1945年7月とは? わかりやすく解説

1945年7月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 15:27 UTC 版)

日本本土空襲」の記事における「1945年7月」の解説

7月1-2日 熊本大空襲午後11以降深夜から空襲B29 154機(米軍資料):60機(日本軍発表市街地の約20%焼失死者数469人、負傷者数552人、罹災家屋総数11,000戸、罹災者43,000人。 7月1日-2日 呉市空襲 B29150機。死者3,700人。 7月2日 下関空襲 B29143機。死者324人。罹災人口38,700人。罹災家屋8,600戸。6月29日に続く2度目空襲7月3日 姫路大空襲 深夜から4日未明にかけ、B29106機。死者173人、重軽傷者160人余、罹災者45,182人、全焼家屋1万300戸。姫路城焼失免れる7月4日 高松空襲 B29116機。死者1359人、罹災人口86,400人、罹災家屋18,913戸。高松市の約80%が焦土化した7月4日 徳島大空襲 B29129死者約1,000人、けが人は約2,000人、被災者70,000人。徳島市当時)の62%が焦土化した7月4日 高知大空襲 B29125死者401人、重傷95人、軽傷194人、不明22人、罹災人口40,737人。罹災面積4,186,446平方m、全焼11,804戸、半焼108戸。 7月6日 千葉空襲 B29124機。死傷者1,679人。 7月6日 甲府空襲 B29131機。死者1,027人。全焼17,920戸。 7月7日 清水大空襲現在の静岡市清水区7月7日 明石空襲 6回目 B29124機。油脂焼夷弾・約70,000発(975トン)。死者355人。市街地63%が焼失7月9日 和歌山大空襲 B29・約100機。死者1200人。 7月9日 堺空襲 B29・約100機。死者1860人。焼失18,000戸。 7月9日 岐阜空襲 B29・約130機。死者900人。 7月10日 仙台空襲 B29124機。死者828人。負傷者385人。焼失家屋23,956戸。詳細は項目記事参照7月12日 宇都宮大空襲 B29133機、焼夷弾12,704発。死者628人、負傷者約1,150人。焼失家屋9,490戸。鹿沼空襲 死者9人。 7月12日 敦賀空襲 死者109人。負傷者201人。日本海側初の空襲 7月13日 1回目一宮空襲午後8時頃、B2920機の編隊が、愛知県一宮市北部西成地区今伊勢町油脂焼夷弾投下20数名死者7月14日 釜石艦砲射撃一回目。少なくとも死者515人。 7月14-15日 北海道空襲機動部隊艦載機約2,000機による空襲被害北海道全土青森県及んだ青函連絡船12隻も被害遭い青函航路途絶した7月15日 室蘭艦砲射撃死者436人。室蘭前日にも空襲受けたばかりだった。 7月16-17日 大空襲 16日夜半頃B29編隊(約30数機)が襲来市の中心部を約6,000発の焼夷弾爆撃。2,358戸が焼失。大分はこの他にも4月21日5月5日8月10日など本土空襲での米軍通り道であったため度々空襲受けた一連の空襲での死傷者は1,193人。 7月16日 平塚大空襲 B29136焼夷弾10,961発、死者343海軍火薬廠日本国際航空工業第二海軍航空廠平塚分工場横須賀海軍工廠造機平塚分工場ターゲットであったとされ、人的被害比較少ないが大規模な爆撃当時市域における面積の約8割、戸数の約6割を焼失7月17日 沼津大空襲 B29130焼夷弾9,000発。死者274人。沼津海軍工廠海軍技術研究所音響研究部置かれた同市はこの他にも7回の空襲経験7月17日 桑名空襲桑名7月24日にも空襲受けた7月17日 日立艦砲射撃日立市ひたちなか市)。死者394人。アメリカ戦艦5隻、軽巡洋艦2隻、駆逐艦9隻とイギリス戦艦3隻によるもの7月18日 野島崎千葉県白浜艦砲射撃死者6人。巡洋艦4隻、駆逐艦9隻によるもの7月19日 福井空襲 B29120機。死者1,576人。 7月19日 日立空襲 B29127機、死傷者2,199人。 7月19日 銚子空襲 B2991機。死傷者1,181人。 7月19-20日 岡空襲 B29126機。死者203人。 7月23日 犬山空襲 7月24日 半田空襲 B2978機。死者269人。中島飛行機半田製作所標的とした攻撃7月24日28日 津大空襲 死者1,239人。旧市街全域、及び、橋北地区工場地帯焼失7月24日28日 呉軍港空襲艦載機950機、B29・110機 航空母艦3 巡洋艦5が大破沈没 死者780人。 7月25日 保戸島空襲大分県津久見市米軍F6F艦上戦闘機投下した3発のうちの1発が授業中だった保戸島国民学校(現・津久見市立保戸島小学校)を直撃し児童125人、教師2人即死し70数人児童重軽傷負った7月25日 串本艦砲射撃潮岬含め周辺何度となく艦砲射撃受けている。 7月26日 松山大空襲 B29128機による午後11時から2時間10分に及ぶ夜間空襲死者行方不明259人、負傷者把握不可大惨事となった全戸数の55%である14,300戸を焼失全人口の53%の62,200人が罹災し市のシンボルである松山城へも焼夷弾攻撃受けたが、大天守は焼失免れる米軍機損失はなかった(「アメリカ軍松山爆撃報告書」による)。なお、松山地方裁判所検事正からの7月30日付の報告書には、死者301名、重軽傷520名、行方不明12名、罹災民約82,000名と記されている。 7月26日 平空襲 7月26日 徳山空襲 B29・約100機。死者482人、負傷者469人。市街地90%を焼失5月10日空襲合わせて旧徳山市街地は壊滅した7月27日 2度目鹿児島空襲。昼12時45分頃、3梯団からなるB29爆撃受けた7月28日 青森大空襲 B2961機。死傷者1767人。焼失家屋18,045戸(市街地88%)。新型のM74六角焼夷弾使用され東北地方では最大被害出した7月28日-29日 2回目一宮空襲午後10時頃、B29260機が愛知県一宮市上空侵入し油脂焼夷弾波状攻撃行った。2回に及ぶ空襲市街地面積80%が灰燼に帰し罹災戸数全市戸数83%にあたる10,468戸、罹災者全市人口71%にあたる41,027名、内死者727名、負傷者4,187名に達した7月28日-29日 宇治山田空襲市街地面積の5割に相当する27,751.35m2、全戸数の3割に相当する4,517戸を焼失総人口35%に相当する22,600人が罹災死者75人、負傷者111人)。伊勢神宮正殿内宮・外宮とも無事であった7月29日 浜松艦砲射撃死者177人。周辺被害も含む。 7月29日 大垣空襲死者50人、負傷者100人、全半壊家屋約4,900戸、罹災者30,000人。大垣城開闡寺などが焼失7月29日 津市国宝建造物である観音寺本堂大宝院本堂阿弥陀堂)、西来寺奥殿が戦災焼失7月31日 清水艦砲射撃死者44人。7隻の駆逐艦よるもの

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