普通旅客用
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アメイ形 2B形飽和式テンダー機関車 1906年 アメリカンロコモーティブ社ロジャース工場製 称号変遷 第2期 : A形 50 - 53 第3期 : アメ形 50 - 53 第4期 : アメイ形 1 - 4 諸元 動輪直径 : 1,727mm シリンダ(直径×行程) : 457mm×660mm 缶圧 : 12.7kg/cm2 火格子面積 : 2.42m2 機関車重量(運整) : 58.30t 動輪上重量(同) : 40.30t 概要 標準軌への改軌後の満鉄用機関車として、最初に発注されたグループに属する。アメリカンロコモーティブ社の資料によると、米国シカゴ・サザン鉄道(後にミルウォーキー鉄道の一部)の注文流れ品である。本線や安奉線で主として普通列車に使用された。1927年には全4両が四洮鉄路に貸出された。満洲事変後は本線に戻り、営口線や、ダブサとともに連京線の軽旅客列車の牽引に使用された。 第二次世界大戦後の動向 全機が奉天鉄道局管内 (4) に存在し、中華民国に引渡された。 F形 2C形飽和式テンダー機関車 1906年 アメリカンロコモーティブ社ロジャース工場製 称号変遷 第1期 : 100, 101 第2期 : F形 600, 601 吉長譲渡 : 吉長200形 200, 201 第3期 : 吉長200形 200, 201 国線編入 : テホニ形 5621, 5622 第4期 : テホニ形 501, 502 諸元 動輪直径 : 1,473mm シリンダ(直径×行程) : 483mm×660mm 缶圧 : 13.4kg/cm2 火格子面積 : 3.58m2 機関車重量(運整) : 65.80t 動輪上重量(同) : 52.60t 概要 標準軌への改軌後の満鉄用機関車として、最初に発注されたグループに属する。H形とともに大連港に最初に揚陸された。満鉄の社史によればアメリカンロコモーティブ社スケネクタディー工場製で、米国ボストン・アンド・メイン鉄道の注文品とされているが、アメリカンロコモーティブ社の資料によると、アメイ形と同じく同社ロジャース工場製で、米国シカゴ・サザン鉄道(後にミルウォーキー鉄道の一部)の注文流れ品である。本線で使用後、安奉線で混合列車や貨物列車に使用された。両数が少ないため運用上不便であり、1918年に吉長鉄路に譲渡され200形となった。同鉄路が満洲国鉄に編入されてからはテホニ形となった。 第二次世界大戦後の動向 終戦時の動向は不明。中華人民共和国成立後は「TH10」形となった。 テホイ形 2C形飽和式テンダー機関車 1908年 アメリカンロコモーティブ社リッチモンド工場製 称号変遷 第2期 : F1形 602 - 619 第3期 : テホイ形 602 - 619 国線譲渡 : テホサ形 5650, 5651 第4期 : テホイ形 1 - 15, 501, 502 諸元(新製時) 動輪直径 : 1,753mm シリンダ(直径×行程) : 483mm×610mm 缶圧 : 14.0kg/cm2 火格子面積 : 3.01m2 機関車重量(運整) : 72.00t 動輪上重量(同) : 55.10t 諸元(過熱化) 動輪直径 : 1,750mm シリンダ(直径×行程) : 483mm×610mm 缶圧 : 14.1kg/cm2 火格子面積 : 2.94m2 機関車重量(運整) : 72.84t 動輪上重量(同) : 56.23t 概要 標準軌への改軌後の満鉄用機関車として、最初に発注されたグループに属する。本線で急行や普通列車を牽引し、安奉線(1911年から)や旅順線の急行列車にも使用されるなど、旅客列車牽引の主力であった。その後、1920年 - 1926年の間には過熱式に改造されている。1927年には1両が四洮鉄路に貸出された。同年に4両が撫順炭鉱に転属したが、1931年にはソリイ形の代わりに3両が返還された。一部は1931年に金福鉄路で使用された。また、1933年には満洲国鉄線の新線建設用に2両が譲渡されテホサ形となった。1938年の車両称号改正では満鉄線テホイ形、テホニ形、満洲国鉄線テホサ形の旧F1形が全てテホイ形に統一された。 第二次世界大戦後の動向 旧テホイ形、旧テホニ形を合わせて、大連埠頭局管内 (9) 、奉天 (5) 、錦州 (5) 、斉斉哈爾 (3) の各鉄道局管内に22両が存在し、中華民国に引渡された。中華人民共和国成立後は「TH1」形となった。 テホニ形 2C形飽和式テンダー機関車 1912年 アメリカンロコモーティブ社スケネクタディ工場製 称号変遷 第2期 : F1形 620 - 624 第3期 : テホニ形 620 - 624 第4期 : テホイ形 16 - 20 諸元(新製時) 動輪直径 : 1,753mm シリンダ(直径×行程) : 483mm×610mm 缶圧 : 14.0kg/cm2 火格子面積 : 3.01m2 機関車重量(運整) : 72.00t 動輪上重量(同) : 55.10t 諸元(過熱化) 動輪直径 : 1,750mm シリンダ(直径×行程) : 483mm×610mm 缶圧 : 14.1kg/cm2 火格子面積 : 2.95m2 機関車重量(運整) : 71.53t 動輪上重量(同) : 54.87t 概要 1911年の安奉線改築後、奉天駅 - 京城駅間の国際急行列車が週3回運転されるのにあわせて、F1形(後のテホイ形)の増備分として輸入された。当初はF1形に含まれていたが、1923年にテホニ形となる。1920年 - 1926年の間には過熱式に改造されている。本線で急行および普通列車を牽引し、一部は1931年に金福鉄路で使用された。1938年の車両称号改正では満鉄線テホイ形、テホニ形、満洲国鉄線テホサ形の旧F1形が全てテホイ形に統一された。 第二次世界大戦後の動向 第二次世界大戦後の動向はテホイ形の項目を参照 テホサ形 2C形飽和式テンダー機関車 1912年 ベイヤー・ピーコック社製 称号変遷 第2期 : F2形 700 - 704 第3期 : テホサ形 700 - 704 国線譲渡 : テホコ形 5700 - 5704 第4期 : テホサ形 501 - 505 諸元(新製時) 動輪直径 : 1,753mm シリンダ(直径×行程) : 483mm×610mm 缶圧 : 14.06kg/cm2 火格子面積 : 2.93m2 機関車重量(運整) : 71.88t 動輪上重量(同) : 55.42t 諸元(過熱化) 動輪直径 : 1,750mm シリンダ(直径×行程) : 483mm×610mm 缶圧 : 14.1kg/cm2 火格子面積 : 2.96m2 機関車重量(運整) : 71.92t 動輪上重量(同) : 55.89t 概要 満鉄の英貨による社債募集のため、ソリサ形とともに初めてイギリスに発注された機関車である。1920年 - 1926年の間には過熱式に改造されている。本線や安奉線で使用後、1927年には4両が四洮鉄路に貸出された。その後、本線で普通列車に使用されていたが、満洲事変後は奉山線に貸出され、1933年には全機が満洲国鉄線の営業用に譲渡されて、テホコ形となった。1938年の車両称号改正ではテホサ形に戻されている。 第二次世界大戦後の動向 奉天 (3) 、斉斉哈爾 (2) の各鉄道局管内に5両が存在し、中華民国に引渡された。 ダブサ形 2B2形過熱式タンク機関車 1936年 川崎車輛製 称号変遷 第3期 : ダブサ形 500 - 501 第4期 : ダブサ形 1 - 2 諸元 動輪直径 : 2,000mm シリンダ(直径×行程) : 470mm×660mm 缶圧 : 15.5kg/cm2 火格子面積 : 2.28m2 機関車重量(運整) : 99.89t 動輪上重量(同) : 40.44t 概要 重油動車ジテが故障、検査の場合の代機とするために製造された流線形タンク機関車。2,000mmの大動輪を持ち、高速小単位列車での使用を考慮した点では、1934年のドイツ帝国鉄道61形機関車(2C2形タンク機関車)や1936年の独リューベック・ビューヘン鉄道の1B1形タンク機関車などと同様のコンセプトであり、形態も類似している。当初は2B3形タンク機関車とすることが計画されていた。流線形形状はパシナ形最終号機の設計の際に川西航空機で実施した風洞実験の結果に基づいて決定された。機関車の各軸受にSKF社のローラーベアリングを装備し、シュミットE形過熱器や重油燃焼装置の採用、実現しなかったが弁装置へのポペット弁の検討など試作機的要素も強かった。重油燃焼装置は、撫順炭鉱で生産される頁岩重油を用いた場合、火室内温度が上昇しすぎて故障が発生し、実用的ではなかった。実際の運用では活躍の場は少なく、連京線での軽旅客列車の牽引にとどまった。 流線型カバーには流れるような曲線で模様が描かれており、正面からやや上部までがクリーム色、他がぶどう色のツートンであった。 第二次世界大戦後の動向 大連埠頭局管内 (1) 、奉天鉄道局管内 (1) に2両が存在し、中華民国に引渡された。中華人民共和国成立後は「LD1」形となった。
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