去年は震災の一年でした。
今年はそこからどうやって立ち直るか?の一年だったと思います。
東北の被災地は復興が遅々として進んでいないという情報があります。
「放射能」の風評被害は未だ強く、避難した住民の方々は生活を取り戻せていません。
農作物や漁獲物も未だに警戒しなければならない状況が続いています。
地道な調査研究がされているにもかかわらず、生かされていない現状が歯がゆい。
放射線による死者、病人が出ていない現状と乖離した過剰な意識による被害の方がよほど深刻で、その状況はこの一年で改善されてるとは言い難いでしょう。
調査結果の公開と冷静な判断が求められます。
12月16日の選挙は漠然とした不安と決然とした意思の戦いだったと思います。
現実をよく見てよく考えた上での意思、なくして民主主義は正常に機能しません。
その意味では今回選挙も十分だったとは思えませんが、かなり良い方向になってきたんじゃないかと思います。
安倍政権がスタートしました。
復旧復興も経済全体の再生なくしては不十分なので、まずは景気回復を求めたいと思います。
さて、アニメ方面です。
ボクのヱヴァ新劇場版への関わりは、「序」での原画協力に始まりました。
これは「トップ2!」6話の煙草の煙の原画を使わせて欲しいという要請でした。
当時は、たしかグレンラガンで忙しかったので物理的に無理だったんですが当初は画コンテの以来だったのでお断りしました。
その後「原画を貸して欲しい」と言われたのでOKしたのです。
ボクのエヴァへの関わりは始めから「原画」に特化していたからです。
演出面では企画当初から関わっている摩砂雪さん、鶴巻和哉がジャッジするべきものと考えたので「演出」でエヴァに関わることはないだろうとの判断でした。
その延長上に「破」「Q」もありました。
「Q」での大幅な路線変更を打ち明けられた段階で「演出」として出来ることがあるかもしれないと考えを変える事ができました。
その前哨戦が「Q」でした。
テレビエヴァからの総括として、レイアウト、原画、演出処理、画面処理のアイディア…作画としてやれば出来る全てに関わったつもりです。
とは言え、原画以外は本当に部分的なことで大して力にはなれなかったかも知れないけどね。
眼の前にあるものに「?」と思ったら言って行動で示す。表現で見せる。
庵野監督は出来ることをやりさえすれば好きにやらせてくれる監督で、今もそうです。
「シン・エヴァ」は既に始まっています。
ボクとしては、全く新しい関わり方として、テレビ時代とは違う新しい「エヴァ」に挑戦したい。
来年は戦いの一年になるでしょう。
それは、もう始まっています。
今年はそこからどうやって立ち直るか?の一年だったと思います。
東北の被災地は復興が遅々として進んでいないという情報があります。
「放射能」の風評被害は未だ強く、避難した住民の方々は生活を取り戻せていません。
農作物や漁獲物も未だに警戒しなければならない状況が続いています。
地道な調査研究がされているにもかかわらず、生かされていない現状が歯がゆい。
放射線による死者、病人が出ていない現状と乖離した過剰な意識による被害の方がよほど深刻で、その状況はこの一年で改善されてるとは言い難いでしょう。
調査結果の公開と冷静な判断が求められます。
12月16日の選挙は漠然とした不安と決然とした意思の戦いだったと思います。
現実をよく見てよく考えた上での意思、なくして民主主義は正常に機能しません。
その意味では今回選挙も十分だったとは思えませんが、かなり良い方向になってきたんじゃないかと思います。
安倍政権がスタートしました。
復旧復興も経済全体の再生なくしては不十分なので、まずは景気回復を求めたいと思います。
さて、アニメ方面です。
ボクのヱヴァ新劇場版への関わりは、「序」での原画協力に始まりました。
これは「トップ2!」6話の煙草の煙の原画を使わせて欲しいという要請でした。
当時は、たしかグレンラガンで忙しかったので物理的に無理だったんですが当初は画コンテの以来だったのでお断りしました。
その後「原画を貸して欲しい」と言われたのでOKしたのです。
ボクのエヴァへの関わりは始めから「原画」に特化していたからです。
演出面では企画当初から関わっている摩砂雪さん、鶴巻和哉がジャッジするべきものと考えたので「演出」でエヴァに関わることはないだろうとの判断でした。
その延長上に「破」「Q」もありました。
「Q」での大幅な路線変更を打ち明けられた段階で「演出」として出来ることがあるかもしれないと考えを変える事ができました。
その前哨戦が「Q」でした。
テレビエヴァからの総括として、レイアウト、原画、演出処理、画面処理のアイディア…作画としてやれば出来る全てに関わったつもりです。
とは言え、原画以外は本当に部分的なことで大して力にはなれなかったかも知れないけどね。
眼の前にあるものに「?」と思ったら言って行動で示す。表現で見せる。
庵野監督は出来ることをやりさえすれば好きにやらせてくれる監督で、今もそうです。
「シン・エヴァ」は既に始まっています。
ボクとしては、全く新しい関わり方として、テレビ時代とは違う新しい「エヴァ」に挑戦したい。
来年は戦いの一年になるでしょう。
それは、もう始まっています。
Comment:1
民主党政権の総括。
政治リテラシーを育ててくれてありがとう。さようなら。
…
さて、今後です。
安倍晋三氏が第96代内閣総理大臣に就任し閣僚も決定。
上念司氏が命名した「二十四年体制」(全部漢字で書きたい)の始まりです。
この内閣は「救国内閣」と位置付けられ、3年4ヶ月間に及んだ民主党政権への過大な授業料を補って余りある経済の立て直し、成長する日本経済の復活が求められます。
NHKニュース「安倍首相15ヶ月予算で景気回復を」
まず景気回復が最優先です。
デフレ不況を脱し、成長へ転ずることで社会に蔓延する様々な問題を解決する体力を取り戻す。
数年以内に来ると言われる大地震に備え命を救うための公共投資の充実。
これが最初の目的です。
金融緩和+公共投資はその方法。
1920年代の昭和恐慌を脱した歴史に習うものです。
金融政策では政府と日銀の政策協定が重要。
日銀は手法には独自性が担保されますが目的に当たる政策方針は政府が出します。
日本経済再生本部と民主党政権で機能していなかった経済財政諮問会議の開催で方針を出していく。
方針に従わず有効な手を打ってこなかったのが白川日銀総裁。
安倍自民党は、同じ過ちを繰り返さないよう日銀法改正を求めています。
金融緩和と日銀法改正ではみんなの党とも連携が可能です。
ロイター「みんなの党が日銀法改正案を提出」
全ては、最優先事項である「デフレ不況脱却」「経済再生」に集約されねばいけません。
日本最大の懸念、妨害勢力はマスコミです。
マスコミは手段にすぎない量的緩和を「禁じ手」「ハイパーインフレになる」と捻じ曲げ過大に危険視し、公共投資は「バラマキ」と根拠もなく批判する。
本当の「バラマキ」は、貯蓄に回る可能性の高い子ども手当や高校無償化など「所得移転」的政策であって
公共インフラの更新・拡充は将来世代の財産になり経済効果も正の相関がある。
言葉の定義を間違え印象論で「公共投資=悪者」のイメージを植え付けようとするものです。
これら印象論は安倍首相自ら、また経済学者らが間違いを指摘しているにも関わらず訂正せず繰り返しています。
誠に不真面目な態度で子どもたちの教育上もよくありません。
また、大事な問題ではあるものの時間のかかること、議論の積み重ねが必要なことがあります。
・拉致被害者奪還
・エネルギー(原発含む)
・竹島、尖閣。
・憲法
景気回復と同時に粘り強く対処しなくてはいけない重要課題ですが、経済力の低迷がネックです。
こういった個別の問題を最大化して「優先せよ」と要求するのは景気回復の足を引っ張る行為です。
本当に解決したいのであれば経済力を取り戻すことを最優先しなくていけません。
「傷心だろうが敵と立ち向かえ」「負けるとわかっていても戦うのが男だ」みたいなのは物語としてはカッコイイかも知れないけど現実では通用しません。
勇ましそうな論調に乗ってしまうと本質を見失います。
ただせさえデフレで弱っている国力が分散させられ、論点ズラしによって世論が分散・離反させられれば景気回復を進めようとする政府は支えを失います。
結果的に上記個別な問題点も解決されません。
つまり、拉致やエネルギーや領土に関する問題、憲法…保守系の国民の求めを無効化するには、個別論を煽って景気回復させないようにすれば良いわけです。
このことが理解できず煽り戦略に乗って「弱腰だ〜〜」とか批判するのは恥ずかしい行為だと思った方が良いでしょう。
まずは景気回復が最優先です。
安倍政権は衆院では自公で2/3議席を得ています。
しかし参院では過半数に満たない「ねじれ」があります。
景気回復を最優先とした政策は参院で否決された場合、衆院差し戻しで再可決できますが時間がかかります。
野党は参院で時間を使わせ景気回復を遅らせ参院選挙で「自民党が悪い」と言い張るでしょう。
夏までに回復の兆候が現れたとしても、十分な景気回復をするためには来年7月の参院選挙でも勝たなくてはいけません。
それでようやく優先順位第2位以降の懸案に取り掛かれます。
安倍政権には安定長期政権を築いて戴きましょう。
まずは景気回復が最優先です。
政治リテラシーを育ててくれてありがとう。さようなら。
…
さて、今後です。
安倍晋三氏が第96代内閣総理大臣に就任し閣僚も決定。
上念司氏が命名した「二十四年体制」(全部漢字で書きたい)の始まりです。
この内閣は「救国内閣」と位置付けられ、3年4ヶ月間に及んだ民主党政権への過大な授業料を補って余りある経済の立て直し、成長する日本経済の復活が求められます。
NHKニュース「安倍首相15ヶ月予算で景気回復を」
まず景気回復が最優先です。
デフレ不況を脱し、成長へ転ずることで社会に蔓延する様々な問題を解決する体力を取り戻す。
数年以内に来ると言われる大地震に備え命を救うための公共投資の充実。
これが最初の目的です。
金融緩和+公共投資はその方法。
1920年代の昭和恐慌を脱した歴史に習うものです。
金融政策では政府と日銀の政策協定が重要。
日銀は手法には独自性が担保されますが目的に当たる政策方針は政府が出します。
日本経済再生本部と民主党政権で機能していなかった経済財政諮問会議の開催で方針を出していく。
方針に従わず有効な手を打ってこなかったのが白川日銀総裁。
安倍自民党は、同じ過ちを繰り返さないよう日銀法改正を求めています。
金融緩和と日銀法改正ではみんなの党とも連携が可能です。
ロイター「みんなの党が日銀法改正案を提出」
全ては、最優先事項である「デフレ不況脱却」「経済再生」に集約されねばいけません。
日本最大の懸念、妨害勢力はマスコミです。
マスコミは手段にすぎない量的緩和を「禁じ手」「ハイパーインフレになる」と捻じ曲げ過大に危険視し、公共投資は「バラマキ」と根拠もなく批判する。
本当の「バラマキ」は、貯蓄に回る可能性の高い子ども手当や高校無償化など「所得移転」的政策であって
公共インフラの更新・拡充は将来世代の財産になり経済効果も正の相関がある。
言葉の定義を間違え印象論で「公共投資=悪者」のイメージを植え付けようとするものです。
これら印象論は安倍首相自ら、また経済学者らが間違いを指摘しているにも関わらず訂正せず繰り返しています。
誠に不真面目な態度で子どもたちの教育上もよくありません。
また、大事な問題ではあるものの時間のかかること、議論の積み重ねが必要なことがあります。
・拉致被害者奪還
・エネルギー(原発含む)
・竹島、尖閣。
・憲法
景気回復と同時に粘り強く対処しなくてはいけない重要課題ですが、経済力の低迷がネックです。
こういった個別の問題を最大化して「優先せよ」と要求するのは景気回復の足を引っ張る行為です。
本当に解決したいのであれば経済力を取り戻すことを最優先しなくていけません。
「傷心だろうが敵と立ち向かえ」「負けるとわかっていても戦うのが男だ」みたいなのは物語としてはカッコイイかも知れないけど現実では通用しません。
勇ましそうな論調に乗ってしまうと本質を見失います。
ただせさえデフレで弱っている国力が分散させられ、論点ズラしによって世論が分散・離反させられれば景気回復を進めようとする政府は支えを失います。
結果的に上記個別な問題点も解決されません。
つまり、拉致やエネルギーや領土に関する問題、憲法…保守系の国民の求めを無効化するには、個別論を煽って景気回復させないようにすれば良いわけです。
このことが理解できず煽り戦略に乗って「弱腰だ〜〜」とか批判するのは恥ずかしい行為だと思った方が良いでしょう。
まずは景気回復が最優先です。
安倍政権は衆院では自公で2/3議席を得ています。
しかし参院では過半数に満たない「ねじれ」があります。
景気回復を最優先とした政策は参院で否決された場合、衆院差し戻しで再可決できますが時間がかかります。
野党は参院で時間を使わせ景気回復を遅らせ参院選挙で「自民党が悪い」と言い張るでしょう。
夏までに回復の兆候が現れたとしても、十分な景気回復をするためには来年7月の参院選挙でも勝たなくてはいけません。
それでようやく優先順位第2位以降の懸案に取り掛かれます。
安倍政権には安定長期政権を築いて戴きましょう。
まずは景気回復が最優先です。
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12月23日は天皇誕生日。
世界各国が定めている最も重要な国家の日でもあります。
世界各国の「国家の日」を見てみると、建国の日の意味で定められているようです。
さらに、殆どの国が歴史文化や国家体制が革命や戦争で何度もひっくり返ったり他国の占領統治による否定を経て独立で取り戻したりするので「国家の日」は大切な記念日として何月何日と決まっています。
日本はどうでしょうか。
天皇の誕生日が国家の日になるので決まっておらず、今上天皇の平成では12月23日と定められているわけです。
皇統は125代続いているのでそのたびに国家の日は変わってきたんでしょうか。
まー、国家の日という概念がいつからかわかりませんけどね。
建国から2672年一つながりの文化を持つ国は世界では唯一ですので、国家の日が決まっていない国も唯一だろうと思います。
この鷹揚さがいかにも日本といった感じで良いですね。
国家の日の概念で世界に倣ってみれば
天皇の誕生日を祝う今日は、日本そのもの、日本の歴史・文化、日本の土地や海や生み出してきたもの、それを作ってくれた父母とその父母とそのまた父母とその兄弟姉妹とか…とにかく全部を祝う日、くらい鷹揚にとらえて良いんじゃないでしょうか。
世界各国が定めている最も重要な国家の日でもあります。
世界各国の「国家の日」を見てみると、建国の日の意味で定められているようです。
さらに、殆どの国が歴史文化や国家体制が革命や戦争で何度もひっくり返ったり他国の占領統治による否定を経て独立で取り戻したりするので「国家の日」は大切な記念日として何月何日と決まっています。
日本はどうでしょうか。
天皇の誕生日が国家の日になるので決まっておらず、今上天皇の平成では12月23日と定められているわけです。
皇統は125代続いているのでそのたびに国家の日は変わってきたんでしょうか。
まー、国家の日という概念がいつからかわかりませんけどね。
建国から2672年一つながりの文化を持つ国は世界では唯一ですので、国家の日が決まっていない国も唯一だろうと思います。
この鷹揚さがいかにも日本といった感じで良いですね。
国家の日の概念で世界に倣ってみれば
天皇の誕生日を祝う今日は、日本そのもの、日本の歴史・文化、日本の土地や海や生み出してきたもの、それを作ってくれた父母とその父母とそのまた父母とその兄弟姉妹とか…とにかく全部を祝う日、くらい鷹揚にとらえて良いんじゃないでしょうか。
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三橋貴明・さかき漣「真冬の向日葵」
作者が「なんとしても選挙前までに書き上げたかった」とブログなどで書いていた本作。
ボクは刊行されて若干後に買いましたが、その趣旨を汲み取って他の本を中断して読みました。
エヴァQで忙しくなっていましたが、会社で食事しながら、休憩中、(失礼ながら)トイレにも持ち込んで、ボクとしてはかなり速いペースで読了いたしました。
なぜ選挙までに書き上げたかったか、読者に届けたかったか。
一読すれば解ります。
「真冬の向日葵」は「コレキヨの恋文」と同様、実在の政治家の名前をアレンジしたり人物を合成したりして「フィクション」として書かれていますが、起こっていることは史実です。
07年から09年、前の安倍政権から麻生政権までをモチーフにマスメディアの偏向報道と事実との乖離を架空の人物 新米記者の一之宮雪乃の目を通して再体験していく物語。
「言ってもいないことをあたかも言ったかのように」
「明らかなウソ」
「文脈の一部を取り出して憶測を元に拡大解釈」
「『専門家』の偏った起用」
「都合の悪い意見の隠蔽」
「イメージで悪者視」
…
ありとあらゆる偏向報道が、5年前から現在も凝りもせず行われている。
マスメディアが反省せず、国民の多くが騙され「空気」に流される状況が続く限り、この小説が色褪せることはない。
現実の鏡として歪みを告発し続けるだろう。
12月15日秋葉原の”熱い”寒空の下、もし雪乃があの場に居たら?
そんな気持ちで描きました。
三橋貴明さんのブログから
”元々わたくしとさかき先生は「総選挙」のために本書を書いたのですが、来年の参議院選挙までは「対マスコミツール」としてお役に立つことになりそうです。安倍総理、麻生財務大臣という、現在の日本にとって最も適した方々が政権を握られ、もはや感情的と言ってもいい「反麻生」「反安倍」のマスコミのアンチ・キャンペーンが始まり(すでに始まっています)、彼らのプロパガンダと戦うためのツールの一つとして「真冬の向日葵」が売れ続けるという、何だかよく分からない状況になっているわけですね。”
「コレキヨの恋文」は自民党が政権を奪還した後の世界を描き、安倍総裁が提言する金融緩和+公共投資(アベノミクス)という政策で現実になろうとしています。
「真冬の向日葵」は時間軸としては過去に戻ってはいますが現在進行形です。
現実を知るための、よく見て、よく考えるためのツールとして。
将来をどう作るか?のヒントとしてお勧めです。
作者が「なんとしても選挙前までに書き上げたかった」とブログなどで書いていた本作。
ボクは刊行されて若干後に買いましたが、その趣旨を汲み取って他の本を中断して読みました。
エヴァQで忙しくなっていましたが、会社で食事しながら、休憩中、(失礼ながら)トイレにも持ち込んで、ボクとしてはかなり速いペースで読了いたしました。
なぜ選挙までに書き上げたかったか、読者に届けたかったか。
一読すれば解ります。
「真冬の向日葵」は「コレキヨの恋文」と同様、実在の政治家の名前をアレンジしたり人物を合成したりして「フィクション」として書かれていますが、起こっていることは史実です。
07年から09年、前の安倍政権から麻生政権までをモチーフにマスメディアの偏向報道と事実との乖離を架空の人物 新米記者の一之宮雪乃の目を通して再体験していく物語。
「言ってもいないことをあたかも言ったかのように」
「明らかなウソ」
「文脈の一部を取り出して憶測を元に拡大解釈」
「『専門家』の偏った起用」
「都合の悪い意見の隠蔽」
「イメージで悪者視」
…
ありとあらゆる偏向報道が、5年前から現在も凝りもせず行われている。
マスメディアが反省せず、国民の多くが騙され「空気」に流される状況が続く限り、この小説が色褪せることはない。
現実の鏡として歪みを告発し続けるだろう。
12月15日秋葉原の”熱い”寒空の下、もし雪乃があの場に居たら?
そんな気持ちで描きました。
三橋貴明さんのブログから
”元々わたくしとさかき先生は「総選挙」のために本書を書いたのですが、来年の参議院選挙までは「対マスコミツール」としてお役に立つことになりそうです。安倍総理、麻生財務大臣という、現在の日本にとって最も適した方々が政権を握られ、もはや感情的と言ってもいい「反麻生」「反安倍」のマスコミのアンチ・キャンペーンが始まり(すでに始まっています)、彼らのプロパガンダと戦うためのツールの一つとして「真冬の向日葵」が売れ続けるという、何だかよく分からない状況になっているわけですね。”
「コレキヨの恋文」は自民党が政権を奪還した後の世界を描き、安倍総裁が提言する金融緩和+公共投資(アベノミクス)という政策で現実になろうとしています。
「真冬の向日葵」は時間軸としては過去に戻ってはいますが現在進行形です。
現実を知るための、よく見て、よく考えるためのツールとして。
将来をどう作るか?のヒントとしてお勧めです。
Comment:12
16日の選挙結果。
経済政策を最優先事項とした安倍自民党が294議席を取りました。
中身を見て考えて入れた人が多かったとすれば希望です。
しかし、自民党も一枚岩ではなく党内に抵抗勢力がいます。
国家観と政策がうまく一致した人は少数で、保守政党といえども「敗戦国利得」に毒された議員が安倍総裁の足を引っ張る可能性は多々あるだろうと予想で出来ます。
なんとか、党内で議論を重ねて経済再生に集中して欲しい。
他党にも協力を仰ぎ、一致するところを探って欲しいと思う。
それがまっとうな民主主義の姿だと思う。
前途多難ですが、希望はあります。
絶望感は主に国民側です。
今回自民党に入れた人は元々関心が高く政策を見て考えて入れた人
前回お灸をすえるとして民主党に入れたもののあまりの能力の無さに絶望し自民へ戻った人。
このふたつが核になっていると思います。
安倍総裁誕生後のマスコミの攻撃や選挙戦が始まってからの「自民優勢」報道から浮動層は投票意欲を削がれたのではないか。
他の政党の政策に賛同して投票した人はそれで良いと思う。
でも、結果から見るとパーセンテージは低いです。
どうしても自民は嫌だと思う一部は維新へ流れたとして、大半の決めかね層は棄権したのではないでしょうか。
その結果が6割に満たない投票率として出たのだろうと思います。
テレビや新聞の支持率調査での「決めてない」層はたいてい4〜5割りにありますので結果に一致します。
自民党は決して大勝していません。
今回の選挙が国民に政治への関心を高めるかというと、ボクは絶望視しています。
前回「政権交代風」で投票した旧浮動層の多くは政治への関心が薄く民主党がなぜダメだったのか検証できていないと思う。
そして安倍総裁の掲げた政策の意味するところにも関心がなかったと思われます。
自民党への嫌悪感で中身を見ようともしない旧浮動層は今回投票しなかっただろうと思います。
中身や過程を見もせず選挙結果だけで「どうせダメだ」「日本は終わりだ」「日本人はバカだ」そう言って政治を遠ざけ自身の殻に戻る人が大半だろう。
そんな風に思うのは傲慢だろうか。
ボクは元々自民党支持でしたが、今回は政策面で殆ど文句のつけようがなく今までに類を見ない明確な支持姿勢でした。
しかし、いくら安倍総裁とそのブレーンががんばっても国民との協調が取れてなければ十分な結果は得られない。
自民党は過半数の議席を取りましたが、国民の半数は無関心と旧態依然。
まったくの四面楚歌だと考えざるを得ません。
依然、日本は危機敵状況です。
今回投票しなかった人にひとこと言わせて下さい。
「誰が」でなく「何を」を中心に中身をよく見て考えて、来年夏の参院選には一票を自身の言葉としてぶつけて欲しい。
都合の良いチャンスは来ません。
自分で掴まねばチャンスにはなりません。
経済政策を最優先事項とした安倍自民党が294議席を取りました。
中身を見て考えて入れた人が多かったとすれば希望です。
しかし、自民党も一枚岩ではなく党内に抵抗勢力がいます。
国家観と政策がうまく一致した人は少数で、保守政党といえども「敗戦国利得」に毒された議員が安倍総裁の足を引っ張る可能性は多々あるだろうと予想で出来ます。
なんとか、党内で議論を重ねて経済再生に集中して欲しい。
他党にも協力を仰ぎ、一致するところを探って欲しいと思う。
それがまっとうな民主主義の姿だと思う。
前途多難ですが、希望はあります。
絶望感は主に国民側です。
今回自民党に入れた人は元々関心が高く政策を見て考えて入れた人
前回お灸をすえるとして民主党に入れたもののあまりの能力の無さに絶望し自民へ戻った人。
このふたつが核になっていると思います。
安倍総裁誕生後のマスコミの攻撃や選挙戦が始まってからの「自民優勢」報道から浮動層は投票意欲を削がれたのではないか。
他の政党の政策に賛同して投票した人はそれで良いと思う。
でも、結果から見るとパーセンテージは低いです。
どうしても自民は嫌だと思う一部は維新へ流れたとして、大半の決めかね層は棄権したのではないでしょうか。
その結果が6割に満たない投票率として出たのだろうと思います。
テレビや新聞の支持率調査での「決めてない」層はたいてい4〜5割りにありますので結果に一致します。
自民党は決して大勝していません。
今回の選挙が国民に政治への関心を高めるかというと、ボクは絶望視しています。
前回「政権交代風」で投票した旧浮動層の多くは政治への関心が薄く民主党がなぜダメだったのか検証できていないと思う。
そして安倍総裁の掲げた政策の意味するところにも関心がなかったと思われます。
自民党への嫌悪感で中身を見ようともしない旧浮動層は今回投票しなかっただろうと思います。
中身や過程を見もせず選挙結果だけで「どうせダメだ」「日本は終わりだ」「日本人はバカだ」そう言って政治を遠ざけ自身の殻に戻る人が大半だろう。
そんな風に思うのは傲慢だろうか。
ボクは元々自民党支持でしたが、今回は政策面で殆ど文句のつけようがなく今までに類を見ない明確な支持姿勢でした。
しかし、いくら安倍総裁とそのブレーンががんばっても国民との協調が取れてなければ十分な結果は得られない。
自民党は過半数の議席を取りましたが、国民の半数は無関心と旧態依然。
まったくの四面楚歌だと考えざるを得ません。
依然、日本は危機敵状況です。
今回投票しなかった人にひとこと言わせて下さい。
「誰が」でなく「何を」を中心に中身をよく見て考えて、来年夏の参院選には一票を自身の言葉としてぶつけて欲しい。
都合の良いチャンスは来ません。
自分で掴まねばチャンスにはなりません。
Comment:7
明日16日は衆議院選挙です。
東京都民には都知事選挙とのダブルです。
衆議院選挙にあたっては、特にここ3年半ほどで噴出した政治課題を問う事になりそうです。
この3年半ほどの政治の混乱は様々な「被害」をもたらしはしましたが、今回の選挙は日本の政治にとって(ボク自身はアニメスタッフや制作スタッフにも共通する問題点だと考えます)必要なことは何か?を考える良い機会になっているとも考えます。
それは
*目的意識が共有されているか
*現状認識が正しく行われているか
*自由な議論によって方法が精査できているか
*優先順位が自由な議論によって正しく判断されているか
*実行力があるか
*中間結果を正しく精査し追加措置、方向修正を行えるか
などが思いつきます。
それぞれの項目について以下が担保されているかが不可欠だと思います。
・国民に正しく伝えられ共有されているか
安全保障上の守秘事項以外は公開され、正しく伝えられねば国民も政治を正確に把握できません。
今回の選挙、またはずっと以前から、国民に正しく伝えられていない事態が横行しています。
国民が正しい情報を得ていなければ政治家の主張は歪んでしまいます。
国民に正しい情報が伝わってなければ、上記*の項目全てが崩壊or無力化し、結果的に国民が「被害」を受けることになります。
先の政権交代後、約束されたことが尽く実現できなかったのは時の政権の責任ですが
それを許したのは、国民に正しい情報が伝わっていなかった故の結果だろうと考えます。
今回も性懲りもなく同様のことが起こっています。
・政治権力ばかりでなく日本そのものへ不信を抱かせようとする動き。
目的意識の共有を阻害し政治と国民の離反工作が堂々行われています。
・日本経済が14年に及ぶ長期の円高デフレ不況に見舞われている現実を歪めようとする動き。
円高デフレ脱却という優先順位の判断を誤らせます。
・守旧的なイデオロギーによって根拠不明な「叩き」が行われ自由な議論を阻害する動き。
政治不信を創作し政治の実行力や政策判断を鈍らせます。
以上のことがマスコミなどによって行われ、よく考えないままに乗っかる大衆が結果的に自分の首を自分で締める事態。
70数年前からこの過ちを何度も繰り返しています。
マスコミなどの常套手段は対立構図を作り出すことです。
かつては「鬼畜米英」でしたが戦後は日本や政治家や大企業や資産家に向けられています。
ルサンチマンを利用した手口は景気が悪い時には効果覿面ですが、国民をバカにしていますよね。
「権力者は敵だ」との意識からは上記*項目を正しく行うことはできません。
彼らは過ちを認めないので次々と新たな敵を作って自らを正当化する他ないのです。
そろそろ、このくだらないループから脱しませんか?
そのためには、一方的な言説に流されずに自分の頭でよく考えること、それを面倒臭がらないこと。
小さくても一つひとつ積み重ねることだろうと考えます。
ボク自身、特に今回はそのことを常に頭に置いています。
投票にその結果を、まずは託したい。
ほんとうに大事なのは選挙結果が出た後。
やっとスタートラインに着くのです。
明日、日本の将来をかけた「よーい、ドン!」
東京都民には都知事選挙とのダブルです。
衆議院選挙にあたっては、特にここ3年半ほどで噴出した政治課題を問う事になりそうです。
この3年半ほどの政治の混乱は様々な「被害」をもたらしはしましたが、今回の選挙は日本の政治にとって(ボク自身はアニメスタッフや制作スタッフにも共通する問題点だと考えます)必要なことは何か?を考える良い機会になっているとも考えます。
それは
*目的意識が共有されているか
*現状認識が正しく行われているか
*自由な議論によって方法が精査できているか
*優先順位が自由な議論によって正しく判断されているか
*実行力があるか
*中間結果を正しく精査し追加措置、方向修正を行えるか
などが思いつきます。
それぞれの項目について以下が担保されているかが不可欠だと思います。
・国民に正しく伝えられ共有されているか
安全保障上の守秘事項以外は公開され、正しく伝えられねば国民も政治を正確に把握できません。
今回の選挙、またはずっと以前から、国民に正しく伝えられていない事態が横行しています。
国民が正しい情報を得ていなければ政治家の主張は歪んでしまいます。
国民に正しい情報が伝わってなければ、上記*の項目全てが崩壊or無力化し、結果的に国民が「被害」を受けることになります。
先の政権交代後、約束されたことが尽く実現できなかったのは時の政権の責任ですが
それを許したのは、国民に正しい情報が伝わっていなかった故の結果だろうと考えます。
今回も性懲りもなく同様のことが起こっています。
・政治権力ばかりでなく日本そのものへ不信を抱かせようとする動き。
目的意識の共有を阻害し政治と国民の離反工作が堂々行われています。
・日本経済が14年に及ぶ長期の円高デフレ不況に見舞われている現実を歪めようとする動き。
円高デフレ脱却という優先順位の判断を誤らせます。
・守旧的なイデオロギーによって根拠不明な「叩き」が行われ自由な議論を阻害する動き。
政治不信を創作し政治の実行力や政策判断を鈍らせます。
以上のことがマスコミなどによって行われ、よく考えないままに乗っかる大衆が結果的に自分の首を自分で締める事態。
70数年前からこの過ちを何度も繰り返しています。
マスコミなどの常套手段は対立構図を作り出すことです。
かつては「鬼畜米英」でしたが戦後は日本や政治家や大企業や資産家に向けられています。
ルサンチマンを利用した手口は景気が悪い時には効果覿面ですが、国民をバカにしていますよね。
「権力者は敵だ」との意識からは上記*項目を正しく行うことはできません。
彼らは過ちを認めないので次々と新たな敵を作って自らを正当化する他ないのです。
そろそろ、このくだらないループから脱しませんか?
そのためには、一方的な言説に流されずに自分の頭でよく考えること、それを面倒臭がらないこと。
小さくても一つひとつ積み重ねることだろうと考えます。
ボク自身、特に今回はそのことを常に頭に置いています。
投票にその結果を、まずは託したい。
ほんとうに大事なのは選挙結果が出た後。
やっとスタートラインに着くのです。
明日、日本の将来をかけた「よーい、ドン!」
Comment:16
選挙があるからです!
というのは後付ですが、この本を読み始めた時には思いもよらなかった衆議院選挙が12月16日に投開票となります。
ボクはまったく大げさでなく、日本の命運がかかっていると思ってます。
そんな時期、ようやくこの本を読み終えました。
民主主義国だからこその「選挙」 それが正常に、まっとうに機能する前提は?
『民主主義』というと「良いもの」「自由主義社会の基本」「独裁・全体主義の逆」と思いますよね。
ところが、この本を読めば、それはとんでもない間違いだとわかってきます。
社会科で習う「日本国憲法」前文に示された三大原理「国民主権・基本的人権の尊重・平和主義」そのことごとくが欺瞞に満ちたものであることが…。
そんな恐ろしい事は知りたくない?
でも、今の憲法はその恐ろしいことを基準にしているのです。
どう恐ろしいかは、詳しくは本書を読んでいただきたいのですが、その歴史をざっくり書くとこんな感じ。(長いけど)
古代ギリシャでは、ガイアという女神から頂いた天や海や山々(土地)を荒廃すること無く平等に分配するために「民主政」が作り出され、人と土地と神々が一体となって社会を形成しようとした。
ずっと後の古来英国ではイエス・キリストの下、人民が平等であり、神の意思を人々が議論して公平公正な社会を作ろうとしていた。
ガイア・神の声を聞こうとする努力(義務)の対価として自由や権利を得ていた古代の人々。
神々と歴史と人々の叡智によって平穏な社会を作ろうとするもの。
古来の「民主政」
それがフランスに渡っ時、大きなズレが起きた。
時は革命前夜であり、神をも否定する社会契約論が生まれた頃。
ガイアも神もそこにはなく、権利の根拠は人民にすりかわってしまったのだ。
そこには義務はなく、一方的な権利のみが残った。
かくして、神になり代わった人民により、王権を倒すため「民主主義」「人権」は大いに活用され、王だけでは飽きたらず人民が敵と思えば殺戮してOKということになってしまった。
「権力者対国民」の構図から人々を束ねる「民主主義」が力を持ってしまった。
「民主主義の敵だ」といえば何をしても無罪だったのである。
(「共産主義」「独裁・全体主義」は国境を超えて発展した「民主主義」の傍流なのです)
しかしこの頃の人々は「はなはだいかがわしい民主主義」という認識を持っていたという。
時代は下り、「民主主義」はついに「良いもの」に転換し、国際基準となります。
第一次世界大戦
国家観、民族の違う多国が敵(ドイツなど)との戦いを正当化するために持ちだされたのが「民主主義」
フランス革命と同様、基礎的共有概念のない権利の一方的行使に活用されたのです。
この都合の良さに「いかがわしき民主主義」などという認識は吹っ飛んでしまったのだ。
この時、国際舞台に踊りでたのがアメリカでした。
以後、アメリカは、そんな「民主主義」を大いに活用することになります。
第二次世界大戦、アジアでは日本が「世界の敵」として一方的に断罪されました。
アメリカが「世界の警察国家」となった背景にこうしたイデオロギーがあると考えればすんなり納得できます。
本書冒頭にある「いかがわしき民主主義」という言葉の意味はこうしてざっと眺めただけでもわかってくると思います。
一見、良さげに見えるそれは「闘争」と切っても切れないものであり、とても平和的なものではないのです。
では、この本は「民主主義」を否定しているのか? そうではないと思います。
ホッブズが実験的に考えた社会構造における「自然権」とその「放棄」の概念。
そして、ジョン・ロックによる「自然権」の誤った方向付け。
そこから本来あるべき「民主主義」の姿は見えてきます。
ホッブズは「自然権」をこのように設定した。
人は誰でも闘争本能を持ち、自分が殺されないために誰をも殺す権利を持つ。
強い者がいればこっそり寝首をかくこともその権利のうちである。
「次から次へと力を求め、死によってのみ消滅する、永久不断の意欲」を持つのが人間だ、と。
…つまり弱肉強食より酷い世界観だ。
そして
「自己の生命維持のための権利が、かえって生命の相互破壊をもたらしてしまうから、その「自然権」を相互に放棄することによって安全な「社会状態」を作り出さねばならない」
そこには古来からの叡智や秩序を基本とした人間の工夫、理性が不可欠なことが示唆されている。
「相互に放棄する」とはそのような意思によるものですね。
ここからわかるのは
『まっとうな「民主主義」』が成り立つには、その前提に、人が持つ闘争本能(感情論)を押さえ、理性を持って議論を重ねる意思があってこそなのだ、と。それで初めて正常に機能するということなんですね。
決して、「民主主義」自体が「良いもの」でも「正しい」ものでもないのです。
どこで誤りが生じたか
「自然権とその放棄」の前提となる世界設定「自然状態」を、ロックは「人が相互に殺し合う危険性」を無視し「自分たちは良い子」であり「敵は自分たちの外にある」と設定してしまったのだ。
とんでもない独善である。
それではとても正常な理性も議論も起こらないように思えます。
これでは「感情論」や「空気」を抑えることはできません。
自分たちは「善」で自分たち以外が「悪」だと考えることになってしまうからです。
そして、この独善的概念を輸入して作られたのがアメリカ「独立宣言」だった、と。
とはいえ、アメリカは宗教心の強い人達が作ったため「神との会話による義務と権利」が自然に担保されたと言えそうですが、先住民排斥の歴史や多民族を束ねるアメリカにとって「民主主義」は好都合なシステムだったとも言えるでしょう。
…敵を設定しさえすれば、ね。
「民主主義」には議論がつきもの。
なんだ、アタリマエのことじゃないか。と思うでしょう。
しかし、人々が感情を煽り合い「空気」に流され束になって「民主主義」を振りかざし始めたら、もうわからなくなります。
日本人も71年前の明日12月8日、国民は日米開戦を支持していました。
「マスコミに煽られたから」?「大本営発表しか知らされなかったから」?
それもあったでしょう。
しかし、当時の新聞が伝える日英、日米、東南アジアの報道は少なからず史実と一致し、当時の外交を痛切に批判する本も立派に刊行されていたことが戦後焚書になった書物(国会図書館や古書店でGHQによる廃棄を免れた)の分析でわかっています。
にも関わらず、なぜ?と思わずにはいられません。
日本は負けました。
そしてそして、後になって「日本の戦争は自衛戦争だった」と認めたマッカーサーの草案により作られたのが「日本国憲法」なのです…
おあとがよろしいようで…
とは行きません!
ここからは本で触れてない部分。この日記の核心です。
思い出してみて下さい。
ボクたちの日本はどんな国でしょうか?
読み返してみて下さい。
古代ギリシャが生んだ「民主政」の土台は日本に似ていませんか?
戦後それを否定された日本はプチ・フランス革命状態ではありませんか?
「日本独自の民主主義」はある。
ただ、忘れられているだけです。
「憲法」とは本来文字に書かれないもので、成文のものは「憲法典」というそうです。
ボクたちが共有している「嘘をついてはいけない」「食べ物は粗末にしてはいけない」「おじいさんおばあさんを敬おう」こうしたものが「憲法」の祖なのだと思います。
ホッブズが設定した「相互に放棄する」は、日本人の「察しと思いやり」に当たるのでしょう。
この日本の道徳観は独特なものであって、すべてが世界標準にはなり得ないように、他国の歴史・文化から生まれたものは移植不可能なのです。
「日本国憲法」はフランス革命前後から出来上がった西欧の「いかがわしき民主主義」を基礎としています。
しかし大陸を舞台にした恐ろしい歴史の末にようやく得た叡智、理性と議論によって成り立っている。
ガイア・神を基礎としないボクらの日本とは尚更 相容れなくて当然なのです。
齟齬が生まれて当然なのです。
現代社会に次々起こる不可解な事件、モラルの低下、悪しき個人主義、政治の腐敗…。
それを「みんな憲法のせいだ!」とは言わないまでも、遠因として拭い切れないと思っています。
「成立過程ではなく中身でみれば良い憲法だ」
そんな意見を目にすると、本当ですか?と問いたくなります。
成立過程だけが問題ではないんです。九条だけでもありません。
「日本国憲法」は自ら戦争を検証し反省を刻んだものですか?
日本人が持つ歴史・文化、道徳観に合った独自の憲法典が必要ではないですか?
「日本国憲法」の放置は、単なる「憲法問題」ではおさまりません。
自国文化への謙虚さを60年間もおろそかにしてしまったのではないか。
それがどんな結果をもたらしたのか。
この本を読みながら色々と考えを巡らしました。
そして『まっとうな「民主主義」』を発動させるためにも
12月16日
虚心坦懐、候補者の声を聞きに聞き、考えに考えて、一票を投じましょう。
というのは後付ですが、この本を読み始めた時には思いもよらなかった衆議院選挙が12月16日に投開票となります。
ボクはまったく大げさでなく、日本の命運がかかっていると思ってます。
そんな時期、ようやくこの本を読み終えました。
民主主義国だからこその「選挙」 それが正常に、まっとうに機能する前提は?
民主主義とは何なのか (文春新書) (2001/09) 長谷川 三千子 商品詳細を見る |
『民主主義』というと「良いもの」「自由主義社会の基本」「独裁・全体主義の逆」と思いますよね。
ところが、この本を読めば、それはとんでもない間違いだとわかってきます。
社会科で習う「日本国憲法」前文に示された三大原理「国民主権・基本的人権の尊重・平和主義」そのことごとくが欺瞞に満ちたものであることが…。
そんな恐ろしい事は知りたくない?
でも、今の憲法はその恐ろしいことを基準にしているのです。
どう恐ろしいかは、詳しくは本書を読んでいただきたいのですが、その歴史をざっくり書くとこんな感じ。(長いけど)
古代ギリシャでは、ガイアという女神から頂いた天や海や山々(土地)を荒廃すること無く平等に分配するために「民主政」が作り出され、人と土地と神々が一体となって社会を形成しようとした。
ずっと後の古来英国ではイエス・キリストの下、人民が平等であり、神の意思を人々が議論して公平公正な社会を作ろうとしていた。
ガイア・神の声を聞こうとする努力(義務)の対価として自由や権利を得ていた古代の人々。
神々と歴史と人々の叡智によって平穏な社会を作ろうとするもの。
古来の「民主政」
それがフランスに渡っ時、大きなズレが起きた。
時は革命前夜であり、神をも否定する社会契約論が生まれた頃。
ガイアも神もそこにはなく、権利の根拠は人民にすりかわってしまったのだ。
そこには義務はなく、一方的な権利のみが残った。
かくして、神になり代わった人民により、王権を倒すため「民主主義」「人権」は大いに活用され、王だけでは飽きたらず人民が敵と思えば殺戮してOKということになってしまった。
「権力者対国民」の構図から人々を束ねる「民主主義」が力を持ってしまった。
「民主主義の敵だ」といえば何をしても無罪だったのである。
(「共産主義」「独裁・全体主義」は国境を超えて発展した「民主主義」の傍流なのです)
しかしこの頃の人々は「はなはだいかがわしい民主主義」という認識を持っていたという。
時代は下り、「民主主義」はついに「良いもの」に転換し、国際基準となります。
第一次世界大戦
国家観、民族の違う多国が敵(ドイツなど)との戦いを正当化するために持ちだされたのが「民主主義」
フランス革命と同様、基礎的共有概念のない権利の一方的行使に活用されたのです。
この都合の良さに「いかがわしき民主主義」などという認識は吹っ飛んでしまったのだ。
この時、国際舞台に踊りでたのがアメリカでした。
以後、アメリカは、そんな「民主主義」を大いに活用することになります。
第二次世界大戦、アジアでは日本が「世界の敵」として一方的に断罪されました。
アメリカが「世界の警察国家」となった背景にこうしたイデオロギーがあると考えればすんなり納得できます。
本書冒頭にある「いかがわしき民主主義」という言葉の意味はこうしてざっと眺めただけでもわかってくると思います。
一見、良さげに見えるそれは「闘争」と切っても切れないものであり、とても平和的なものではないのです。
では、この本は「民主主義」を否定しているのか? そうではないと思います。
ホッブズが実験的に考えた社会構造における「自然権」とその「放棄」の概念。
そして、ジョン・ロックによる「自然権」の誤った方向付け。
そこから本来あるべき「民主主義」の姿は見えてきます。
ホッブズは「自然権」をこのように設定した。
人は誰でも闘争本能を持ち、自分が殺されないために誰をも殺す権利を持つ。
強い者がいればこっそり寝首をかくこともその権利のうちである。
「次から次へと力を求め、死によってのみ消滅する、永久不断の意欲」を持つのが人間だ、と。
…つまり弱肉強食より酷い世界観だ。
そして
「自己の生命維持のための権利が、かえって生命の相互破壊をもたらしてしまうから、その「自然権」を相互に放棄することによって安全な「社会状態」を作り出さねばならない」
そこには古来からの叡智や秩序を基本とした人間の工夫、理性が不可欠なことが示唆されている。
「相互に放棄する」とはそのような意思によるものですね。
ここからわかるのは
『まっとうな「民主主義」』が成り立つには、その前提に、人が持つ闘争本能(感情論)を押さえ、理性を持って議論を重ねる意思があってこそなのだ、と。それで初めて正常に機能するということなんですね。
決して、「民主主義」自体が「良いもの」でも「正しい」ものでもないのです。
どこで誤りが生じたか
「自然権とその放棄」の前提となる世界設定「自然状態」を、ロックは「人が相互に殺し合う危険性」を無視し「自分たちは良い子」であり「敵は自分たちの外にある」と設定してしまったのだ。
とんでもない独善である。
それではとても正常な理性も議論も起こらないように思えます。
これでは「感情論」や「空気」を抑えることはできません。
自分たちは「善」で自分たち以外が「悪」だと考えることになってしまうからです。
そして、この独善的概念を輸入して作られたのがアメリカ「独立宣言」だった、と。
とはいえ、アメリカは宗教心の強い人達が作ったため「神との会話による義務と権利」が自然に担保されたと言えそうですが、先住民排斥の歴史や多民族を束ねるアメリカにとって「民主主義」は好都合なシステムだったとも言えるでしょう。
…敵を設定しさえすれば、ね。
「民主主義」には議論がつきもの。
なんだ、アタリマエのことじゃないか。と思うでしょう。
しかし、人々が感情を煽り合い「空気」に流され束になって「民主主義」を振りかざし始めたら、もうわからなくなります。
日本人も71年前の明日12月8日、国民は日米開戦を支持していました。
「マスコミに煽られたから」?「大本営発表しか知らされなかったから」?
それもあったでしょう。
しかし、当時の新聞が伝える日英、日米、東南アジアの報道は少なからず史実と一致し、当時の外交を痛切に批判する本も立派に刊行されていたことが戦後焚書になった書物(国会図書館や古書店でGHQによる廃棄を免れた)の分析でわかっています。
にも関わらず、なぜ?と思わずにはいられません。
日本は負けました。
そしてそして、後になって「日本の戦争は自衛戦争だった」と認めたマッカーサーの草案により作られたのが「日本国憲法」なのです…
おあとがよろしいようで…
とは行きません!
ここからは本で触れてない部分。この日記の核心です。
思い出してみて下さい。
ボクたちの日本はどんな国でしょうか?
読み返してみて下さい。
古代ギリシャが生んだ「民主政」の土台は日本に似ていませんか?
戦後それを否定された日本はプチ・フランス革命状態ではありませんか?
「日本独自の民主主義」はある。
ただ、忘れられているだけです。
「憲法」とは本来文字に書かれないもので、成文のものは「憲法典」というそうです。
ボクたちが共有している「嘘をついてはいけない」「食べ物は粗末にしてはいけない」「おじいさんおばあさんを敬おう」こうしたものが「憲法」の祖なのだと思います。
ホッブズが設定した「相互に放棄する」は、日本人の「察しと思いやり」に当たるのでしょう。
この日本の道徳観は独特なものであって、すべてが世界標準にはなり得ないように、他国の歴史・文化から生まれたものは移植不可能なのです。
「日本国憲法」はフランス革命前後から出来上がった西欧の「いかがわしき民主主義」を基礎としています。
しかし大陸を舞台にした恐ろしい歴史の末にようやく得た叡智、理性と議論によって成り立っている。
ガイア・神を基礎としないボクらの日本とは尚更 相容れなくて当然なのです。
齟齬が生まれて当然なのです。
現代社会に次々起こる不可解な事件、モラルの低下、悪しき個人主義、政治の腐敗…。
それを「みんな憲法のせいだ!」とは言わないまでも、遠因として拭い切れないと思っています。
「成立過程ではなく中身でみれば良い憲法だ」
そんな意見を目にすると、本当ですか?と問いたくなります。
成立過程だけが問題ではないんです。九条だけでもありません。
「日本国憲法」は自ら戦争を検証し反省を刻んだものですか?
日本人が持つ歴史・文化、道徳観に合った独自の憲法典が必要ではないですか?
「日本国憲法」の放置は、単なる「憲法問題」ではおさまりません。
自国文化への謙虚さを60年間もおろそかにしてしまったのではないか。
それがどんな結果をもたらしたのか。
この本を読みながら色々と考えを巡らしました。
そして『まっとうな「民主主義」』を発動させるためにも
12月16日
虚心坦懐、候補者の声を聞きに聞き、考えに考えて、一票を投じましょう。
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