「殴り合う貴族たち」(その2)

5162NW7FG4L.jpg 繁田信一「殴り合う貴族たち―平安朝源氏物語」
2回目。

昨日の記事では、貴族の御曹司たちというのは幼稚で暴力をふるったとか、祭の興奮の中での鞘当てのような事件をとりあげたけれど、暴力がふるわれるときには、このようなただの気晴らし(?)ではなく、何らかの裏事情がある場合が多いと思う。

著者は、道長の子供たちの悪行については、彼ら自身の幼さに起因するとしているが、同じように見える暴力行為には、そのような理不尽なものばかりではなく、裏があるものもあると指摘している。

『小右記』には著者実資に加えられた暴力事件も多く出てくる。悔しくて日記に書いたものと思われるけれど、比較的高位にある実資ですら、こうした体験をしていたわけだが、実資は資産家だったらしいから、その財産を剽窃しようとして仕掛けたのかもしれない。

7 花山法皇、門前の通過を許さず」には、花山院の邸宅だけでなく、貴人の門前で石を投げられた話がいくつか紹介されている。

序 素行の悪い光源氏たち

藤原道長、官人採用試験の試験官を拉致して圧力をかける/
現実世界の光源氏/
小野宮右大臣藤原実資の『小右記』/
紫式部が描かなかったこと
 

1 中関白藤原道隆の孫、宮中で蔵人と取っ組み合う

藤原経輔、後一条天皇の御前で取っ組み合いをはじめる/
中関白藤原道隆/
藤原経輔、先日の遺恨によって暴行に及ぶ/
殿上人たちの集団暴行/
曾禰好忠、多数の殿上人に足蹴にされる/
藤原道雅、敦明親王の従者を半殺しにする/
傷心の「荒三位」/
藤原道雅、路上で取っ組み合って見せ物になる
 

2 粟田関白藤原道兼の子息、従者を殴り殺す

藤原兼隆、自家の廏舎人を殴り殺す/
藤原兼隆、藤原実資家の下女の家宅を掠奪のうえで破壊する/
粟田関白藤原道兼/
藤原兼房、宮中にて蔵人頭を追いかけ回す/
藤原兼房、宮中での仏事の最中に少納言と取っ組み合う/
藤原兼房、蔵人の控え室でリンチに興じる/
藤原兼綱、蔵人に対する集団暴行に加わる
 

3 御堂関白藤原道長の子息、しばしば強姦に手を貸す

大学助大江至孝、威儀師観峯の娘を強姦しようとする/
藤原能信、従者を差し向けて強姦犯の大江至孝を救援する/
能信の責任/
藤原能信、右近将監藤原頼行の強姦に手を貸す/
御堂関白藤原道長/
藤原能信、衆人環視の中で貴族たちに暴行を加える/
藤原能信、内大臣藤原教通の従者を虐待する/
屈折する能信
 

4 右大将藤原道綱、賀茂祭の見物に出て石を投げられる

藤原道綱、右大臣藤原為光の従者から狼藉を受ける/
祭日の酒に暴走する従者たち/
藤原行成、権大納言藤原頼宗の従者から狼藉を受ける/
右大将藤原道綱/
藤原道綱、藤原道長と「相聟」になる/
藤原兼経、五節舞姫に横恋慕する
 

5 内大臣藤原伊周、花山法皇の従者を殺して生首を持ち去る

藤原伊周・藤原隆家、花山法皇の童子を殺して首を取る/
藤原伊周、嫉妬に駆られて花山法皇に矢を射かける/
政界を追われる伊周/
内大臣藤原伊周/
七条大路の合戦/
藤原伊周、藤原道長の暗殺を企てる/
暗殺計画に揺れる貴族社会/
藤原隆家、異国の海賊を撃退する
 

6 法興院摂政藤原兼家の嫡流、平安京を破壊する

藤原兼家、右大臣藤原師尹の従者たちに邸宅を破壊される/
兼家の災難/
法興院摂政藤原兼家/
藤原長家、右大将藤原実資の従者を袋叩きにしようと企む/
幼稚で凶悪な御曹司たち/
素行の悪い御曹司たちの不品行な従者たち/
藤原道長、寺院造立のために平安京を破壊する/
藤原道長、自邸の庭の造営のために平安京を破壊する
 

7 花山法皇、門前の通過を許さず

花山法皇、検非違使に包囲される/
花山法皇、検非違使に従者を追い散らされる/
藤原公任・藤原斉信、花山院の門前にて襲撃を受ける/
藤原隆家 花山院の門前で花山法皇と争う/
花山法皇の奇行/
藤原斉信、方々で投石に遭う/
門前の礼儀/
藤原実資、従者たちに門前での投石を禁ず/
花山法皇、騎馬による門前の通過も許さず
 

8 花山法皇の皇女、路上に屍骸を晒す

花山法皇の皇女、路上の屍骸となって犬に喰われる/
花山法皇の無軌道な女性関係/
花山法皇の気の毒な皇子女たち/
路上で犬の餌食となった姫君/
荒三位、口説き落とせなかった姫君を殺害する/
藤原道雅、皇女の殺害を指示する/
王朝貴族社会が捏造した真犯人/
何もなかったことにしたかった貴族社会
 

9 小一条院敦明親王、受領たちを袋叩きにする

敦明親王、路上で前長門守高階業敏を虐待する/
敦明親王、賀茂祭使の行列を見物する人々を追い回す/
小一条院敦明親王/
敦明親王、野外で紀伊守高階成章を虐待する/
憂さを晴らす敦明親王/
復讐する敦明親王/
敦明親王、藤原実資の従者を拉致しようとする/
職人に腹を立てる敦明親王
 

10 式部卿宮敦明親王、拉致した受領に暴行を加える

敦明親王、加賀守源政職の拉致・監禁・虐待を企てる/
敦明親王の岳父、「愚か者の中の愚か者」と蔑まれる/
藤原顕光、丹波椽伴正遠の拉致・監禁・虐待を命じる/
王朝貴族の債権回収/
禎子内親王の執事、源政職の妻の財産を差し押える/
源政職、鉾に貫かれて果てる/
藤原定頼、敦明親王の従者を殺して「殺害人」と呼ばれる
 

11 三条天皇、宮中にて女房に殴られる

民部掌侍、悪霊に憑かれて三条天皇を殴る/
居貞親王、藤原道長の従者を拘禁する/
三条天皇/
王朝貴族の従者と主人の威光/
長和四年の内裏焼亡/
三条天皇の悲願
 

12 内裏女房、上東門院藤原彰子の従者と殴り合う

三条天皇の女房、宮中にて暴力沙汰を起こす/
一条天皇の女房、中宮藤原彰子の女房に無礼を働く/
藤原彰子の立場/
後一条天皇の女房、息子たちの凶悪事件を揉み消す/
内裏女房のバカ息子たちの暴走/
一条天皇の女房、強盗の人質になる/
紫式部の宿敵・紫式部の親友
 

13 後冷泉天皇の乳母、前夫の後妻の家宅を襲撃する

藤原教通の乳母、教通の従者を動員して藤原行成の叔母の家宅を襲う/
御堂関白家の女房、祭主大中臣輔親の居宅を襲撃する/
源頼朝の古妻、新妻の居宅を破却させる/
石清水八幡宮の神官および僧侶、山科新宮の殿舎を破壊して八幡菩薩像を強奪する/
県犬養永基、道吉常の妻を強姦して無理矢理に自分の妻にする/
藤原惟貞、強姦を疑われて藤原道長邸の門前で晒し者にされる
 

結 光源氏はどこへ?

 
紫式部は見た/
火薬庫のような酒宴
 /
王朝暴力事件年表
 
あとがき
これで思い出すのは「男衾三郎絵巻」である。鎌倉時代に書かれたものだが、うっかり男衾家の近くを通って捕まったよそ者は、弓の的にされ、なぶりものにされ、首を切られて家の周りに懸けられるという、なんとも無法な話である。
だけれど平安貴族の場合はこれとは違った事情があるようだ。本書では、
 そして、実資によれば、彼らにはそうした行動をとるべき正当な理由があった。
 この日の『小右記』によると、貴族社会において守られるべき礼儀の一つとして、「たとえ大臣の地位にある者であっても、他の大臣の居宅の門前を通ってはならない」というものがあった。すなわち、王朝貴族たちの間では、大臣の居宅の門前を通過することは、それだけで無礼な行為と見なされたのである。
 したがって、この日の師良の行為は、右大臣実資に対して著しく礼を欠くものであったことになる。そして、実資の従者たちが師良の牛車に石をぶつけようとしたのは、そうした事情を踏まえてのことであった。大臣の居宅の門前における礼儀を守ろうとしない者たちへの制裁が、大臣家の従者たちによる投石だったのである。
 もちろん、絶対に「大臣の居宅の門前を通ってはならない」というのでは、平安京内の交通に支障が出てしまう。そして、ここで実資が「通ってはならない」と言っているのは、厳密には、「牛車に乗ったままで通ってはならない」という意味においてである。したがって、王朝貴族社会においても、牛から降りさえすれば、大臣の居宅の門前を通過することは可能であった。確かに、右大臣藤原顕光の住む堀河院の門前で投石を受けたとき、藤原斉信と藤原頼通とは牛車に乗ったままであった。
 そして、当然のことながら、大臣に対して守られる礼儀が、大臣より上位の皇族や摂政・関白に対して守られないはずはない。だからこそ、花山法皇の住む花山院の門前を牛車に乗って通り過ぎようとした藤原公任と藤原斉信とが、激しい投石に見舞われたのである。

それがマナーだとしても、こうした行為をするのは私刑であり、現代では私刑はもちろん禁止されている。しかしこの時代は、法・法の執行というものがまだまだ実力次第の時代だったのだ。

時代が下がっても、路上で貴人と出会ったら、馬を降りるとか、平伏するなどが礼儀とされていたと言うが、それと同様であって、無礼者に対する懲罰として当然視されていたというわけだ。

そんな世にあって、さすが「賢人右府」と呼ばれた実資は、従者たちに門前での投石を禁じたというのだから大したものだ。(単にもめごとや報復を嫌っただけかもしれないが)


そうした裏の事情も考えられるのではないかという事件がいくつかとりあげられる。
その一つは、有名な皇女が路上の死骸となって犬に食われた話である(8 花山法皇の皇女、路上に屍骸を晒す)。
今昔物語集にもある話で、前にも何かで読んだ記憶があるのだが、それは単に平安京の治安の問題ぐらいに思っていた。
ところが本書では、この皇女が産まれた経緯(花山院の不埒な女性関係)や藤原道雅との関係を推量し、貴族社会はこの問題を「なかったことにしよう」としたものとした(記録が残されない)のではないかとする。

女性関係が原因になる諍いは平安時代にも多かったようである(13 後冷泉天皇の乳母、前夫の後妻の家宅を襲撃する)。有名な北条政子による「後妻打ち」もその一つと紹介されている。

現代でも多くの争いには利害関係がもととなっているわけだが、平安時代も同様である。
9、10章で、酷い乱暴者として取り上げられる敦明親王であるが、本書ではその乱暴ぶりを史料に基づいて紹介したうえで、同時に状況資料を参考として理由のあった行為ではないかと推理し、次の評価を添えている。
 だが、ここで一つ気になるのは、その藤原道長に器ではないと断じられた敦明親王が、本当に天皇としての器量を持っていなかったのか、ということだ。このときの敦明親王の年齢はといえば、さすがに器量の有無もはっきりしてくるであろう二十二歳に達していた。
 実は、歴史家の多くは、道長の見解に賛成している。確かに、しばしば暴力沙汰を起こしていた敦明親王は、帝王となるべき人物ではなかったかもしれない。そうだとすれば、この皇子を帝位にという三条天皇の願いは、たんなる親バカでしかなかったことになる。
 しかし、前章で詳しく見たように、敦明親王の行使した暴力というのは、彼の気まぐれから出たものなどではなかった。彼が暴力沙汰を起こすには、それなりの必然性があったのである。したがって、少なくとも、藤原道長や彼の子息たちの起こした数々の暴力事件に比べれば、敦明親王の起こした事件はそれほど悪質なものではなかったのだ。
 敦明親王の暴力は、むしろ、彼の行動力の証であった。だから、もし三条天皇の悲願がかなっていたならば、王朝時代には珍しい行動力のある天皇が誕生していたかもしれない。

これに従えば、道長の横暴により帝位に就けなかった敦明親王は、道長政治の犠牲者と言える。
本書には、道長が我意を通すためにおこなったさまざまな悪事が紹介されている。ただ道長自身は、それが悪いことだとすら思っていなかったような気がする。あっけらかんと、天皇の外戚が政治をするのは美しい国の形、権力者が頼られるのは当然、頼られたら何とかするのが人の道、ぐらいに思っていたのではないだろうか。

さいごに「あとがき」から転載しておこう。
「王朝貴族」と呼ばれる人々は、かなりの程度に暴力に親しんでいました―これこそが、この本の最初から最後までを貫く主張です。
 われわれ日本人の多くが王朝貴族についての基礎的な知識を得るのは、中学校や高等学校の古典の授業を通じてのことなのではないでしょうか。もちろん、中学校や高等学校に行けば、日本史の授業を通じても王朝貴族のことを学習することになります。 しかし、日本史の教科書が王朝貴族のために割く頁数はほんの数頁にすぎないのに対して、古典の教科書は総頁数の半分ほどを王朝貴族のために割いているのです。
 こうした事情から、われわれの抱く王朝貴族のイメージは、多くの場合、王朝時代の古典文学(王朝文学)から得られたものであったりします。中学校や高等学校の古典の時間には、『古今和歌集』『竹取物語』『伊勢物語』『源氏物語』『枕草子』『土佐日記』『更級日記』など、さまざまな王朝文学が紹介されますが、われわれ現代日本人の持つ王朝貴族イメージの中核を形成しているのは、これらの文学作品より垣間見られる王朝貴族の姿であるように思われます。
 とくに、『源氏物語』という王朝物語の登場人物たちの様子は、現代人が王朝貴族について抱いているイメージに対して、絶大な影響を及ぼしているのではないでしょうか。『源氏物語』の主人公である光源氏こそが王朝貴族の理想像であるという理解は、おそらく、われわれの大多数によって支持されるでしょう。『源氏物語』という長編物語を最初から最後まで読み通したことのない方でも、『源氏物語』のあらましを知ってさえいれば、いつの間にか、光源氏を王朝貴族の理想像と見なしていたりするようなのです。
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 しかしながら、王朝時代の貴公子たちは、本当に殴り合うことがあったのです。それも、それなりに頻繁に。さらには、他人を一方的に殴ったり蹴ったりすることもあれば、たった一人を大勢で虐待することもありました。 そして、それさえも、そうそう珍しいことではなかったのです。
 繰り返しになりますが、「王朝貴族」と呼ばれる人々は、かなりの程度に暴力に親しんでいたのです。
今に残る王朝文学は、平安の世の理解に欠くことはできないものだけれど、それだけでイメージを作ってしまってはいけないという警句であろう。

昨日の「光る君へ」では、花山天皇が公卿たちの冠を叩き落すシーンがあった。

「この時代、髻を曝け出すのは今なら服を脱がされるほどの苦辱」といったナレーション付き。
(イギリス人は、人前で靴を脱いで足を見られるのが恥辱という話を聞いたが本当だろうか)

ドラマでの暴力シーンの描き方にも注目してみたい。

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