4月3日パリ2区役所で避難家族の講演会を行いました。
2019/04/28 Sun. 07:38 [edit]
避難家族とスタッフは18時から会場入りし、演壇は原告団等の垂れ幕と「ダキシメルオモイ」の絵で綺麗に飾られました。
よそものが用意したお弁当で家族の皆さんは腹ごしらえもし、準備万端整いました。
19時半開始までに参加者は後を絶たず、区役所が用意した50席の椅子では足りなくなり急遽区役所の職員が廊下にあった長椅子を会場内へ入れる事を提案し、皆で運び入れました。参加者は約70人、約半数が日本人で盛況でした。
区長代理のアニーさんとレゾーからの挨拶の後、ひなん生活を守る会事務局、福島原発被害東京訴訟原告、原発被害者訴訟原告団全国連東京事務局の鴨下美和さんの話から講演は始まりました。
原発から40㎞のいわき市から当時8歳と3歳だった息子さん2人と東京へ避難した事、いわき市に避難指示は出なかったが、チェルノブイリ事故の知識があったから避難をする事を決めた事、数回の引っ越しの後東京都が避難者に提供した住居に落ち着いた事、その住居の無償補償も2017年3月末で切られた事等を説明しました。
現在も避難者住居に住み続けているが、メール、電話等で立ち退き勧告が随時来ている人もいると話しました。
イナルコでの講演同様、米軍のヘリコプターで行われた放射性物質モニタリングの結果から作成された4月2日から4日の地図を紹介しました。
いわき市等人口の多い町はモニタリングから外されています。
自主避難するのは神経質で頭のおかしい親と言われることも多く、国に捨てられたと感じてはいるが、一方国や東電相手に全国で30件程の集団訴訟が提起されており、原告数は約1万3千人、東電に対しては全ての訴訟で賠償が命じられ、国に対しても(8件のうち)6件で勝訴していると強調しました。
高校一年生の鴨下全生さんは法王へ宛てた手紙の中で、東京の小学校へ転校した後、図工の時間に作った工作品に悪口を書かれたり、菌扱いされたりした事、「出来る事なら死んでしまいたい」と思うようになったと過去を振り返りました。
その後遠くの中学校に進学し、自分が避難者だということを隠した結果、いじめは全く起きず、友達達と過ごす中学校生活は幸せそのものだったが、2,3年経って自分の事を友人に話せない事がつらくて心が砕けそうになったと話し続けました。「こんな歪んだ世界から、どうか、僕たちを助けてください。」とローマ法王へ訴える手紙を書き、3月に法王に謁見した事を写真と共に報告しました。
法王への手紙を書く経過で本名に戻る事を決心し、法王宛ての手紙には本名で署名したと語った際には参加者から暖かい拍手が起きました。
森松明希子さんは東日本大震災避難者の会Thanks & Dream(サンドリ)代表原発賠償関西訴訟原告団代表ですが、福島第一から60kmの郡山市に住んでいた時、原発は安全だと思っていたと語り始めました。
原発事故の後、水道水を飲み、生まれて数か月だった娘さんに母乳を与えていた事、その水が汚染されている事を知った時3歳と0歳の子供を連れて600km離れた大阪への避難を決めたと話しました。
父親は仕事の為郡山市にとどまっているが、子供達は一人では逃げる事はできない、放射線被曝から免れ健康を享受する為の避難生活は基本的人権であると強調しました。
又、8歳の長女明愛さんは、郡山市に留まっていて仕事をしている医者の父親とは一緒に生活できないと話しました。
尚、国連の人権理事会は2017年11月、日本の人権状況217項目の勧告の中で、福島事故に関しては、自主避難者への住宅などの支援、許容放射線量を年間1ミリシーベルトに戻す事、子どもへの定期的な健康調査の継続、帰還決定プロセスへの住民参画などの実現を政府に求めました。
森松さんは2018年3月ジュネーブの国連人権理事会本会議にてスピーチし、避難の現状を証言し、日本政府は国連の勧告を受け入れるようにと訴えた事も報告しました。
質疑応答では、福島の復興に関して質問があり、以前の人間関係が既に存在しない事を考えると、復興とは幻想を与える言葉であり、2020年に開催予定であるオリンピックでは、福島での競技も予定されており、それまでに避難者をゼロにしようと政府が意図しているとの返答がありました。
福島県のみにおいて年間の年間積算線量限度が20ミリシーベルトである事についても言及しました。
自主避難という名称はメディアによって付けられたと鴨下さんは強調し森松さんは経済的な理由等で避難できない人たちがいる事は理解しているが、避難家族が証言する事によって、被害者の声が出てくるよう期待したい、現に8歳の娘も今日発言したと返答しました。
子供の甲状腺がんの現状に付いての質問もありました。
普通100万人に1人か2人に発症する病気だが、福島県で事故当時18歳以下の38万人を対象に検査をした結果、既に200人以上が発病し手術等治療も受けている事が報告され、それでも放射線の影響とは考えにくいと政府も福島県も言い続けていると返答しました。
講演後、参加者からはとてもいい講演会だったとの感想が多く寄せられました。
避難家族は翌日のフライトで帰国し、子供達は元気に新学期を迎えたそうです。
長期間に渡るイヴェントの準備、実行、通訳をした会員の皆さん、本当にお疲れさまでした
category: アクション
4月2日パリ2区役所で記者会見を行いました。
2019/04/28 Sun. 07:08 [edit]
ナンテールでの講演会の翌日、避難家族はベルギーで講演し、1日夜にパリに戻ってきました。鴨下祐也さんは既に帰国し、母親2人と子供達4人で記者会見に臨みました。
ロストバゲージになっていた荷物をベルギーで受け取る事が出来て、その中に入っていた画家の小林憲明さんが描いた「ダキシメルオモイ」の絵を他の垂れ幕と一緒に飾りました。鴨下さん、森松さん母子達がモデルになっている絵です。
日本人も含めた10数人の記者が参加しました。レゾーのシャルロットさんから今回のイヴェントに付いて説明があり、鴨下美和さん、鴨下全生さん、森松明希子さんが発言しました。個人的なインタヴューも受け、4月3日付けのルモンド誌には「鴨下全生、16歳、福島の子供達のスポークスマン」と題する下記の記事が載りました。
明日はいよいよパリ最後、2区役所での講演会です。
category: アクション
アスカ主催の「福島から避難した母親達の講演・討論会」に参加しました。
2019/04/28 Sun. 06:59 [edit]
ナンテール市にあるNPO、アスカでは3月28日から4月9日まで「福よせ雛」というイヴェントが行われましたが、その一環として3月30日(土)「福島から避難した母親達の講演・討論会」が企画され、よそものも参加しました。
前日のイナルコでの講演会より時間的に余裕があり、翌3月31日に家族より一足早く帰国された鴨下祐也さんの講演内容を下記にご報告します。
母親二人と講演内容は4月3日のパリ2区役所での講演会のブログでご紹介します。
福島原発被害東京訴訟原告団長であり、「ひなん生活をまもる会」代表の鴨下祐也さんは、2018年に復興庁が出版したパンフレット「放射線のホント」について説明しました。
セシウム134と137の「食品中の放射性物質に関する基準」表(下記参照)では、日本の食品基準値は「平常」時の値ですが、EU、米国、コーデックスの基準値は「緊急時」の値を使用しており、「世界で最も厳しいいレベルの基準」であるというのは間違った記載であると指摘しました。
実際には、飲料水の場合、平時の基準値はEUは8,7ベクレル、アメリカでは4,2ベクレル、コーデックスでは基準なしとなっています。
復興庁は間違えは認めたものの未だに訂正はしておらず、同パンフレットの廃刊を求めるているとの事でした。
前日同様署名も続け、集まった署名は鴨下さんにお渡ししました。
子供の甲状腺がんに付いて質問があり、政府は調べない、知らせない、助けないという政策を取っていると証言しました。
category: アクション
3月29日(金)イナルコにて避難家族の講演会を行いました。
2019/04/09 Tue. 19:56 [edit]
category: アクション
| h o m e |