人に謝るとき、よく「おわびします」とだけ言ったり書いたりしているのに出会います。「すみません」「ごめんなさい」などの言葉がないと、きちんと謝ったことにならないような気がするのですが、どのように考えたらいいのでしょうか。
※ この記事の初出は『新「ことば」シリーズ』17号(2004、国立国語研究所)です。当時の雰囲気を感じられる「ことばのタイムカプセル」として、若干の修正を加えた上で公開します。
質問にあるように、「おわびします」という言葉だけで謝ることはよく見聞きします。「おわび」の手紙や文書には「…を心からおわびします」「…を深くおわび申し上げます」とだけ書いた例がよく見られます。また、「おわびします」とだけ言って、あとはただひたすら頭を下げたり両手を合わせたりしている人の姿も十分に想像できます。
つまり、「すみません」「ごめんなさい」などと言ったり書いたりしなくても、「おわびします」という言葉だけで「謝り」の言語表現が成り立っているわけです。
「すみません」「ごめんなさい」などは、謝る気持ちを直接的に表現する言葉です。これに対して「おわびします」は、もともと「自分はわびている」という意味で、謝る気持ちそのものでなく、謝るという行動を説明する言わば間接的な言葉です。
「おわびします」だけでは「きちんと謝ったことにならない」という思いは、その言葉が謝る気持ちを直接的に表現していないと受け取ることに理由があると考えられます。
日常の言葉遣いの中には、「おわびします」のように、言葉を使ってそこで行っている行動(言語行動)の機能それ自体を説明する言葉がしばしば現れます。例を挙げます。(1)は「依頼」、(2)は「報告」、(3)は「謝り」の場面での言葉遣いです。それぞれのアとイを比べてください。
下線部分が、問題の「言語行動の機能を説明する言葉」に当たります。この部分は、依頼・報告・謝りの内容を直接的に表現するものでなく、言語行動の機能を説明する間接的なものです。アの言い方は、この言葉を含まず、依頼・報告・謝りの内容を直接的に表現する言葉遣いだけで成り立っています。イの言い方は、直接・間接の両方を含んでいます。
注意すべきは、例(1)「依頼」や例(2)「報告」の場合だと、イのうち下線部分だけでは何について言っているのか分からず、依頼や報告が成り立たないということです。依頼や報告の内容を直接表現する言葉が不可欠です。
これに対して、例(3)「謝り」の場合は事情が違って、言語行動の機能を説明する「おわびします」という下線部分の言葉だけでも「謝り」の言語表現が成り立つ場合があります。最初に挙げたような場合です。
別の種類の言語行動でも、例えば「お祝い」「お悔やみ」など、「謝り」と同様に話し手の心情を相手に伝える種類の言語行動の中には、同じように「言語行動の機能を説明する言葉」だけでその場の言語表現が成り立つものがあります。次のような言葉遣いです。
それぞれ、「おめでとうございます・よかったね」「御愁傷さま」といった祝いや悔やみの気持ちを直接的に表現する言葉遣いは使わなくてもそれぞれの場の言語表現が成り立っています。さらに、「おわびします」「お喜び申し上げます」「お悔やみ申し上げます」などの間接的な表現を含む言葉遣いが、上の例からも感じていただけるように、全体として丁寧で改まったものであるのも興味深いことです。
(杉戸清樹)
※ PDFアイコンのある資料は公開されています。