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2014
02.21

ソチ五輪

Category: ひとりごと
日本で初めて行われた冬季オリンピック、札幌オリンピックの時は9歳になる直前で、スケートのジャネット・リンも後で映像を見て記憶が蘇る感覚だった。

男の子としてはやっぱりスキージャンプが好きでしたな。当時は板を平行に揃えて飛ぶのが主流で時々転倒する選手がいてハラハラしながら見てました。
V字の飛び方は飛距離も安定性も良くて転倒する選手はほとんどいないようで、技術は進歩してますねぇ。

オリンピック全体としては体操の床運動が好きでした。重力から開放されてるように見えるけど自然の法則と身体能力が掛け合わさって様々な技が繰り出される。制約の中でしのぎを削る選手に憧れたもんです。
小学校の時、小さな大会があって急遽編成されたチームに入れられたんだけど上手くできなかった。憧れだけではダメでしたね(^_^;)

大人になって仕事が忙しくなるとオリンピックをあまり見なくなりました。
選手の気持と乖離した政治的な駆け引きが見えたりするのも残念に思ったこともあります。
どうしても日本に不利なルール設定なのでは?と思うことがあったり。
オリンピックはヨーロッパ発祥であり、歴史的に欧米の威信をかけた大会なのが現実ですね。
つまらない話を持ち込みたくはないけど、第二次世界大戦での殲滅戦に近い日本本土空襲や原爆投下、戦後の徹底的な日本を悪者に仕立て上げる『戦勝国が作った秩序』も、自分たちに挑戦する異人を排除しようとする秩序感覚そのもので、オリンピックなどで後付で作られるルールも白人至上主義的な根は同じなんだろうと思う。
これは今現在、日本を政治経済でも縛っています。安倍政権に対する米国の錯綜した批判にはそのような「戦勝国の秩序」の断末魔を見るような気もしてしまう。まだしがみつくんだろうけど。
文明の衝突といった問題がオリンピックでもそんなものが見え隠れする。それも現実なのでしょう。
各選手の気持とはぜんぜん関係ない話だと思うけどね。



ソチは仕事しながら見ています。
時々仕事にならなくなるのが玉に瑕ですが。
注目された浅田真央ちゃんのフリーは本当に素晴らしかった。
終演後の表情、インタビューで見せてくれた笑顔。
前日の演技が上手くいかなかった悔しさを吹き飛ばすものでした。
普段から笑顔がかわいい真央ちゃんだけど、この時の笑顔はただ「かわいいだけ」じゃなかったですね。

不本意な失敗をしても悔しさをバネにして更に高みへ到達できる人は本物だ。
ジャンルを超えてそうだと思うけど、まさしく本物を見ることができました。

いや〜〜目頭が熱くなりました。


若い羽生選手の演技も素晴らしかった。
礼に始まり礼に終わる。ふわふわした少年のように見えて実に芯のある姿でした。
41歳で個人と団体で2つのメダルを獲った葛西選手もめでたい!
自分のためでなく仲間のために涙する心持ち。まだがんばるっていう不屈の姿勢もスゴイね。

そんなに熱心に追っかけてるわけじゃない、たまたま見てただけに近いオジサンでも痺れる場面がたくさんある。
日本の選手はもちろん、世界中の選手にも(まだ早いけど)お礼を言いたい。
ありがとうございます!


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2014
02.10

「東京都知事選挙を終えて」

Category: 政治・社会
舛添要一氏が当選しました。
彼は田母神氏の政策の一部を後から追加してたので、是非その点はお忘れなく都政に生かして頂きたいと思います。

先ず最大の敬意を。(ボキャブラ不足で「ごくろうさん」的な文字列になってしまうのですが…)
約2週間、寒さの中、45年ぶりの大雪になった最終日もまったく怯むことなくがんばってくださった。
田母神俊雄さん、一緒に活動したスタッフの皆さん。
選挙カーでマイクを握り語りかけた皆さん。
ポスティングや電話など選挙運動をがんばったボランティアの皆さん。
ネットで支援運動を重ねた皆さん。
本当にお疲れ様でした。

結果は4位でした。残念、と言うよりは、悔しいです。
昨日は、クサクサした気分で口汚い毒をドクドク出したい気分でした。
ボクはストレートに出す歳ではないですが、出したってイイじゃないか、昨日くらいは、と思いました。

というわけで落ち着きまして、是々非々で長々書きますよ。

東京都選挙管理委員会の投票結果です。
投票数(下3桁は四捨五入)
当日有権者数:10,685,000人
投票者数:4,930,000人
棄権者数:5,755,000人
投票率:46.14(前回投票率:62.60%)

候補者別得票数(主要4候補、下3桁四捨五入)
舛添要一:2,113,000票
宇都宮健児:983,000票
細川護煕:956,000票
田母神俊雄:611,000票

雪の影響もあり投票率は46%、過去3番目に低い数字だった。
棄権した人の方が多い選挙だったわけで、適切な民主主義を発動させるには少なくとも過半数が意思表明していないのは問題ありだと思います。
一票の格差より、投票率が上がらない状況を改善する工夫のが急務なんじゃないでしょうか。
政治家、公務員は少ないくらいなんですから。
すでに行われてる地域もあるようですが、人口の多い街であれば投票所を繁華街の近くに増設する。少ない所は不便な場所でないか再点検して移設する、など加速した方が良いでしょう。
昔は地域社会と一体だった学校や公民館などが現代では必ずしも人が集まる場所でなくなったので、再点検は必要でしょう。…田母神さんの視点は地域社会の再構築にあったんですけどね。。。
携帯・スマホに投票所入場整理券のデータをQRコードなどで読み込めるようにして券なしで投票できるようにする。旧来の方法と情報通信技術を可能な範囲で投票に組み合わせ、将来のネット投票につながるようにすれば良いと思う。そのような取組み自体が選挙への感心を高めるのでは?と思います。
…今回の都知事選では、投票率が上がった場合、パーセンテージからして宇都宮・細川両氏、特に50代以上の得票が多かった細川氏の得票が増えたんだろうと予想できますけどね。

この数字で最も衝撃だったのは政策らしい政策が全くないと言って良い細川氏が95万6千票も取って3位だったことです。
唯一の「即時原発ゼロ」も出口を示さない無責任な政策だったにもかかわらず、です。

自民党が舛添氏を支援したのはなぜか?
候補者別の得票数を見て下さい。
舛添氏は211万票。
二位の宇都宮氏の倍以上です。ダントツと言って良いでしょう。
しかし、当初、「脱原発」で一本化しようという動きが細川氏からありました。
この2人は「原発問題」で概ね一致し、その他の政策でも安倍政権の基本政策を批判していました。
政党支援では宇都宮氏には共産党、社民党、緑の党が付き、細川氏には有名人や民主党が支援し、反与党で一体的だったのです。
つまり、投票した人も両者で違いは大きくなかったと見て取れますから、宇都宮+細川で98万3千票+95万6千票=193万9千票。
もう少しで200万票に届きます。
東京は元々革新・左派系が強いと言われていましたが、この数字には驚きです。

もし、自民党が田母神氏を支援していたら、公明党の支持母体が揺らぐ可能性があったでしょう。憲法改正や核武装の議論も活発に発言している田母神氏を公明党の票田は支持できそうにないからです。
そして、労組系も割れる可能性があります。田母神氏は公共事業を推していましたが、これまでの自民党流とは変える可能性が伺えました。
旧来の支持企業が利権を失いかねないとグラついた可能性も予想出来ました。
つまり、自民党は田母神氏を支援しても「おいしくない」結果が見えていたのでしょう。
加えて、田母神氏のマッチョなイメージで離れる人々を最も警戒したと考えられます。
細川氏で逆転したかは微妙です、しかし、宇都宮氏一本ならあり得たかもしれません。
これは本当に恐ろしいことですから、自民党が警戒し堅実に見える舛添氏を支援したと考えられますね。
他に候補が居ないのも頼りないのですが…。
もしかしたら、小泉純一郎氏は自民党の頼りなさや舛添氏の評判の悪さを心配して、宇都宮票を割るために細川氏を担いだのでは?そんな疑念すら湧いてしまいます。一本化の話の時「ん?(あやしい)」と思いましたけど、結果を見ると、マジだったのかなぁ、なんてね。


麻生政権時に論文で政権にダメージを与えた田母神氏より、野党転落時に後ろ足で砂をかけて去っていった舛添氏を支援した事情には、このような「現実的」な計算があっての事だったと思います。
マスコミ的に言えば「党利党略」ですね。

政策で見たって自民党が田母神さんを支援しないのはおかしい!と思いますか?
ボクはそうは思いません。政策でも舛添氏だったのだと思います。舛添氏が党首だった新党改革はたちあがれ日本と統一会派だったり首相指名の決選投票で谷垣氏に入れたり、自民党と政策が近かった。
だから、田母神氏が出る以前は消極的に舛添氏かな?と考えていたのです。
ブログで繰り返し書いたように、田母神氏は金融緩和は維持した上で財政出動を積極的に行う政策を提言しており、安倍政権の新自由主義的な傾向にぶつかる可能性がありました。
自民党内では新自由主義的な経済観を持つ人が多数。媚中派も多くいますから田母神支援はあり得なかったのでしょう。
もちろん、それで良いとは思いません。
だ か ら 田母神さんを応援してたんです。
…ふぅ。

数字から分かるのは、東京の「革新・左派」の強さと「自民・公明の組織票」の強さです。
それに引っ張られる形で「それ以外」の浮動票が主に上位3者に配分されたのでしょう。
低投票率では「政党・組織」の票が固く。配分された「浮動票」が少なかったと言えると思います。

「政党・組織」の固定層と「それ以外」の浮動層
田母神氏は61万1千票取りました。
この数字をどう見るか。
ボクは選挙戦で繰り返し『「政党・組織」の支援を受けない(主要)候補は田母神氏だけ』と書いてきました。
ボクと同じ考えでもっと早くからこの点を強調してた方もいます。
数字から分かるのは、「政党・組織」のしがらみから離れ自民党とも違う「保守」な人が61万人近くいるのだろうということです。
古谷経衡さんはヤフーに投稿した記事で、そのような新しい保守層を「新保守」と名づけました。そして投票結果から「新保守」が全国に250万人いると試算しています。
ボクは、田母神氏には「新保守」以外の浮動票は多く入らなかったと考えています。
浮動層はそれほど田母神氏に動いていないのではないか?と。
それは選挙運動がネットと街頭演説に留まり、昔ながらの「どぶ板」的な地道な活動が不足していたと言われること。投票した人が30代までに偏って年配の支持が得られていないことから分かります。
チラシのポスティングに地道な努力をしたボランテティアの方々には最大限の敬意を払った上で、現実を見ればそれでは足らなかった、あるいは別な手法と連携する必要があったのだろうと受け止めざるを得ません。

「それ以外」のほとんどは世間の話題性や知名度、イメージに左右される感覚中心の「浮動層」です。マジョリティという言い方もできます。
このような層を味方に付けられるかどうかが当否を左右すると思います。

アニメに置き換えて考えてみる
ボクもアニメファンでしたから、社会のマイノリティとして忸怩たる思いを今でも持っています。その点で田母神ファン、今回支援した方々(ボクもです)と通じるものがあります。

コアなアニメファンが一定程度います。これを「固定層」と設定します。
それ以外を「浮動層」と設定します。
ざっくり言って一般のアニメの受け止め方は「ジブリ以外はオタク向け」だと思います。(かなりざっくりですが、実際そういう話をアニメファンでない人から何度も聞いたことがあります。)
アニメの社会的認識が、漫画ほどに広く認識されるには「浮動層」を捕まえないといけません。
漫画にはそれが可能な広い視点と作品群があります。
飲み友達に漫画編集者がいますが、実にいろんなことに興味を持ち勉強しています。
アニメにはそれが足らないとボクは感じています。
・漫画など他のエンタメコンテンツに比較してお金(コスト、人手)がかかること。
・確実に利益を確保するためコア層向けのビジネスモデルに偏っていること。
・デフレ不況がそれに輪をかけてリスクの高い浮動層獲得を結果的に切り捨ててしまっていること。
だと考えています。
現場も製作側も一般層に訴えるアニメを作れれば良いと考えていますが、上手くいってません。
アニメは漫画ほど広い「固定層」を得るための努力をして来たか疑問なのです。これも、伝統文化の継承と同じように長い時間がかかるのだと思います。
確実に売る努力を続けてきたために自ら需要を狭め、幅のある供給力を失うループにハマった。伝統文化を失わせる方向に時間をかけてしまってたんじゃないでしょうか。(個々人に責任があるかというと、そうとは言い切れない。みんな努力してるのです。後述)
このままでは「アニメはオタクが見るもの」というイメージの固定化が更に進みます。
とはいえ、いきなり「浮動層」を捕まえようと気張って作っても、両方からそっぽを向かれてしまう、というのがこれまでの経験則です。
挑戦的な作品が、見識の高いコアなアニメファン「固定層」を唸らすことが出来なければ「浮動層」にも広がらず「こういうアニメもあるんだな」と認識を新たにしてもらえない。
一時の挑戦でなく作り続けることで需要の幅も広がり、供給側の表現力も広がっていきます。これが望ましいループ。業界の成長なのだろうと思います。

東映系と手塚アニメの2大勢力から、虫プロ、東京ムービー、シンエイ、日本アニメ、サンライズ、マッドハウス、AIC、ガイナックス…と90年代までに広がっていった表現力の幅が今はずいぶん縮小しているのでは?と(挑戦してる人はいるけど経済的に報われないから広がりにくい)と感じます。
挑戦して賛否両論よりは少し前の評判に従って作った方が良い。評価(利益)を得るための努力が却って表現力を限定させていく。みんなの努力が互いに首を絞め合う、まさにデフレです。
アニメ経済も、15年のデフレ不況で緊縮傾向に慣れてしまい、現状維持を望む経済状況と符号するんですよね。

都知事選に話を戻します。
・選挙にはお金(コスト、人手)がかかること。
・元々の保守層に向けた演説に偏りすぎた。後半は修正しましたが十分でなかった。
・デフレ不況下の、下手に挑戦して悪化するより現状維持でじっとしてた方が良い、という消極姿勢を動かすレトリックが不足し、理解が広がらなかった。
加えて、田母神氏が自衛隊出身という影響でいえば、阪神淡路や東日本大震災での組織力、隊員個人個人の献身的な活動がある程度知られていても、未だに悪いイメージが貼り付いている、そう認めざるをえない点でしょう。
「保守層」という確実な「固定層」が「浮動層」を牽引して支持者を広げるまでに育てられていないのが、田母神氏(や保守政治)が一般に広がらない大きな原因の一つであり、そのループから出ていないのではないか。と思います。
今回、そのループから出ようと支援者は足掻きました。でも、まだまだ「浮動層」をこちらに惹きつけるには至らなかった。
マスメディアが田母神氏を泡沫扱いして無視していたとしても、そこに原因を持って行ってはダメなのです。
方法に間違いがあったのでは?と反省しなければ、このまま「田母神氏はネトウヨにしか需要がない」と固定してしまうでしょう。
いきなり「浮動層」に働きかけても引いてしまうし、「固定・浮動」の双方から批判を受けてしまう。
まずは「固定層」の意識を改めて、広く受け入れられるための方法論を(ガチの人には不本意だろうと)工夫しないと広げることは出来ないでしょう。

わかりやすく言えば「中韓叩き」や「戦後レジーム批判」だけ、或いはそれに偏っていては、まったく支持者を広げない。焦って声高に叫べ叫ぶほど、むしろ共感を減らしてしまう弊害の方が大きい、ということだと思います。

「またか」と思ったこと
告示前から、消費税増税の時と同じく、経済を勉強してる一部の人々(保守を自称しているはずなのですがね…)が細川氏の悪質なコラージュを作成して拡散してる人たちがいました。
ボクは思わず、またか、とつぶやきました。
それと同じ人たちが、敗けた田母神陣営を揶揄しています。
この人々はボクが見た限り「消極的に田母神氏だ」と言っていた人たち(一般の人が思う消極的とは明確に違います。)で、選挙期間中、積極的に田母神氏を支援することがなかった「一派」です。
なぜか。
金融政策派と財政政策派で考えればわかります。田母神氏は彼らが消費税増税政局で攻撃した麻生副総理に近い政策を掲げていたからです。
しかし、筋の悪い舛添氏を積極支援することも出来ませんから、「消極的に田母神」であって、この選挙期間中は静かだったのでは?と疑っています。
結果が出た途端、田母神陣営や応援した人を揶揄するツイートやFB投稿を活発に行なっています。
正直、結果が出て急に元気になりやがった、と思いましたよ。
ボクはこの人たちには社会を前向きに変えることなど出来ないと思ってます。経済学の使い方も含めて、不誠実ですから。
特徴的なのは田母神さん本人には言及せず選挙運動を指揮した団体や積極支援した人たちを揶揄していることです。
消費増税の時は決して安倍首相を批判しなかったのと似ています。
…こういうことは無くならないのでしょうが、少なくとも、それをクダラナイ戯言だと多くの人が眉をひそめるまっとうな民主主義が広がらないと、選挙や重要な政策課題が議論される度に政局じみたクダラナイ雑音にリソースを食われることになります。
無視すれば良いのですが、「浮動層」にそこそこ影響力があるようなので今回だけ書くことにしました。

まとめ。今後への提言
まずは「固定層」側の「保守(新保守)」が自らの思想や方法論を精査し、間違いを反省して今後に生かすこと。
「固定層」がその内側の程度の差、多少の温度差を越えて「浮動層」…大きな世論に働きかけることが出来るツールを持つこと。
これまでは「尖閣問題」「慰安婦問題」「天皇、ご皇室」がツールの中心でしたが「浮動層」にはまだハードルが高い。これらを声高に叫んで引き下げようとしても却って扉は閉ざされてしまいます。
ツールは硬いものから柔らかいものまで幾つか持つ必要があるでしょう。
三橋さんもブログで書いていたように日本人の保守思想と相通づる様々なツールやレトリックを、少々あざとかろうが使っていくことを考えないといけないのだろうと思います。
軸がしっかりしてくれば「またか」のようなことも減るでしょう。
それぞれが自由な意思でツールを使いこなすことができれば、田母神的な需要はじっくりと拡大してくと思います。

若者層では、田母神氏の得票は2位だったそうです。
リアルに支援活動した方々の成果だと思います。
将来を造るのは若者ですから、そこに希望を見出そうと思います。
これからも、微力&拙いのは承知で発言していきますよ。
仕事でも、少しづつ出来ることからやっていきます。




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2014
02.07

「都知事選挙の意義とは?」

Category: 政治・社会
安倍首相の靖国参拝や中韓への強い態度に、アメリカが「秩序の変更は許しがたい」と批判的なのをご存知かと思います。
同じ文脈で田母神としお氏も国内で(主に朝日新聞などに)批判されてます。

アメリカの言う「秩序」とは正確に書けば「第二次世界大戦の戦勝国が作った秩序」です。言い換えれば「戦後体制」です。
敗戦国の日本がその「秩序」の変更に挑戦することは許しがたいわけで、ある意味まっとうな話ですが、「第二次世界大戦の戦勝国が作った秩序」は普遍性のある正しいものでしょうか?違いますよね。
歴史を見ていけば、欧米と日本では「秩序」に対する考え方がまったく違うことが分かってきます。

欧米での「秩序」
欧州では勝った者が正しいという考え方がありました。
陸続きで多民族が暮らす欧州ではそうしないと治まらなかったのでしょうから、それが悪いとは言い切れません。
フランス革命の頃、勝った者が正しい論理付けとして「民主主義」が使われました。
民主主義はもっと古くには衆愚政治をもたらす悪しきものとされていましたが、多数の正義を論理付けるのに都合が良かったのです。
ところで、このように多数が共有できることを良しとする民主主義的な方法は、多数を束ねるという意味において「束ねる=ファッショ」に変質していきます。民主主義は全体主義や独裁…ファシズムの温床になる危険性を意識しないとまっとうな機能を果たせなくなってしまうことを忘れてはいけないでしょう。
話を戻して、第一次大戦で多国間で正義を共有するために「民主主義」が世界の秩序に踊り出ました。
この時、仲介役を買って出て先進国としての立場を作り上げたのがアメリカです。ですからアメリカは「民主主義」を最高の秩序として唱えるのです。
欧米ではその時有効だと共有できる間は「秩序」を堅持しますが、都合が悪くなれば新しい「秩序」を作ります。
「革命」というちゃぶ台返しも起こります。
欧米では多数派のキリスト教という根源的価値観があるから可能なのでしょうが、「秩序」は書き換えられていくのが欧米での常だろうと考えられます。

日本人の「秩序」
日本人が考える「秩序」はもっとシンプルです。
「先祖代々の訓え」
以上終わり、です。

先人の知恵を保守することが日本人にとっての「秩序」でしょう。他に何かあるでしょうか?
この日本的「秩序」っていろいろな宗教も包み込めるものですよね。八百万の神々を容認しちゃうんですから。
日本的な「察しと思いやり」も欧米では意味不明です。
そんなことをしてたら殺されるのが欧米であり、日本では狭い国土で上手くやっていく先人の知恵「秩序」を維持するため「察しと思いやり」が育ったのだろうと考えるわけです。
幕末には欧州やロシア、中国の文献を熱心に研究していたそうで。外国語で書かれた思想・哲学や科学、医学などを日本語に翻訳して学んでいました。現在の中国語の7割以上は日本語(二文字の単語)の逆輸入だそうです。
そして毛沢東はマルクス主義を日本語の本で勉強したそうですから、日本人は洋の東西を問わず先人の訓えを一所懸命汲み取ろうとした民族なのですね。
そのように、歴史伝統の中に本質があると考えて、現世での知恵を加えたり修繕して蓄積していく心持ちが日本文化としての「秩序」だろうと思います。
重要なポイントは「先祖代々の訓え」は書き換え不能なことですね。

良し悪しは置いといて、そのように全く違う文化を持つ欧米と日本が、それを理解せず(理性を持って俯瞰せず)同じように出来るはずだという「物語」に染まってしまうのはいかにも危ういな、と思います。
戦後に作られた「秩序」に盲従することは決して正当ではないと思うのです。

違いを理解した上で良い関係を築きましょう。それで問題ないはずですよね。

「戦後体制」を解いたとしても、欧米にとって日本は危険な存在ではないよ、と。
100年前の感覚をそろそろ改めてもらえませんか?というのが安倍政権…というか日本の保守政治の基本的な姿勢でしょう。

「戦勝国が作った秩序=戦後体制」への反抗、反体制。
「戦後体制」が解かれてしまうと危ない!
 と考えるアメリカ人はまだいるし、それを解こうとする安倍首相や、もっと積極的に唱えている田母神としお氏を、「戦後体制」が「秩序」だと考える欧米人が危険視するのはわかります。
しかし、日本人が安倍首相や田母神氏を、欧米的視点で批判するのは、奴隷的だなぁと思うわけです。

ボクはもう若くはないのですが、若いころにはロックは反体制の音楽だと思ってました。
パンクもそんな気分が爆発した新しいものだと、当時の自分の状況(下積みでしんどかった時代)とマッチしてよく聴いたものです。
オトナが勝手に決めて縛り付けるもの、「秩序」なるものへの反抗だったり、ベトナム戦争から戦争そのもの、戦争をやらかす権力者への反抗としてロックやパンクは定着していたと思うわけです。

上で長々書いたことを踏まえれば、改めてロックのような精神が反抗すべきは「戦後体制」なんじゃないのか?
と個人的には思ってます。

もちろん、「戦後体制打破」を錦の御旗のように掲げ思考停止を強要することは間違いです。
「問う」という意味で、必要だと思います。

都知事選挙の意義とは
都知事選の主要4候補のうち、そのような「戦勝国が作った秩序=戦後体制」の意味を問い、明確に『否!』と主張しているのは田母神としお氏だけです。
他の3候補は「戦後体制」の檻の中でしか考えられていません。
それで良いのかを問う選挙でもあります。

「戦後体制」という檻の中で血を吐きながらグルグル回るだけのマラソンを続けるか、檻から出るか。
改めて、その意味が問われる選挙でもあるでしょう。




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2014
02.01

「田母神としお氏にしか出来ないこと」

Category: 政治・社会
経済の循環、基本は「誰かが消費・投資をすれば、誰かの所得になる」です。

日清が「ラ王」カップ麺の本体価格を16%値下げ 消費増税対策で4月から 産経新聞

日清「ラ王」16%値下げ 具材見直し、増税後に備え 日本経済新聞
日経の報道によれば、他のカップラーメンも含めて30種類あるチャーシューを3種類に減らし、材料の調達先を絞り込んでコストカットすることで値下げをし、増税での需要の落ち込みに対抗するそうだ。
具材の削減。
材料調達先の絞り込み(削減ですね)。
つまり、日清と仕事をしている中小企業の収益減少、仕事を失った中小企業があった、ということなのでは?

誰かが消費や投資を「削減・縮小・節約」をすれば、他の誰かの収益、所得が減ることになります。
コストカットは廻り廻って国民の所得を減らすことになるのです。
コストカット、効率化、無駄の削減…つまり構造改革ですね。
デフレ不況時の構造改革的施策は自分の首を死ぬまで絞め続けることになってしまいます。

デフレ不況では、一企業の収益を維持するための努力は、コストカットに向かざるを得ないので日清を責めることはできません。
デフレマインドによって支出は削減、値上げなどトンデモナイ!となってしまってます。

アベノミクス再点検
国家…政府は、国債を買ってお金を刷り増やすことが出来る。…第一の矢:金融緩和。
そして、お金の使い道を示しリスクを呑み込んで事業を興すことが出来る。…第二の矢:財政出動。
企業がやらざるを得ないコストカットは、構造改革にあたります。…第三の矢:成長戦略。
アベノミクス三本の矢に当てはめれば、日清のやった施策は「第三の矢のみ」ということになります。
くり返しますが、お金を刷れず、リスクを呑めない一企業は構造改革的にならざるを得ません。

現在の安倍政権の経済政策は、金融緩和を継続してますが、財政出動が不十分です。
消費税増税で7兆円ほどの負担が増えると言われていますが、予算を増したのは5.5兆円。全然足りません。
「国土強靭化」が法制化されたのは非常に意義のあることですが、十分な予算が割かれなければ運用不十分となります。
震災対策が不十分になるだけでなく、経済効果も小さくなれば、デフレ脱却は更に遠のきます。
最も活発に見えるのは第三の矢、成長戦略。構造改革です。
国が一企業の発想でコストカットをし、国民の所得を減らすデフレ悪化へ邁進していると考えざるを得ません。
デフレマインドです。

さて、2月9日の都知事選が近づいています。
金の問題で辞任した猪瀬氏に代わる都知事を選ぶ選挙です。

ボクの選考基準
第一に首都直下型地震への積極的かつ大胆な対応。防災、減災、相互防衛。
第二に都で出来得る最善の経済政策。
都政には様々な問題が挙げられています。しかし、個別に見える問題は根っこで繋がっているものです。
震災時の対応が不十分であれば、安心して東京で経済活動に勤しみ、東京で暮らそうと思えなくなります。
経済の好循環がなければ、社会福祉も付け焼き刃の積み重ねになってしまいます。
東海、東南海で想定されている大地震でも東京がしっかりしていれば助けることが出来ますよね。
「おかげさま」の心がある候補は誰か?ということです。
であればこそ東京オリンピックで世界のお客様に気持よく来てもらえるでしょう。

加えて
クリーンな人。金の問題で前知事が辞めているのですから注目されるべきでしょう。
政府与党に依存、従属しない強い意志の持ち主。
国政での経済政策の誤りを是正する具体策と行動する勇気、胆力がある人。
都知事、というか政治家に求められる共通項ですよね。
これら選考基準をクリアしているのは 田母神としお のみです。

タモガミクス(東京総合経済対策)三本の矢
第一の矢 都民税減税により、4月の消費税増税による景気の落ち込みを防ぐ
第二の矢 防災・五輪関連の公共事業拡大
第三の矢 中小企業の「仕事」と「所得」を増やす

国政のようにお金を増やすことは出来ませんが
国家規模の予算を持つ東京は、お金の使い道を適切に指し示し、仕事を増やし、雇用増、所得増へ持って行くことが可能です。
仕事が増え、失業者が減り、所得が増えれば都民税を減税しても入ってくるお金は増えます。
そして、消費・投資が増えて誰かの所得が増えます。
この循環で経済全体が好景気へ向かうのです。
個別な「手当」でなく経済全体で考えているのは 田母神としお のみでしょう。

他候補は「積極的に削減・縮小・節約」から「どっちかといえば緊縮傾向」ですから、積極的に都がお金を使い経済の好循環でデフレ脱却をと訴えているのは田母神氏しかいない、ということになります。
強靭化など似たことを言ってたとしてもデフレマインドでは実現不可能です。
デフレを脱却する正しい取り組みができるのは 田母神氏しかいない ということでしょう。

福祉政策の具体案も、個別的でなく、人のつながりや世代のつながりを重視したもので、個人主義によって欠けていた視点を補うものです。
このように縦横、根っこのつながりを意識した政策を訴えているのは田母神氏しかいません。

田母神としおの政策(公式サイト)

…選考基準に漏れがありませんか?って?
国家観がある。
はい。それは政治家なら大前提ですから、これが問われること自体、異常事態です(苦笑)

田母神としお氏にしか出来ないことは、東京をあらゆる意味で強靭化し、東京から日本を適切に変えていく、ことです。


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