2013-08-20

擬似科学のとても簡単な見分け方

ネット界隈では盛り上がるネタの一つである擬似科学」。

アヤシゲな話に騙されない為にも、何が擬似科学で何がそうじゃないかを見分ける能力を身につけるのは

重要な事だと思うのだが、擬似科学を扱ったサイトを見てみても、そういった事を書いたのは少ないし、

あったとしても「科学リテラシをつける」みたいな感じの「そんなのできたら苦労しないよ」ってなのが多い。


そこで私がいつも使ってる、とても簡単な擬似科学判別方法を紹介する。

といってもかなり荒っぽいものから、後述するようにうまく当てはまらない場合もあるけど、

擬似科学を疑う最初ステップとしては非常によい方法だと自負している。


その方法は、「これまでの研究をくつがえした」と言ったら、とりあえず眉に唾をつけるというものだ。



で、なぜこの方法がうまくいくか。それはそもそも科学がどういうものかを考えてみればわかる。

科学、とくに物理学の素晴らしさは、物理学のいろんな分野が膨大な現象を説明し、数百年もの間に膨大な工業製品に応用されているにも関わらず、

それらが全て整合性が取れ、矛盾していないところにある。


定説となった科学理論はどれも、世界中で行われた膨大な数の実験と、膨大な整合性確認という強烈な淘汰で勝ち抜いたものだ。

からこそこうした驚嘆すべき整合性があり、その整合性こそが科学根本価値の一つである


であるのだから、「これまでの研究をくつがえす」などという事は基本的に起こらない。

だって過去理論がくつがえったのだとしたら、それってそれを実証した膨大な実験が全て実験ミスだったって事でしょ?

そんな事ありえるはずがないのだ。



…こんな事を書くと、「相対性理論はそれまでの理論をくつがえしたじゃん」って指摘が入りそうだけど、これは認識が間違っている。

相対性理論はそれまでの理論をくつがえしてなどいない。

(本論とは関係ないので興味の無い人は「話を戻そう」の行まで飛ばしてください。)


これはちょっと説明を要する。まず相対性理論以前の理論ってのは、物体が「常識的なスピード」で動いているケースを扱ったものだ。

ここで「常識的」ってのがどの程度なのかは略すが、時速1000キロくらいでも何ら問題ない。


それに対し、相対性理論ってのはさらにずっと速く秒速30万キロ(=光の速度)程度のものを扱った理論だ。

ってなわけで相対性理論はそれまでの理論適応範囲が違うので、決して前者が後者を「くつがえした」わけではないし、

過去実験も全て物体が常識的なスピードで動いているケースのものなので、尋常でない速度を扱った相対性理論とは矛盾しない。

相対性理論が示したのは、それまでの理論適応できる範囲には近似の点から見て限界があるという事。)


しろ相対性理論が作られた時求められたのは、それまでの理論過去実験結果との整合性だ。

前にも言ったように、整合性が取れてなければ、過去の成果が全て実験ミスだったという無茶な結論になるからだ。

から科学整合性は相変わらずくつがえらない。




…話を戻そう。

ってなわけで、科学理論は基本的にはくつがえされないし、「これまでの理論をくつがえした」と称するものは大抵単なる大嘘だ。

から前述の方法は大抵の場合擬似科学のよい判断基準となる。


しかしこの判断基準も絶対ではなく、うまく擬似科学を判別できないケースもある。

最後にそれを指摘して本稿を終わろうと思う。


まず理論最先端過ぎて、定説が固まってないケース。

この場合はまだ科学の側が準備不足なので、「これまでの理論がくつがえる」事もありうる。

しかしこうしたケースではそもそも正しい理論がなんなのか誰も知らない状態なのだから

いずれにせよ眉に唾つけてかからねばならない事には変わりが無い。


もう一つのケースは何らかの理由で実験しづらかったりデータがとりづらかったりする分野の理論場合

(例えば医学では倫理的理由で実験ができない場合があるし、深海の奥底のように人類が到達できなくてデータが取れない場合。)

前述のように科学の信頼性は実験とそれを支えるデータにより担保されているので、

こうしたケースで完璧な信頼性を保証するのは難しく、「これまでの理論がくつがえる」事もありうる。


しかしこうしたケースであっても前述の擬似科学判定法はある程度よい基準になる。

なぜなら、科学進歩普通の人が考えるよりもずっと遅く、10年かかってやっと一歩進むか進まないか

というようなレベルからだ。


残念ながらテレビを見ていると自称科学者達が「これまでの理論がくつがした」と称して

怪しげな自説を言っているのを頻繁に見かけるが、

科学進歩が数十年単位である事を考えれば、こうした自説の大半は間違いなのだ


から「これまでの理論がくつがした」ものはいずれにせよ眉に唾をつけ、

色んなメディアで色んな学者から同じ説を複数回聞いて

はじめて新説をちょっと真面目に調べてみる、というくらいの距離の取りかたでも十分では無いかと思うのだ。



追記:

いうまでもない事だが、本稿がいいたいのは、「「これまでの理論がくつがした」といったら大抵は擬似科学」というものであり、

「「これまでの理論がくつがした」と言わなかったもの擬似科学ではない」というものではないので、その点は注意。


さらなる追記:

本稿はあくまで「科学にあまり詳しくない人が努力せずに疑似科学を見分ける」という視点で書かれているので

論を簡単にする為細かいところで色々とごまかしたのだが、その辺を的確に指摘してくれた方(http://anond.hatelabo.jp/20130821065224)がいるので

興味のある方はそちらも参照ください。また同じ方の指摘により、誤解されそうな部分を微修正した。指摘してくれた方、感謝

記事への反応 -
  • 物理の世界でもいくらでも理論は覆っています。 コペルニクスが唱えた地動説は天動説を根本的に覆しています。 天動説そのものは、それまでの観測に沿ったものでした。 さらに正確...

    • 学者というのであれば、メディア等に登場する 様なよくわからない学者は殆ど駄目でしょう。 横だが、この、メディアに露出する者は基本的に二流以下という認識が、もっと一般的に...

  • 「この方法はこれまでの疑似科学の簡単な見分け方をくつがえした」

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