自分は思い返すと、扱いづらいイヤな子供だったと思う。気に食わないことがあると泣き叫んで、1時間も2時間もへそを曲げたまま家族とまともに話をしないような子供だった。自分が子育てをする側に回り、自分の子供だけでなく他の子供も保育園繋がりで目にすることもあるので今ならわかる。子供には、いい子供とイヤな子供がいて、自分はイヤな子供だった。そういう扱いづらくてイヤな子供に対して、大人たちが目配せしながら、あの子はちょっとなどと言われるような、そういう子供だったと思う。
自分のそういう扱いづらい性分は今も精神性の中心に残っている。性格というのは複雑なもので、自分の場合、そういうイヤなところに関連して、道徳心の強さや他人への共感の強さというプラスの面もおそらくあるので、友人や家族は、私に対して呆れながらも付き合ってくれている。妻は、だいぶ私に対して信頼をなくしているようではあるが。
また、キャリア的にはある程度上手くいっており、会社ではちやほやされたりもするので、書いていて誠に最低だと思うが、キャリア面で満たされた自尊心による精神的な余裕で、それなりに社交的に振る舞うこともできている。
自分が恐れているのは、自身の中核にあるイヤなものが年を取るにつれてコントロールできずに表に出てくるのではということである。キャリアが後半になれば会社でも今のようには上手くいかなくなるだろう。親の介護や自身の健康などでのマイナス面が多く出てくると思う。そうした時に、自分が今のような、外面のよい一見まともな人間ではなく、頑固で問題ばかり引き起こす、嫌われ者の高齢者になってしまうのではと危惧している。
😎「つまらん意地を張らずに、いつでも泣ける練習をしておくことだな」
なるよ。 俺も表面取り繕って楽しげにやってる時期と地の部分が出て人間関係切ってく時期と交互に繰り返してるよ。
今は老化現象を抑える方法が色々研究されてるし大丈夫っしょ
ワイもそれ危惧してるけど嫌われ者の高齢者でいることを受け入れるしかない気がするンゴ