「歴史学者という病」

61BFisTErsL.jpg 本郷和人「歴史学者という病」について。

読み始めたときは、「歴史学者という病」じゃなくて、「病の歴史学者」かと思った。読み進めていくうちに、なるほど「歴史学者という病」なんだなと少し納得。

本書は基本的には、著者の自伝みたいなもので、生い立ちから歴史学との関わりを回顧するもの。
まず、素人の歴史好きと、歴史学者の違いに触れる。著者自身の述懐として、正直に自分は大学に入るまでは素人の歴史好きだったというところからはじまる。
そして大学で歴史学の学徒となって、まずは「大好きな歴史との訣別」となる。
だが、著者のエライところは、そう反省しながら、歴史好きという根っこは維持していることではないだろうか。

私が思うに、歴史学者はやはり実証の世界に閉じこもるだけではダメだろう。著者は個別の歴史事実を史料から拾い上げるだけのものは単純実証という。
歴史学者が、細かい歴史事象の点的な事実検証にとどまって、そこから何をhi-storyにするのかを素人に任せたのでは、大きな勘違いが起こるかもしれない。やはり事実とstoryの間をつなぐ役割の人が必要ではないかと思う。
はじめに
国家的大事業の『大日本史料』編纂 /歴史学は不可解なり
 
第一章「無用者」にあこがれて
立身出世は早々にあきらめ、好きなことをして生きようと思った
幼少~中高時代
「死」が怖かった /野口英世のような医者になろう /偉人伝を読みあさる幼児 /細川忠興・ガラシャみたいな両親 /母のすすめで越境入学 /仏教美術に「死をも超越する永遠」を知る /あっけなく「医者の夢」ついえる /自己否定と中島敦 /北村透谷の人生から考えた「どう生きるべきか」 /人材の宝庫だった民族文化部 /唯物史観で歴史を教える教師 /大津透に言われた「ノートは綺麗に書くな」 /唐木順三『無用者の系譜』との出会い /「偽物」の自認が磨いた教養主義 /パニック障害をひた隠して東大受験
 
第二章 「大好きな歴史」 との訣別
歴史学は物語ではなく科学―だから一度すべてを捨てる必要があった
大学時代
入学直後にひきこもり /「こんなのオレが好きな歴史じゃない!」 /一流の教育者に出会う /「石井進」論文の衝撃 /歴史とは誰のものか /「豚に歴史はありますか?」―皇国史観の歴史学 /「下部構造こそが歴史の主役」―マルクス主義史観の歴史学 /「実証に基づいた社会史への広がり」―四人組の時代 /現代の常識から歴史を考える危険性 /未来の伴侶の能力に惚れる /歴史学にロマンは要らない? /感情と行動を区別する難しさ /源頼朝は冷酷か―物語と歴史学を切り分けて考える① /北条政子は冷酷か―物語と歴史学を切り分けて考える② /織田信長はなぜ殺されたか―物語と歴史学を切り分けて考える③ /「大人になる」ということは /政治史よりも民衆史 /「学問の新発見」トリビアを一蹴される /もっと我々を教育してほしかった /エリート意識は棄てなさい /卒論ではひたすら数字を並べた /高野山から日本全国に広げるには?
 
第三章 ホラ吹きと実証主義
徹底的に実証主義的な歴史学を学んだ、そしてホラの吹き方も―
大学院時代・そして史料編纂所へ
大学院の学費 /未来の妻に説教される /レベルが違った大学院の実証史学 /網野史学は「2倍」史学 /網野史学のプロデューサー /気宇壮大なホラを吹け /畠山義就と毛利元就 /実証とホラのハイブリッド /それって「ダブスタ」じゃない? /人生最悪の遅刻 /撃沈 /史料編纂所の試験 /皇国史観vs.実証主義の死闘 /修業時代とブラック寺院 /「日本の宝」の流出を憂う /昔追い出した人が、就職先の先輩だった件 /「ふつうじゃない」大学の先生になる
 
第四章 歴史学者になるということ
歴史学には課題が多い。だからこそ大きな可能性があるのだ―
史料編纂所時代・そして新たな道へ
結婚という名の…… /私は認められたかった /「博士号」の激しすぎるインフレ /恩師・石井進の死 /なぜ私はどの出版社からでも本を出すのか /そして「事件」は起こった /私の仮説―鎌倉幕府には3軍まであった /実証と単純実証のあいだ /「一つの国家としての日本」は本当か /皇国史観の「しっぽ」 /「輝ける古代」はエリートの歴史観 /「法学部至上主義」の影響も? /「生徒が考える教科書」はNGだった /諸悪の根源は大学受験 /実証への疑念、史料への疑念 /私を批判する若い研究者たちへ /「牛のよだれ」は誰でもできる /我が妻の「アクロバット実証」 /「ホラを吹け」の真意 /分析こそが新しい物語をつくる /唯物史観を超えるヒント /構造を示す /民衆からユートピアは生まれるか /網野史学の功罪
 
おわりに
  ヒストリカル・コミュニケーターに、オレはなる!
「日本史のIT化」は学問か 若い教員の憤り /ヒストリカル・コミュニケーターを目指して /歴史学にもマネタイズが必要
それは歴史学者の役割ではないというのなら、あらたな学問分野を興さなければならないのではないか。著者がやりたいことはそれなのだと思う。

思えば、物理学が、実験物理学、理論物理学、応用物理学に分けられて、どれを主とする研究をやろうと物理学者である。もちろんそれらの間に壁があってはならない。歴史学にもそういう持ち場があってよい。実証と理論が刺激しあい、手を携えてこそ研究の深まり・広がりというものが生まれるのではないだろうか。

また、「歴史学にロマンはいらない」というのがマジメな歴史学者のように思われているらしい。
であるけれど、理科系で学んできた私などは、科学(自然科学)にはロマンがないとつまらない。というか、すべて科学的論説・数学的推論というものは、文字の形で完全に記述できなければならないが、文字の裏にはイメージとロマンがある。それが説明できない先生はつまらないのである。実際、文字だけのテキストから自分流にそれを絵にして理解するということは、普通に行われていると思う。

法律の世界もそうじゃないかと私は勝手に思っている。当該法による秩序が確立された社会のイメージがあって、そのイメージをどのように文章で表現するのかが法律なのだと。細かい条文の語法についてああだこうだいうのは文章家で法律家ではない。もっとも変な語法の約束事を作るぐらいなら、括弧()を使って文の構造を明示するようにしたら良いと思う。

自然科学でロマンが許されるのは、確たる文字記述―真偽判定できる―が必ず存在するからだろう。歴史学には、その文字記述に真偽判定ができないから、ロマンでは勝負できないということかもしれない。

著者が描く歴史学者の世界で一番の驚きは、サステイナビリティだ。
著者の妻の言葉だそうだが、「サステナビリティ(持続可能性)は、答えを出してはいけないもの」なのだそうだ。もちろんこれが真実だとは思わないが、そういう心理があることは多分否定できないのだろう。そして決定的真実として提示されたものに対して、どこかに抜けがあるのではと考えたくなる、結果、真理性は先送りされるという現象だろう。
先日、100分de名著で折口信夫をとりあげていたが、その中で、名著というのは、そこに書かれているコトだけでなく、そこから新しい問題が見えてくるというような趣旨の発言があった。
実際、自然科学だったら、新しい真理が発見されたら、そこから派生的にさらに問題が拡がるのが通例だと思う。それが自然は人智を超えているということだ。(歴史は人智を超えているか?)。

知識は球体だというたとえがある。知識は、自分の周りの球体の中のもので、未知の領域はその球面の外である。知識(球体)が大きくなれば、それだけ未知の境界面(球面)は大きくなるというものだ。


ところで「物語と歴史学を分けて考える」という節で例示されている北条政子の話で、今まで私が知らなかった(歴史に詳しい人なら常識かもしれないが)ことが書いてあった。
それは承久の乱のときの政子の演説(実際には安達景盛)は有名だが、これとは全く異なる内容が『承久記』にあるのだという。それによると、
「私は頼朝さまとの間に四人も子供を産んだ。けれどもおまえたちもよく知っているように、二人の男子は政争のなかで死んでしまった。二人の女子にも先立たれてしまった」と。要するに「四人も生んだのに誰一人として生きていない、この状況で弟の北条義時までもが殺されたら、自分は本当にひとりぼっちになってしまう」と訴えたと記されている。
この話はもちろん私には興味深いことだが(まさか「鎌倉殿の13人」ではこちらを採用したりはしないと思うが)、本書ではこれを引き合いにだして、
「子殺し」という一点から政子の感情ばかりにフォーカスして、「尊敬できる」「哀れな女性だった」という感想に拘泥していては、より大事な視点を見落としかねない、ということが分かっていただけるだろうか。こうした「人間の内面論」を超えた場所でこそ、日本の歴史というものを語るべきだ、と私は常々思っている。
と歴史上の人物が心中で何を考えていたかで歴史を語ることを戒めている。

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