1850年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/02 08:45 UTC 版)
千年紀: | 2千年紀 |
---|---|
世紀: | 18世紀 - 19世紀 - 20世紀 |
十年紀: | 1820年代 1830年代 1840年代 - 1850年代 - 1860年代 1870年代 1880年代 |
年: | 1850年 1851年 1852年 1853年 1854年 1855年 1856年 1857年 1858年 1859年 |
1850年代(せんはっぴゃくごじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1850年から1859年までの10年間を指す十年紀。
できごと
1850年
1851年
- 1月11日(道光30年12月10日) - 清の洪秀全が太平天国の乱を起こす。
- 5月1日 - 世界初の万国博覧会であるロンドン万国博覧会がロンドンのハイドパークで開幕。
- 12月2日 - ルイ=ナポレオン・ボナパルト、パリでクーデターを起こし、権力を強化。
1852年
- 5月8日 - ロンドン議定書締結。第一次デンマーク戦争終結。
- 12月2日 - ルイ=ナポレオン・ボナパルト、国民投票により皇帝に即位しナポレオン3世となる(フランス第二帝政)。
- モンテネグロがオスマン帝国から事実上独立し、モンテネグロ公国成立。
1853年
1854年
- 3月28日 - クリミア戦争勃発(-1856年3月30日)、パリ条約で終結。
- 3月31日(嘉永7年3月3日) - 日米和親条約。
- 4月24日(嘉永7年3月27日) - 吉田松陰が下田で黒船へ密航しようとしたが失敗、翌日幕吏に捕えられる。
- 12月23日(嘉永7年11月4日) - 安政東海地震。ディアナ号が津波で遭難。
- 12月24日(嘉永7年11月5日) - 安政南海地震。稲むらの火のモデル。
1855年
1856年
1857年
1858年
- 6月13日〜6月27日 - 天津条約。
- 7月29日(安政5年6月19日) - 日米修好通商条約調印。
- 8月18日(安政5年7月10日) - 日蘭修好通商条約調印。
- 8月19日(安政5年7月11日) - 日露修好通商条約調印。
- 8月26日(安政5年7月18日) - 日英修好通商条約調印。
- 10月9日(安政5年9月3日) - 日仏修好通商条約調印。
- 10月13日(安政5年9月7日) - 安政の大獄による捕縛開始。
1859年
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
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1850年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 13:59 UTC 版)
シベリア鉄道の計画は1850年から始まり、その初期段階は1860年代まで続く。 ニコライ・ムラヴィヨフ=アムールスキーは、1850年に黒竜江(アムール川)河口を占拠。その後、遠征の功を挙げると、韃靼海峡のカストリ湾とアムール江岬のソフィウィスクとを連結する馬車道を建設しようとした。しかし、これは果たせずに終わった。また、同時にイギリス人技師ダンはニジニ・ノヴゴロドよりカザン及びペルムを経て、太平洋岸の一港に達する馬車道建設を発議したが、政府は耳を傾けなかった。同年、アメリカ人コリンズはアムール鉄道株式会社を設立し、イルクーツク - チタ間に鉄道を敷設する請願を出したが、精密な調査の後に廃棄された。 その他計画、請願は多数に登ったものの、いずれも実行に移されることはなかった。しかし、その中で優れたものとしては、1862年のココレフ会社が計画したボルガ川・オビ川間の線路――ペルムよりニジニ・タギルを経てチュメニに達するものがあった。
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