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大そうじへの備え
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山形観光情報専門サイト「WEB山形十二花月」の観光情報データベースです。山形市内の観光施設、宿泊施設、史跡、イベントなどの観光情報を自在に検索できます。
やまがたの伝統こけし 伝統的技法で作られる懐かしい郷土玩具“こけし”。蔵王系をはじめとする山形の“伝統こけし”をご紹介します。
いも煮のルーツ 新米の餅といも煮を食べて収穫を感謝する刈り上げ行事を起源とするのが、やまがたのいも煮です。古くは弘化2年(1845)に山形城主秋元但馬守が群馬館林に移封されるときにいも煮の野宴を張ったという記録が残っています。9〜10月にかけて、発祥の地といわれる馬見ヶ崎の河原は、いも煮鍋を囲むグループや家族連れで大賑わい。 さわやかな秋空のもと、いも煮を食べながら地酒を酌み交わし、秋の一日を楽しみます。
■ 山寺紀行 芭蕉も馬で 最上紅花の道 芭蕉と曾良が、尾花沢の人びとの勧めで西への道を南に変えて山寺へ向かったのは、5月27日・今の7月13日午前8時ころ。 10日ぶりの好天だったという。 楯岡までは清風の馬で送られ、天童を経て山寺に入るが、今の村山市の土生田・本飯田・楯岡、東根市の宮崎・六田、 天童市の天童などに宿駅を置いた羽州街道ぞいに、山形から大石田まで最上紅花を運ぶ馬たちとすれちがって来たのかも知れない。 午後3時まえに山寺に着き、宿をきめてから山に上ったというが、最近、地元・山寺公民館の布施正男館長が、 「芭蕉はどこに泊まった?“預り坊”の考察」で興味深い説を打ち出した。 1748年・延享5年の立石寺文書に「預り」という世襲の妻帯僧の名があり、 1699年・元禄12年寄進の手洗鉢に「預里」の名が刻まれたものなども発見されていて、 その坊は、日枝神社参道西の、今の駐車場あたりにあ
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