子殺し
『景清』(幸若舞) 阿古王が夫景清を裏切り、頼朝の兵たちを宿所へ導く。景清は2人の子、いや石といや若に「あさましき母に添うよりも、閻魔の庁で父を待て」と言い聞かせ、殺す〔*『出世景清』(近松門左衛門)4段目では、牢に入れられた景清の眼前で、阿古屋が2人の子を殺して自害する〕。
『士師記』第11章 エフタは神に戦勝の祈願をしたために、はからずも自分の娘を燔祭として捧げることとなった→〔最初の人〕2a。
『撰集抄』巻6-10 時朝(ときとも)大納言家には、先祖の大織冠(=藤原鎌足)以来伝わる大切な硯があった。侍の仲太がこの硯をとり落とし、真っ二つに割ってしまう。10歳になる若君が、「私が割ったことにすれば、父も許してくれるかもしれぬ」と考え、仲太の過ちを我が身に引き受ける。しかし父大納言は、「家宝の硯を割る者はただではおけぬ」と、若君の首を斬った。仲太は出家した(後の性空上人である)〔*『今昔物語集』巻19-9の類話では、父親は子を殺さない〕→〔追放〕1a。
『保元物語』(古活字本)巻下「為朝鬼が島に渡る事並びに最後の事」 院宣を受けた討手が、大嶋の為朝の館へ押し寄せる。為朝は今はこれまでと、9歳の子為頼を刺し殺した後、自害する。
*→〔誤解による殺害〕2の『義経千本桜』3段目「すし屋」・〔血〕5の『忠臣ヨハネス』(グリム)KHM6・『ペンタメローネ』(バジーレ)第4日第9話・〔盲目〕7の『入鹿』(幸若舞)・〔和解〕2の『妹背山婦女庭訓』3段目「山の段」。
★2.主君の若君や主君の妻の身代わりとするために、家来が自分の子を殺す。
『国性爺合戦』初段 臨月の后華清夫人が敵の鉄砲に当たって死ぬ。呉三桂は后の腹を切って若君を取り出し、代わりに、生まれて間もない我が子を刺し殺して后の腹に押し入れる。追って来た敵軍は、后・若君ともに死んだものと思う。
『太平記』巻18「程嬰杵臼が事」 亡君智伯の3歳になる若君を程嬰がかくまい、杵臼は我が子が若君と同年なので、これを智伯の遺児と披露して山中にこもる。敵兵に囲まれた杵臼は、我が子を刺し殺し自らも切腹して、敵を欺く〔*『曽我物語』巻1「杵臼程嬰が事」の異伝では、11歳の子が若君の身代わりに自害する〕。
『百合若大臣』(幸若舞) 別府兄弟が、百合若大臣を玄海が島に置き去りにして、「百合若は戦死した」と、百合若の妻に告げる。別府兄弟は百合若の妻に懸想文を送るが、拒否される。怒った別府兄弟は、彼女をまんなうが池に柴漬け(ふしづけ)にしようとする。しかし百合若の家来だった門脇の翁が、自分の娘を身代わりに池に沈めて、百合若の妻を救う。
*→〔にせ首〕1の『一谷嫩軍記』3段目「熊谷陣屋」・『菅原伝授手習鑑』4段目「寺子屋」・『満仲』(能)。
『摂州合邦辻』「合邦内」 家督争いのために、俊徳丸の命が狙われる。継母の玉手御前は俊徳丸を救おうと、彼に偽りの恋をしかけ毒酒を飲ませて、癩病にさせる。病人であれば家督は継げず、したがって俊徳丸の身も安全だからである。玉手御前は父親を怒らせてその刃にわざと刺され、血を流して死ぬ。寅の年・寅の月・寅の日・寅の刻に誕生した玉手御前の血を用いれば、俊徳丸の癩病は治るのである。
*生まれた年・月・日・刻が1つに揃った女の生き肝→〔恋わずらい〕2aの『肝つぶし』(落語)。
『二十四孝』(御伽草子) 貧しい郭巨夫婦は、老母を養うため、口べらしに3歳の子を殺そうとする。子を生き埋めにする穴を掘ると、黄金の釜が出てくる。
『アウリスのイピゲネイア』(エウリピデス) アガメムノン率いるギリシア軍がトロイアへ船出するためには、彼の娘イピゲネイアを女神アルテミスに捧げねばならない。アガメムノンは娘を呼び、祭壇へ上げる。しかし、最後の瞬間に娘の姿は消え、代わりに1頭の雌鹿が生贄とされるべく横たわっていた。
『創世記』第22章 神がアブラハムに「汝の子イサクを山で燔祭として捧げよ」と言う。アブラハムは祭壇を造り、息子イサクを殺そうと刃物をとる。神はアブラハムの信仰心を賞し、イサクの代わりに羊を焼くように命ずる。
★6.母親が子を殺す。
『ギリシア神話』(アポロドロス)第3巻第14章 プロクネは、自分と夫テレウス王との間の1人息子イテュスを殺し、夫テレウス王に食べさせる。
『楡の木陰の欲望』(オニール) アビーは、3人の成人した息子を持つイフレイムの後妻になった。彼女がイフレイムの死後に財産を得るには、子供を産まねばならない。イフレイムは老齢なので、アビーはイフレイムの三男エビンを誘惑して、子供を得る。イフレイムは、子供を自分の胤と信じて相続人にする。エビンは、利用されたと知って、アビーを罵る。アビーは今では本気でエビンを愛するようになっていたため、狂乱して嬰児を殺す。
『変身物語』(オヴィディウス)巻8 カリュドンの猪狩りの後に獲物の奪い合いが起こり、メレアグロスは伯父を殺す。メレアグロスの母アルタイアは兄弟が殺されたことに憤り、息子メレアグロスの生命のこもった丸木を焼いて、メレアグロスを死なせる〔*『ギリシア神話』(アポロドロス)第1巻第8章に類話〕→〔魂〕1a。
『メデイア』(エウリピデス) かつてメデイアは、父王に背いてまでイアソンを助け、彼に金羊毛を得させた(*→〔眠る怪物〕2の『アルゴナウティカ』(アポロニオス)第4歌)。しかしイアソンはメデイアから受けた恩を忘れ、コリントスの王女と結婚する。メデイアは激しくイアソンを非難し、コリントスの王女とその父を毒で殺す。さらに、イアソンとの間に生れた2人の子供をも刺し殺して、去って行く→〔龍〕3b〔*『ギリシア神話』(アポロドロス)第1巻第9章に簡略な記事〕。
*母親が、成長した息子と再会して殺す→〔再会(母子)〕3の『人間の証明』(森村誠一)。
*嬰児殺し→〔赤ん坊〕9の『ファウスト』(ゲーテ)第1部、〔夫殺し〕4の『桜姫東文章』。
『悪魔の手毬唄』(横溝正史) 青池リカが夫源治郎との間にもうけた娘・里子は、顔半分が赤痣におおわれていた。源治郎は3人の愛人に3人の娘(泰子・文子・千恵子)を産ませており、彼女たちは皆美貌だった。リカは彼女たちを殺そうと考え、まず泰子を、次いで文子を、呼び出して殺す。しかし里子が母リカの悪事を知り、千恵子の身代わりになって夜の闇の中に立つ。リカは千恵子と思い込んで、自分の娘・里子を殺してしまう。
『神霊矢口渡』4段目「頓兵衛住家の場」 渡し守・頓兵衛は、2階に寝ている新田義峯を殺そうと(*→〔宿〕3c)、闇の中、下から刀を突き上げる。断末魔の悲鳴が聞こえたので、頓兵衛は「してやったり」と梯子を駆け上がり、義峯の夜着を引きまくる。折から月影がさし、頓兵衛は瀕死の娘お舟を見出して驚く。彼女は義峯を逃がし、その身代わりに寝所に臥していたのだった→〔太鼓〕5。
『リゴレット』(ヴェルディ) 浮気者のマントヴァ公爵が、多くの娘たちをもてあそぶ。彼は学生姿に変装して、道化師リゴレットの娘ジルダを誘惑する。リゴレットは怒り、殺し屋にマントヴァ公爵殺害を依頼する。しかし、それを知った娘ジルダが自ら犠牲になろうと決意し、公爵の身代わりとなって短刀で刺される。殺し屋から、死体の入った袋を受け取ったリゴレットは、袋の中に瀕死の娘ジルダを見出して驚愕する。
*→〔宿〕6に記事。
『地獄変』(芥川龍之介) 絵師良秀は地獄変の屏風を描くために、「美しい上臈(じょうろう)の乗る檳榔毛(びろうげ)の車が、燃え上がる様を実際に見たい」と望む。堀川の大殿が、良秀の娘を車に乗せて示すので、良秀は驚愕する。しかし、火が放たれ地獄さながらの光景が現出すると、良秀は娘を救うことも忘れ、恍惚としてそれに見入る。娘は悶え苦しんで焼け死に、良秀は炎熱地獄の屏風絵を完成させる。
『修禅寺物語』(岡本綺堂) 面作師(おもてつくりし)夜叉王の娘かつらは、将軍源頼家の身代わりとなって北条幕府の討手と闘い、瀕死の重傷を負って家へ戻る。夜叉王は「若い女の断末魔の表情を、後の手本に写しておきたい。苦痛をこらえてしばらく待て」と命じ、死に行くかつらの顔を模写する。
*父親が讒言を信じて子を殺す→〔卵〕4の『今昔物語集』巻2-30。
*親が狂気に陥って我が子を殺す→〔狂気〕1の『ギリシア神話』(アポロドロス)第2巻第4章・〔狂気〕3の『ギリシア神話』(アポロドロス)第3巻第5章。
子殺し
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殺人 |
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殺人 |
法域によっては犯罪でない殺人 |
家族に対する殺人 |
法理その他 |
子殺し(こごろし)は、親が子を殺すことである。ヒトの場合、自分の子を殺すことに限定して使われることが多い (filicide) が、動物の場合のみは同種の子供を殺すことまで含める (infanticide) 。
ヒトの場合
ヒトの場合、21世紀初頭の通称先進国では、一般に「親は子を守るべき」ものと考えられ、対して「子も親を扶養すべき」ものとされ、日本の民法でも明確に子が親を扶養する義務づけが記載されている。
現代においては、建前上は子も親と同様、個人としての人格を持った人間であると考えられている。しかしその一方で、子は親に従属すべきもの、あるいは親の所有するものであるとの価値観も厳として存在している。そのため、親の都合で子の生命や人生を左右する事例は多々ある。飢饉に見舞われた時代や地域では「間引き」が行われる。日本では親が自殺する際に巻き添えで子を殺害する事件も多く、「無理心中」といわれる(殺害動機として「遺すと可哀想なので連れて行く」という理由付けがなされることが多い)。
日本
日本では、平安時代の『今昔物語集』に既に堕胎に関する記載が見られるが[1]、堕胎と「間引き」即ち「子殺し」が最も盛んだったのは江戸時代である。関東地方と東北地方では農民階級の貧困が原因で「間引き」が特に盛んに行われ、都市では工商階級の風俗退廃による不義密通の横行が主な原因で行われた。また小禄の武士階級でも行われた[2]。
当時、避妊の手段や知識が乏しかったので、妊娠または分娩の後に間引くのが普通だった。妊娠中の手段としては、腹をもんだり、ほおずきの根を差し入れて流産を促す(掻爬)手段があり、しばしば母体が危険に晒された。分娩後の間引きとしては、膝やふとんで窒息させる方法、石臼で圧殺する方法、濡らした紙を顔にはって窒息させる方法などがよく行われた。多くの場合、取り上げ婆(明治に免許制になる前の産婆)により行われた[3]。
江戸幕府や諸藩の領主たちは労働力減少や田畑の荒廃を恐れ、しばしば堕胎や間引きを禁じたが[3]、それで罰せられるのは稀であり、大人の殺人と同等に扱われた例もない[4]。仏教や神道は出産に関わる事を禁忌としており、胎児や新生児に関して語る事は無かった[4]。また、赤ん坊は初宮参りという通過儀礼を済ませる事によって産褥が終了し、人間社会の一員になるという一般認識があった[4]。乳児死亡率の高かった当時、「七歳までは神のうち」という言葉が伝えられる地域があるように、子供を正式な人間と扱うようになる期間には地域によって違いがあった。
明治時代になると政府は間引きや堕胎を禁止し、1880年(明治13年)制定の旧刑法と1908年(明治41年)制定の現行刑法に堕胎罪が設けられた。しかし、堕胎はその後も隠れて行なわれ[5]、間引きの風習は、地域によっては昭和まで存続した[6]。大正末期には、大阪で病院と製薬会社と旅館が結託し大規模な堕胎手術を行なっていたとして摘発される事件が起きている[7]。1948年(昭和23年)の優生保護法(現母体保護法)により同法の要件を満たす場合には人工妊娠中絶が認められるようになった。
日本以外
『旧約聖書』には、子供を異教神モレクに奉げる因習があったと記され、これを行う事は石打ちに値する大罪として記載されている[8]。キリスト教でも伝統的に人工妊娠中絶を含む子殺しは大罪とされている(人工妊娠中絶#キリスト教参照)。
アラブ世界ではいわゆるジャーヒリーヤ時代には女児がよく殺されたが、7世紀に発祥したイスラム教では、キリスト教と同様に、子殺しが大罪として明確に否定された[9]。
古代で神に捧げる供犠の中には、今日でいう子殺しも含まれていたことを暗示させるような伝承もある。例えば『旧約聖書』のアブラハムによるイサクの殺害未遂(イサクの燔祭)、アガメムノンとイーピゲネイアの例が知られ、後代様々な解釈を呼び起こした。これらは時と共に衰退したが、神に祈るための生贄(植物の場合は収穫祭)という観念は広く分布していて、時代による価値観の変遷を窺わせる。
主な子殺し事件
特に説明のないものは、日本の事件である。
- 源頼家暗殺
- 豊臣秀次切腹
- 青森実子保険金殺人事件
- 長崎・佐賀連続保険金殺人事件
- 下関男性バラバラ殺人事件(検挙されないまま終結)
- ジャン=クロード・ロマン事件(フランス)
- つくば妻子殺害事件
- 平塚5遺体事件(末の娘殺害事件のみ立件)
- 秋田児童連続殺害事件(1件目の殺人被害者は長女)
- 大阪2児餓死事件
- 日立妻子6人殺害事件
- 元農水事務次官長男殺害事件
- 福岡・鹿児島3児殺害事件(うち1人は傷害致死)
- 邦人女性2児殺害事件(アメリカ)
- 台東区親族連続不審死事件
関連項目
ヒト以外の動物の場合
ヒト以外の動物の場合、親が子を殺すのは、いくつかの場合がある。
一つは、子であることを知らずに殺す、あるいは食べてしまう場合である。例えば金魚やメダカは、産卵させた水槽に親をそのまま置いておくと親が卵を食べてしまうことがある。いわゆる共食いである。このような生物の多くは多産戦略を採っており、子は素早く分散するなどして親が子を識別することがそもそもできない。また、人間飼育下の猫やハムスターが子を産んだ時に、飼い主があまり干渉すると親が子を食べてしまうことがある。ラットに見られるブルース効果は通常は子殺しには含まれないが、後述する適応的な子殺しの一種と見なすことができる。
飼育下の魚類、ネコ、ラットなどで見られる子殺しは特異な状況下で起こった事故として説明可能であったが、次節で述べる野生の哺乳類で観察された事例は説明が困難であった。特に当時主流の学説であった群選択説は、「動物の行動の目的は種の保存のためである」と考えており、子殺しはこの視点に真っ向から対立すること、そして進化は自分の子を残すことで起こるものであり、子を自ら殺すという行動は進化の中で淘汰されるはずだというのがその理由のひとつである。
野外での子殺しの発見
動物行動学・行動生態学の発展の中で、子殺しの行動が見直しをされるようになったきっかけは、インドのサルの一種であるハヌマンラングールの例である。
このサルは、成獣の雄が多数の雌の群れをハーレムとして持ち、雌たちとの間で子供を作る。群れで生まれた雌は群れに残るが、群れで生まれた雄は群れから出て若い雄の群れを作る。成長した雄はやがてハーレムを持つ雄に攻撃を仕掛け、勝てばハーレムを所有するに至る。この時、群れを乗っ取った雄は、その群れの雌が抱えている乳児を、全て殺してしまうというのである。これは突発的、異常などではなく、群れを乗っ取った雄は必ずこうするのだという。
この行動は1962年に杉山幸丸によって初めて発見された(発表は1965)。当初はその行動の突飛さ、残虐さと、そして当時は普通であった種の利益の観点にそぐわず、ほとんど認められなかった。しかし、その後1975年にアフリカのライオンにおいても同様の行動が発見された。タンザニアのライオンも、単独の雄が複数の雌を抱えて繁殖し、雄が入れ替わった際に新しい雄は群れの中の乳児を殺すことがある。この発見によって、ハヌマンラングールの例も広く認められるようになったのである。その後さらに、複数のサル類やジリス、イルカなどいくつかの分類群でも同様の行動が確認されている。
雄ではなく、雌が子殺しを行う動物もいる。鳥類の中では珍しい一妻多夫制の繁殖形態を持つトサカレンカクでは、雄が子育てを行う。その雄が育てている雛を、縄張りを持たない雌が襲撃し、殺してしまうことがある。雛を失った雄は繁殖行動に移るので、縄張りを持たない雌にも子を残す可能性が出てくるのである[10]。
行動生態学による適応説
動物の子殺し行動は人間の価値判断では残虐に見える。これらの行動は最適化モデルによって説明されている。この場合、自分の子を殺すのか、他の子を殺すのか、親子関係を認識しているかなどを区別する事が重要である。
性選択説
適応説の一つが女性霊長類学者サラ・ブラファー・ハーディによって提唱された性選択説(性的対立説)である(Hrdy,1974)。
ハヌマンラングールの場合で、前代の雄が負けて新しい雄がハーレムを所有することになった時点を考える。新しい雄にとっては、ハーレムの所有は永遠ではない。現実的には雄の群れ占有期間は平均で2年程度である。将来に他の雄に自分が負けるまでに、できるだけ早く、より多くの自分の子を雌に産ませなければならない。ところが、雌は乳児を持っている間は発情しないから、そのままでは群れを守りながら子供が独り立ちするまで待たなければ、自分の子を産ませることができない。しかも、その場合に自分が守ってやる子は自分の遺伝子を引き継いでいないから、雄にとっては全く(進化的、適応的な)利益がない。そこで、群れを手に入れてすぐに乳児を殺してしまえば、雌は発情が可能になるから、自分の子を持つまでの時間を大幅に短縮できる。つまり、新しい群れの雄にとっては、乳児を殺してしまうことは雄が支払った投資(先代雄と戦った苦労や、今後当分の群れを維持防衛するためのエネルギーなど)に対する利潤(自分の遺伝子を受け継ぐ子の獲得)を非常に大きくする、すぐれて適応的な行動と言える。もちろんオスが投資と利潤を理解している必要はない。様々な繁殖戦略の中で、もっとも利潤を最大化する戦略が進化的に発達すると言うことである。
一方、雌にとっては仔を殺されるのは明らかに適応的ではない。そのため、ライオンなどでは群れの雌同士が協力して(ふつう群れの雌は近縁個体である)仔を隠したり守ったりすることがある。しかし多くの場合雄が思惑通り、子殺しを達成する。生き延びられるのは成熟目前の仔だけである。雄の思惑が達成されるのは、究極要因としては、子殺しによる雄の利益と(あるいは子殺しをしなかったときの雄の不利益と)仔を殺されることによる雌の不利益を比較した場合、前者の方が大きいからと推測されている。またこの行為から、雄と雌は必ずしも協力的であるのではなく、利害が対立することもあるのではないかと考えられるようになった。至近要因としては雌が雄に抵抗すると体格差からして雌が負傷、あるいは死亡する危険があることを指摘し、そのためにそのような行動が進化しなかったと考えられている(伊藤、2006)。
なお、ハヌマンラングールはインドから東の地域にも分布するが、その地域では、雄は単独でハーレムを維持するのではなく、雌の群れに複数の雄がつく。その地域では上記のような子殺しの行動は見られないという。このような子殺しの行動は、単独の雄と複数の雌でハーレムを形成するタイプの動物特有のものと考えられている。またチンパンジーにも子殺しが見られるが、チンパンジーは乱婚性でオスにとってはどの子が自分の血を引いていないか明確ではない。チンパンジーの子殺しの意義は不明である。
個体数調節説
種のために数を間引くという意味ではなく、自分自身や自分の子のために、エサなどの競争相手となる可能性のある他の個体を取り除くと言う意味である。
共食い説
カモメのコロニーでは一定の割合で他のペアの子を捕食する「共食い屋」が存在する(Parsons,1971)。競争者の排除とエサの獲得を同時に行うことができる。なぜ全ての個体が共食い屋にならないのかについてはESSによって説明される。ミツバチの中には天敵に巣をおそわれた場合に、働きバチが子を食べてしまう場合がある。これは天敵に食べられるよりは自分で食べた方が無駄にならないからだと考えられる。いずれも個体選択の立場から説明可能である。
異説
行動生態学的な説明以外では、例えばその典型は雄の交代による群れ内部のストレスの増大などを原因とする病理的なものだと言う説がある。杉山、河合雅雄、小原秀雄らは行動生態学的な説明を受け入れず、このような解釈を主張した。チンパンジーの子殺しを発見したジェーン・グドールも当初はこの立場であった。しかしこれは異なるレベルでの解釈であり、共存し得ないものではない。
より具体的な異論としては、先述のように同種でも他地域ではそれが見られないこと、また同様な社会を持つ他のサルで見られないことから、その適応的な意味づけを疑問視する声もある。しかし、例えばゲラダヒヒでは雄交代の際に雌が流産することが知られており、これが雄による何らかの操作ではないかとの説もあり、また、他の動物群でも類似の行動が広く見つかったことから、現在では上記のような考えが主流である。
なお、チンパンジーの場合、雌にもその行動が見られることから、このような説明が難しく、むしろ病理的なものと見た方がよい、との意見もある。しかし伊藤(2006)は、恒常的に見られる行動であれば、それを進化学的に見る必要があるとの判断を示している。
思想的影響
この行動は、雄にとって自分の子ではないから子殺しという言い方は必ずしも正しくないが、自分の群れにいる子を殺すという点でも、はっきりと子供を自分の子であるかどうか判断できる状態で殺す点でも、それまでに考えられたことのなかったものであり、大きな衝撃を与えた。それまでは、同種個体間の争いは、他方を殺すまでには至らないようになっているものと考えられており、その点でも驚くべき行動と考えられた。
一般の人々からは、動物は人間のように高度な心を持たないから野蛮なまねをすることも多いのだと考えられ、「獣のような」とか「動物的な」といった言われ方をされることがあるが、他方でそれは、動物には分別がないからで、分からないでやっているんだから仕方がない、言わば無知によるものだから罪とは言えないという感覚がある。さらに、動物の行動の研究家は、逆に動物は意外に野蛮でもないし、無意味に殺し合ったりするものでもなく、むしろ過度な攻撃を避けるものだ、言わば動物は意外に高潔なのだという印象を持っていた。
しかし、ここに見られる子殺しは、そのどちらの感覚にも反するものであった。無知と見なすには筋が通り過ぎているし、しかも残虐に見える。そのため衝撃も大きかった。同時に、それを説明しきれる行動生態学の理論に対しても驚きと一部では警戒が生まれたと言ってよいだろう。動物は人に善悪を教えるために存在しているのではないし、動物の行動が人から見て道義的、道徳的である必要はないが(自然現象に人間の道徳の基礎を求めることを「自然主義的誤謬」という)、それが人間に適用された場合、人道的見地からは問題のありそうな議論がたやすいことが見て取れるからである。
脚注
- ^ 国立国会図書館デジタルコレクション『国史大系 第16巻』663頁~669頁 「今昔物語 巻十二」 書寫山性空聖人語第卅四 (編著者・出版者:経済雑誌社 発行:1901年(明治34年)10月15日) (2018年11月2日閲覧。)
- ^ 国立国会図書館デジタルコレクション『堕胎間引の研究』9頁~54頁 (編著者・出版者:中央社会事業協会社会事業研究所 発行:1936年(昭和11年)10月7日) (2018年11月2日閲覧。)
- ^ a b 日本大百科全書(ニッポニカ) 間引き
- ^ a b c ヘレン・ハーデカー 『水子供養 商品としての儀式』 塚原久美監訳 明石書店 2017年 ISBN 9784750345994 pp.56-63.
- ^ 堕胎組ゾロゾロ出頭新聞集成明治編年史. 第三卷、林泉社、1936-1940
- ^ 深刻な生活苦が背景に 明るみに出た悲しい事件 三重県庁
- ^ 戦慄すべき堕胎事件朝日年鑑 大正16年、朝日新聞社、1926
- ^ 『レビ記』18章、20章
- ^ 『クルアーン』17章31節など
- ^ ダーウィンが来た! 〜生きもの新伝説〜 - ヒナをだっこ!?水上の“育メン鳥” 2014年3月30日放送
参考文献
- J.R.Krebs,N.B.Davies,1981,An Introduction to Behavioral Ecology,Blackwell Scientific Publication
- 伊藤嘉昭「新版 動物の社会 社会生物学・行動生態学入門」(東海大学出版、2006)
関連項目
子殺し
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/04 03:05 UTC 版)
詳細は「子殺し#ヒト以外の動物の場合」を参照 子殺しは大人の個体が同種の子どもや卵を殺す行為で多くの種で観察されている。魚類のように自分の子を識別せずに食べるようなケースもあるが、性的対立は子殺しの一般的な原因の一つである。レンカクのようにメスが同様の行為をすることも知られているが、ほとんどの場合オスが行う。もっともよく研究されているのは脊椎動物で、ハヌマンラングール、マウス、イエスズメ、ライオンなどが代表的な例であるが、無脊椎動物にも見られる。その一つの例がクモの一種Stegodyphus lineatusである。このクモのオスはメスの巣に侵入して卵包を捨てる。メスは生涯で一つのクラッチしか持たないためにこれは繁殖成功を著しく減少させる。そのため怪我や死もまれではない激しい闘争が起きる。レンカクではオスが子育てをするためにオスはメスにとって希少資源である。メスはオスの巣へ侵入し、抵抗するオスの子たちを殺す。オスはその後、メスとつがい、新たな子を育てる。 このような行動は犠牲となる性の側に対抗適応を進化させるために、両性にとって負担となる。そのため異性がやってくると妊娠中の子を中絶するような、犠牲を最小化するような適応を発達させた種もおり、マウスではブルース効果として知られている。
※この「子殺し」の解説は、「性的対立」の解説の一部です。
「子殺し」を含む「性的対立」の記事については、「性的対立」の概要を参照ください。
「子殺し」の例文・使い方・用例・文例
- 子殺しをする
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