〝「人口ゼロ」の資本論〟(その2)
大西広〝「人口ゼロ」の資本論―持続不可能になった資本主義〟の2回目。
昨日は本書の理論ベースとなっている数理マルクス経済学に注目したが、今日はそれが人口減少・少子化をどう解釈しているのかに着目する。こちらが本書のメインテーマである。
まず、日本国の合計特殊出生率が大きくおちこんでいること、世界の先進国の多くが軒並み人口置換水準の2.07を下回っていることを指摘しているが、次の2つが印象的である。
一つは、欧米では、人口減少=労働力減少を補うために、外国人労働者を使っているということ。著者によると、欧米のこのやり方は、今に始まったことではなく、古代ローマ時代からそうだったという。
そして言うまでもなく、米国は大量のアフリカ人奴隷を輸入し、プランテーションなどで奴隷労働を強いた。
日本国も外国人労働者の導入が進んでいて、それはコンビニやファーストフードチェーンなどでは随分身近なものになりつつある。
本書ではそのことの是非は措いて、労働力確保には必要なことになっているとしているけれど、同時にこうした外国人労働者は低賃金で働いていること、同時に日本人労働者にもそれがはねかえっていることを指摘する。
その中で中国の少子化は他国とは様相が異なるという。
先日のテレビ報道によると、中国のAIは既に米国製のものと肩を並べているといわれ、動画生成AI(KLING)は世界を驚かせているという。それだけではなく、中国にはAIが都市のインフラを管理する実験都市が何か所も作られており、既にそこで多数の人が生活していて、AIの進化に不可欠なデータが他国ではありえない分野・量で蓄積されているという。
この人口減少、少子化が資本主義経済体制とどう関連しているのか、次のように述べる。
それと関連するのか、欧州の先進国では、子育て・子供の教育は、既にかなりな程度「社会化」されているという。
では日本も同じような社会化ができるだろうか。
こうしたことがあるため、子育て支援施策において、全世帯を対象とするか、所得制限を設けるべきかという議論もある。著者もどちらが優れているかについては難しい問題とするにとどめている。
であるけれど「最底辺層」なるものが存在しなければ、こうした問題で悩む必要もないわけで、格差をつくることで利潤をあげる資本主義と、人口ゼロの競争になるのかもしれない。
昨日は本書の理論ベースとなっている数理マルクス経済学に注目したが、今日はそれが人口減少・少子化をどう解釈しているのかに着目する。こちらが本書のメインテーマである。
まず、日本国の合計特殊出生率が大きくおちこんでいること、世界の先進国の多くが軒並み人口置換水準の2.07を下回っていることを指摘しているが、次の2つが印象的である。
一つは、欧米では、人口減少=労働力減少を補うために、外国人労働者を使っているということ。著者によると、欧米のこのやり方は、今に始まったことではなく、古代ローマ時代からそうだったという。
そして言うまでもなく、米国は大量のアフリカ人奴隷を輸入し、プランテーションなどで奴隷労働を強いた。
日本国も外国人労働者の導入が進んでいて、それはコンビニやファーストフードチェーンなどでは随分身近なものになりつつある。
本書ではそのことの是非は措いて、労働力確保には必要なことになっているとしているけれど、同時にこうした外国人労働者は低賃金で働いていること、同時に日本人労働者にもそれがはねかえっていることを指摘する。
まえがき | ||
Ⅰ部 人口問題は貧困問題 | ||
第1章 日本人口は2080年に7400万人に縮む | ||
地方も東京も高齢化による衰退が加速する /世界で突出して少ない日本の年少者人口比率 /「少子化対策」程度のことしかできない資本主義 | ||
第2章 労働者の貧困化が人口減の根本原因 | ||
なぜ若者は結婚しないのか /結婚・出産は貧困への道 /「失われた20年」で「未婚化」が進む /経済条件の不足による出産制限 /結婚・出産というハードルを越えても /中国の少子化との決定的違い | ||
Ⅱ部 マルクス経済学の人口論 | ||
第3章 経済学は少子化問題をどのように論じているか | ||
マルクス経済学は主流派経済学と矛盾しない /子供が多いほど嬉しいが、1人あたりの嬉しさは減る!? /子供の「コスト」と「メリット」 /将来人口ゼロのショックな結論 | ||
第4章 マルクス経済学の人口論 | ||
「ヒトの軽視」が生んだ人口減 /「資本論」ではどう書かれているか /教育費高騰で少子化は不可避か /生産条件の根本的変化に対応できていない資本主義 /「再生産」という観点の重要性 /民族主義とマルクス主義との接点 /外部からの人口補給としての移民 | ||
補論 「マルクスの相対的過剰人口論」は一般的に通用しない | ||
第5章 人口論の焦点は歴史的にも社会格差 | ||
もう一度「資本論」を読む /前近代日本の人口変動も階級間で大きな違い /歴史人口学が解明した前近代の人口変動 /生産力が人口を制限するマルサス的状況 /国家と社会による生殖強制 /本書の立場は階級理論 | ||
第6章 ジェンダー差別は生命の再生産を阻害する | ||
家事労働のマルクス経済学的性格づけ /日本に特殊な労働関係がジェンダー差別を起こす /ロボットに人間はつくれない | ||
Ⅲ部 人口問題は資本主義の超克を要求する | ||
第7章 人口問題は「社会化された社会」を要求する | ||
3種類の資本主義超克論 /出生数の「個人の選択」と社会的要請の矛盾 /社会主義とは「社会化された社会」のこと /教育の無償化は人口政策 | ||
第8章 人口問題は「平等社会」を要求する | ||
「社会化」は言えても「平等化」は言えない専門家 /新自由主義が根強い理由 /「神対応」に見る日本の「国のかたち」 /貧困者をつくらなければいけないのが資本主義 | ||
第9章 真の解決は国際関係も変える | ||
外国人労働依存の負のループ /途上国の発展が日本の不利益に /奴隷狩りシステムの再構築 /「欧米的」にならない日本の道は | ||
第10章 資本主義からの脱却へ | ||
少子化対策は大衆のアヘンである /子供をサポートする目線の児童手当になっているか /企業行動への国家の強制介入も必要に /子育て世代への所得再分配は結婚できない人を貧困に導く /貧困を前提とした社会政策では目的は達成されない /格差が廃止された社会とはどういう社会か /いつか必ず来なければならない転換 | ||
補論 港区、足立区区議選で競われた少子化対策 | ||
あとがき |
なお、外国人労働者の賃金も、以前に比べて上昇しており、低賃金を求めて海外に工場を移転した企業も、以前ほど低賃金の恩恵は受けていないとも。
その中で中国の少子化は他国とは様相が異なるという。
中国の少子化との決定的違い
ところで、「少子化」と言えば、ヨーロッパ諸国のそれとともに中国のそれも時々大きな話題となります。何せ、ついちょっと前まで「一人っ子政策」をしていたわけですから。ですが、実を言うと、中国の少子化と日本の少子化には大きな違いがあり、中国の場合はそれがもたらした「良い面」もあって、かなり対照的です。簡単に言うと、この政策によって中国では高学歴化がものすごい勢いで進み、なんといまや大学進学率が日本と同じレベルにまで達しているというととです。
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実際、中国の科学技術力の急発展はものすごく、最近はそんな話題に事欠きません。たとえば、今最も注目されているAI研究の「注目論文数」でも、すでに2021年の時点で4000本余りのアメリカに対し、中国は8000本近くを生産しています。AI研究に限らず、中国はアメリカとの激しい技術競争の真っ最中ですが、これを可能としたものこそ、この「一人っ子政策」だったことがわかります。簡単に言うと、子供の「数」の減少をカバーすべく、人々が「質」の強化に精力を集中し、ここまで変身を遂げられた、ということになります。因果関係としては、人口減⇒高学歴化となります。
ところで、「少子化」と言えば、ヨーロッパ諸国のそれとともに中国のそれも時々大きな話題となります。何せ、ついちょっと前まで「一人っ子政策」をしていたわけですから。ですが、実を言うと、中国の少子化と日本の少子化には大きな違いがあり、中国の場合はそれがもたらした「良い面」もあって、かなり対照的です。簡単に言うと、この政策によって中国では高学歴化がものすごい勢いで進み、なんといまや大学進学率が日本と同じレベルにまで達しているというととです。
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実際、中国の科学技術力の急発展はものすごく、最近はそんな話題に事欠きません。たとえば、今最も注目されているAI研究の「注目論文数」でも、すでに2021年の時点で4000本余りのアメリカに対し、中国は8000本近くを生産しています。AI研究に限らず、中国はアメリカとの激しい技術競争の真っ最中ですが、これを可能としたものこそ、この「一人っ子政策」だったことがわかります。簡単に言うと、子供の「数」の減少をカバーすべく、人々が「質」の強化に精力を集中し、ここまで変身を遂げられた、ということになります。因果関係としては、人口減⇒高学歴化となります。
先日のテレビ報道によると、中国のAIは既に米国製のものと肩を並べているといわれ、動画生成AI(KLING)は世界を驚かせているという。それだけではなく、中国にはAIが都市のインフラを管理する実験都市が何か所も作られており、既にそこで多数の人が生活していて、AIの進化に不可欠なデータが他国ではありえない分野・量で蓄積されているという。
この人口減少、少子化が資本主義経済体制とどう関連しているのか、次のように述べる。
「再生産」という観点の重要性
ここで一度中間的にこれまでの議論を総括しますと、少子化=人口減の問題が「資本」と「ヒト」の重点選択の問題であるということ、そしてそれを現代社会の持続可能性の問題として議論しようということになります。実際、この問題は途上国には存在しなくとも、先進国段階となって初めて深刻化している問題です。言い換えますと、この資本主義も途上国段階では有効な、つまり正当な社会経済システムとしてあったものが、先進国段階となってそ正当性を失いつつある、ということになります。
マルクスの歴史観は、いかなる社会システムもある時期には正当なものであっても、必ずいつかはその賞味期限が切れる、新たなシステムに転換されなければならない、というものですから、資本主義を一般的に否定しているわけではありません。先にとの関係を論じたところも、ある段階(αが大きな段階)での資本主義の正当性を主張するものでしたね。
ですが、いまや先進国では人口減となり、この状況が続く限り将来人口はゼロ(!) となります。これは先進国段階では資本主義システムが持続可能性を喪失してしまっているということ、つまり、資本主義の正当性を失ってしまっていることを示しています。
ここで一度中間的にこれまでの議論を総括しますと、少子化=人口減の問題が「資本」と「ヒト」の重点選択の問題であるということ、そしてそれを現代社会の持続可能性の問題として議論しようということになります。実際、この問題は途上国には存在しなくとも、先進国段階となって初めて深刻化している問題です。言い換えますと、この資本主義も途上国段階では有効な、つまり正当な社会経済システムとしてあったものが、先進国段階となってそ正当性を失いつつある、ということになります。
マルクスの歴史観は、いかなる社会システムもある時期には正当なものであっても、必ずいつかはその賞味期限が切れる、新たなシステムに転換されなければならない、というものですから、資本主義を一般的に否定しているわけではありません。先にとの関係を論じたところも、ある段階(αが大きな段階)での資本主義の正当性を主張するものでしたね。
ですが、いまや先進国では人口減となり、この状況が続く限り将来人口はゼロ(!) となります。これは先進国段階では資本主義システムが持続可能性を喪失してしまっているということ、つまり、資本主義の正当性を失ってしまっていることを示しています。
それと関連するのか、欧州の先進国では、子育て・子供の教育は、既にかなりな程度「社会化」されているという。
教育の無償化は人口政策
この「社会化」の概念には以上では言い切れていない、まだまだ奥深いものがありますので、それを示すためにもうひとつの事例を挙げさせてください。それは、山田昌弘さんが『結婚不要社会』(朝日新書、2019年)で紹介しているスウェーデンにおける子持ち夫婦の離婚への行政的介入のあり方についてです(146ページ)。
スウェーデンのような社会では離婚が夫婦の一方の届け出で成立するという「離婚の自由」原則を守っているのですが、16歳未満の子供がいる場合には行政が介入し、離婚の届け出があっても1年間はそれを認めません。その上で重要なのは、離婚した相手からの養育費の徴収を行政が肩代わりをして、子育てを担う母親(ないし父親)が取りっぱぐれのない内 容にしているということです。
ささいなことのように見えますが、日本では養育費の徴収は「個人間の問題」とされて行政が関与しないのに対して、スウェーデンでは「社会の業務」とされているというのが重要です。このようなものも「社会化」のひとつの内容であるのです。この制度があって初めてスウェーデンでは安心して離婚をすることができることとなっています。離婚しても愛する子供の扶養に問題がないからです。子供の権利を最優先した制度設計によって、「離婚の自由」も完全になるという一種パラドキシカルな関係が成立しています。
この「社会化」の概念には以上では言い切れていない、まだまだ奥深いものがありますので、それを示すためにもうひとつの事例を挙げさせてください。それは、山田昌弘さんが『結婚不要社会』(朝日新書、2019年)で紹介しているスウェーデンにおける子持ち夫婦の離婚への行政的介入のあり方についてです(146ページ)。
スウェーデンのような社会では離婚が夫婦の一方の届け出で成立するという「離婚の自由」原則を守っているのですが、16歳未満の子供がいる場合には行政が介入し、離婚の届け出があっても1年間はそれを認めません。その上で重要なのは、離婚した相手からの養育費の徴収を行政が肩代わりをして、子育てを担う母親(ないし父親)が取りっぱぐれのない内 容にしているということです。
ささいなことのように見えますが、日本では養育費の徴収は「個人間の問題」とされて行政が関与しないのに対して、スウェーデンでは「社会の業務」とされているというのが重要です。このようなものも「社会化」のひとつの内容であるのです。この制度があって初めてスウェーデンでは安心して離婚をすることができることとなっています。離婚しても愛する子供の扶養に問題がないからです。子供の権利を最優先した制度設計によって、「離婚の自由」も完全になるという一種パラドキシカルな関係が成立しています。
では日本も同じような社会化ができるだろうか。
しかし、この図で何よりも問題となるのは、私たちの国日本の「政府介入」がまったく逆の効果を持っていることで、何とこの「政府介入」で子供の貧困率は逆に上昇している(!)ということです。そして、どうしてこのようなことが生じるのか、と考えた場合に先述の「逆再分配」が問題となります。
実際、この図を描かれた山野さんの分析でも、もともと児童手当の額が少額なうえに、現行の税控除や児童手当の制度などが格差解消を目的としたものでないことが原因しているとされています。つまり、ごくごく簡単に言えば、本来なされるべき所得の平等化政策が不十分である時、「少子化対策」それ自身は所得の逆再分配策となってしまうということです。
本書にとって非常に重要な論点なので、強調させていただきますが、子育て世帯への大幅な「所得再分配」は当然、貧困ゆえに非婚となり、子供をもうけられない人々から、「豊か」なために結婚もでき、子供ももうけられている世帯への「逆再分配」とならざるを得ません。
ですので、こうして新たな種類の「福祉政策」が、教育支援や共働き家庭支援などと進んでいけばいくほど、「最底辺層」は「再分配原資」の一方的な提供元とされてしまうことになります。
実際、この図を描かれた山野さんの分析でも、もともと児童手当の額が少額なうえに、現行の税控除や児童手当の制度などが格差解消を目的としたものでないことが原因しているとされています。つまり、ごくごく簡単に言えば、本来なされるべき所得の平等化政策が不十分である時、「少子化対策」それ自身は所得の逆再分配策となってしまうということです。
本書にとって非常に重要な論点なので、強調させていただきますが、子育て世帯への大幅な「所得再分配」は当然、貧困ゆえに非婚となり、子供をもうけられない人々から、「豊か」なために結婚もでき、子供ももうけられている世帯への「逆再分配」とならざるを得ません。
ですので、こうして新たな種類の「福祉政策」が、教育支援や共働き家庭支援などと進んでいけばいくほど、「最底辺層」は「再分配原資」の一方的な提供元とされてしまうことになります。
こうしたことがあるため、子育て支援施策において、全世帯を対象とするか、所得制限を設けるべきかという議論もある。著者もどちらが優れているかについては難しい問題とするにとどめている。
であるけれど「最底辺層」なるものが存在しなければ、こうした問題で悩む必要もないわけで、格差をつくることで利潤をあげる資本主義と、人口ゼロの競争になるのかもしれない。