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今年の「#文学」
shigerumichishita.blog86.fc2.com
先日(3/7)、このブログでこんな話をした。→一人旅の楽しみ方 ぼくの場合 外国の町を歩きながら、スティングの「イングリッシュマン・イン・ニューヨーク~Englishman in NewYork」を口ずさむ、って話だ。 で、そのイングリッシュマン・イン・ニューヨーク、名曲だけあって、世界各国のミュージシャンがカバーしている。 今日はその一部を紹介しようと思う。 まずは本家、Sting「Englishman in NewYork」から。 つづいてライブバージョン お次は、イングランド生まれのジャマイカンレゲエシンガー Shine head「Jamaican in NewYork」 はい、どんどんいくよ。 コートジボワール出身のレゲエシンガー Tiken Jah Fakoly 「An Africain A Paris」 トルコ イスタンブール出身の9人組バンド Dolapdere Big Ga
どんな職場にも「使えない」と評される人間は存在する。 一般企業で働く人たちについては知らないので語れないが、ぼくが今までしてきた数々の仕事、いわゆる労働階級の職種にかぎっていえば、これはもう、絶対にいる。 で、そういう人たちに共通している点を挙げると、かれらはほぼまちがいなく客観的に自分を見つめられない。 まわりの人間の動きと自分の動きのちがいを観察する能力がないのだ。 つまり、自分が使えないと感じることができないのだ。 逆に、使える人間、というか能力のある人間はどうか。 かれらも当然、自分が使えないなどとは思っていない。 そこだけ考えると同じだ。 だが両者の決定的なちがいは、使えない人間は、自分が使えないと思ったことが一度もないのに対し、能力のある人間は、その職業に就いた当初、つまり新人時代には、自分が使えない、他の人の足を引っ張っていると認識していた、という点だ 客観的に自分を見ていた
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