オリンピック・エンブレム

Untitled23.jpg 全国的に大騒ぎのオリンピック・エンブレム問題、けっきょく使用中止と決定され、それはそれで、既に作ったポスターや、スポンサーCMとか、被害も出ていると伝えられている。

この問題では、他の仕事について佐野氏の事務所が盗作まがいのことを行っていたことも指摘されている。これについては、佐野氏自身が認めている。デザイナーとスタッフの関係がどんなものか知らないが、もし、事務所が一つの組織であるなら、その代表者が責任を問われることは当然だろう。

それはそれとして、オリンピック・エンブレムについてだは、最初のデザインが類似デザインがあるということで、2度の修正をしたということだけど、ということは、まず佐野氏が選ばれて、それから修正を求めたということなのだろうか。

修正で目につくのは、三角の部分が、直線の三角から、円で切り取った三角になっているところだと思う。
直線の三角ではあまり躍動感を感じないし、 Tokyo のTが当たり前すぎて、私にはつまらなく見える。後の円弧になったもののほうが良い(円弧というのは、力を蓄えている表現だと私は感じる)。
また、1回目の修正は三角が3つと多すぎ、下に2つ配置されると、落ち着きすぎて、これも動きを消しているように思う。やっぱり最後のものがデザインとしては一番良いように思う。
と、いろいろ評しても、デザインに対する審美眼を持っていると自分でも思わない。所詮、ど素人の感想にすぎないのだけれど。

20150826k0000e050221000p_size7.jpg 盗作かどうかの議論も喧しいが、私は盗作、少なくとも意図的な盗作だとは思っていない。デザインに詳しい人のコメントなどでは、他人のデザインにインスピレーションを受けることはある、だからといってそれが作品に影響を与えても盗作とは言わないとのこと。
私もそう思う。

インスピレーションを受けること自体はいくらでもありそうだし、問題のデザインのようなシンプルな形・色の組み合わせなら、他人の空似になる可能性は高いと思う。
盗作問題の契機となった、劇場のロゴマークなんかは、色が黒一色だから、形だけの問題になるわけだが、それで似ていると言えば、長い長方形と円を切り取った形を使えば、どんなものでも似てくると思う。

前に、モンドリアンの記事で、「誰がどんな思いで、あるいは何も考えずに、こういう作品を描いたとしたら、モンドリアンを知る誰もが、モンドリアンの模倣(盗作)だと言うに違いない。逆説的だが、それほどユニーク」と書いた。純色と矩形(黄金矩形)の組み合わせによるデザインはみんなモンドリアンになる。

寡聞にして知らないだけかもしれないが、モンドリアンの盗作、というのはあるのだろうか。偽作はいっぱいありそうな気はするが。
グラフィック・デザインとはそうしたものなのだろう。


インスピレーションまで含めて盗作ということになると、デザイン自体が成り立たないという意見がある。そういうものまで保護しなければならないのかということである。
私もそう思うけれど、裏返して言えば、この種のデザインは、特に守る必要などないということになるのではないだろうか。ただし、他のデザインと紛れると、商標などで使われている場合は問題がある。オリンピック・エンブレムの場合、下にはっきりと、"Tokyo 2020" とあり、五輪マークが配されているから、全体としては紛れる心配はない。

誰でも簡単にまねできそうなものには、そもそも著作権など認めなくても良いという考え方もあるのではないだろうか。
以前、「猿の著作権」の記事に、「誰が書いても同じようになるものに著作権を認めると実に窮屈なことになる。」と書いたけれど、それに近い状況と言えるかもしれない。

おまえは創作価値をどう考えているのかと質されそうだが、著作権だけがデザイナーの利益ではないだろう。デザイン料なども利益になる。
それに、バッハ、モーツァルトは著作者としての保護は受けなかった。だからモーツァルトは早逝してしまったのだけれど。

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