1945年7月
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7月1-2日 熊本大空襲午後11時以降の深夜から空襲、B29 154機(米軍資料):60機(日本軍部発表)市街地の約20%を焼失。死者数469人、負傷者数552人、罹災家屋総数11,000戸、罹災者数43,000人。 7月1日-2日 呉市空襲 B29・150機。死者3,700人。 7月2日 下関空襲 B29・143機。死者324人。罹災人口38,700人。罹災家屋8,600戸。6月29日に続く2度目の空襲。 7月3日 姫路大空襲 深夜から4日未明にかけ、B29・106機。死者173人、重軽傷者160人余、罹災者45,182人、全焼家屋約1万300戸。姫路城は焼失を免れる。 7月4日 高松空襲 B29・116機。死者1359人、罹災人口86,400人、罹災家屋18,913戸。高松市の約80%が焦土と化した。 7月4日 徳島大空襲 B29・129機 死者約1,000人、けが人は約2,000人、被災者約70,000人。徳島市(当時)の62%が焦土と化した。 7月4日 高知大空襲 B29・125機 死者401人、重傷95人、軽傷194人、不明22人、罹災人口40,737人。罹災面積4,186,446平方m、全焼壊11,804戸、半焼壊108戸。 7月6日 千葉空襲 B29・124機。死傷者1,679人。 7月6日 甲府空襲 B29・131機。死者1,027人。全焼17,920戸。 7月7日 清水大空襲(現在の静岡市清水区) 7月7日 明石空襲 6回目 B29・124機。油脂焼夷弾・約70,000発(975トン)。死者355人。市街地の63%が焼失。 7月9日 和歌山大空襲 B29・約100機。死者約1200人。 7月9日 堺空襲 B29・約100機。死者1860人。焼失18,000戸。 7月9日 岐阜空襲 B29・約130機。死者約900人。 7月10日 仙台空襲 B29・124機。死者828人。負傷者385人。焼失家屋23,956戸。詳細は項目記事を参照。 7月12日 宇都宮大空襲 B29・133機、焼夷弾12,704発。死者628人、負傷者約1,150人。焼失家屋9,490戸。鹿沼空襲 死者9人。 7月12日 敦賀空襲 死者109人。負傷者201人。日本海側初の空襲 7月13日 1回目の一宮空襲。午後8時頃、B29約20機の編隊が、愛知県一宮市内北部の葉栗・西成両地区と今伊勢町に油脂焼夷弾を投下、20数名の死者。 7月14日 釜石艦砲射撃。一回目。少なくとも死者515人。 7月14-15日 北海道空襲 米機動部隊艦載機約2,000機による空襲。被害は北海道全土と青森県に及んだ。青函連絡船全12隻も被害に遭い、青函航路が途絶した。 7月15日 室蘭艦砲射撃。死者436人。室蘭は前日にも空襲を受けたばかりだった。 7月16-17日 大分空襲 16日夜半頃B29編隊(約30数機)が襲来、市の中心部を約6,000発の焼夷弾爆撃。2,358戸が焼失。大分はこの他にも4月21日、5月5日、8月10日など本土空襲での米軍の通り道であったため度々空襲を受けた。一連の空襲での死傷者は1,193人。 7月16日 平塚大空襲 B29・136機 焼夷弾10,961発、死者343名海軍火薬廠、日本国際航空工業、第二海軍航空廠平塚分工場、横須賀海軍工廠造機部平塚分工場がターゲットであったとされ、人的被害は比較的少ないが大規模な爆撃。当時の市域における面積の約8割、戸数の約6割を焼失。 7月17日 沼津大空襲 B29・130機 焼夷弾9,000発。死者274人。沼津海軍工廠・海軍技術研究所音響研究部が置かれた同市はこの他にも7回の空襲を経験。 7月17日 桑名空襲桑名は7月24日にも空襲を受けた。 7月17日 日立艦砲射撃(日立市・ひたちなか市)。死者394人。アメリカの戦艦5隻、軽巡洋艦2隻、駆逐艦9隻とイギリスの戦艦3隻によるもの。 7月18日 野島崎(千葉県白浜)艦砲射撃。死者6人。巡洋艦4隻、駆逐艦9隻によるもの。 7月19日 福井空襲 B29・120機。死者1,576人。 7月19日 日立空襲 B29・127機、死傷者2,199人。 7月19日 銚子空襲 B29・91機。死傷者1,181人。 7月19-20日 岡崎空襲 B29・126機。死者203人。 7月23日 犬山空襲 7月24日 半田空襲 B29・78機。死者269人。中島飛行機半田製作所を標的とした攻撃。 7月24日、28日 津大空襲 死者1,239人。旧市街の全域、及び、橋北地区の工場地帯が焼失。 7月24日、28日 呉軍港空襲 米艦載機950機、B29・110機 航空母艦3 巡洋艦5が大破沈没 死者780人。 7月25日 保戸島空襲(大分県津久見市)米軍のF6F艦上戦闘機が投下した3発のうちの1発が授業中だった保戸島国民学校(現・津久見市立保戸島小学校)を直撃し、児童125人、教師2人が即死し、70数人の児童が重軽傷を負った。 7月25日 串本艦砲射撃。潮岬も含め、周辺は何度となく艦砲射撃を受けている。 7月26日 松山大空襲 B29・128機による午後11時から2時間10分に及ぶ夜間空襲。死者・行方不明259人、負傷者把握不可の大惨事となった。全戸数の55%である14,300戸を焼失。全人口の53%の62,200人が罹災し、市のシンボルである松山城へも焼夷弾攻撃を受けたが、大天守は焼失を免れる。米軍機の損失はなかった(「アメリカ軍松山爆撃報告書」による)。なお、松山地方裁判所検事正からの7月30日付の報告書には、死者301名、重軽傷者520名、行方不明12名、罹災民約82,000名と記されている。 7月26日 平空襲 7月26日 徳山空襲 B29・約100機。死者482人、負傷者469人。市街地の90%を焼失。5月10日の空襲と合わせて旧徳山市街地は壊滅した。 7月27日 2度目の鹿児島空襲。昼12時45分頃、3梯団からなるB29の爆撃を受けた。 7月28日 青森大空襲 B29・61機。死傷者1767人。焼失家屋18,045戸(市街地の88%)。新型のM74六角焼夷弾が使用され、東北地方では最大の被害を出した。 7月28日-29日 2回目の一宮空襲。午後10時頃、B29約260機が愛知県一宮市上空に侵入し、油脂焼夷弾の波状攻撃を行った。2回に及ぶ空襲で市街地面積の80%が灰燼に帰し、罹災戸数は全市戸数の83%にあたる10,468戸、罹災者は全市人口の71%にあたる41,027名、内死者727名、負傷者4,187名に達した。 7月28日-29日 宇治山田空襲。市街地面積の5割に相当する27,751.35m2、全戸数の3割に相当する4,517戸を焼失、総人口の35%に相当する22,600人が罹災(死者75人、負傷者111人)。伊勢神宮の正殿は内宮・外宮とも無事であった。 7月29日 浜松艦砲射撃。死者177人。周辺の被害も含む。 7月29日 大垣空襲。死者50人、負傷者約100人、全半壊家屋約4,900戸、罹災者約30,000人。大垣城、開闡寺などが焼失。 7月29日 津市の国宝建造物である観音寺本堂、大宝院本堂(阿弥陀堂)、西来寺奥殿が戦災で焼失。 7月31日 清水艦砲射撃。死者44人。7隻の駆逐艦によるもの。
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