「百人一首―編纂がひらく小宇宙」(その2)

71IvvCCq5IL1500_.jpg 田渕句美子「百人一首―編纂がひらく小宇宙」の2回目。

昨日は『百人一首』の成立に関して、今まで信じられていたように藤原定家の撰とは考えられないことが論証されている点に注目した。

今日は、副題の「編纂がひらく小宇宙」に注目しよう。
勅撰和歌集には、春・夏・秋・冬・賀・離別・羈旅・物名・恋・哀傷・雑などの部立があるが、普通、こうした和歌集は複数の撰者がいて、伝統(古今集以来)の部立にのっとって、秀歌を採録しているとのことだが、『百人秀歌』のような撰歌集は、一人の撰者=編集者が、そのビジョンに沿って歌を配列する。
「編纂がひらく小宇宙」という言葉は、『百人一首』も『百人秀歌』も飛鳥時代の天智、持統から、定家の時代までの歌が並べられているが、その並びに撰歌した人の意図、世界観そういうものが表現されていることを指している。

もちろん障子に貼られた歌の配列を二次元で読み解くというようなことにはならない。

いわば過去・現在の数ある歌から、ビジョンに沿うものを撰びだし、それを描くにふさわしい配列でまとめられる。これをアンソロジーと称している。

なお、『百人一首』と『百人秀歌』を比べているが、主として『百人一首』の構成に注目しているようだ。


序 章 『百人一首』とは何か―その始原へ
 
第一章 『百人一首』に至る道
1 勅撰和歌集というアンソロジー
    ―撰歌と編纂の魔術
2 八代集という基盤
    ―「私」から複数の人格へ
3 『三十六人撰』から『百人一首』へ
    ―〈三十六〉と〈百〉の意味
 
第二章 『百人一首』の成立を解きほぐす
1 アンソロジスト藤原定家の登場
    ―編纂される和歌と物語
2 『百人秀歌』と『百人一首』
    ―二つの差異から見えるもの
3 贈与品としての『百人秀歌』
    ―権力と血縁の中に置き直す
4 定家『明月記』を丹念に読む
    ―事実のピースを集めて
 
第三章 『百人一首』編纂の構図
1 『百人一首』とその編者
    ―定家からの離陸
2 配列構成の仕掛け
    ―対照と連鎖の形成
3 歴史を紡ぐ物語
    ―舞台での変貌
4 和歌を読み解く
    ―更新される解釈
5 『時代不同歌合』との併走
    ―後鳥羽院と定家
 
第四章 時代の中で担ったもの
1 歌仙絵と小倉色紙
    ―積み重なる虚実の伝説
2 和歌の規範となる
    ―『百人一首』の価値の拡大
3 異種百人一首の編纂
    ―世界を入れる箱として
4 『百人一首』の浸透
    ―江戸から現代まで
 
終 章 変貌する『百人一首』―普遍と多様と
 
『百人秀歌』『百人一首』所収和歌一覧
図版出典一覧
主要参考文献
あとがき
この配列では、〔和泉式部―紫式部―大弐三位―赤染衛門―小式部内侍―伊勢大輔―清少納言〕という王朝女房歌人の並びというものもあるし、〔紅葉(春道列樹)―花(紀友則)―松・昔・人(藤原興風)―花・昔・人(紀貫之)〕という並びもある。
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これらを順に配することで、典雅な王朝文化に思いをはせたり、季節の情景を開かせたりする効果が狙われているというわけだ。
また、歌合せという伝統もあって、この場合は2つの歌を番わせる。『源氏物語』には同様の趣向で絵合わせがあることが有名だし、俳諧にもあるようだ。歌合せでは左方、右方に分けて歌を出して、どちらが優れているかを判定するが、この番のイメージが撰歌集にももちこまれている場合もある。
もっとも『百人一首』をかるたで見ていたのでは、このような配列は全くわからない。

坊主めくりをするときに、姫、侍、坊主を意識することはあるが。


構成の話はいろいろおもしろいけれど、いくつかの歌についての解説では、私が解釈あるいは鑑賞を誤っていたと気づかされたものがあった。

 「心あてに」の幻視と緊張

凡河内躬恒  

心あてに折らばや折らん初霜の置きまどはせる白菊の花  (二九)

(心して見定めて折るなら折れるだろうか。 初霜が一面におりて、霜か白菊か見分けにくくしているけれど、その白菊の花を。)

「心あてに」は従来「当て推量に」「あてずっぽうに」と訳されることが多かったが、徳原茂実[二〇一五、初出は一九八九]によって「よく注意して」「慎重に」という意であることが論証された。渡部泰明[一九九七]がこれをふまえて、「初霜が置くなか、いっそう白さを際立たせて咲く白菊。ぜひにも折り取りたいが、その凜としたこの世ならぬ美しさは、どうしても手を触れるのをためらわせる。その美を、錯視とためらいの身振りの表現によってかろうじて我が物にして見せたのである」と評し、この歌の魅力を解き明かした。この歌が古来から愛され、理屈だけの歌が嫌いな俊成・定家にも評価されたことが納得される。
 「あてずっぽうに」ではこの歌のいのちが消えてしまいかねない。正岡子規が「五たび歌よみに与ふる書」で「一文半のねうちも無之駄歌に御座候。此歌は嘘の趣向なり。初箱が置いた位で白菊が見えなくなる気遣無之候。」などと激烈に批判して有名になったが、比喩ではなく、韜晦された讃美の表現なのである。ある国語教科書には「見当をつける」とあって、訳としては正しいが、動作表現の感じがする。「心して」「慎重に」という意によって、白が重層する白艶美を前にしての感動、ためらい、緊張感がより正確に伝わると思う。

私も古文の授業で「あて推量で」と習った憶えがある。ネットで検索しても、いくつか見た範囲ではいずれも「あて推量で」という解説がついている。まだ「よく注意して」と解説しているページは見当たらない。子規ですら読み違えていたのだから、私ごときが誤解していたとしても羞しくないのかもしれないけれが、今後、この新しい解釈が広がっていくのだろうか。

もう一つあげておこう。これは歌そのものの解釈ではなく、詠み手に対するものなのだけど。
 式子内親王が「男装」した歌

式子内親王  

玉の緒よあ絶えなば絶えね長らへば忍ぶることの弱りもぞする (八九)

(私の命よ、絶えるなら絶えてしまえ。 長らえると、私の恋をあの人に秘めておく心が弱って、抑えきれずに思いが外に現れてしまうかもしれないから。)

『百人一首』の中で最もよく知られている歌の一つだろう。『新古今集』では恋一にある。自らの死を願って緊迫する上旬、「長らへば」で一呼吸おき、流れ落ちるように収束する下旬。強く張りつめた弦のような響きが、下旬で哀艶なはかない音に変わっていく。この歌では、「絶え」「長らへ」「弱り」がすべて「緒」(糸)の縁語である。縁語とは、歌の中に散乱する詞を、掛詞を用いて裏側で一つのイメージにまとめるものであり、表側の解釈には出てこない。この歌は『新古今集』の詞書によると「忍恋」という歌題の題である。既に述べたように、題詠歌では作者と詠歌主体とは別なのだが、この歌の切迫した感情が印象的なゆえか、式子自身の恋をそこに読み取ることが度々行われてきた。一般に女性歌人の恋歌については、現実の恋を想像する解釈が行われがちな面もあるだろう。
 この歌について、「忍恋」という歌題は、恋の初期段階に、男性が恋する女性に思慕の情を明かさないことであって、「玉の緒よ……」は男歌(男性が詠歌主体の歌)の題であることが論証された[後藤祥子、一九九二]。 しかも、式子の恋歌には全体に男歌と思われるものが多い。そして武子は百首歌をいくつも詠んでいる。式子内親王についてはかつて論じたが[田洲句美子、二〇一四]、ここでも少し触れておきたい。
 内親王がジェンダーを超え、いわば「男装」して詠んだ男歌は、和歌の歴史で式子の作が最初であり、特異なことだった。しかも式子内親王以前には、内親王は百首歌を詠まず、公的な場で詠歌を詠む機会もなく、男歌も詠まないのが普通だった。内親王という不自由な立場にいた式子が、題詠歌の中での自由さを愛し、作歌に身を捧げたと言えよう。さらには、激情的な、死を歌う恋歌をさまざまに題詠で詠んだことも、皇女として逸脱している。
 式子内親王のイメージには、現在でも、恋情を内に押し隠した孤独な未婚の皇女、斎院という特別な空間に生きた皇女、あるいは世に忘れられた皇女、といった像があるかもしれない。しかしそれは、武子の歌の見方を狭めてしまう。
 しかも式子は社会的に、世に忘れられた皇女ではない。文治元年(一一八五)には准后となっており、准后は年官・年爵という昇進の推薦の権利を持つので、人々が周囲に集まる。定家の父俊成は式子内親王に和歌を指導し、また式子内親王家に娘二人を女房として出仕させており、定家も家司として出仕させた。定家もまた子息光家と娘因子を式子のもとに参上させ、繋がりを密にしようとしている。御子左家と式子内親王との関わりは深い。

私も今まで、リアルであるかフィクションであるかはあっても、女性の激しい恋心として読んでいた。しかし本書では、これは男性の恋心について題詠として詠んだもので、式子内親王は題詠を利用してみずからを自由な歌人に解放したと解されている。

歌に限らず小説や戯曲などを書くとき、あるいは役者が役を演じるとき、それはまったくの虚構であっても良い。というか、自分の実体験でなければ本当のものは作れないなどと言うのには賛同できない。それはこの式子内親王の歌を偽物ということと同じ態度であるわけだが、人間、自分のリアルを他人に見せるなんてことは、それこそ羞しいことではないだろうか。
リアリティがなければ物語はつまらない。しかしそれは現実そのものではない。
ただし、作り話より事実のほうがずっと荒唐無稽だという場合も多いのだけれど。

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