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「日本人の読み書き能力は世界トップクラス」という調査結果がありましたが、日本人の識字率が高いって本当ですか? 回答は「分からない」です。現在の日本人の識字率を科学的に調査したデータはありません。過去には1948年の調査があります。しかし、以下に述べる理由から、日本人の識字率が高いのか低いのかはまだ分かっていません。 GHQ提案による1948年の識字率調査 1948年の調査は、第二次世界大戦後の連合国軍の占領政策のもとGHQの「提案」によって、日本側が組織的に動いて実施されたものです。得られた結果は「日本人の読み書き能力は極めて高く世界トップクラス」という「常識」の科学的根拠だとされてきましたが、最近の研究で新しい事実が明らかになりました。 この調査は「代表性を有するデータ」を収集する方法論を開拓したうえで、全国規模で実査をおこないました。その学術的価値は極めて高いと諸学界から評価されていま
人に謝るとき、よく「おわびします」とだけ言ったり書いたりしているのに出会います。「すみません」「ごめんなさい」などの言葉がないと、きちんと謝ったことにならないような気がするのですが、どのように考えたらいいのでしょうか。 ※ この記事の初出は『新「ことば」シリーズ』17号(2004、国立国語研究所)です。当時の雰囲気を感じられる「ことばのタイムカプセル」として、若干の修正を加えた上で公開します。 直接的な表現と間接的な表現 質問にあるように、「おわびします」という言葉だけで謝ることはよく見聞きします。「おわび」の手紙や文書には「…を心からおわびします」「…を深くおわび申し上げます」とだけ書いた例がよく見られます。また、「おわびします」とだけ言って、あとはただひたすら頭を下げたり両手を合わせたりしている人の姿も十分に想像できます。 つまり、「すみません」「ごめんなさい」などと言ったり書いたりし
日本語はいつごろ、どこから来たのでしょうか? 日本列島に入ってきた言語は、 どのような変遷をたどったのでしょうか? また、それらはどのようにして分かるのでしょうか? 日本語の歴史を研究しているトマ・ペラールさんと 五十嵐陽介さんに聞きました。 日本語と琉球諸語は同じ起源を持つ お二人は、なぜ日本語の歴史の研究を始められたのですか。 ペラール:もともと日本の伝統文化に興味があって、人類学や民俗学をやろうと思っていました。途中で、言語の研究の面白さに気付いたのです。そして、日本語がどのように変化してきたのか、今の日本のことばがどのように成立したかについて研究を始めました。すると、日本語の歴史を研究するには琉球諸語のデータが絶対に必要だと分かり、琉球諸語の研究を始めたのです。五十嵐さんと初めて会ったのは、フィールドワークで訪れた宮古島でしたね。五十嵐さんは、まだ日本語の歴史については手を付けてい
「1ミリも~ない」は「ない」を強調するときに使われる表現です。「1ミリ」の長さや量を表すものではありません。 みなさんは「ない」ことを強調するときにどのような表現を使いますか。「ない」単独ではなく、「少しも」「全然」「絶対」など先にことばがあって、それらとセットにして「ない」を強く表現することがよくあります。「1ミリも~ない」も否定を強調するときの表現で、話しことばを中心に使われています。 「1ミリも~ない」の主な使い方 「1ミリも~ない」は否定の表現です。否定の中でも少し(の否定)ではなく、すべてを否定するものです。「ない」ことを強く述べるときに使います。 「私のことなんてどうでもいいんでしょ」とか、「私に1ミリも興味ないよね」などと言い出す。(黒川伊保子『妻のトリセツ』) 「こんなモンでは俺の心かて1ミリも動かんわ!」(天王寺大、郷力也『ミナミの帝王』) これらの例にあるように、まった
「めちゃめちゃ」「超」など強調の言葉が便利でつい使ってしまいますが、日本語の歴史のなかでは俗な強調言葉はどんなものがあったのでしょうか。 「めちゃめちゃ」や「超」は、「今日の話めちゃめちゃよかった」「その服超かっこいい」のように、後に形容詞や形容動詞などの状態性を持つ語が来て、その状態の程度の甚だしさを表す程度副詞です。この類には「とても」「非常に」「随分」など様々な語がありますが、「程度の甚だしさ」を表す点では似たような意味を持つため、その使い分けを説明するのは簡単ではありません。渡辺実(『国語意味論』)が挙げたように、「うれしい」などの情意性形容詞との結びつきや、比較構文での用いられやすさ、評価のプラス・マイナスなどの尺度での使い分けが考えられますが、それ以外にも、俗な言い方なのか硬い文章語なのかというような文体的特徴も、各語の役割分担に大きく関わっていると考えられます。 例えば①「去
息子の疑問、答えられない私 朝、小1の息子が私に、「ねえねえ、小学校って変なんだよ」と話しかけた。 「何が?」と私。「だってさ、保育園のときは、『ほしぐみ』とか『はなぐみ』とか、『ぐみ』って言うじゃん。でも、小学校は『いちくみ』『にくみ』って『くみ』なんだよ」と息子が言う。それはね、と私は得意げに話そうとしてハタと困った。一瞬なんとなく、前の音に影響されて清濁が決まるのだと思ったのだ。しかし同じ「な」であるにもかかわらず、「7」は「ななくみ」と濁らないが、「はな」は「はなぐみ」と濁っている。たしかに……なぜだろう、説明ができない。 バズりました ちょっとおもしろかったので、自分のTwitterのアカウントに書いてみた(現在は「X」だが、普及の度合いと、当時はTwitterだったことから、ここでは「Twitter」と表記する)。 出典 : https://twitter.com/minami
国立国語研究所では、小・中学生が「ことばっておもしろい」と感じてくれるようなプログラムを実施しています。2023年6月21日(水)、柏野和佳子准教授が横浜市の捜真女学校を訪問し、「めざせ! 辞書引きの達人」というテーマで中学1年生のみなさんに出前授業を実施しました。 『岩波国語辞典 第八版』の編者も務めた柏野准教授は、最初に、『岩波国語辞典』の第七版と第八版における「オタク」の語釈の変化を生徒のみなさんに提示しました。同語の第七版での語釈は「自分の狭い嗜好(しこう)的趣味の世界に閉じこもり、世間とはつき合いたがらない(暗い感じの)者。」とネガティブな意味が顕著です。それを読み上げると、生徒のみなさんから「えー」と、意外とも失望ともつかない声が上がりました。それに対して第八版の語釈は、「特定の趣味的分野を深く愛好し、人並み以上にその分野の知識や物品を保有・収集したり、行動したりする者。」と現
中国人の友人が「日本人はやたらとあいづちをうつ」と言っていました。私はあいづちをうたないと、何か落ち着かないのですが。 ※ この記事の初出は『新「ことば」シリーズ』15号(2002、国立国語研究所)です。当時の雰囲気を感じられる「ことばのタイムカプセル」として、若干の修正を加えた上で公開します。 コミュニケーションにおける「サイン」の出し方 人とのコミュニケーションにおいては、ちょっとした「サイン」が重要な意味を持つことがあります。「話を聞いているよ」というサインである「あいづち」もその一つです。「日本人はあいづちが多い」とよく言われますが、これに関連して、私は次のような経験をしたことがあります。 私が新聞を読みたいと思って、妻(中国人)のお父さんに、そばにある新聞を取ってほしいと頼んだところ、お父さんは新聞を手にとり、私に無言で渡したので、一瞬、気を悪くさせたかと思いました。そのとき、私
東北では「山に行く」を「山サ行く」と言うと聞いたので、「いい天気になった」も「いい天気サなった」だと思ったら、この場合は「ニ」だと言われたのですが。 ※ この記事の初出は『新「ことば」シリーズ』16号(2003、国立国語研究所)です。当時の雰囲気を感じられる「ことばのタイムカプセル」として、若干の修正を加えた上で公開します。 「サ」の来源は古典語の「さまに(へ)」 「山サ行く」「東京サ行く」のような〈空間的な移動の方向〉を表す東北地方の格助詞「サ」は、古くは「~の方に(へ)」という意味を表す古典語の「さまに(へ)」にさかのぼると言われています。 大臣おとども立ちて外とさまにおはすれば(『源氏物語』浮舟) (大臣も立って、外の方へいらっしゃるので) また「サ」の仲間は東北地方だけでなく、遠く離れた九州にも見つけることができます。たとえば「駅の方に行った」を「駅サメ行った」(大分県湯布院町※)
外国人が日本語を学ぶときの「文法」はわたしたちが中学校や高校で習う「文法」と同じなのでしょうか。 ※ この記事の初出は『新「ことば」シリーズ』15号(2002、国立国語研究所)です。当時の雰囲気を感じられる「ことばのタイムカプセル」として、若干の修正を加えた上で公開します。 結論からいえば、「現状ではかなり異なる」ということになると思います。実際、日本語教育の教科書には、中学校や高校で習う文法(学校文法)にはあまり書かれていないことがらが書いてあったり、学校文法の教科書とは異なる説明が書いてあったりすることが少なくありません。以下では、その背景にある二つのことがらについて説明します。 「文法」は一つではない まず、「文法」は一つではない、ということがあります。 日本語を母語とする私たちは、子供のころ自然に身につけた日本語の文法にそって、日々日本語の文をつくり、人とコミュニケーションをおこな
人に物を贈るときには「つまらない物ですが」と言うものだと聞きました。私には抵抗があるのですが、どう考えればよいのでしょうか。 ※ この記事の初出は『新「ことば」シリーズ』14号(2001、国語研究所)です。当時の雰囲気を感じられる「ことばのタイムカプセル」として、若干の修正を加えた上で公開します。 ある場合にはある決まった言い方をすることが、社会的な慣習として定着しているとき、その言い方のことを一般に「決まり文句」と言います。 人への配慮を表す決まり文句として、まず思い浮かぶのは、「おはよう」「こんにちは」「いってきます」などのあいさつの言葉です。それぞれ、ある程度の意味内容を持った言葉が使われていますが、文字どおりの意味を伝えることがねらいではなく、定型化した決まり文句として使われています。あいさつには、和やかな人間関係を築き、それを維持したり、強化したりする働きがあります。「決まり文句
高校球児が「優勝候補との対戦だが、名前負けはしたくない」と意気込みを語っていましたが、「名前負け」の使い方がどうも気になります。 「名前負け」の「正用」と「誤用」 「名前負け」という語について、『明鏡国語辞典』第三版(2021)には、以下のようにあります。 名前負け 名前がりっぱすぎて実物が劣ってみえること。「子供に聖人の名を付けるなんて、―をするよ」注意 相手の評判・名声に臆する意で使うのは誤り。「×相手が優勝校ということで名前負けしてしまった」 つまり、 フッキソウの話です。漢字では「富貴草」と書きます。{中略}こんなに立派な名前が付いている植物がほかにあまりありません。人だったら「名前負け」するとでも言われそうです。(『朝日新聞』 2002年1月9日夕刊、北海道) のように、<自分の名前に負ける>という意味で使うのが「正用」で、質問にあるような、<相手の名前に負ける>という意味で使う
「五十音」の実際の数は、五十ではありません。どうしてですか。また、いつどうやってできたのですか。 ※ この記事の初出は『新「ことば」シリーズ』14号(2001、国立国語研究所)です。当時の雰囲気を感じられる「ことばのタイムカプセル」として、若干の修正を加えた上で公開します。 現代の五十音図は、『五十音図』風の仮名表・ローマ字表 小学校低学年でひらがなやカタカナを、さらに中学年でローマ字を習う際、縦横にアイウエオをならべた表が出てきます。一般には、この表を「五十音図」、そこにならんだ文字を「五十音」と呼ぶことが多いと思われます。その表や文字をみると、縦にならんだ五つの母音の段と、子音の別で横にならんだ合計十の行が、整然と配置されているように見えます。しかし、このアイウエオはちょうど五十個示されているかというと、実は空白になっていたり同じ文字が重複していたり、さらに最後に「ん」の文字が一つだけ
2004年暮れに発生したインド洋大津波のニュースで、英語などでも「ツナミ」という日本語がそのまま使われていることを知りました。同じような例はほかにどんなものがあるのでしょうか。 ※ この記事の初出は『新「ことば」シリーズ』19号(2006、国立国語研究所)です。当時の雰囲気を感じられる「ことばのタイムカプセル」として、若干の修正を加えた上で公開します。 江戸時代までの場合 他の言語から日本語に取り入れられた「外来語」とは逆に、「ツナミ」のように日本語から他の言語に取り入れられた語のことを、「外行語」と呼びます。ここでは英語の場合を見ていきましょう。大規模な辞典として知られる『オックスフォード英語辞典』第2版(1989年)には、378の日本語が収められています。それぞれの項目には西洋文献での実例が挙がっており、その最も古いものがいつの時代かを見ていきます。もちろん、西洋文献に初めて見られたそ
「稲妻」は「いなずま」ですか、それとも「いなづま」ですか。漢字を見ると「いなづま」が正しいように思えますが。 ※ この記事の初出は『新「ことば」シリーズ』17号(2004、国立国語研究所)です。当時の雰囲気を感じられる「ことばのタイムカプセル」として、若干の修正を加えた上で公開します。 原則的には「ず」を使用 現代日本語のほとんどの方言では「ず」と「づ」、「じ」と「ぢ」は完全に同音です。したがって表記の際には、原則として「ず」「じ」を使用し、「づ」「ぢ」は使わないことになっています。昭和61(1986)年の「現代仮名遣い」に関する内閣告示第1号によれば、「稲妻」もこの原則に従って「いなずま」と書く、とされています。 一方、「つ」「ち」で始まる語の前に別の語が付いて新しい語を作る際、「連濁」(2語目の最初の清音が濁音化すること)が起こる場合には、元の語の表記を生かし「づ」「ぢ」を使用すること
ホテルの「スイート・ルーム」の「スイート」というのは〈甘い〉という意味で、新婚旅行でよく使われるからそう言うのだと思っていましたが、先日英語に詳しい友人から「それは間違いだ」と言われました。本当なのでしょうか。 ※ この記事の初出は『新「ことば」シリーズ』14号(2001、国立国語研究所)です。当時の雰囲気を感じられる「ことばのタイムカプセル」として、若干の修正を加えた上で公開します。 ※ 2024.2.27 一部記載を修正しました。 同じ「スイート」でも…… それはその友人の言うとおり間違いです。日本語で言う「スイート・ルーム」は本来の英語では「スイート」だけで表し、sweet ではなく suite とつづります。この suite とは、寝室と居間など、二つ以上の部屋がひとまとまりになっているタイプの客室を指します。これが sweet と解釈されてしまう背景には、外来語として使われる「ス
「立ち上げ」「立ち上げる」 質問 最近あちこちで「立ち上げ」「立ち上げる」を見聞きします。一般に広めて使うのはどうかと思うのですが。 回答 最近取りざたされている,「会社を立ち上げる」「新企画の立ち上げ」など組織や計画についていうこの表現は,コンピューター用語から始まったと言われています。パソコンなどを「起動する」(使用開始のため何らかの操作をして稼動可能にする)ことを「立ち上げ」とし,その操作を「立ち上げる」といいます。このことが辞書に載ったのは,昭和61(1986)年だそうで(NHK「気になる言葉」による。),1995年のパソコン入門書に用例があり(小学館『日本国語大辞典』オフィシャルサイト日国友の会ウェブサイトによる。),この二十年間のパソコン自体の飛躍的な普及が,この言葉の流行の背景と思われます。 さて,簡便に現代語の語史を調べるため,書名における用語の初出調べ(国立国会図書館蔵書
「共通語」と「標準語」はどのように違うのですか。 ※ この記事の初出は『新「ことば」シリーズ』16号(2003、国立国語研究所)です。当時の雰囲気を感じられる「ことばのタイムカプセル」として、若干の修正を加えた上で公開します。 共通のことばと規範的なことば 「共通語」は、異なる言語を話す人同士が意志を通じ合うために用いる共通の言語のことです。「英語は世界の共通語」と言われることがあるのはこのような意味です。日本語の中で「共通語」と言えば、方言の違いをこえて互いに通じ合うことばを指すことになります。 「標準語」は、ある言語の中で、規範的な正式の言い方と見なされて、公的な場や改まった場で話したり書いたりする時に使われることばのことです。明治時代には、「東京の教養層の言語に磨きをかけたことば」という標準語像が示されました。現在では、「NHKアナウンサーのことば」や「教科書のことば」が標準語である
2020年の流行語のひとつに「Go Toトラベル」があります。これは英語では使われない表現だと聞いたのですが、そうなのでしょうか。そうだとすれば、どうしてそのような言い方が日本語として使われるのでしょうか。 「Go Toトラベルキャンペーン」が話題になっています。ここではどうして、「英語では使われないのでは」という質問の出るような表現が生まれ、また受け入れられているのか、その背景を、日英語対照研究の観点から考えてみたいと思います。 「Go To トラベルキャンペーン」は、「Go To キャンペーン」の1つで、ほかに「Go To イートキャンペーン」、「Go To イベントキャンペーン」などがあります。これを英語の表現として考えた場合、go to eat ならto は不定詞のto、go to events なら前置詞のto です。用法は違いますが、同じto だからということで、まとめてG
時代の変化に付いていくには外来語を使っていくことが必要だと思いますが、分かりにくい外来語を使うと、円滑な伝え合いの障害になるようにも感じます。どのようなことに気を付ければいいでしょうか。※ この記事の初出は『新「ことば」シリーズ』18号(2005、国立国語研究所)です。当時の雰囲気を感じられる「ことばのタイムカプセル」として、若干の修正を加えた上で公開します。 外来語の大量の流入 西洋文化が、日本社会に広く普及した大正時代ごろから、西洋起源の言葉をカタカナで表記した外来語が、一般社会にも大量に広まるようになり、その後、外来語は次々に流入してきています。現代は、英語圏を中心とした地球規模の経済活動がより活発化し、外来語の流入の激しさを一層強く感じる人が多いようです。 外来語の多くは、現代の日本社会にとって役に立つ新しい事物や概念を表す言葉であり、日本語や日本社会を豊かにしてくれる側面を持って
2020年10月、歴史的文字画像データが横断検索できる「史的文字データベース連携システム」(https://mojiportal.nabunken.go.jp/)が稼働しました。このデータベースには、これまで人類が書いてきたさまざまな文字の画像(主として漢字)が約150万点も収録されており、どなたでもご利用が可能です。この連携システムには国立国語研究所も参加しています。 中国漢代から日本の近世にいたるまで、さまざまな文字を収録 下記の画像は「国」という字の検索結果です(一部を表示)。研究者はもとより、書道や歴史、古文書に興味がある方にとっては、大変興味をそそられる文字が見つかるのではないでしょうか。 「史的文字データベース連携システム」 検索結果画面表示(日本語) 文字画像を眺めるだけでも楽しいデータベースです。ぜひ、お好きな文字を1文字入力し、検索してみてください。お子様と一緒に字形を比
共通語で「違い」は動詞「違う」の連用形で、「違いがある」のように名詞としてもよく使われる形です。「違くて・違かった」等は、「違い」の語尾の「い」を形容詞の語尾として活用させた形と考えることが出来ます。ちなみに「違い」は現在共通語の形容詞としては存在しません。ただ、首都圏などで聞かれる「ちげーよ」という言い方から、既に形容詞の終止形「ちがい」が成立しているとする考え方もあります。「ちげー」は「ちがう」からの変化形とは考えにくく「ちがい」からの変化だろうというわけです。なお、このような「違う」の形容詞型活用は、首都圏では遅くとも1980年代には広まっていたとみられ、早く井上史雄『新しい日本語―《新方言》の分布と変化―』 などに指摘があります。 さらに、語尾の「い」を形容詞のように活用させるというのは、他に「きれい」(→きれかった)、「みたい」(→みたく)などでも見られる現象です。「違い」も含め
日本語は、当初は文字を持っていませんでした。文字は言語を記録するために後から誕生するものです。したがって、日本語に限らず、どの言語も最初から文字を伴っていたわけではありません。現在、地球上に存在する言語の数は諸説あって、3000、5000、6500、8000とも言われます。これは、数え方の規準の違いによるものですが、いずれにしてもかなり多くの言語があることが分かります。一方で、文字を持っている言語は400程度と言われており、文字を持たない言語の方が圧倒的に多いことが分かります。 言語が文字を持つには、どのような方法があるでしょうか。新たに作りだすか、他の言語で既に使われている文字を借りてくるかの二通りの方法が考えられます。そして、文字を持っている言語の多くは、借りてくるという方法によって表記体系を作り出しています。 日本語の場合も、他の言語で使われている文字を借りてくるという方法によって文
最近、「微妙」という言葉がおかしな意味で使われているのを聞きます。ちょっと耳障りに感じるのですが。 ※ この記事の初出は『新「ことば」シリーズ』17号(2004、国立国語研究所)です。当時の雰囲気を感じられる「ことばのタイムカプセル」として、若干の修正を加えた上で公開します。 などのように、意見や感想を求められた際の応答の言葉として用いられた場合でしょうか。「微妙」の意味は、国語辞典によると、「細かいところに美しさ・問題点・重要な意味などが有って、単純な論評を許さない様子。」(『新明解国語辞典』第5版)とありますから、意味的には、さほどおかしさは感じられません。この表現に違和感があるとしたら、求められた答えが手放しで肯定できない、むしろ否定的に傾いているような場合に、それを率直に表現すると差し障りがあるので、「微妙」というあいまいな表現で断言を避けている印象があることでしょうか。 現代の若
私は教員をしていますが、今度、日系ブラジル人が多く住んでいる地域の学校に赴任することになりました。日本語が母語でないこどもたちに対して、どのようなことに気を付けておいたらいいでしょうか。 ※ この記事の初出は『新「ことば」シリーズ』18号(2005、国立国語研究所)です。当時の雰囲気を感じられる「ことばのタイムカプセル」として、若干の修正を加えた上で公開します。 文部科学省の調査結果によると、日本語指導が必要な児童生徒数は、19,042人(小学校 : 12,523人、中学校 : 5,317人、高等学校 : 1,143人、その他 : 59人)で、母語別では、ポルトガル語が最も多く(6,772人)、以下、中国語(4,913人)、スペイン語(2,665人)、その他(4,692人)となっています(平成15年9月1日現在)。ここではまず、ポルトガル語を母語とする日系ブラジル人が多数住んでいる集住地域
外来語をカタカナで書くのはいつから、どのように始まったのですか。 ※ この記事の初出は『新「ことば」シリーズ』19号(2006、国立国語研究所)です。当時の雰囲気を感じられる「ことばのタイムカプセル」として、若干の修正を加えた上で公開します。 外来語の表記の変遷 外来語が現代のように日々流入して世の中に氾濫(はんらん)し、そこここに意味の分からないカタカナ語があふれかえっている状況は、今までの日本語にはなかったこと、と言ってよいでしょう。 一方、カタカナで書かれた外来語の例を、時代をさかのぼって求めると、江戸時代の学者の中に、外来語が日本語とは別の出自のものだ、という明確な意識を持って、語によって文字種で書分けた例があったそうです。しかしそういう例はむしろ珍しく、現代に比べて日本語の中で当時の外来語は数少なかった上、日本語に馴染んだとたんに、違和感なく平仮名や漢字で書かれていたのです。例え
昨年、神戸のニュータウンに引っ越してきました。関西では関西弁を使うと思っていたのですが、近所の人は、関西弁とは違う言葉を使っているのに気付きました。どういうことなのでしょうか。 ※ この記事の初出は『新「ことば」シリーズ』18号(2005、国立国語研究所)です。当時の雰囲気を感じられる「ことばのタイムカプセル」として、若干の修正を加えた上で公開します。 ニュータウンで使われる言葉 東京や大阪、名古屋などの大都市の郊外には、ニュータウンと呼ばれる新興住宅地があります。ニュータウンには、全国各地から転入してきた人たちが生活しています。そこでは、様々な方言を使う人が交流することになります。 ニュータウンで使用される言葉には、ほかの地域とは異なる特徴が見られます。ここでは、神戸市にあるニュータウンを例に考えてみましょう。 神戸市をはじめとした関西地方では、友人など親しい人と話す場合、関西方言が広く
「コンディション」には、「状態」や「調子」では言い表せない特別な意味があるのでしょうか。 ※ この記事の初出は『新「ことば」シリーズ』19号(2006、国立国語研究所)です。当時の雰囲気を感じられる「ことばのタイムカプセル」として、若干の修正を加えた上で公開します。 類義語の中での外来語の占める位置 国語辞書の中には「コンディション」の意味を単に「調子」「状態」で置き換えて済ませてしまっているものもありますが、用例を観察すると、「コンディション」には次のような二つの特徴があることが分かります。 一つは、表す対象の広さです。「コンディション」は、体調、天候、場所の状態について表すことができます。例えば、「ベスト・コンディションで試合に臨む」(体調)、「小雨の降るあいにくのコンディション」(天候)、「グラウンド・コンディション不良のため試合は中止になった。」(場所の状態)。 二つめは、意味的な
漢文訓読にはさまざまな方法があった 漢文の訓読と言ったときに、みなさんは学校教育で学んだ決まりを思い浮かべることでしょう。例えば、句読点や返点(レ点、一二点、上下点)、送り仮名などの使い方です。これらのきまりは中学校一年の「国語」で扱われています。 このようなきまりが学校教育の中で統一されたのは、文部省からの調査嘱託を受けた服部宇之吉(1867-1939)らが明治45年(1912)3月29日に報告した「漢文教授ニ関スル調査報告」以後のことです。この報告書の全文は『官報』第8630号に掲載され、国立国会図書館デジタルコレクション(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2951987)でご覧になれます。それ以前は、同じ訓読といっても実にさまざまな方法があって、しかも流派(学派)ごとに読み方が違っていたようです。 服部宇之吉 (『日華学会二十年史』国立国会図書館デ
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