、お書きいただきました。 昨年の夏、関東近郊の山の中の廃村に、古い家とかなり広い土地をただ同然で手に入れることができた。二間半×七間半の母屋はクギを一本も使わない日本古来の構造建築で、屋根は茅葺きである。廃屋同然だったその家に犬といっしょに入って、掃除して、修理して、畑仕事をするのが、現在、私が取り組んでいる主な活動であり、喜びだ。 この春の大型連休も移動自粛ということで、登山をあきらめ、廃村の古民家に向かった。古民家に着いて雨戸を開けたら、沢から引いている水でカルピスを割って飲む。 三方が山に囲まれ、渓沿いの
ゲーム・ネット・スマホとどう付き合うか(吉川 徹:愛知県医療療育総合センター中央病院子どものこころ科) #こころのディスタンス 今や、スマホやPCは、ゲームやネット動画などを楽しむ娯楽ツールとしてだけでなく、他者とつながり生活に必要な情報を得るための、生活に不可欠なツールとなっています。一方で、それらに没頭し過ぎてしまう「依存」の問題も、昨今は注目されつつあります。 私たちや子どもたちたちの生活を豊かにしてくれるゲーム・スマホ・ネットと、どううまく付き合えば良いのか。児童精神科医の吉川 徹先生に解説いただきます。■ ICTを上手に使うための「3つのリテラシー」 現代の子どもたちにとって、ゲームやインターネット、スマートフォンなどは、常に身近にある、生活の一部といってよいものになってきています。それは余暇の活動に留まらず、家族や学校との連絡、学習やアルバイトなど、様々な場面で当たり前のように
家族の暴力への援助 ~その歴史から対応へ~(信田さよ子:原宿カウンセリングセンター所長) #つながれない社会のなかでこころのつながりを 多くの国で外出しないで家にいることが一番の方策と考えられた今回、世界的な問題として浮上してきたのが、家庭内におけるDV(ドメスティックス・バイオレンス)でした。日本でその問題に早くから携わってきた信田さよ子先生に、世界での問題化に関連しての日本の対応、そして、これからの生活において忘れてはならない視点について語っていただきました。 はじめに コロナ禍は測り知れない影響を世界中に与えるだろうが、その全貌をまだ私たちは予測すらできない時を過ごしつつある。他業種同様に、われわれ開業心理相談機関にとってもこれは大きな衝撃である。経済的なダメージは言うまでもなく、職業としての心理臨床の成立基盤が揺らいでいるのだ。三密と対人援助は切り離せるわけがないからだ。 現在DV
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