重油動車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 18:48 UTC 版)
ジハ1形1,2 1931年大連工場製の3等重油動車。2両製造された。ズルツァー (Sulzer) 製250馬力重油機関を搭載し、動力伝達方式は電気式。 木造車体の約4割を機関室が占める。定員夏65人冬59人 自重49.23t。 ハフ2形1,2 (第3期ハト1形1,2) ジハ1形に牽引される3等附随車。1931年満鉄沙河口工場製で2両製造された。木造車体。定員夏104人冬92人 自重24.2t。 ジテ1形1 - 6 重油手荷物動車。1935年に日本車輌で6両が製造された。動力伝達方式は電気式で500馬力重油機関に直結された290kWの主発電機と20kWの補助発電機を備える。片運転台の車体の前半分は機関室と暖房ボイラーで占められる。 後述のロハフ1形+ハフ1形+ハフセ1形と連結することで流線型列車となる。ジテ1とハフセ1の先頭台車にそれぞれ150馬力電動機2台を装架することで駆動し、運転もジテ1・ハフセ1のどちら側からでも可能。4両がズルツァー(Sulzer)製の6VL25型予燃焼室式エンジン、2両が新潟鐵工所のK6D型直噴式エンジンを搭載した。手荷物4t 自重40t。 製造時よりハフセ1形を外し2編成を連結したジテ1+ロハフ1形+ハフ1形+ハフ1形+ロハフ1形+ジテ1という強力編成も企図されていた。実際にこの編成による高速試験や団体運用も行われたが、この場合はハフセ1の動台車をジテ1の従台車と交換し、ハフ1形同士の連接部心皿も交換する必要がある。 編成の通称としても「ジテ」が多用されたため、戦後中国において撫順炭鉱鉱務局が運行する旧型流線型電車をジテであるとする記述が多数見られる。しかし現車はジテ編成流用車以外にもキハ・ケハ各形式が加えられており、戦後日本人の目に触れた時点では扉増設・台車振替・車内の通勤車化が行われている。連接式付随車はボギー車に改造され、流線型先頭車はケハ6・ケハ7形の電車化改造車と思われるもの、戦後に流線型の先頭形状を制作したものなどが含まれている。窓配置からジテ1形がベースと思われる車両もエンジンは撤去されており、車体延長改造されたものもある。改造部局・旧車番対応が解明されていないが、メンテナンスでも現地だけでなく少なくとも長春客車工場が関わった大規模な改装が行われており、鉱務局が運行した旧型流線型電車が全て「ジテ」(あるいは「ジテ編成」)であるとは到底言い難い状態なので注意が必要である。現在も撫順市内で使用されているが、炭鉱の終焉と共に使用の頻度は減少してきている。 ロハフ1形+ハフ1形+ハフセ1形 各1 - 6 ジテ1形と編成を組む付随車の編成。ジテ1形と同様に1935年に日本車輌で6編成が製造された。付随車同士は連接構造の固定編成で、ハフセ1形の先頭台車はジテ1の先頭台車と同様の電動機を装架した動台車になっている。重油燃料使用の動力集中編成として比較実験の意味合いでダブサ運転時の客車としても使用された。 ロハフ1形 : 2等定員28人・3等定員58人 ハフ1形 : 3等定員102人 ハフセ1形 : 3等定員98人 ジテ1形も含めた編成総重量は133t。
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