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今年の「#文学」
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トゥルイの名は、その重要性を考えると恐ろしいほどに日本での知名度が低い。 日本の歴史教科書において名前が載っているのはチンギス・ハーンとオゴデイ・ハーンとフビライ・ハーン、あるいはフレグぐらいのものだろう。 トゥルイと聞いてピンと来る人がどれぐらいいるだろうか? フビライ・ハーンとフレグの父親と聞けばピンと来るかも知れない。 フビライ・ハーンは漢民族の南宋を滅ぼし日本侵略である元寇を行った人物で、我々にもなじみが深い。 今回はチンギス・ハーンの息子達の中でも特に才能に恵まれていたトゥルイについて見て行こう! チンギス・ハーンの末子 チンギス・ハーンには5人の妃と数百人の愛人がいたが、後継者となりうるのは正妻ボルテの息子達だけだった。 長男ジョチ、次男チャガタイ、三男オゴタイ、そして末子のトゥルイ。 トゥルイは1192年に生まれたとみられ、父テムジンがチンギス・カンになった際には14歳であっ
人類が誕生してから、一体どれほどの時間が経っただろうか? 数え切れぬほどの人が生まれ、そして死んでいった中で、全ての人類に影響を与えた人間というのは少ない。 人類に影響を与えた度合い、ということになれば、チンギス・ハーンの影響は計り知れないであろう。 世界史上最大の帝国を創り上げた最強のカリスマ、あるいは無慈悲な侵略王、最盛期には人類の半分が住んでいたと言われるチンギス・ハーンの生涯について見て行こう。 草原の蒼き狼の末裔 あらゆる国の創成期は神話にて始まる。 日本ではイザナギとイザナミ、そしてアマテラスノオオミカミから始まり、旧約聖書ではアダムとイブから始まったように、モンゴルにも伝説がある。 それは蒼き狼(ボルテ・チノ)と白き雌鹿(コアイ・マラル)からモンゴル民族が誕生したという神話、あるいは伝説で、その子孫がチンギス・ハーンの所属するボルジギン氏であるという。 モンゴル高原は常に力の
ここ最近悪女と暴君の記事を書いてきたので、今回は人を褒め称える記事を書きたいと思う。 www.myworldhistoryblog.com www.myworldhistoryblog.com 今回のテーマは「世界の歴史で活躍した偉大な女性ランキングベスト50」。文字通り世界史で活躍した女性たちをランキング形式でお伝えしていきたいなと思いますのでおつきあい願えれば幸いです。 てな訳で前置きが長くなってしまうのもアレなので早速ランキングに行ってみよう! 第50位:最も成功した女性起業家「ココ・シャネル」 20世紀を代表するファッションデザイナー。貧しい生まれながらもその美貌と才覚で世界でもその名を知らない人が稀と言えるほど強力なブランドを築き上げた。 ココ・シャネルが世界の歴史上最も成功し、最も著名で最も偉大な起業家であることは誰しも認めるところであろう。 しかしココ・シャネルの母国での評判
今回の記事は前回の記事に寄せられた「女性ばっかり悪く書かれるのはおかしい!!」というコメントから始まった。 www.myworldhistoryblog.com 他にも「暴君のランキングはないの?」みたいなコメントもいただいたし、確かに女性のランキングだけだと男女平等に反するのかも知れない。ということで今回の記事を書き始めた訳だが、とにもかくにもエライことになったなという感想である。 前回の記事もある意味狂気に彩られていたが、今回の記事はもはや狂気そのものと言って良く、前回みたいにこの記事の感じを簡単に書くと以下のようになるだろうか。 前半:暴君というより「暴君的な人物」 中盤:完全なる暴君(悪漢)、段々と感覚がおかしくなってくる 後半:酷すぎて同じ人類として生まれたことを恥じるレベル 特に後半は人類の狂気が集まっている。タイトルにもあるように超閲覧注意である。 全部書き終えてからこの前文
きれいなバラには棘があるというけれども、その美しい容姿の裏に猛毒を抱え込んだ女性がいる。 彼女らは悪女と言われしばしば歴史の表舞台に現れては大暴れをするわけだが、恐ろしさの中にもどこか魅力を感じる人物ばかり。そこで今回はそんな世界史に名が残るような悪女たちの伝説をまとめてみたいと思う。 ちなみにこの前文は記事が書き終わってから書いている訳だが、書いた感想としてはこんな感じになっているかなと思う。 50位~35位:悪女と言ってもねぇ、誰でもそういう部分はあるからねぇ、そうでもないような気がするねぇ 34位~25位:うん、これは悪女だね 24位~8位:ヤバイ、背筋が凍るレベルだ… 7位~1位:規模が違い過ぎて現実感がない。段々感覚がマヒしてくる 特に後半はどこか遠くで起こったのことのように感じてくるし、自分の中の常識も段々と亡くなってくるのだけれど、恐ろしいことにこの記事に記載されていることは
三国志、好きか? 俺は好きだぜ! もはや好きを通り越して人生の一部になっていると言っても過言ではないかも知れない。 三国志、それは人類が生み出した最高の物語。 小学校低学年の時初めて買ってもらったスーパーファミコン。一緒に買ってもらったのはスーパーマリオと三国志だった。 当時はよく父親とテレビで三国志で対戦していて母親に文句を言われたっけ。 その後は「アニメ版三国志」やその原作の漫画「横山光輝三国志」その原作の小説「吉川英治三国志」を経てもう絶版になってしまったけれども光栄から出ていた「爆笑三国志シリーズ」を出るたびに勝っていた。 大人になってからも漫画「蒼天航路」やアーケードゲーム「三国志大戦」などにはまってしまい、ついにはこんなブログまで作ってしまったぐらいだ。 そう、「俺の世界史ブログ」は元々は三国志の特化ブログにしようとしていたぐらいなのだよ。。 という訳で今月のベスト100シリー
久しぶりにブログ運用関連の記事を書こうと思う。 250日連続でブログを続けた結果 疲れた! 継続は力なりというが、これはかなりしんどかった。1000日連続でブログを投稿している人とかいるけれどやっぱすごいわ。 多分自分も続けようと思えば続けられると思うんだけれど、連続ブログ更新はキリがいいのでここいらで一端方向転換しようかと思う。 モチベーションは無限ではない ブログを初めて3か月ぐらいは、まるで無限にモチベーションが湧いてくるような気がするが、そんなことはない。必ずどこかで急速にモチベーションが落ちる。 これは当たり前なのだが、おおよそ人間が何か計画を立てる時にはモチベーションの低下をそこに内包してはいない。割と多くの物事がモチベーションの低下によって失敗に終わっているけれども僕たちはその原因に気づいていないんだ。 ブログはモチベーションが続く限りチャンスがある媒体だ。でもそのモチベーシ
ドナルド・トランプのアメリカ合衆国大統領就任はアメリカ史上最大の悲劇であるとともに最大の喜劇である。 大統領になるまでのドナルド・トランプ ドナルド・トランプは1946年にニューヨーク州に生まれた。 父はヴィルヘルム一世およびビスマルク治下のドイツ帝国からアメリカ合衆国に移住したフレデリク・トランプの息子フレッド・トランプで、不動産王としてニューヨーク全体で27000を超える建物を建設した人物でもある。 ドナルドは父の後を継ぐべく不動産の専門学科のあったペンシルベニア大学を1968年に卒業、父の経営する不動産会社に就職した。 1971年には父から経営権を譲られ、ホテルやカジノ、ゴルフコースなどを次々に買収、そして何の政治的な経験もないまま2000年には大統領選に臨もうとする。その後2016年に大統領選に出馬し、まさかの当選を果たす。 第45代アメリカ合衆国大統領 さすがにドナルド・トランプ
どの世界史の教科書でも、フランス革命に関するページは特に厚く書かれている。にも拘わらずほとんどの人はフランス革命がどのような革命であったのかがよく分からないまま大人になったのではないだろうか。 広大な世界の歴史をわずか1年という期間で学ぶのには無理があって、それでもエッセンスを集めた結果今の教科書になった。 そしてエッセンスだけを記載した結果重要な用語だけが無味乾燥に並んだ教科書が出来上がる訳だが、今回は人類史の転換点ともいえるフランス革命について教科書より少しだけ詳しく記述したいと思う。 ちなみに受験生用「フランス革命」の記事はこちら。 www.myworldhistoryblog.com きっかけはルイ16世が開いた三部会にあった フランス革命においてまず考えなければならないのは、絶対王政の絶頂期においてなぜ王政が倒れてしまったのかという点だ。 当時のヨーロッパには君主絶対論である「絶
清教徒革命の結果、王政は復古し、イギリスは再びステュワート家を王家とする王政が復活した。 王位についたチャールズ二世は「怠惰王」と呼ばれながらも議会のやることにはあまり口出しをせず、一応は議会とうまくやっていた。 そんなチャールズ二世は1685年に亡くなった。 歴史が、また動き出した。 国王就任 ジェームズ二世は1633年、チャールズ一世とフランス王ルイ13世の妹ヘンリエッタ・マリアとの間に生まれた。 www.myworldhistoryblog.com 幼い頃に清教徒革命が起こり、ジェームズ二世は女装をしてなんとかオランダに逃げ込んだという過去を持ち、国内に残った父チャールズ一世はクロムウェルによって処刑されてしまう。 推測に過ぎないが、ジェームズ二世の心には議会への恨みしか残らなかったであろう。ジェームズ二世を含めた国王一家は王妃の実家であるフランスへ亡命、ここで一家はカトリックに改宗
2019年7月30日、ディープインパクトが亡くなった。 丁度ディープインパクトが活躍していたころ、私は大学生で中山競馬場でアルバイトをしていた。だからその期間に何度もディープインパクトをこの目で見たし、やっぱりディープインパクトの存在感は今までのどの馬とも違った。 本当に強い馬だったし、本当にスターホースだったと思う。 この記事はディープインパクトが亡くなる前から書き始めていたので、なんというか、言いようもない何かを感じた。ちょうどこのような記事を書いている時にディープインパクトが亡くなったことには何か意味があるような、そんな気がしたのだ。 だから副題を「天国のディープインパクトに捧ぐ」とした。この記事はディープインパクトの追悼記事でもある。 ディープは自分にとって特別な1頭だったのだ。 さて、前置きが長くなったが本題に入りたいと思う。 全ての競走馬はわずか3頭の始祖から始まったというのは
「名誉革命」が載っていない歴史の教科書はない。歴史だけでなく、政治経済の教科書にもないであろう。 議会と祖法 名誉革命は清教徒革命ほどややこしくない。 www.myworldhistoryblog.com 最近では清教徒革命と名誉革命を合わせて「イギリス革命」とすることも多くなったが、両革命における根本は宗教の問題と議会および祖法の問題である。 日本が議会制政治を取り入れたのは明確に明治維新の時からであるが、イギリスにおいては古代ローマ帝国からの沿革でその創成期から議会制が採用されており、もはや伝統の長さが違うと言える。そのため我々はイマイチ議会制政治になじんでおらず、未だに江戸時代のお上意識を引きづっていると言える。 イギリスでは伝統的に議会の承認なしには課税ができなかった。 イギリスをはじめとした中世ヨーロッパの諸国家は常備軍を持っておらず、イングランドにおいては戦争の際には議会を招集
中学校や高校の歴史の授業で出てくる「清教徒革命」ですが、用語は知っていても内容はよく分かっていないという方も多いのではないでしょうか? それもそのはず、清教徒革命、別名三王国戦争はイギリス特有の用語や概念などを理解していないとよく分からない部分が多く、中学校で習う部分だけで理解するのは不可能なのです。 という訳で今回は中学生はもちろん「清教徒革命」ってよく分からないなぁという方に向けて解説記事を書かせていただければと思いますのでよろしくお願いいたします。 清教徒革命についてまず知っておきたい基礎知識~イギリスはそもそも連合王国であるということ~ 「イギリス」という国の正式名称はご存知でしょうか? 我々が「イギリス」と呼んでいる国の正式名称は「グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国」という名前になっており、「United Kingdam」の頭文字をとって「UK」と呼ばれることが多いで
世界史上の出来事が中学校の歴史に乗ることはあまりないが、その数少ない例外がチャールズ一世の時代に起きた清教徒革命であろう。 今回はピューリタン革命で処刑されてしまったチャールズ一世の生涯について見て行きたいと思う。 父とは真逆の息子 チャールズ一世はステュアート朝イギリスの初代国王ジェームズ一世の子供として1600年に生まれた。 www.myworldhistoryblog.com チャールズには兄がおり、本来はそちらが皇太子であったのだが、1612年に兄が天然痘で亡くなると自身が次期国王となることが確定した。 チャールズは何かにつけ父の期待に応えていたできの良い兄にコンプレックスを抱いていたらしく、そのことも含めて父に反発していたという。チャールズが生まれつき吃音であることも関係していたかも知れない。 1625年、父の死去に伴いイングランド・スコットランド・アイルランド王チャールズ一世と
テューダー朝最後の君主エリザベス一世が死ぬとイングランドの王家はステュアート家が代々継ぐようになり、ここにステュアート朝が誕生するようになる。 ステュアート朝の初代国王はジェームズ一世であるが、その母親であるメアリー・ステュワートはエリザベス一世によって処刑されている。 クイーン・オブ・スコッツ 我々がイギリスの歴史を考える時、イングランドとスコットランドは別の王国であることを忘れそうになる。あるいはそのことを知らない場合も多いであろう。 古代ローマ時代にハドリアヌスがブリテン島に長城を築いて以来、ブリテン島は南のイングランドと北のスコットランドに分かれた。さらに言うとイングランド南部もゲルマン人を中心としたイングランドとガリア人が多く住まうウェールズに分かれることになった。 メアリーは1542年、スコットランド王ジェームズ5世の子供として生まれた。しかし同年ジェームズ五世は亡くなり、兄弟
今週は未だかつてないほど様々なニュースが世間を賑わせた。 特に芸能界においては激震と言ってもいい事件が続く。 2019年ももう半分以上が過ぎたが、今年起こったことだけを考えても色々起こりすぎて正直頭がついていけないのは自分だけじゃないと思う。 大手芸能事務所と癒着する大手マスコミ ロンブー田村亮「在京5社、在阪5社のテレビ局は吉本の株主だから大丈夫やからと言われた」 宮迫とロンブー亮は果たしてここまで追い詰められるほど悪いことをしたのだろうか? 反社会的人間かどうかなんてわかんねぇよ 罪と罰のバランスが取れていない とにかく他人を引き釣り降ろそうとする連中を見ていると吐き気がする 子供が悪いことをしてしまい、それを謝ろうとしている親は親じゃない 今回の件は吉本だけの問題ではない 失敗は誰でもする 重要なのは失敗にいかに向き合うことではないだろうか? 感じた違和感もそのまま列挙する 大手芸能
カラカラ帝というのはずいぶん面白い名前の皇帝だが、正式名称はインペラトール・カエサル・マルクス・アウレリウス・セヴェルス・アントニヌス・ピウス・アウグストゥスとなり、カラカラというのはあだ名である。 本名だと長すぎるので誰もがカラカラと呼ぶ。 カラカラの語源はガリア地方の洋服カラカラを好んで着ていたからで、この辺りは軍靴を表す綽名がそのまま後世に残ったカリギュラと共通しているかも知れない。大人になって暴君になった点も含めて。 www.myworldhistoryblog.com こんな長い名前になったのには訳があって、まずインペラトールは最高軍事司令官の意味、カエサル・アウグストゥスは皇帝になった者の名で、さらにカラカラの父であるセプティミウス。セヴェルスがアントニヌス・ピウスおよびマルクス・アウレリウス・アントニヌスの跡を継ぐと宣言したのでこんなに長い名前になってしまったのだ。 元々の名
俺は世界史の面白さをもっと世に広めたいと思っている。 そう思って始めた「俺の世界史ブログ」だが、このブログのあらゆる方面からのトップ10記事に世界史の記事が並んだことはほとんどない。 上位に並ぶのはこのブログの看板と言ってもよい「ベスト100シリーズ」の記事であったり、日本の現状に物申す系の記事だったりする。 www.myworldhistoryblog.com www.myworldhistoryblog.com www.myworldhistoryblog.com これはこれでありがたいことなのであるが、やはり世界史ブログたるもの世界史記事をメインにしたいという思いがある。 そしてこのブログのキャッチコピーが「世界史を面白く」なので、できるだけ面白く読めるようにしたい。 そんな想いもあり、今回は当ブログ初の世界史をテーマにベスト100シリーズを作成することにした。 実際に作ってみるとあ
6月が終わった。 とてもとても長い月だった。 人生でこんなに長いと思った月はないかも知れない。 6月は色々あった。 色々書きたい気もするし、正直何も書きたくないという気持ちもある。 ブログ・サイト運営・アフィリエイト、SEOが厳しすぎるという現実 6月の大打撃 意味の喪失に耐えられる人類は存在しない ブログ6か月目の成果 世界史ブログは儲からない。とにもかくにも儲からない 今月のアクセス数ベスト8! 第8位:なぜはてな互助会は嫌われるのかを真剣に考えてみた 第7位:国民年金の値上がり方が狂気を通り越して詐欺の域に達している件について 第6位:世界の偉大なサッカー選手歴代ランキングトップ100~サッカーを知らない、興味のない人にこそ見てほしい~ 第5位:映画好きな俺が人生をかけておすすめする映画ランキングベスト100 第4位:歴史に名を残すべきおすすめ「神ゲー」ランキングベスト100を198
楽天カードを使い始めて早3年、折角こうしてブログも始めたので実際に利用してどうたったのか、どんな魅力や欠点があるのか、そういった部分について今回は記事にしたいと思います。 今回も10000文字を越えてしまいましたがよろしければご覧ください。 楽天カードを三年間使った雑感 正直デザイン面があまり好きではないので外では別のカード、インターネットショッピングなどは楽天カードを利用しているのですが、3年間使ってきて何より思うのは楽天ポイントがめっちゃ貯まる!!ということですね。それだけでも楽天カードの価値はあると思います。 私の場合は家賃・光熱費・通信費などをずっと楽天カードで支払っていたので、毎月かなりのポイントが貯まっていて、気が付いたら数万ポイント貯まっているということが良くありました。 楽天ポイントは幅広い支払いに使えるので、そのポイントで本を買ったりゲームを買ったり、時には焼肉セットやす
昔こんな記事を書いた。 www.myworldhistoryblog.com これはこのブログを開設した日に公開したブログであり、ある意味未来の自分に向けた記事でもある。 この記事の中でも取り上げたのだけど、ブログ運営には3つの壁があると思っている。 アクセスの壁 他人との比較の壁 マネタイズの壁 ブログというのは心が折れなければいつまででも続く。理論的に言えば一生続けることも可能だろう。 だが、実際にはブログを続けることは困難であるし、10年ずっと続いているブログなんて数えるぐらいしか知らない。 かくいう俺もブログ自体を最初に解説したのは10年以上も前のことだけれども、同じブログを5年以上続けたことは実はない。 所謂はてなの有名ブロガーでも出てきたのはここ5年以内の方が多いのではないだろうか? アクセスの壁 他人との比較の壁 アクセス数にとらわれすぎると不幸になる マネタイズの壁 ブロガ
暴君と暗君は違う。暗君は国家の大事に何もせずにいて衰退もしくは滅亡を招く存在であるが、暴君は意図的か否かは別として政治に積極的に介入することで国の衰退や滅亡を招く。 前者の代表は宋の徽宗や明の天啓帝で、後者の代表は隋の煬帝や秦の始皇帝であろう。 しかしいかなる暴君や暗君が現れようとも、中国は一定の文化や社会を守り続けた。途中何度も漢民族以外の民族が為政者となったが、それでも中華帝国としての威容は保てていた訳である。 秦が滅びれば漢が出来た、隋が滅びれば唐が出来た。 始皇帝が皇帝を名乗ってから2000年以上が経ち、中華帝国はついに滅びようとしていた。 果たして中華帝国を滅ぼしたのは誰であろうか? 西太后、感豊帝の妃となる 西太后とは日本でよく使われる名称で、中国では「慈禧」と呼ばれることが多く、出自は満州族の「エホナラ部」であったと言われる。 清王朝の決まりとして、妃は女真族(満州族)から選
六月はとにかく気分が滅入る季節だ。 天気が不安定なこともあるが、多額の税金や社会保障料がとられる季節でもある。 今、目の前に「国民健康保険料通知書」がある。 高い… 今迄は高いなぁと思いながらもとりあえず支払っていたのだが、せっかくブログも始めたしここで国民健康保険について色々と調べてみたいと思う。 国民健康保険は支払額とサービスの質が一切相関しない稀有なサービス 自治体によって支払額が全然違うので公平性はまるでない~自治体によってどれくらい違うのか?~ 累進課税とも違う 支援分ってなんだよ!もう老人を支え続けるのは限界だよ… 国民健康保険は誰が入っているのか?そしてなぜ高いのか? 昔からこんなに高かったっけ? 社会保険との比較 外国の健康保険制度について調べてみた 国民健康保険まとめ 国民健康保険は支払額とサービスの質が一切相関しない稀有なサービス 住居について考えてみよう。 普通は家賃
本日も全くやる気が回復しない。 「ブログのやる気」だけではなくあらゆることのやる気が減退していて、テレビを見ても映画を観ても本を読んでも何も感じないぐらいに心が疲れている。 原因は社会保障費用と税金だ。 今俺の目の前にはそれらの納付書がある訳だが、高い。 いや、ただ高いだけならまだ良い。 理不尽なんだよ。 国民健康保険においては「支援分」と呼ばれる金が徴収される訳だが、これは75歳以上の人たちを助けましょうねぇ♪という意味でとられる金だ。 おいおい、大人って子供を助けるもんだろう?なぜ老人を助けなければならないんだ?この国の富のほとんどは老人が握っているんだぞ? などと書き始めたらキリがない。昨日だか一昨日も書いたように転んでもただで起き上がる性質じゃないのでこの辺りは近日中にきっちり記事にする。 今日は午前中にワンコのフィラリア検査に行ってきたのでそれで満足する。 なぜはてな互助会は嫌わ
ブロガー、アフィリエイター諸君、元気かね?(・ω・)ノ 俺は元気じゃねえええええええ!!!!! 今日は記事なんて書く元気もないのでひたすらシャウトして終わる。内容なんて一切ないのでその辺りは期待しないで欲しい。 引っ越すぜ この数日、俺は絶望的な気分になっていた。もうこりゃダメだ終わりだあはっははははっはっはっはー! 正直真面目に心療内科に行こうかと思っていたぐらいだ。 気分の落ち込みが激しすぎて本当に何もやりたくなっていた。もう何をやっても無駄だ。積み重ねては崩され、積み重ねたは崩され、1mmでも前に進むどころか30kmぐらい後退しているような気さえする。 それぐらい、サイト運営で利益をあげるのが難しくなっている。 多分多くの人は声を上げる元気もないんじゃないか? 正直俺もそんな感じだ。 とりあえず何のことかさっぱりと言う人は、辛い現状を公開している勇気ある方々の記事を記載しくので読んで
昨日の記事に全力を尽くし過ぎて、今日は記事を更新する余力が残っていない。 ベスト100シリーズは公開し終わった後まるで抜け殻のようになってしまう。 なにせ一記事に数万文字入れるわけで、読書感想文なんて原稿用紙(400字)5枚分ぐらいでも苦労してたのに、原稿用紙にして100枚分ぐらいを書いた訳で、そして今回はある意味最も気合を入れたにも関わらず、もっとはてぶの数が少ないという結果になってしまった。 www.myworldhistoryblog.com 勿論このブログ基準で言えば歴代トップテンには入るのだが、最初の2つが共に700を超えたことを考えると、同じぐらい頑張ったのに結果に大きな差が出てしまったのは確かだ。 正直かなり凹んでしまっている。 人間とは不思議なもので、かつてははてぶが100を越えているよ!奇跡だ!と思って喜んでいたのに、それから半年も経っていないのにそうならないことに失望を
ゲーム、好きか? 俺は好きだぜ! ゲームが好きっていうと印象が悪いんだけど、我が国が世界に誇れるものってそんなにたくさんなくて、ゲームに関しては明確に世界に誇れる分野だと思うんだよな。 3か月前の「映画ベスト100」以来、月に一度のベスト100シリーズはこのブログの看板のような存在になってきた訳なんだけれども、それゆえに半端な覚悟で更新する訳にも行かず、次は一体何にしようか?なんてことは実は一切考えておらず、実は映画よりも小説よりも前にこの記事の構想があった。そして全力で書いたぜ。 www.myworldhistoryblog.com www.myworldhistoryblog.com もうずっと昔、俺がまだ会社員だったころ、過労で倒れてしまって動けなくなったことがあって、その時たまたましっきーという人が書いた「おすすめのゲームベスト100」という記事を読んで、いつか自分も同じテーマで記
大正時代、芥川龍之介は「ぼんやりとした不安」を理由に自らの人生に終止符を打った。 現代日本において、芥川龍之介とは内容が違うが、誰もがぼんやりとした不安を抱えているのではないだろうか。 「昔はよかったねといつも口にしながら生きていくのは本当に嫌だから」 平成初期に槇原敬之という歌手はそのような歌を歌ったが、果たしてこの30年で日本はどれほど良くなったのか、それを客観的に見て行きたいと思う。 この30年でどれぐらい物価が上がったのか? どれぐらい支出は増えたのか 社会保障篇 どれぐらい支出が増えたのか 税金篇 どれぐらい支出が増えたのか デファクトスタンダード篇 子供の学費はどれぐらい上がったのか どれぐらい支出が増えたのかまとめ どれぐらい収入は増えたのか? 日経平均はどれぐらいあがったのか? この30年間でどれぐらい給与所得は上がったのか この30年間、我々はどれだけ豊かになったのかをま
今は解散してしまったSMAPの「ライオンハート」がリリースされた時、大々的にCMで放映されたので日本での知名度も結構高いのではないかと思うのがライオンハートことリチャード一世だ。 歴代イギリス王の中でもトップクラスの戦闘能力を誇り獅子心王ともあだ名されるプランタジネット朝第二代目の王について見て行こう。 プランタジネット朝第二代王 リチャード一世はプランタジネット朝創始者ヘンリー2世と母アリエノールのもとに生まれた。 www.myworldhistoryblog.com ヘンリー二世とアリエノールの間には8人もの子がおり、リチャードは三男として生まれている。 母アリエノールはフランスの有力貴族の生まれで、元々はフランス王ルイ7世の妃であった人物で、アキテーヌ地方の広大な領土の継承者であった。 そのためヘンリー二世はイングランド、アンジュー、アキテーヌに広大な土地を有しており、フランス王との
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