MLBの価値観からイチローは生まれただろうか

このブログでとりあげたからといって、世界中で飛び交う情報に、何にも追加できるわけではないけれど、ブログの日記性ということから、この出来事についても、そのとき私が何を思ったかという意味で書いておくことにした。
写真はネット上の動画からキャプチャしたもの。
Yahoo映像トピックス「イチロー、ローズ超えた偉業達成の瞬間」から。
なぜこっち(キャッチャーゴロ内野安打)を選んだかというと、こっちの方がある意味イチローらしいと思ったから。
4257本目の眼の醒めるようなツーベースの方がはるかに恰好良いけれど、年齢を加え、出場機会も限られてきて、それでも最高のコンディションを維持して、自分の出番に備えるというイチローのひたむきさが良く表れている、そう感じたから。
ローズの記録との比較がやかましいけれど、イチローはイチロー、ローズはローズ、どちらも最高のバッターで、どちらが上かなんてことは、永遠に決着しないだろう。それはローズとカッブのどちらが上かというのと同様だろう。あるいは、ペレとメッシのどっちが上かなんてことと同じ。
ローズは野球賭博で晩節を汚し、MLBを追放されている。古代ローマだったら「記録抹殺刑(Damnatio Memoriae)」を受けて記録そのものを失ったかもしれないが。
それにしてもイチローの記録達成で思うのは、MLBでは、だからといってイチローの出場に特別な配慮はしてないように見えること。日本だったら記録のためには間違いなく1番イチローで使い続けるのじゃないだろうか。言い換えれば、イチローが試合に出ること自体が凄いことで、だからこそMLBの記録は値打ちが高いのだと思う。
MLB記録しか認めないという人に対して、イチローがもしはじめからMLBでプレイしていたらということで、MLBはNPBより試合数が多いとか、イチローはNPBのときよりMLBへ行ってからの方が試合当たりヒット数が多いとかで、今頃は4600安打打ってるだろうという人もいる。
しかし、もしイチローがはじめからアメリカへ行ってたら、マイナーリーグからはじめて、メジャーへ順調に上がれただろうか? あの華奢にも見える体で?
ホームランを打てる打者でなければ引き上げられなかったのでは。もちろんイチローはホームランを狙ったらそれなりの結果を出したかもしれないが、決して他を圧するような成績は出せず、メジャーに上がるのは難しかったかもしれない。
そう思うと、オリックスで仰木監督に巡り合い、見い出され、自由に活躍の機会を与えられたことが重要なのではないだろうか。
今、大谷翔平が注目されているが、彼も栗山監督によって、さまざまな活躍の場を与えられている。日本ハムは大谷翔平を口説き落とすのに、高卒でメジャーを目指すことがいかに大変であるか詳細なレポートを示したそうだが、大谷も、もしいきなりアメリカへ行っていたら、どうなっていただろう。
MLBの価値観の中だけでプレイしていたのでは、イチローはMLBの舞台に立つこともできなかったかもしれない。
ところで、イチローがメジャーへ行くことが決まったとき、日本ではおおかたの予想では(そしてアメリカ側でも)、そんなに活躍はできないだろうと言われていたと思う。日本では「振り子打法」として有名だったが、メジャーではこれは通用しないとも言われていたと思う(イチローはメジャーでは振り子打法はやめている)。
本人がインタビューに答えて「常に人に笑われてきた悔しい歴史」と話したという。
本当にそうだ。
これからはアメリカの子供でも、イチローみたいな選手になりたいと言って笑われることはないだろう。
イチローはMLBの価値観も変えたのではないだろうか。