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大そうじへの備え
blog.livedoor.jp/easter1916
最近、ホメロスという題でカルチャースクールで講演する機会があり、そのためホメロスについて再考する機会を得た。以前にも論じたことがあるが、論じ残していた問題に気付いたので、ここにメモしておく。 『ティマイオス』には次のような一節がある。 「あなた方ギリシア人は、いつも子供です。あなた方はみな心が若いのです。…それは、あなた方が太古から伝わる記録も、蒼古たる学識も、何一つ心にとどめていないから」 確かに彼らも、ヘロドトスとツキュディデスという立派な歴史を持ってはいる。しかし彼らは、独自の問いと強烈な問題関心を持った個性的な思索者であったのであり、共有され、そこへと統合されるべき正史の伝統を持たなかった。その意味で彼らは、ともにアマチュアとして歴史に取り組んだということができる。 それに対して、ユダヤ人の歴史や古代中国の歴史は、たとえその中にも多くのフィクションが混じっていたにせよ、その細部はど
拙著『読む哲学事典』における「保守主義と左翼」の小文に、コメントをいただいたのをきっかけに気づいたことがあったので、それをここに書き留めておきたい。 私は左翼も愛国的コミットメントを持つ必要を主張してきた。ここでいうコミットメントの対象は必ずしも国家ではなく、むしろ伝統である。たとえばロストロポーヴィッチの言葉を引いて伝統について考察した項では、チャイコフスキーの演奏についての「ロシア的伝統」が、上辺ばかりの効果を狙うものでしかないと批判し、真の伝統に立ち返らねばならないとする考えを紹介している(「歴史と伝統」の項参照)。この伝統は、ロストロポーヴィッチの音楽を培ったものであり、その音楽の表現とその文法を彼に教えたものである。自分自身の音楽的実存の根幹を育て上げた母胎であればこそ、その歪曲を許しがたいと感じるのである。ここに深いコミットメントが生まれる。他の芸術や哲学でも宗教でも、かかるコ
カルチャーセンターの講義で「アレントとマルクス主義」を扱ったので、そのメモワールをここに挙げておこう。 宇野弘藏の恐慌論 宇野の恐慌論から始めよう。それは、一種の景気循環論であり、シュンペーターの議論に近いものを持っている。かつて我が国の戦後経済学はほぼマルクス経済学派によって占められていた。特に東大経済学部は、労農派マルクス主義者の牙城であった。宇野弘藏は労農派から出てマルクス研究を精緻化し、ある程度学問的議論に耐えるものに仕上げた。宇野経済学に学んだ経済エリートたちが、経済諸官庁を席巻していた50年から60年代初期にかけて、果たして彼らの教養がどれほど役に立ったか疑問に思う向きもあるかもしれないが、意外にもそれが通用したのである。それは宇野弘藏の学問理念によるところが大きい。彼はマルクスの『資本論』の所説を、イデオロギー的価値観から峻別し、ブルジョワ社会の原理的な分析に純化した。科学的
今般パレスティナで繰り広げられている無残な虐殺と、今後起こりうる一層巨大な惨劇に、胸のつぶれる思いをしているのは私ばかりではあるまい。もちろん、このような大事件について、その背景を含む詳細を今の段階で知り得ることはごく限定されているということは当然のこととして、だからと言ってすべてに判断を留保するようなことは、国際社会の一市民という立場からさえ無責任であろう。自分が判断を誤る可能性は十分認めたうえで、言いうることは断固言わねばならないのだ。 取りあえず断言せねばならないのは、ハマスによる重大な戦争犯罪があったからと言って、イスラエルによる大量無差別殺戮が許されるわけではないということだ。たとえイスラエルによる「自衛のための軍事行動」が許されるとしても、それらは戦時国際法の制約のもとに行われなければならないのは自明のこと。我々は、この件について語る「情報通」の話につられるあまり、国際法の規範
宇野重規氏の『日本の保守とリベラル』(中央公論新社)を読んで、そこで論じられた福田恒存と丸山眞男の所論に対していくらか思うところがあるので論じてみたい。 福田恒存の保守主義 宇野氏は本書第4章で、福田の独自の保守主義についてやや詳しく論じている。大雑把に言えば、福田氏の保守主義は次の二点に集約される。第一は「反イデオロギー」とでもいえるもの。もう一つは、「政治と文学の峻別」である。 福田に言わせれば、革新派はイデオロギーを掲げるが、保守派にとって重要なのはイデオロギーではない。保守とは生活感情であり、態度であって、決して主義ではないというのが福田の信念であった。p−116 福田は、D.H.ローレンスの研究者としてその『アポカリプス論』を重視していた。言うまでもなくローレンスは、アポカリプス論(『ヨハネ黙示録』論)で、ある種のキリスト教理解(ローレンス幼少期故郷の炭鉱労働者たちに典型的なもの
近代政治哲学における社会契約説は、さまざまな形で自然状況に言及する。自然状況において社会契約を結ぶことによって、権力や法を人為的に設立するという理論的虚構が社会契約説の骨子である。しかし、自然状況がどのようなものと観念されるかによって、そこから創設される政治社会の性格もさまざまに異なることになる。たとえば、ホッブズの想定した自然状況は、万人が万人にいかなる留保もなく戦争状態にあるという極めて過酷なものであり、それに応じてそこから創設される権力も絶対的独裁制となる。 ホッブズの自然状況では、死の恐怖から逃れるために己れの自然権を放棄することが合理的となる。しかし、自然状況においてはいかなる約束もいつでも裏切ることが許されており、それは単に相手を欺くマヌーヴァに終わる危険がある。それでは「社会契約」が成立することは不可能であろう。 これに対してロックにおいては、自然状況ははるかにマイルドなもの
「全校生徒六百が、二列になりて進む時」(永山正昭『星星之火』) 著者は戦前・戦後にかけて船員労働組合の運動に艇身した活動家。ガリ版刷りで組合員に配られた小文を集めたものが近年みすず書房から出版された。そんな中に、小学校時代の恩師を描いた文章がある。ある日、先生は『長き行列』という詩を一行一行説明してくれた。「一行づつ進むにつれて、小学生の長き行列が進み」…全国数百万の小学生が進んでゆく。そしてそのうち先生の声がいつの間にか涙声になっているのに気づく。「…行進してゆくその長い長い行列を思い浮かべてごらん…」といって、しまいには本当に泣き出してしまわれたときには、私たちのほとんどが先生と一緒に涙を流していた。 「本当のところ、私たちは先生がなぜ泣き出してしまったのか、そのときはよくわからなかったのだと思う。しかし、先生が泣き出し、私たちもいつの間にか一緒になって泣いてしまったことで、やはりなに
ベンヤミンは、政治について多くは語っていない。その主たる関心は、芸術批評と美学に向けられていた。私は拙著『文学部という冒険』で現代芸術の政治性を強調し、ベンヤミンの美学にも言及したので、その政治哲学的含意について論じておきたい。 もともとドイツ社民に対して深い軽蔑を抱いていたベンヤミンは、俗流マルクス主義に対しても何の共感も持たなかった。アーシャ・ラティスを通じて伝えられたロシア革命には大きな期待を寄せたが、それも公式のマルクス主義理論とかボルシェヴィキの組織に対してではなく、そこに示された新しいエトスやモラール(士気)に対してであったろうと思われる。 結論から言えば、私はマルクス主義をベンヤミンによって刷新することを期待する多くの理論家と違って、むしろマルクス主義から、とりわけマルクス主義の唯物論や自然主義から切り離すことによって、ベンヤミンの政治哲学の革命的意義を生かし得ると考えている
以前の学校の元学生さんから、最近お尋ねのメールをいただいた「神様についてどう考へるか?」といふのである。それに対して最近考へてゐることを、かひつまんでご返事してみたので、以下その一部をここにご紹介する。 神についてお尋ねですね。一言で言へるものではありませんが、一般に信仰は理論的に論じるべきものではなく、縁のやうなものが大事です。宮沢賢治の『ビジテリアン大祭』について論じたとき書いたことですが、我々は仏教とかキリスト教とか…の優劣を論じることができる立場に立つことはできません(ビジテリアンのイデオロギーとユトピア 拙著『神学・政治論』勁草書房 所収)。我々は神や仏と、どのやうに出会ひ、またどのやうに出会ひ損ねるかといふことを離れて、いかなる信仰もないのです。その点でそれは、人と人との出会ひに似てゐます。 私の場合、学生の頃カトリックの寮でキリスト教と出会って以来、特に信仰者であったわけでは
ラカンによれば、男児は母の欲望の秘密を、ファルスの欠如ゆえに父のファルスを求める欲望と解釈する。これは、すべてのシニフィアンをファルスの欠如から解釈する一元的意味論である。男児が、原理的一元的説明原理が与えられると期待するのは、もちろん早とちりの幻想による。あまりにも鮮やかな解釈が得られたと思い込むことから、彼らは意味一般の解釈原理を手にできたと思うのである。これがそれ以後の彼らの意味論の基本形を形成するのだ。 しかしそれなら、男は皆そのような愚かさを宿命づけられているのか? そうではない。そもそも鏡像段階のデッドロックを突破できたのは、男女を問わず母の欠如(母の欲望)から、言語への道が開いていたからである。 男児は、それを大文字の他者A への母の欲望と見なし、自らもAを求める。そして、Aの中に己れのセリフを見出す。しかし、このAが完全でもすべてでもないことを見出さなくてはならない。さもな
例によって、山形新聞への投稿 「栄(は)えある革命の伝統を守れ」(民族独立行動隊の歌) 戦後の進駐軍占領下、京浜工業地帯で起こった労働争議の中で生まれた歌である。以前から、この一節に奇妙な所があると感じていた。我が国の政治史上、それほど誇るに足る、守るに足る「革命の伝統」など有ったのかという点もさることながら、そもそも「革命」は「伝統」と真逆のものではないのか? アメリカ革命の伝統は、独立宣言に記され、公民権運動の中によみがえった。フランス革命の伝統は、『レ・ミゼラブル』などの文芸作品の中で繰り返し歌われ、民族独立運動やレジスタンスの中に受け継がれた。しかし、マルクス主義的な革命は、いかなる伝統にも訴えない。それは、冷徹な「歴史法則」に基づくとされ、その政治方針は「科学的」知見と見なされる傾向がある。 しかし、未来は予測しがたく、政治活動には不確実性が付きものであるとしたらどうだろうか?
アレントの『全体主義の諸起源』は、歴史的起源を偶然の産物として描く。ここで、ブローデルらによる歴史社会学の方法に触れておこう。出来事は、ふつうそのまま社会構造の変革を生み出すことはない。技術革新は、その分野の生産性を高め、大きな収益を生み出すが、その変化はやがて市場によって安定価格に導かれ、総じて構造に変化をもたらすことはない。 しかし、18世紀のイングランドにおけるように、紡績機と紡織機の改良が、互いに互いの技術開発を刺激し合うことが起こると、その周辺に工具や部品製造の産業が集積し始める。簡単に部品がそろう市場の集中が、次の技術革新を可能にするのである(例えば秋葉原のことを考えるだけでよい)。どのような所に需要の拡大と供給のひっ迫が起こり、どのような技術革新が起こっているかを知らせる業界情報誌などの存在も、技術革新を準備するには必要な社会的インフラとなる。こうして持続的な技術革新を可能に
マルクス主義について、論争史的に論じてみることにする。わが国では、マルクス主義の理論的研究の歴史が厚いにもかかわらず、冷戦終結以後ほとんど顧みられなくなっているという現実がある。一般にこれは、我が国の思想史一般に言える傾向であり、次々になりゆく勢いにつれて流行を追うあまり、伝統とか正統というものが形成されず、以前に論じられた論争も結論も見ずにただ忘却されてしまうことになる。せっかく江戸時代に議論されてきた儒教の伝統が、明治になってほとんど顧みられなくなったようなものである。今日、マルクス主義が再び脚光を浴びつつあるが、そこでも以前に論争の的になった問題圏が忘却されているように見えるので、あらためて論争史的に議論してみたい。 順不同でこれまで論じられたことのある問題を列挙してみよう。 1) 何故「社会主義革命」が、マルクスの予言したように先進諸国で起こらず、後進地域においてのみ成功したのか?
リバス師は、私が駒場の学生時代居住したザビエル学生寮の寮長をしていたイエズス会の神父である。リバス神父が91歳で永眠したという訃報に接し、イグナチオ教会で執り行われたリモートのミサに参加した。 https://www.youtube.com/watch?v=0_W-obXbL_I その死を悼み、私の狭い経験の範囲で見た神父のお姿について、思い出を書き記しておきたい。 ザビエル学生寮は、駒場東大駅から徒歩で五分もかからない井の頭線のわきに今にも倒れそうな姿で建っていた。思えば十八の春入学すると同時に、ザビエル寮で数年にわたってリバス神父のお世話になることになった。お世話になったといった月並みな言葉ではとても言い表すことができない。 当時、入寮には作文と二つの面接に通ることが必要であった。一つは、寮生委員会の面接であり、もう一つは寮長面接である。私は、寮生委員会面接には落第していたようである。
『方法序説』について書いたことに対して、批判をいただいたので、それについての私なりの返答をやや詳しく述べておこう。 デカルトの普通の読者は、思考内容と思考態度を区別し前者を悟性、後者を意志に基づけるデカルトの考えに同意している。フッサールのように、前者を志向的内容として現象学的還元を通しても確保できると見なしている者もいる。しかし常々私は、Bedeutungの存在をSinnの探究の前提とするフレーゲ流の意味理論に共感を示してきた(「悪魔の現象学的還元」をめぐって、シェーラーを批判した若いルカーチの機知を引用したのも『読む哲学事典』p−142、それを示唆するためである。このエピソードは、パトナムの「外在主義」と並置することによって、さらに明確な意味を獲得するだろう)。 だが、デカルト自身に即しても、悟性と意志の峻別などという安易な態度、または現象学的還元などという姑息な手段が、明晰な意味理解
最近、仕事でスピノザについて少々語る機会があった。それで、以前書いたことをごくかいつまんでまとめてみた。別に真新しいものではない。ただ、スピノザに興味はあるがとっつきにくくて困っているという人のために、以下掲載しておく。 スピノザはどうしてあのように激しい指弾にあったのか? 彼が生前に出版したのは、ほぼ『神学・政治論』だけである。この一書だけで、すでにスピノザは世界中の憎しみの的になっていた。それは、彼が異端的な倫理やエキセントリックな主張をしたからではない。それどころか、彼は聖書のすべての主張が、我々の常識的道徳と少しも違わないことを説いており、その点でその解釈は凡庸とさえいえるほどだ。それがどうして世界中の怨嗟を招いたのか?この点を理解しないスピノザ解釈は、まったく的を外しているのだ。 神の言葉が、もし我々から見て非道徳的なことばかりを含んでいたとしたら、殺人や窃盗や偽証、強姦などを善
以前カズオ・イシグロの作品批評をしたことがある(2018年11月2日「カズオ・イシグロ『私を離さないで』」)。その補足として、対蹠的な作品を取り上げたい。それが『映像研には手を出すな』である。以下、ネタバレあり。 カズオ・イシグロの『私を見捨てないで』においては、芸術作品の自律的で中立的な価値が前提とされ、その結果、芸術の政治的批評性が隠蔽され、かくて作品がいたって人畜無害な文化財に成り下がるという結果になる。それに対し、現代芸術の政治的批評性を前面に打ち出し、作品の自律的価値にさえ大胆に疑いの目を向けた作品として、大童澄瞳原作の現代のアニメーション作品『映像研には手を出すな』を例にとりたい。 まず、主人公の三人である。独創的な構想力に恵まれているが人間関係を取り結ぶのが苦手な小心者である浅草みどり。勝手な趣味に走る他の連中を束ねて、マネージメントと会計を取り仕切る金森さやか。カリスマ・読
朝鮮学校の子供たちの教育支援のため、ささやかな寄付をした。ショーヴィニスト政権の下で、補助金が打ち切られているからである。 彼らの祖国が、我々の安全にとって脅威や損害を与えているとしても、そのことは、我々の隣人の子供たちの教育を受ける権利が奪われてよい理由には少しもならない。また、彼らの受ける「民族教育」のある部分に批判的な人もいるかもしれないが、我々の友好的批判が少しでも 聴き届けられるのは、彼らの教育に対して我々が十分な支援と貢献をしている場合だけであろう。 私の立場を見て、政治的リアリズムの欠如とか融和主義と即断する向きもあろうから、「拉致問題」について表明した私のリアリズムについて、再度参照を乞いたい(2011年12月9日「脱北者」、2005年6月24日「スピノザ的政治」)。私は、スターリン主義者と対決する必要が時にあることを否定しない。ただ、その場合も、スターリン主義自体の中にも
『自由論序説』(未発表稿)の第二部「自由の政治哲学」の草稿を投稿する。演劇論の部分は、すでにここで発表したものであるが、一応まとめて掲載しておく。諸氏の批判を参考にして、出版の際には改善したい。 Ⅱ自由の政治哲学 社会契約説の意義 自由の形を求めてその具体的在り方を論じようとするならば、その政治的形態を第一に論じなければならない。政治権力こそは、人間が自由のために不可欠なものとして創り出しながら、実際にはしばしば隷属へとつなぎとめもしてきた問題的な現象だからである。その中でも、近代政治哲学は社会契約説という形で、政治的自由の一般理論を構築しようとした。それゆえ、自由を論じるうえで、近代社会契約説の吟味は避けて通れない。 近代社会契約説こそは、所与の超越としての自由を政治社会の成立と結びつけることによって、政治哲学を画するものであった。それ以前の政治理論は、その起源を神に求めたり、伝統に求め
安倍内閣は、検察官定年法を当面断念したように見える。もちろん油断はできないが、とにかく今国会での成立を断念させたことは、ほぼ間違いないところらしい。このところ、政治闘争には負け続けてきたので、にわかに信じがたいほどのことに思われる。 いかなる説明も議論もせずに無理を押し通すのが安倍政権の特徴であり、そのあまりの理不尽に、有権者はかえって喝采するという卑屈極まりない一種のマゾヒスム体質が習慣になってしまった。あらゆる嘘をつきとおし、どんな反論にも答えず議論を抑圧することが、何か政治的力量であるかのように演出するのである。安倍政権の暴政とムチャクチャが高まれば高まるほど、支持率が高どまるというのを見ても、わが国の法体制そのものが糜爛して、いよいよ来るところまで来た感があった。それゆえ、今般のような勝利が来るとは、なかなか信じることが難しかったのである。 とはいえ今は、わずかばかりの勝利でも、そ
前に(2020年1月17日)書いたことだが、山本淳子氏の諸著作『枕草子のたくらみ』『平安人の心で源氏物語を読む』『紫式部ひとり語り』などを続いて読んでみたが、つい最近読んだこの本が氏の一連の作品の出発点をなすものであり、とりわけ読みごたえがある傑作だと感じた。本書は、王朝文学研究者たちすべてが、ここから出発するほかないほど重要性をもつだろう。そればかりか、文学研究というものがどのようでなければならないか、美しい範例を示したものでもある。この作品によって、我々はすでに知っていたつもりの断片的情報がジグソーパズルのように結び付けられ、立体的な意味づけを与えられるのがわかる。 私はこの方面では全くの門外漢であるので、専門家から見れば全く初歩の知識さえ抜け落ちてしまっていた。たとえば、以前謡曲の『東北』を習っていたとき、和泉式部の出家のエピソードを語る箇所で「上東門院の御時、御堂関白この門前を通り
ブルジョワ社会は世界市場という形で、世界の統一をある意味で実現したのであり、そこでは、どの部分も全体を離れて価値や意味を持つことはなく、市場によって緊密に結びついた全体の中にその意味を見出す。この経験は、神秘を世界から一掃したが、同時に世界の全体が謎と化した。 つまり、商品や貨幣のいわゆる物神性の神秘によって、すべての事物を人間も含めて貨幣価値によって値踏みすることによって、それらの事物同士の生活連関を分断し、すべてのものからその内在的意味を奪う結果となった。それゆえ、ブルジョワ社会では、すべての問題が経済的な相貌をまとって現れることとなる。生産や消費は言うに及ばず、結婚、子育て、教育、介護…なども経済的に意味づけられる。たとえば、結婚は両性の「つりあい」の問題として観念され、子育てや教育は、将来の労働力への投資として観念される。医療や介護は、経費の問題として、危険や安全は保険の問題と見な
トランプ大統領の無分別によって、またもや世界は崩壊へ向かって一歩進めることになってしまった。これは、これから長らく続く戦争の序曲に過ぎない。どれだけ続くのだろうか?おそらくは三十年というところだろう。17世紀の三十年戦争も、ヴェトナム戦争も、我が国の昭和の戦争もおよそ三十年くらい続いて、大きな破局をもたらして終焉した。それ以上は、人間には持続するのが難しいのであろう。その間にはそっくり世代が代わってしまうから、憎悪の持続にも限界があるのだ。 トランプ氏は、ブラフに近い「取引」が得意で、破局をのぞまない相手からなら、有利な妥協を引き出すことも稀ではなかったろう。しかし、彼の狭隘な経験を超えたことが、歴史にはしばしば起こったのであり、それから何も学ぶ意志のない彼は、今回のことも高をくくっていたのであろう。我が国の知米派知識人も、強大な米国に対して本気で反抗する政治勢力があることは信じられないら
その国の主なる能力者をすべて統治団体の内に吸収することは、遅かれ早かれ、統治団体そのものの精神的能動性と進歩性にとって致命的となる。(J.S.ミル『自由論』) かつて、統治という大事なお仕事のためには、優秀な人々を選抜して充てるべきだと考えて、実施した国があった。それは実に賢明なやり方のように見えたが、結局は長い停滞と、常態と化した腐敗を招いただけである。威信と権力を二つながら与えられた役人たちやお偉方には、甘味な自惚れと惰性への埋没しか残されていないからである。 統治の水準を維持するためには、統治に携わらぬ人々や専門外の広範な人々による監視と批判が不可欠なのだ。同調という泥沼にどっぷりつかった社会は、あらゆる規範を弛緩させ、自画自賛の夢の中でゆっくりと融解していく。 科学技術を誇っていたさる国では、長年科学者がお墨付きを与えていた原子炉が爆発し、取り返しのつかぬ汚染公害をまき散らしたが、
ミルの言葉についての小論についてコメントをいただいた。 科学者や法律家や政治家や、そんなエリート集団は公害汚染を「撒き散らし」「なんの責任もないとのたまい」「卑しく」「阿呆で」「飲めや歌え」と「浮かれ騒ぎ」「がっぽり稼ぐ」輩だと単に煽っているのではありませんか? と仰るのであるが、もちろん私は一部でそのような趣旨の主張を確かにしているのである。そしてそれを正当な主張だと信じているのである。ただし、それをそのような事態が生じているわが国の社会制度的背景について、その構造的問題をミルに託して浮き彫りにしつつ論じていたのである。 ところが、「構造を浮き彫りにする」ことが行われているとは読み得ず、ただ「煽り」しかないと言う。 私の主張が間違っているのなら、その根拠を語ればいいだけの話だと私は書いた。コメンテイター氏は、それは一切書かず、「煽りだ」と書いただけで何か批判した気でいる。何とも不思議であ
丸山真男は「盛り合わせ音楽会」という小論で、芸術作品をそれが芸術作品であるというだけの理由から、傾向と問題意識においても様式においても価値観においても全く食い違う諸作品を、安んじて一緒くたに並べる無神経さを批判している。彼はラートブルフに言及しながら、それぞれの作品をその真の精神性において鑑賞せず、いわば等しく文化財としての価値を証明されたものとして物神化する「精神的文化の無差別的享受性」を批判する(著作集第三巻p−340)。 このような批評も、ある種の文化物神的権威主義に対しては一定の意義を持つだろうが、次のように説くに至っては、さすがに偏狭な文化保守主義という別種の権威主義ではないかという疑いをぬぐい切れないのである。 僕の論法を進めていくと何々アーベントといったふうに同一人の、もしくは同傾向の作品だけを選んだ音楽会以外は無意味だという結論にならざるを得ません。(同P―338) この伝
私は以前学生の頃、韓国の留学生と話していた時、この『アリランの歌』をぜひ読んでほしいと勧められたことがあった。そのころ手ごろに入手できなかったためか、長い間読まずにきた。 しかしこの度手にとってみて、これまで読まずにきたことが悔やまれる。そのとき彼がどんな気持ちで「読んで見てくれ」と話したのか、その気持ちをいまさら考えてしまうのである。 本書は、アメリカ人ジャーナリストのニム・ウェールズ(エドガー・スノーの元妻)が、中国革命の聖地延安に乗り込んでいたとき、偶然に巡り合った朝鮮革命の闘士の身の上話を聞き、それを克明に書き留めたものである(こんな所にもアメリカ人ジャーナリストたちの底力を見るべきだろう)。キム・サンというのはその闘士の偽名(のひとつ)である。 1919年3・1独立決起の時、キム・サンはわずか14歳の中学生だった。キリスト教系の学校に通っていたのだが、先生が突然ウィドロウ・ウィル
すでに多くの人が指摘していることであるが、今度の参議院選挙でのハイライトは山本太郎氏の運動であった。前回は、その異色のタレントぞろいの立候補者に注目したが、山本氏の選挙応援スタイルも異色であった。私が最も注目していた選挙区は宮城選挙区である。ここでは例によってヴェテランの世襲自民党議員に対して、野党として立憲の女性候補者石垣のり子氏が挑戦していたが、石垣氏は、公然と党中央の生ぬるい「消費税凍結」政策を批判していたのである。ここには、見かけ以上に大きな違いが現れている(政策や考え方の違いだけでなく、パースナリティの違いが大きい)。 枝野氏の「立憲」は、当初の期待を大きく裏切りつつあり、やがて跡形もなく消えていくだろう。私は枝野氏が立党したときには、大きな期待を持って見守っていたが、それは彼が小池新党から外されて、危機に陥ったところから、大きく成長することができるかもしれないと期待したためであ
「私はフランスに生まれ、フランス文化の泉から多くを享受した。フランスの過去を自分の過去とし、フランスの空の下でなければ安らげない。だから今度は私がフランスを守る番だと、最善を尽くしたのだ。」 (マルク・ブロック『奇妙な敗北』) ヨーロッパ中世史の碩学にして、アナール学派の総帥としてヨーロッパ中に高名を馳せたマルク・ブロックは、二度の大戦をフランス軍将兵として戦った。そして、自らの経験をもとに、その敗因を、歴史家的分析によって容赦なく暴き出した。それを記したのが『奇妙な敗北』である。そこには軍隊組織のみならず、フランスの社会と文化にまでわたって根を張った脆弱性や敗北の背景が、徹底的に掘り下げられている。愛国者なればこそ、その欠陥を見過ごせなかったのである。 その後、ヴィシー政権が易々とヒトラーの軍門に下り、祖国の自由を敵に売りわたしたのに抗して、ブロックはあえてナチズムとヴィシー政権と闘
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