サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
2024年ランキング
kurotokage.hatenadiary.org
元ネタ→http://anond.hatelabo.jp/20080721222220 参考→http://d.hatena.ne.jp/ombra/20080724/p1 まあ、どのくらいの数のトレジャー信者がそういう彼女をゲットできるかは別にして、 「信者ではまったくないんだが、しかし自分の信仰を肯定的に黙認してくれて、 その上で全く知らないトレジャーの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」 ような、信者の都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、トレジャーゲームのことを紹介するために プレイさせるべき10本を選んでみたいのだけれど。 (要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女にトレジャーゲームを布教するのではなく 相互のコミュニケーションの入口として) あくまで「入口」なので、コナミから独立する前、トレジャーが存在しない時代のゲームは避けたい。 井内ファンが『ク
タイトルが思いつきません。 それはともかく、最近目にした「はてな匿名ダイアリー」の記事「死刑について。」について。 殺人事件の被害者遺族でありながら死刑廃止論者であり、そのことを言えないでいる辛さを語ったエントリー内容は心を打つものがありました。 私の場合、周りがほとんど死刑支持者でありながらどうどうと反対を言えるのですが、もしかしてそれは環境に恵まれているんでしょうかね? 反対論者と存置論者の境遇に非対称性はあると感じます。ブログ等で死刑の是非について語られるとき、反応があからさまに違いますね。ただ死刑反対であることを表明しただけで存置論者による批判的なコメントやブクマコメントがたくさんつけられるというのはよく目にする光景ですし、逆に粗雑な存置論でも当たり前のように受け入れられています。この辺は死刑賛成が8割、反対が1割という数の差からくることでしょうか。 しかし元エントリーの人の場合は
※追記・再追記を書いています。 本文部分は無理な内容が多く、これを取り下げたいと思います。コメント欄やブクマコメントでの批判の多くはその通りだと受け入れます。 はてなスターを付けてくれた方や賛同的なコメントやブクマコメントを書いてくれた方には申し訳ありませんでした。 珍しくアニメについて書きます(今こういう話題を書くとは本当に空気が読めませんね!)。“あの”「涼宮ハルヒの憂鬱」についてです。 と言っても私はこの作品の本編を観てませんので、当然本編には全く触れません。 技術は技術でしかない この作品は一昨年くらいに流行っていましたね。あちこちのブログでもイヤというほどこれについてのエントリーを目にしました。 で、それらではよくオープニングだったかエンディングだったかの映像が貼り付けられていました。「ハルヒダンス」とか呼ばれているアレです。その映像は非常に人気があるらしく、あちこちでネタにされ
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080212/plc0802122007008-n1.htm 痛いニュース(ノ∀`) : 「朝の3時ごろまで、盛り場でうろうろしている未成年もどうかと思う」 米兵による少女集団レイプで、広島県知事が発言→非難の声 - ライブドアブログ 広島と沖縄でおこった性犯罪。それに対する反応に、やはりと言うか何と言うか、被害者の“落ち度”をあげつらう声がありました。今回はそれらについて。 危ないのはあなただ まず、日本におけるレイプ事件の3割以上が“顔見知り”による犯行とされています。なので(泣き寝入りのケースを考えに入れなければ)3割以上の事件には「知らない人についていってはダメ。」というのは通用しません。 つまり、3割以上という割合の大きさを考えると、レイプ事件を想定しての“リスク管理”を本気で訴えるなら、この“顔見
アニメ「School Days」最終回に対するアニメオタクの反応にショック 今週、地上波での放送が自粛されて話題となったアニメ「School Days」の最終回が「AT-X」で放映され、大きな反響を呼びました。 その反響は絶賛するものや反発するものなど賛否が分かれていましたが、そういった作品の評価とは別に「これは地上波での放送は無理だろ」とか「TV局の判断が正解」といった自粛を支持するものが少なくありませんでした。その中には軽い気持ちで書いたものもあるでしょうが、本当にそのように判断されたとしか思えないものがあります(また、軽い気持ちで書かれたものであっても、昔と比べ規制が強くなっている状況でそのような発言はいかがなものか感じます)。 私は、本来なら規制に対して抵抗するべき立場のアニメオタクからそのような発言が多数なされたことにショックを受けました。それこそ最終回の内容よりはるかに強いもの
「論座」という雑誌に「「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。」「けっきょく、「自己責任」 ですか 続「『丸山眞男』を ひっぱたきたい」「応答」を読んで」という赤木智弘さんによる2本の論文が載り、話題となりました。 若年貧困層の現状と展望について書かれたこの論文は、刺激的で心情的に理解できるところのあるものでしたが、私はなんとも言えない違和感を持ち、一定の理解はできても賛同はできませんでした。 しかしchaturangaさんのエントリー「希望は、赤木智弘?」(チャトランガ夫人の恋人)を読んでその違和感がかなり晴れたので、私なりにこの「赤木論文」について思うところを書いてみたいと思います。 ちなみに、私はweb上に公開された2本の論文を読んだだけで、赤木さんのブログなどはほとんど読まずに書きます(「論座」に掲載された「赤木論文」に対する反論も)。それ以前の、フェミニズム
光市事件に関する私の考えはだいたい3ヶ月前のエントリー(http://d.hatena.ne.jp/kurotokage/20070624/1182692975)でほぼ語りつくしたのですが、最近の流れについて思うところがいつくかあるので書いてみます。 というかあのエントリーがあちこちで紹介されていて有り難く思うのですが、とあるカトリック系教会のサイトで紹介されていたのが一番驚きました。 マスコミとか マスコミ批判なんて今更すぎる気がしますが、今日(9月9日)放送された「たかじんのそこまで言って委員会」を少し見ていて、あまりの無責任ぶりにあきれてしまいました(この番組はちょうど昼飯どきにやっていて時々見るのですが、いつもムカついて途中で見るのをやめてしまいます)。 橋下弁護士に対する批判はすでにあちこちで書かれているので省きますが、その他の司会や出演者にもマスコミとしての自覚があるかどうかと
今週、“はてな界隈+α”という極めて狭い世界を騒がせた、例の“コミケ”とか“デモ”とか“アキハバラ”とか“ナンバデンデンタウン”とかがキーワードとなる騒動についてです(最後の違う)。どうでもいいことなので適当に書きます。 今回の騒動についての“まとめサイト”はこちら!→「ほら。」(ぬるぬる漫談。)これだけ読んでりゃ十分って程度の揉め事です。 ようするにアレですよね?ライブハウスでのバンド同士の対立みたいな。「あいつらオレらの音楽性にケチつけやがった!」とか言ってステージ上に殴り込むみたいな。殴られた方もギター振り回して応戦するみたいな。“パンクVSメタル”みたいな(いつの時代だ)。 え?事態を矮小化するなって?とんでもない、バンド間抗争の方が重大ですよ!でもインディーズ活動も同人活動も大して違わないですよね、とか書くと色んな方面から怒られそうですが。 まあ、“テロ”って言葉に厳密な定義は無
死刑反対の私が書くべきではないことかもしれませんが…。 「死刑廃止には賛成だが、変わりに終身刑を求める」という意見をよく目にします。しかし、これにはどうしても疑問を感じます。 死刑を廃止し終身刑を置くという選択は、“ある視点”から見れば大きな変化と言えますが、“別の視点”から見ればほとんど変化のないものです。 “ある視点”とは、受刑者の視点。受刑者にとっては、早期の死と死ぬまでの懲役とでは天と地の差があると思います(といっても人によっては(というか私は)終身刑よりも死刑を望むでしょうが)。 “別の視点”とは、受刑者以外の、この日本の社会に生きる私達の視点。死刑も終身刑も凶悪犯罪者を永遠に社会から抹殺するという点ではほとんど同じです。 つまり、「死刑の変わりに終身刑を求める」という意見は、旧来と変わらず犯罪者を社会から排除することによって(元犯罪者を受け入れるという)リスクをほとんど背負わず
次は直接tasoiさんの返信に対してです。tasoiさんが番号を振って分けてくれているので、それを使わせてもらいます。 >1.対話の手法について語ることと、ネガティブ言及の両立について 『ある程度、他人の気持ちを汲み取るのも大事だよね』ということと、 『いくらなんでも憎悪渦巻く表現が満載のバナー群がずらりと並ぶと、ヒクんじゃない?』 というのは、両立すると思う。 両立するかしないかは、それぞれの“程度”によるでしょう。 まず、発端となった私のブクマコメントは、リンチと化す“祭り”(Apes! Not Monkeys!)のはてなブックマークでのtasoiさんのコメントを念頭に置いたものでした。過去の発言を掘り起こしてツッコミを入れるのは好きではありませんが、件のD_Amonさんのエントリー自体が上記の炎上コメントを前提としていたのは確実なのでとりあげます。 tasoiさんはそこで、いわゆる“
「基本的に他人にいやがらせすることしかできない」という触れ込みの新機能“はてなスター”、とりあえず消しました(いやがらせの一例→http://d.hatena.ne.jp/kyoumoe/20070713#1184306004)。 私も例に漏れずコメントしたこともないブログに星を付けてしまいましたが、そのエントリーが「はてなスターウザいんじゃボケ」というような内容だったので、単なるいやがらせでしかありません。これは私によるそのブログ主へのいやがらせというだけでなく、株式会社はてなによる私へのいやがらせでもあります。 はてなスターの目的とか主旨とははどうでもいいのです。問題はそのデザイン。黄色の星マークってのは、私的にはありえません。 というか、人が白黒以外の色を入れたくないからわざわざカラー画像をモノクロに直して貼り付けているというのに、その手間を台無しにしてくれるとは、さすが「いやがらせ
私とid:tasoiさんのはてなブックマークコメントでのやりとりについてtasoiさんがエントリを立てて言及なさっているので、それに応答してみたいと思います。揉め事ではないので[揉め事]タグはつけないで! ことの経過 D_Amonさんの「どんな批判に対してもある程度効果的な無効化を図れる論法」(模型とキャラ弁の日記)というエントリーに対するブックマークコメント(はてなブックマーク > 模型とキャラ弁の日記 - どんな批判に対してもある程度効果的な無効化を図れる論法)、そこから派生したtasoiさんのエントリー「「引いてしまう表現、言説」について。 kurotokageさんとの話。」(はてな匿名ダイアリー) 返信というかツッコミ 全体的にちょっと攻撃的な書き方になりますが、ハッキリ言ってそれだけの苛立ちを感じました。 tasoiさんはまず、私の 「アレげなバナー」と他人のセンスを嗤うのは相互
本当は更新しているような時間的余裕は無いのですが、「光市母子殺害事件裁判」に対するあまりに目に余る現在の状況について何か書きたくて仕方ないので寝る時間を惜しんで書きますよ! この裁判での弁護団に対する批判は以前からおこっておりましたが、“凶悪犯罪者(であることを疑われている被告)を弁護する弁護人に対する批判”はこの裁判に限らないことなので、あきれながらも特に何か言おうとは思いませんでした。 しかし、弁護団に対する懲戒請求という単なるバッシングとは違う、現実に強く影響力を持つ行為にまで発展したことに、日本が文明国という立場から滑り落ちてしまうのではないかと思ってしまうような危機感を感じました。 まずは弁護団に対する批判の事実誤認の確認から。 弁護団は死刑廃止運動のために裁判を利用しているのか 「弁護団はこの裁判を死刑廃止運動のためのプロパガンダに利用している」という批判があります。 が、この
あいかわらず時事問題には反応が遅いことこの上ありませんが(まずは日曜ブロガー状態をなんとかしないと)、今回は今世間を賑わせている柳沢厚生労働大臣の発言について。 私としては、この手の発言は昔からいくらでもなされてきたものでしょうし、さっさと柳沢さんが辞任して幕引きし、こんな発言にはマトモにつきあう必要がないという態度が示されればそれでいいと思っているのですが、当の本人がしがみついている以上こじれるのはしかたありませんね。 私が今回の件で気になったのは、web上での反応、特に擁護とまではいかなくとも、「たいした失言ではない」という意見が多く見られたことです。そのこと自体は厚生労働大臣という重要なポストの人間があのような発言をする現状では、まあ不思議ではありませんが、「あれ、この人が?」というブロガーの方がそのような反応をなさっていることに驚きました。 そして今回は、特に疑問に思ったid:go
私が「週刊金曜日」という雑誌を毎週読む理由の約82.5%が、『人権とメディア』という連載のためです。この連載は現役ジャーナリストによる報道批判で、非常に読み応えがあります。 1月19日発売号での同記事『「死刑と報道」 厳罰化世論を煽ったのはだれか』(山口正紀)がとても興味深い内容だったので、一部引用、というか量的に(無断)転載します。 各紙記事は、未執行者が九八人に達していたとして、《「100人超えを許したら制度としておかしくなる」》との「法務省幹部の危機感」を強調した(『朝日』)。だが、なぜ確定者が100人に迫ったのか。 「死刑廃止国家条約の批准を求めるフォーラム90」によると、〇三年まで年間二〜七人だった確定者が〇四年以来毎年二桁になり、〇六年までの三年間で四四人。その結果、二年前まで五〇人台だった確定者がいっきに倍増した。 この数年、過去の「裁判の常識」を覆す死刑判決が頻発している。
最近id:mushimoriさんのエントリー「「2ちゃんねらー=ネット右翼」に関する覚え書き――「死ぬ死ぬ詐欺」言説に寄せて」 にあれこれコメントしていたのですが(自分のブログを更新せずに何やってるのかと(特に白い人に)怒られそう)、議論に関わった手前、この問題(「死ね死ね詐欺」)について自分のところで改めて考えながらまとめてみようかと思います。 あいかわらず話題についていくのが遅い。 募金に対する私の考え まず私は、募金というものに対してあまり意味を見いだしていません。募金はそれによってわずかな人数の命が一時的に救われるというだけで(それ自体はとても大切なことだけど)、募金を必要とする人間を生み出す構造そのものを変えることには至りません。 たった百円ほど募金するだけで自分の持つ社会に対しての問題意識などを満足させてしまうことや、根本的な問題から目をそらし対症療法ばかりに目を向けさせる可能
私語り的で凄まじく恥ずかしいですが、猛烈に書きたくなったので。とりあえず[これはひどい]タグの準備を。 吃音者であるということ 私は吃音者、いわゆる「どもり」というやつです。小学生高学年の時から十数年の付き合いで、このことに強烈な劣等感を抱いており、私にとって非常に重要な事柄です。 で、ときどき「吃音」をキーワードにしてサイトを検索したりしているのですが、昨日今日初めてはてな内をあちこち見回って、印象に残ったエントリについてまずアレコレと。 夏の教室(しあわせのかたち) sho_taさんは吃音への理解が深く、話題に出されている友人の方は少なくともこのような方が身近にいたという点では幸せだったのだろうと想像できます。 と、同時に そして同時に、「どもりでよかった」と、誇りを持っていうその決意に、崇高な人間性を私は見る。 という部分が辛くもありました。 「吃音症を受け入れそれとどう付き合ってい
今年も靖国参拝が話題となる季節がやってまいりました(微妙に遅い)。私も時流に乗ってこの問題を採り上げることにします。 はたしてこの場所でこういうことを書いてしまって良いのか疑問ですが、最近暴走気味なので気にせずに突っ走ります。 私の靖国に対する個人的な思いなどを書いても誰も読んでくれないと思うので、私が主にwebで見聞きした、時には私自身が参加した議論から感じたことや、左派・右派(参拝反対派・賛成派ではありません)の捉え方の違いなどを書いていきます。というか自分の考えをまとめるためなんですけどね。あ、私はサヨクなので、当然左に偏った内容になります。 靖国と外交問題 まずありがちな左派と右派のすれ違いとして、中国や韓国などとの関係の問題についてです。 左派の多くは靖国問題を外交問題としては重視せず、主に国内問題と考えています。…って書くと「靖国問題」(高橋哲哉)に影響を受けまくりと思われそう
なぜかweb上でほとんど話題になっていない、「反戦ミュージカルポスター逮捕事件」(勝手に命名、センス悪い)について。 事件の概要は、神奈川県川崎市で劇団員がイラク戦争を題材としたミュージカルの告知ポスターを電柱に貼ろうとし、警官に声をかけられ謝罪、ポスターをはがしたところ現行犯逮捕。三日間の勾留後処分保留で保釈となりました。 私がこの事件を知った「週間金曜日」(この名前を挙げることである程度以上の色眼鏡で見られることを自覚した上で)のニュース欄、「金曜アンテナ」から当事者の証言を引用。 「警察官に声を掛けられ、すぐにポスターをはがして謝った。すると名前と住所を言うように強く迫られたので、『弁護士と劇団員に連絡を取りたい』と主張したが、まったく聞き入れてもらえなかった」 「取調べでは『イラク、非武という勇気とはどういう意味か』『黙秘を使うのは過激派やオウム真理教のような団体だ』など、「逮捕容
青狐(bluefox014)さんのエントリー「コメント削除される」より 「さんぼ」さんは私のコメントを「表現の自由への侵犯」と扱いたいように見える。しかしコメント欄の経緯を見ればわかるように、コメントスクラムもなければ脅迫めいた言葉もないし、何でこれが「表現の自由への侵犯」に思えるのか、私には理解できない。 という内容、また、「世界に私見を「リリース」しているという自覚はあるのだろうか」 を呼んで思ったこと。 web上での議論に絡んで、たまに論争相手に「言論弾圧」とか「表現の自由の侵害」だとかの表現が向けられることがあります。この主張には主に2つのパターンがあります。 書き込みの削除・コメント欄の閉鎖に対するもの よく見るのが掲示板やブログのコメント欄への書き込みの削除、コメント欄の閉鎖・凍結、といった行為に向けられたもの。 確かに自分の伝えたいことを伝えられないことへの苛立ちは理解できま
「鏡の法則(ハンカチを用意して読め!)」(豪一郎がゆく) 唐突に今流行の「鏡の法則」批判です。コメント欄やはてなブックマークコメントを見ても批判的なものが多く(賛同するものもけっこうな数ありますが)、いまさら書くのもどうかと思ったのですが、私が感じたは問題点は話のぶっ飛びぐあいや啓発セミナー臭さではなく(それらもアレだけどこちらに迷惑が飛んでこないかぎり信じるも信じないも自由)、あまり他では触れられていない“いじめ”の扱いだったので、詳しく書かせてもらいます。 ちなみに、「感動を誘うための小道具として“いじめ”を扱うことが問題」とは言いません。私はよりよい作品のためならどんなものでも利用するべきだと思っていますので。問題はその扱いの杜撰さです。 1.子供がいじめられていることを親に話さないのは何故か いじめられている子供はいじめられていることを惨めに感じ、恥と捉えます(本当は理不尽な暴力(
驚きました。某氏が、私の書いた8日のエントリーを彼に向けたものだと受け取ったようです。ということで某氏に対する反論を。 私はずっと貴方と関係を絶っていたつもりだったのですが、そう思ってはいなかったようですね。 無断リンク禁止論争はずっと昔から続いていたのもで、私もかなり以前から関心を寄せていました。件のエントリーでは4つの記事しかリンクしていませんでしたが、他にも沢山考えさせられる記事を目にした上でのエントリーで、別段貴方がどうこうとか考えもしませんでしたよ。私自身がこの問題についての考えを纏めるためです。ですが、せっかくなので反論させてもらいます。 貴方の日記を拝見させてもらいましたが、まともな批判にもなっていません。 私が利用する立場にしか立っていないと書かれていますが、大きな思い違いです。このブログはコメント欄もトラックバック欄もオープンにし、1クリックではてなブックマークにブクマで
最近(でもないけど)web上で見聞きしたことなどについても書いていこうかと思います。今回は「無断リンク(または引用)禁止論争」について。 「無断リンク(引用)禁止」というローカルルールがあり、それを主張する勢力(無断リンク禁止派)と批判的な勢力(リンクフリー派、または無断リンク禁止の禁止派)とで昔から論争が続いているようです。 リンクフリー派 ウェブページのリンクおよびその他の利用について むだづかいにっき♂:無断リンク禁止ですよ!+ 関連キーワード:サーバー様 (無断リンク禁止派の)擁護派 NWatch ver.4:「リンクは絶対に自由だ」のもとで迫害される人々 (本人は無断リンク禁止ではないけれど、面白い擁護論を書いています) 結局、webをどのように利用しているかの違いかもしれません。無断リンク禁止(事前に承諾を得なければならない)が常態となってしまえば、webの利便性が大きく後退す
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『黒く濁った泥水を啜る蜥蜴』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く