今年大学受験の高校三年生は2000年生まれの揃い踏みだ。私たちは2001年生まれを2000年逃しちゃったベイビーズなんて適当に呼んで生きている。
森絵都のつきのふねで2000年が来ないと信じていた世界があったことを知った。わたしは思う。たしかに世界は一度死んだのかもしれない。自分が生まれた世界の以前の証明を、何人たりともわたしにすることはできないのだから。
そんなことばっかり考えてたクソガキも、絵ばっかり描いて小さいころから本の虫で、時にアングラな世界に揉まれながら、適当に生きて、今や人生の岐路に立っている。
わたしという個人は美術予備校の先生には金属の勉強をしたいといい、学校の先生には工芸作家になるといい、母親には漫画家になるといい、友人にはアニメーターになるという。何者なのかわからない。自分でも驚くほど、息を吸うように嘘をついてしまう。否、嘘でないのだろう。すべてが本当なのだ。体は美術大学の受験に備え、脳は小説や映画に溺れ、妄想は漫画家として輝く自分だ。
高校進学のために勉学に励んでいた自分が懐かしい。進学校に合格したまではよかったが、自分より賢い友人たちに揉まれ、甘えることを覚え、わたしの視野は不必要なほどに広くなり、遠くのことばかり考えている。
眼前の大学受験がたまらなく不安だ。わたしは何者になるのだろう。夢を現実にしなければならない歳になり、つくづく思い悩むのだ。夢は夢のままがいいものか、現実にすべく努力すべきか。