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大そうじへの備え
masujimareport.cocolog-nifty.com
稲本潤一の川崎退団、中田浩二(鹿島)が引退、と、ともに日本サッカー界を、代表を支えてきた35歳のフットボーラ―の去就が報じられたとき、少し胸騒ぎがした。鹿島の、日本代表の、日本サッカー界のゴールゲッターとして1996年のプロ入りからピッチに立ち続けてきた37歳を想ったから。 4日、仙台のFW柳沢敦が引退することを、ベガルタ仙台のリリースで発表、午後にはユアスタで会見が行われる。11年に仙台に完全移籍して以降、11年は膝の手術、昨年は腓骨骨折、今年も足小指を骨折するなど、ケガ、手術やリハビリとの長い戦いが続いていた。そんな中、11月2日のG大阪戦でゴールを決め、自身の持つ16シーズン連続得点記録を17に伸ばして見せた。 J通算100ゴールを超えた日本人ストライカー、中山雅史、佐藤寿人、カズ(三浦知良)、前田遼一、大久保嘉人、に続く108ゴールをあげ、日本代表としても02年、06年のW杯に出場
ザッケローニ監督(58)はこの日の会見で、同席していたキリンビールの松沢社長に対し「将来的にキリン杯を海外でやってはどうでしょうか」と直訴した。 2012年10月には、最終予選を1試合残した時点での初の海外遠征(2試合予定)が組み込まれている。北朝鮮戦での敗戦を糧にすべく、監督は就任以来わずか1敗の成績にも満足はせず「本物のアウェーでの勝利」にこだわり続ける理由はもちろん、国際舞台で勝ち抜くための強さをチームの成長のさらなる推進力にするためだ。 来年は最終予選とJリーグの日程調整のためにキリン杯が女子のみの実施となるが、唐突に見え、場内も「まさか」といった笑いに包まれた「直訴」の背景には実は、14年W杯ブラジル大会を視野に入れた強化と、キリンの企業としての戦略も潜んでいる。両者ともターゲットは南米である。 14年ブラジルでのW杯をひとつの好材料として、今年7月、キリンはブラジル・サンパウロ
Sports@nifty > サッカー > 「新生サムライブルー」サッカーレポート > 遠藤保仁 独占スペシャルインタビュー ―遠藤という視野から広がる、ブラジルへの景色― 前編 11日、日本代表はアウェーのドゥシャンベセントラルスタジアムでタジキスタンを下し、その後、ウズベキスタンが北朝鮮に勝ったため、3次予選突破を決めた。ロスタイムの劇的ゴールで始まった3次予選(北朝鮮戦1-0)を、遠藤保仁(31=G大阪)は、「戦術より、システムより、代表の精神力を固める戦い」と表現する。3次予選突破を決める1週間となる、11日(タジキスタン)、15日(北朝鮮)のアウェー2連戦を前に、現時点で代表最年長、Aマッチ歴代3位となる112試合(2011年10月現在)にまで上り詰めたMFに聞いた。ザッケローニ監督のもと、ブラジルに一歩踏み出した日本代表として、未踏の頂を目指す一人のフットボーラ―として、31歳
6試合全てでフル出場を果たしたチーム最年長の遠藤と、日韓戦ではけいれんを起して負傷退場した長谷部のプレーには、W杯当時よりもはるかに熟成された味が加わっていた。ザッケローニ監督も、2人の「ボランチ」のポジションについては今大会を通して、彼らへの信頼と同様「不動」であった。本田は、「個人的にはMVPはやっとさん」と称賛する。若返ったチームの伸びを優勝の要因とするなら、最年長の遠藤、キャプテンの長谷部の「VOLANTE」コンビが見事にそれを引き出したことは、若さ以上の称賛に値するだろう。おかしな言葉になるが「M」OST 「V」OLANTE 「P」LAYERSを是非2人に。 長谷部は、大会直前に主将に指名され戸惑い、中澤や中村、川口ら年長者に常に気を使っていた南アW杯とは違い、伸び伸びと、自分なりのリーダーシップを発揮していたようだ。公式会見でも、リラックスしユーモアを交えて話すようになったのも
2011年1月26日 (水) 「香川 右足甲を痛め市内で検査」アジア杯練習から 26日カタール・ドーハ午前10時=日本時間26日午後4時 天候晴れ 気温17度 アジア準決勝で、韓国をPK戦の末に破ってオーストラリアとの決勝に進出した日本代表は、午前中、リカバリーのため体操などの軽いトレーニングを行った。韓国戦に先発出場し、途中交代した香川真司(ドルトムント)は、試合中に右足甲を痛め、この日、ドーハ市内の病院で精密検査を行うため練習参加を取りやめた。正確な個所や症状、全治は未発表。 試合中にけいれんを起して負傷退場した長谷部誠らほかの選手は全員が揃ってバランスボールでの体操やランニングを行ったが、チームバスを降りる際には、バスの階段をゆっくりと筋肉の痛みをこらえるうような仕草をする選手もいるなど、120分PK戦の激闘を示していた。なお、ウズベキスタンとの3位決定に臨む韓国は、練習をキャンセ
―守りながら攻め、攻めながら守る、代表に攻守一体型サッカーを― ―日本代表でも、Jリーグでも、イタリア人監督との仕事も初めてになります。このチャレンジについてはどうお考えですか。 ザック 私は、他人と同じことをするのが嫌いなタイプで、前例のない、初めてのことだからこそ挑戦に意欲をかきたてられたとも言えるでしょう。もし、イタリア人監督として二番目の就任となったら、ちょっと悔しい思いをしていたかもしれません。何よりも最初に言いたいのは、今、日本代表の監督である仕事、毎日に心から楽しみながら取り組めているこということ。協会の皆さん、スタッフ、選手、サポーターに心から感謝を申し上げたい。日本のことをよく知っているわけではなかったが、日本に暮らしながら、文化と日本人の精神性を理解したうえで監督を務めようと決め、今、人間関係や生活の中で戸惑うことは何もない。 ―日本代表選手、或いは日本人の特徴や性格を
「岡田監督は退任示唆、後任監督はW杯終了後に」 駒野友一は両目を真っ赤に腫らしながらミックスゾーンを通り過ぎた。記者から、「駒野さん、御疲れさまでした」と声をかけられると、深々と頭を下げて、テレビインタビューも受けずにバスに向かった。駒野は、24日のデンマーク戦後に毎日行ってきたPK練習で、一本も外さなかったためその安定感で3人目に蹴ることになった。5番目は闘莉王、6番目は中村憲だった。岡田武史監督は試合後、「この後のことは、今はとても考えられない。おそらく、もうやることはないと思う」と、監督を退任する意向を改めて示唆。2007年12月、98年フランスW杯以来の日本代表監督に就任。指揮下(07年以降)通算成績は26勝13分け11敗(ベンチ入り禁止の1分け含む)。日本協会・原・技術委員長は試合後、後任の監督人事はW杯全試合終了後に技術委員会が、世界的な流れを見た上で「日本がどういうサッカーを
2010年5月21日 (金) 柳沢敦インタビュー(1) 生まれ変わっても、FWで ―FWの喜び 柳沢 それはゴール。100ゴールを取ったとき、Jリーグの1点目のことを、ふと思い出しました。1ゴール目も、100ゴール目も、やっぱり同じように、こんなにうれしいものなんだな、と噛み締めた。 ―それは、何点取っても変わらない? 柳沢 そうでしたね。1点で、それまで動かなかった重い足が嘘のように軽くなってしまう。それは、自分だけではなく、チーム全体がそうなる。ゴールはまるで魔法のようですね。改めてそう感じました。 ―ではピッチで嫌なことを。 柳沢 トラップミス。 ―6人のFWでも初めての回答です。 柳沢 プロでやっていく上で、自分自身をよく知って、ここまでやってきたつもりです。ほかの選手のように強烈なシュートが打てるわけではないし、特別に上手いわけでもない。だからトラップをいかに正確にし、シュートを
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