最近思ったんだけれども、私って一作品に対して冷めるスピードが早い気がする。はてブでホッテントリに入った漫画だけ読んでいる人を基準にするなら、私は恐らくその倍くらいのスピードで冷めやすい。
読んだものの数が多い上に、それらの感想を文章化するために多少の分析が必要だから、パターンやカテゴリに気づきやすいんだろうね。それに気づいたとき「これぞこの漫画の醍醐味」と思うか、「作家の持ち札が全部見えたな」と思うか。私の場合、よほどハマった作品じゃない限り後者になりやすい。時代劇的な面白さを求めてない作品で、パターン化が見えるとウンザリしてしまう。
例えば『王様ランキング』とか、感想もツイッターとかで毎話たくさん書いてたんだけれども、最近は明らかに文量が減ってしまった。キャラクターたちが無言で喜怒哀楽を表現するだけのコマを頻繁に挟むんだよ、あの作品。それを「コマ稼ぎして展開を遅らせてる」って思ったとき、ああ私この作品に冷めてきてるんだなって実感した。
あと厳密にはWEBコミックじゃないけれども『チェンソーマン』とかも。初期は作家の持ち味いい感じに出てるなあと思っていたけれども、最近はちょっと限界が見えてきたなっていうか『ファイアパンチ』の頃の悪癖が出てきた感じ。行き当たりばったりで、こけおどし的な展開の乱用。私の場合『ファイアパンチ』の頃の蓄積もあるから、より慣れるのが早かったってのもある。
同誌の作品だと現在ぼく勉は先生ルートやってるけれども、他のヒロインでやってた展開をまたやってて、ツケがもろに出てるじゃんと思った。特に新規サブキャラの舞台装置っぷりと、後だしジャンケン的ファクター。これまでの話に出てきたキャラクターの関係性の蓄積を無視してる。まあマルチルート展開前から、繊細なところはすごく繊細だけれども雑なところは割かし雑な作品ではあった。強引な引き伸ばし企画のせいで、それが顕著に感じただけで。
ただ、まあこれらの理由は「なぜ冷めたかをあえて言語化するなら」以上の意味を持たないんだけれどね。個人の感想なんて所詮そんなもん。私が挙げた理由だって読者次第では気にならないか、むしろ好意的に読み取ることも可能だろうし。或いは私が気づいていない、評価していない部分から魅力を感じとったり。そういう可能性を広げ、間接的に分かち合えるという点で、SNSで漫画の感想が飛び交う現代は摩擦のリスクを加味しても意義はあると改めて思う。
WEBコミック感想増田は何者なのだ